優しい伯父さんが、姫君のもとにやってきました

 ピピピピピ、という電子音で目が覚める。

 音の出どころは、昨日寝る前にセットしたデジタルアラームだ。布団から頭だけ出して時刻を確認する。朝の六時四十五分。

 あれ、三十分にセットしたはずなんだけど、ああ、スヌーズ機能だと思考が目まぐるしく回転する。


 急いで着替えてリビングに向かうと、先に起きていた千秋くんが食べ終えたベーコンエッグとトースト用の皿を洗っているところだった。

 皿を拭きながら、起きてきた私におはようと笑いかけた。

 ありがたいことに私の分のベーコンエッグも用意されている。トーストがないのは、焼きたてさくさくを食べられるようにセルフでという気の利いた配慮だ。

 しかし、いつもは私が作っているから、今回は完全に遅刻だ。

「ごめん、忙しいのに」

「いいって、いつも由梨花に作ってもらってるし。でも、一週間あっという間だねー。今日がもう土曜日とか信じられない」

「そうだね」

 千秋くんとの同棲が始まって一週間が経つということでもある。

 笹野さん関連の不可解な体験もしたが、今のところ千秋くんとの同棲生活は順調だ、と千秋くんが作ったベーコンエッグを見ていると思う。目玉焼きにもベーコンにもカリカリの焦げ目がついて香ばしい匂いを放つ完璧なベーコンエッグ。

 とろとろの黄身に焦げ目のついた目玉焼きのちぎった白身を浸しながら、思い出す。

「あのさ、今日私ちゃんとベッドで寝てた?」

 テーブルで出勤する準備をしていた千秋くんが、ん? と目を丸くする。言い方が悪かったから当たり前っちゃ当たり前だ。

「うん、寝てたよ。アラーム鳴ってたけど気持ちよさそうに寝てたから、そのままにしてたけど何で?」

「うん、寝ぼけてたんだと思う」

「へえ、どんな?」

「この家の階段で寝てたっていう」

 昨晩の一階の廊下であった記憶は覚えてるから、こう言うしかない。

 ははは、と笑う千秋くん。

「へえ。リアルな夢だね、それ」

「あんま寝た気しないわ」

 私も笑いながら、頭の中では夜中に見たもののことを反芻していた。

 書斎から出てきたあの少女、逃げようと思って階段を駆け上ったら、すでにいたこと。そこまでしか覚えていない。

 あの後、彼女を押しのけて私は寝室のベッドまで戻ったんだろうか。

 人は極端な恐怖を感じると、その恐怖の記憶を脳が消してしまうという。でも、それだと一階の廊下で見た記憶も消えてないとおかしいような。

 そしてもう一つ。夢の中で叫んでいた女性は誰だったのか。

 夢は脳の深層の記憶の再現だという説もある。私の脳が勝手に、過去に聞いた別の女性の声で再生してしまった、とか。

 彼女が言っていたことは、過去に私が見るか読むかしたホラーフィクションの内容の一部の再生だ。一度見聞きしたけど、記憶の表面では忘れている「少女の幽霊」的なものと一緒に夢に出てきたのだ。

 もう一つは、最初だけが夢で、実際に起きた後一階に降り、あの光景を見たが、後は何らかの方法で寝室に戻って再び眠りについた。

 現実の体験者の恐ろしい体験を綴った実録怪談なんかでは、夜中恐ろしい体験をしたが、気づけば朝自分の布団の中で寝ていた、っていうオチはよくある。私の今回の体験もそれに準じるものなのかもしれない。

 そんな幻覚を見たのは、どこかで私が怯えているから。この家に。

 書斎から出てきた小さな人影。書斎から何で女の子が出てくるんだろう? あの部屋で亡くなったのは東雲満、成人男性だ。少女が入ってくる余地はない。

 やばい、混乱してきた。

「ごちそうさまでした。ところで今日は何かあるの?」

 早々と食事を済ませた千秋くんが皿を片付け始める。

「今日は、伯父さんと会うんだー。なんか話あるらしいんだよね」

 火曜日に伯父さんから送られてきたメッセージには「大事な話があるから空いてる日があればゆっくり話したい」というものだった。今週ならいつでも空いてる、と返信すると伯父さんにも都合の良い土曜日に決まった。会う時間は午後。仕事が一段落したから、来週まではゆっくりできるのだという。

「由梨花の伯父さん、一度会ってみたいな」

「今日会ったら言っとく」

 良い人だから千秋くんのこともすぐ気に入ってくれるだろう。

「じゃあ、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

 今日は土曜シフトだという千秋くんを見送る。

 平和な日だ。こんな日がいつまでも続けばいいと思う。

 

 桐雄伯父さんが選んだ場所は、家から十分ほど歩いたところにある公園だった。ジャングルジムとか遊具も充実してるし、都会の公園では広い方に入りそう。

 少し早く着いて公園の奥のベンチで携帯をいじっていると、おーい、と桐雄伯父さんの低く穏やかな声が入り口から聞こえてきた。今日は前会ったときとは違う、緑のタータンチェックのコートを着ていた。

「お待たせ、寒い中ごめんな。わかりやすいかと思ってここにしたんだけど」

「大丈夫。住み始めたのにこんなとこあるなんて知らなかったな。昔、家からよく遊びに行ってた公園にちょっと似てるかも」

「ああ、あの丘がある公園だろ? 懐かしいな」

「そうそう、ここには丘はないけどね。でも、似てる。雰囲気とか」

 嫌なことがあったとき(大概は母との衝突だ)、広い公園にある丘まで上って景色を見下ろすと気分がすっきりするからよく来ていた。

「よく行ってたよな。君がまだ幼稚園児年少のころは実も生きてたし、一緒に遊んでた。覚えてるか?」

「なんとなく」

 丘の下の入口に近いところに広い原っぱがあり、そこで父とボール遊びをした記憶がうっすらとあった。

 あれからもう二十年ぐらい経つのか、と思うと感慨深いものがある。

「せっかくだから店とか移動するか」

「いいよ、ここで。あー、でも寒いか」

「君がいいならここで大丈夫だよ、確かに眺めいいもんな」

 伯父さんは温かい飲み物を買ってくる、と言って伯父さんはベンチから少し離れた花壇の側にある自販機まで駆けていく。

 五分もしないうちに、伯父さんはコンポタ缶とお汁粉缶を持って戻ってきた。

 どっちがいい? と差し出す伯父さんの右手からコンポタをいただく。

「ありがとう。それで、話って?」

 熱々のお汁粉の缶にそっと口をつけながら、伯父さんは遠くを見ていた。 

「言わないで黙っておこうかと思ったんだが、言っておいた方がいいかと思ってな」

「どういう系の話?」

「彼氏さんのことなんだが、両親はいるのか?」

 唐突な話の切り出し方に違和感を覚えた。

 どうしてそんなことを聞くんだろう。

「いなかったら何かあるの?」

「いないんだな?」

「……一歳の時に亡くなったって言ってた。だけどどうして?」

 伯父さんはまっすぐ私の方に顔を向けてはいるが、視線は私の背後、公園の敷地内から見える街の風景を見ていた。

「彼の父親は多分、俺の友人だ」

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