優しい伯父さんは、昔話をしてくれました

 伯父さんの一言に言葉が出なくなる。

「なんでわかるの、そんなこと」

 ようやく言えた一言はたったそれだけだった。

「俺が通ってた大学が東京だったことはしたことあったか?」

「豊島区の私大だっけ」

「そうそう。同じ学科に、東雲ってやつがいてな。結構話が合ってよく遊んでた」

 伯父さんと仲が良かったらしいその男性は、東雲和也という。

 映画鑑賞が趣味の伯父さんと馬が合ったらしく、空いた時間によく映画を見に行ったり、大学卒業後も年賀状を送りあうような仲だったらしい。

 その和也さんが結婚したと知ったのは、伯父さんが社会人三年目を迎える年の年賀状だったという。件の年賀状には「事情があって式は挙げていませんが、結婚しました」ということが書いてあったそうだ。

「でも、苗字が一緒ってだけで違う人かもしれないでしょ」

 東雲さんなんて、それほどよくいるとは思えないが、そこから断定するのは早すぎるんじゃないだろうか。

「俺も最初はそう思った。……ああ、顔写真とかあるか?」

「千秋くんの?」

「ああ」

「あるけど」

 携帯の写真アルバムを開き、目を凝らしながらスクロールする。だいぶ前に二度目の神保町デートに行ったとき、ツーショットを撮った記憶がある。

「あった、これこれ」

 私が渡した携帯の画面の千秋くんの顔を、伯父さんは硬い顔で見ていた。

「前に君の恋人の話を聞いて、ちょっと思い出したことがあってな」

 何を話したいのかわかりそうでわからない。 

「気になったことがあって、知り合いからもらった手紙とか写真なんかを漁ってみたんだ。処分しようかと思ったこともあるんだが、しなくてよかった」

 持ってきてある、と伯父さんはジャケットの内ポケットから紺色のカバーの手帳を取り出す。

「由梨花ちゃん、今、どこに住んでるんだ」

「神楽坂だけど」

「ごめん、聞き方を間違えたな。住所とか番地とか教えてもらえるか」

「え?」

 なんでそんなことまで。

「変なこと聞いてるのはわかってる。でも大事なことなんだよ」

「……神楽坂三丁目の一の十五」

「なるほど」

 伯父さんはふっと笑った後、今眺めていたものをテーブルに置く。

「ちょっと、見てほしい」

 伯父さんが渡してきたのは一枚のハガキだった。

 大分前のものなのか、ハガキの隅など所々が薄汚れている。

 一人の赤ん坊の姿が写っていた。青いベビー服を着たその子は、あどけない顔をカメラに向けている。

 ハガキに写真を印刷するなんていう時代のものではないのだろう。ベビーチェアに座った黒髪の赤ん坊を写した写真を丸く切り抜いたものが、ハガキの表面に直接糊付けされている。

 写真の下には「あけましておめでとうございます」の後に「昨年の春に結婚し、男の子が産まれました」というメッセージが続く。

 裏面の送り主の欄には「東雲 和也 夏実」。

 住所欄を見て驚愕する。

 夫婦らしき連名の右隣には「東京都新宿区神楽坂三丁目―一―十五」の文字。

「和也はずっとそこから引っ越したりしたことはなかったって言ってたな。結婚した後も奥さんとそこに住んでたんだろう。毎年その住所から年賀状が来たよ」

 ハガキを持ったまま固まった私に、伯父さんはそう言葉をかけた。

「今はもう来ないんだ」

「二人とも亡くなったからな」

 そう言われるのは予想がついていた。

「それはどこで知ったの」

「最初に聞いたのは、大学時代の他の友人からだったな。そのあと、父親って人から葬式への招待が来たから、それにも参加した」

 葬式の参列者は、千秋くんの親族と夫婦の友人のみの参加だったらしい。

「確認したわけじゃないからわからんが、日頃から連絡とってる知人だけに呼びかけたんだろうな」

「その招待のお知らせは残ってないの?」

 それがな、と伯父さんはお汁粉を一口飲む。

「探したんだが、それだけ見つからなかった。それだけなくすっていうのも妙な話だけどな」

「和也さんの父親の名前とかは覚えてたりしない?」

 うーんとうなりながら伯父さんは首をひねる。

「じゃあ、この写真の子は」

「千秋くんだろうな。彼、今いくつなんだ?」

「二十六」

「由梨花ちゃんが生まれる四年ぐらい前に来たものだから、生きてたらそれぐらいにはなるか」

 ベンチのひじ掛けに肘をつき、伯父さんはため息をつく。

 ハガキを返そうとすると、すかさず持っとけと突き返される。

「君が持っておけ」

「いいの?」

 俺はそれ以外にも持ってるから、と伯父さんは頷く。

 そしてにやりと笑った。

「なかなかないだろ。無関係だと思ってた恋人の父親と自分の親戚に縁があったなんて」

「それもそうか」

 二人して笑いあいながら、椅子に掛けたコートのポケットにしまい込む。

 伯父さんは笑った後にすぐ暗い顔で目を伏せた。

「……それでな、あまりこういう話をするのもどうかとは思うんだが、二人が亡くなる前に変なことがあった」

「変なこと?」

「和也から電話がかかってきたんだよ。それもよくわからないことを言われて、少し怖くなった」

 その時伯父さんのもとにかかってきた電話は確かにおかしなものだった。二人の死の知らせが届く一週間ぐらい前のことだったと言う。

「かかってきて開口一番『姫埼、ちょっと良いか』って言われてな。声も全然違ったから誰かと思ったんだ。『どなたですか?』って聞いたら『東雲和也だ』って言われてようやく気づいた」

 その時の和也さんの声は、大学時代にも聞いたことのない余裕のない声だったと言う。

「どうしたんだ、って言ったら『夏実がおかしい』『どうすればいいのかわからない』としか言わないんだ。ひたすらそれしか言わないから、五分ぐらいかけてなんとかなだめて、何があったか聞いたよ」

 伯父さんはそこで苦い顔をする。

「あいつのいったことがどこまで本当なのか、俺にも判断はついてないんだが」

 そう前置きした後、伯父さんが語った和也さんの話は奇妙なものだった。

「夏実さんが『家の中に知らない女の子がいる』って騒ぐようになったらしい。和也や和也のお父さんが『そんなのいない』と言ってもヒステリックに騒いだと」

「知らない女の子?」

 どこかでその会話を見聞きしたことがある。あれはどこだったっけ。

 思い出した。ここに来る日の前日の夜に見た夢だ。

「夏実さんはそれが家の中にいるっていって聞かなかったらしいんだが、彼女以外には見えてなかったんだな。全部夏実さんの見間違いだとあいつは思って……。おい、どうした?」

 私の様子がおかしいことに気づいた父が、怪訝そうに私の顔を覗き込む。

 聞きたいことは山ほどあるが、何でもないと首を振る。

「それで困ったから、大学時代の友人に電話で助けを求めたってことか」

 話題をそらすようにまとめると、伯父さんはああ、と頷いた。

「そう言われても、俺にもどうしようもなくてな。東京にはいたけどそれなりに忙しかったし、助けに行きたくても行きようがなかった。あと、夏実さんとは会ったこともなかったんだ。何をすればあの二人を助けられたんだろうな」

 伯父さんは、二人とも少し休んだらどうだ、と言った無難なことしか言えず、電話は終わったという。そして、それから一週間後、二人は車道の上で命を落とす。

「それぐらい和也さんは切羽詰まってたんだ」

「似たような電話を他の友人にもかけてたそうだよ」

 伯父さんは苦しそうにため息をつく。

「あの時他に何かできることがあったかもしれないって今更後悔してる。有給でもとって、顔でも見せにいくとかさ」

「いやいや、それで全て解決するとは限らなくない? 仮にその女の子を幽霊としたにしてもさ、根本的な解決にはならないでしょ」

 伯父さんは霊媒師じゃないんだから。

「それもそうか」

 と言いつつ、伯父さんは歯切れが悪そうだった。 

 話はここで終わりだというように、伯父さんがカップをぐっと飲み干したので、私も同じようにコンポタを飲み切る。缶の底に若干コーンの粒が残っていたので、とんとんと軽く叩くと、ちゃんと口の中に落ちてきた。 

「……ちょっと聞きたいんだけどさ」

 ようやく聞く気になったのは、缶のゴミを捨て、公園を出てすぐの歩道で信号待ちをしていたときだ。この機会を逃したら二度と聞けないかもしれないと思ったから。

「ん?」

「その女の子ってどんな子だったのか聞いてないよね?」

「聞かなかったな。和也は端から存在を信じてなかったみたいだから、そこまで知ろうとも思わなかったんだろう。もしかして、気にしてるか?」

「気にしてるって何を?」

「俺も夏実さんが見たって女の子を信じてはいないけどな。彼女の話が本当だったとしたら、君が今住んでる東雲家に幽霊がいるってことになるだろ。もしかして、今までに何か見たか?」

 伯父さんの口調はすまなそうな、憐れむようだった。

「ううん、見てない。そもそも私そういうの見れないし。ただ、何となく気になっただけ」

「君が今住んでるところなのに良くなかったな、こんな話したの。ごめんな」

「いいよ、全然」

「最後の話は忘れてくれて構わないからな」

 伯父さんとはすぐに別れた。この後も仕事があるらしい。

 ポケットの中のハガキの感触を手で感じながら歩く。

 疑っていたわけじゃないけど、千秋くんの両親も祖母も普通ではない最期を迎えているというのは本当だったようだ。伯父さんは千秋くんと会ったことも、この近辺に住んだこともないはず。それなのに、旧友の東雲和也の妻、夏実さんの生前の様子がおかしくなったことを知っていた。私に隠れて、千秋くんと会っていて知らされていたなんてこともないんだろうし、あっても私に嘘をつく理由はない。第一、そんな人じゃない。

 後ろに気配を感じた。

 誰かがさっと駆けだしていく背中が見えた。よっぽど反射神経が良いのか、着ている服の色もわからないぐらいの勢いで消えて行った。

 ワンテンポ遅れてこっちも駆けだしたけど向こうの方が速すぎた。そういえば、体育の成績はあんまり良くなかったな。

 後に残っているのは、電柱、端に止まっている車、両脇の民家。電柱に誰か隠れているんじゃないかと思ったけど、誰もいない。止まっていた車の主もどこかに用があるのか、誰も乗っていなかった。こっちを見ていた誰かが走っていった先も、分かれ道が多いから今から追っていったところで見つからないと思う。

 今はもう諦めるしかない。

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