王子様は、シンデレラの黒髪が大好きでした

 温かくてごつごつした千秋くんの膝の上。男性に膝枕されるなんて初めてだなあ。

「これ、寝る直前までずっとやってるの?」

 髪と髪の間に柔らかいものが時折挟みこまれる。何度も、何度も。

「こういうのやってみたかったんだ。嫌だ?」

「別に……」

 堂々と嫌だったか聞かれるとどう反応していいのか困る。

「本当は、ずっと触ってたいんだけどね」

 ふわあ、と千秋くんのあくび。

「僕の硬い髪と全然違うし、羨ましいよ」

 そうなんだ、と受け流しつつスタンドに置いておいたミラーを覗きこむ。私の髪をまだ撫でている千秋くんを背後に、ピンクのパジャマを着た私の顔と肩元まで伸びた黒い髪の毛先が写った。お風呂に入って、きちんとトリートメントをつけたから自分でもほれるぐらいつやつや。なるほど、触りたくもなるか。

「髪、伸ばすの?」

「どうしようかなー。夏になったら暑いし、一旦は切るかも」

「もっと伸ばしてもかわいいんじゃない?」

 自分の髪じゃないのに、うきうきしている千秋くんがおかしくて噴き出しそうになる。

「あ、そうだ。染めてみたい」

「えっ」

 何気なくそう呟いた瞬間に、私の髪を撫でる手がぴたりと止まった。何事かと思って振り向くと、千秋くんの表情は時が止まったかのようにフリーズしていた。

「嘘、なんで。そんなことするの」

「え、だって、たまにはそういうことしてみたいじゃん。おしゃれだし」

「ダメだよ、絶対ダメ」

 千秋くんの両手が、私の両肩をがっと掴む。肩にかかる逃れようにも逃れようのない力と、絶望と悲しみのこもった目。

「ダメって、何で」

「髪に良くないでしょ。髪ボロボロになっちゃうかもしれないんだよ?」

「ちょっとぐらい大丈夫だって。最近は一日だけ染められる用のとかもあるし」

「そういう問題じゃないよ!」

 寝室の天井に千秋くんの声が響く。突然の大きな声に肩がびくりと硬直した。

 反響した自分の声を聞いたからか、すぐにはっとした表情になって、俯いた。

「ごめん。大声出したりして」

「大丈夫だけど、そんなに嫌なんだ」

「……うん。その、由梨花の髪は黒が一番似合ってると思うから。そういうことしてほしくないんだ。ごめん」

「いいよ。別にどうしてもしたかったってわけじゃないし。やらない」

 どうせ来月から会社に入ったら、自分のファッションに気を遣う余裕だってなくなるんだから。

「由梨花の髪は何もしないままで十分綺麗だよ。完全に僕のわがままなんだけど」

 私の顔色を伺うように、上目遣いで言われる。また、私の髪を優しい指遣いで撫でながら。

「もしかして黒髪フェチとか?」

「そうかも」

 ならこれほどまでの執着にも納得、がいくかも。


「そういえば、実家帰りっていつ行くの?」

 夜十時。電気を消して、隣の布団に入った千秋くんの言葉に、へ? と間抜けな声が出る。

「実家、帰り……?」

 片言の口調になった私を見て、千秋くんが笑う。

「ほら、前電話で言ってたじゃん。お母さんが顔見せてって」

「あ」

「忘れてたんだ」

「うん……」

 そのことだけは、すっかり綺麗に頭から消えていた。人間は、嫌なことは全て頭から消してしまうもの。

「あー、どーしよう、いつ行こう。行くにしたって、新幹線だし。切符予約するの面倒だし、お金かかるしー」

「今はダメなら、来月か」

「でも、来月は来月で忙しくなるじゃん」

「そう言ってる間にあっという間に何か月も経っちゃいそうだね」

「うっ……」

 痛いところをつかれ、布団の上で頭を抱える私を千秋くんが生暖かい目で見つめる。

「そんなに嫌なの? お母さんに会いに行くの」

「……うん、あんまり行きたくない」

 育ててもらった以上、感謝すべきだとは頭ではわかっているんだけど、受け入れられないところがいくつもある。それが私にとっての母親だ。

「由梨花のお母さんってどんな人なの?」

「過保護。心配性。頑固。束縛タイプ」

「言いたい放題だなあ」

 千秋くんが苦笑する

「でも、本当にそうとしか思えないの。一緒にいると息が詰まるっていうのかな」

「愛されてたんだよ」

「だとしても、度が過ぎてる」

 子どものときはずっと、学校へ行くにしても友達の家へ遊びに行くにしても送り迎えを母は欠かさなかった。高学年の時に父が亡くなってから、さらにそれが増した気がする。

「いい思い出はなかったの?」

「どうだろ。あったのかもしれないけど、最近のことばっかりで消えちゃってるかもしれない」

 良い思い出は忘れがちだけど、嫌な思い出はずっと覚えてるっていうし。

「あ、思い出した。、これも良いところではないけど」

「まだあるの?」

「スピリチュアル地味てるって言うのかな」

 予知夢というのだろうか、母は時折そういう夢を見た。

 それも、実際に当たってるんじゃないかという経験が一度だけあった。今ではただの偶然だと思ってるけれど。

 私が小学生のころ、朝起きてリビングに行くと、青ざめた顔をしながら母が朝食を作っていた。

 どうしたの? という私の問いに「結城さんの奥さんが亡くなる夢を見た」と悲痛そうに語った。

 結城さんというのは、私より二つ上の娘さんがいるお隣の家族で、よく近所づきあいをさせてもらっていた。その結城一家の快活な奥さんである茜さんが黒い車に轢かれて亡くなる夢を見て怖かったのだという。

 怯える母に「ただの夢なんだから大丈夫だよ」と声をかけたのだが、現実はそうはいかなかった。

 一週間後、喪服に身を包んだ結城一家の夫の幹夫さんが、茜さんが亡くなったことを知らせに来た。玄関のドアで対応に当たっていた母の姿を玄関の横の階段の上から見ている形で私も彼の話を聞いた。

 近所のスーパーへ買い出しに行った帰り道の歩道、信号無視をした車に轢かれたのだと語る悲痛そうな幹夫さんの声と、母の「そうですか」という固い声。

 その後「犯人はもう捕まっていて、黒い軽自動車に乗っていた」と続いたとき、母の横顔が強張るのがはっきりとわかった。

 幹夫さんが帰り、玄関を閉めた母は、階段の上で固まっていた私に気づくとどんよりとした目で見て呟いた。

「昔からこうなのよ。それも悪いことばっかり」

 幽霊は信じていないが「虫の知らせ」「第六感」などと言うのは存在するのだろうか、と子どもながらに思ってしまった。

 後で聞いたところによると、母は昔から何か悪いことがある直前に予知するような夢を何度か見ていたのだという。

「この間電話あったときも怖かったんだよね。同棲どうのこうのの他にそういう事また言われるんじゃないかって」

 大学二年のときでも、そういう電話が一度だけあった。

――あんたが階段の上から突き落とされる夢を見てね。

――起きた後もしばらく怖かったのよ。

――しばらくの間は人間関係と高所に気を付けなさい。

 何度も何度も念を押された。夢の中で私を突き落とした人は男なのか女なのかも言わないでおいて、気を付けようがないじゃんとは言えなかった。

 わかったと言いつつ心のなかではいつものやつ、と呆れかえっていた。そして、すぐに忘れてしまった。その後も特になにもなかったし、夢なんてそんなものだ。

「なるほどなあ」

「昔は怖いと思ったこともあるけどね。でもただの偶然だったんだと思ったらそれで終わりなんだから、今はあんま信じてない」

 母自身は「自分には昔から予知夢を見る体質がある」と信じているようだけど、私がその通りのことを直接見聞きしたのは、結城さんの奥さんの件しかない。

 だから、それ以前の母の体験に関しては何ともいいようがない。母が嘘をついている可能性もあるのだから。

 結局は全て母の主観による主張にすぎない。 

「だから、変なとこで過保護なのかな、あの人」

「でも、それだけ由梨花のことを心配してるってことだろ。いいお母さんだよ、きっと」

 会ったことないけど、と千秋くんは笑う。

「だといいんだけど」

 そこらへんで眠くなって、どちらからともなく眠りに入っていった。

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