シンデレラは、意地悪な母親に叱られました

 物置部屋は二階にある。私の部屋のちょうど右隣だ。 

 白い洋風のクローゼット、キャビネット、鏡台は全て同じような細かい細工がついている。ロココ風とか言うんだっけ。この家ならこういうデザインのものがあっても全然違和感ない。

 打って変わって、日本らしく五月人形が入っているらしい箱。

 有名な童謡「大きな古時計」の歌詞に出てきそうな時計、などなど。

 古い家財道具とか荷物からは埃臭いわけではないけど、なつかしさを感じさせる匂いがした。

「置いとくのはあそこでいいかな」

 千秋くんが指さしたのは、鏡のついた、これまたロココ風のドレッサー。物置に唯一の窓前に置いてある。

「あの下に入るよね、サイズ的に」

「オッケー」

 ドレッサーについた引き出しの下のちょっとした隙間に、ちょこんと収まった。

「でも開けなくて本当にいいの? ちゃんと買ったの入ってるか不安じゃん」

 ネットで買い物をすると、不良品をつかまされるんじゃないかといつも不安になる身からしたら、届いてすぐ開けて確認しないというのは勇気がある。私ならできない。

「あ、でも開けるならカッターとかあった方がいいよね」

 ないから面倒だったのか。

「いや、そういうわけじゃなくて」

「私、持ってくるよ」

 カッターを持ってこようと物置部屋を出ようとすると、千秋くんに手首を掴まれて止められる。

「大丈夫、本当に今度でいいよ。ちゃんとしたとこで買ったから、変なもの買わされてるとかないし」

 今は使わなくとも、一応出しておいた方がいいんじゃないだろうか。今日はせっかく荷物出し作業の日なんだし。

「それに、段ボールの片付けとか大変だしさ」

「いらなくなった段ボールとまとめておけばいいじゃん。そこまで面倒なことじゃないし、私がやっても」

「いいって、本当に」

 千秋くんの声は、苛立っているかのように焦りと棘があった。

「ごめん。その、大したものじゃないんだけど、初めて着るときにこの間のこれだよ、って見せたいなーって」

「ちょっとしたお楽しみね」

「まあ、そういうこと」

「楽しみにしとく」

 とってつけたかのような理由だったけど、この青年は割かしお茶目なところがあるからしょうがない。

「それにまだやることいっぱいあるから、今日は。段ボール増えすぎても逆にまとめるの大変だし、別の日がいい」

「オッケ。それにしてもここは何でもあるねー」

「昔からあったもの捨てられなくて押し込んでるだけだけどね。いい加減断捨離しないととは思うんだけど」

 そう思うのも無理はないか。

 部屋を見渡せば、家具の他にも段ボール箱がいくつも置かれている。無造作に山積みにされてるとかじゃなくて、きっちり角を揃えて積まれていて、触ったり下ろしたりするのをためらってしまうほど。どの箱も箱側面や開閉部に「夏物の服」「予備の寝具」と油性ペンで書いてある。

「お、アルバムって昔の写真が見れちゃうやつ?」

「夏物の服」と側面に記されている箱の下、「アルバム 九十年から」という一箱を発見する。九十年っていうと、千秋くんが生まれるちょっと前ぐらいからになるのか。

 見つけちゃったかー、と良い顔はされなかった。

「また今度にしようよ。今日はまだやることいっぱいあるし、そろそろ戻ろう」

「はーい。……ん、あの箱なんだろ」

「ん、どれ」

 段ボール箱がブロックのおもちゃのように規則正しく積みあがって列を作る中、一つだけ上に箱を載せられることもなく、別の箱に載せられているわけでもない箱があった。

 その箱だけ、ドレッサーの隣にぴったりとくっつけられている。中に何が入っているのか、すらも書かれていなかった。

「あれは何入ってるの?」

「さあ、何だろ」

 千秋くんにも見当がつかないらしい。変な好奇心というのか、こういうのってすごく気になるんだよな。

「開けてもいい?」

「いいけど。開けちゃいけないパンドラの箱だったらどうする?」

「さすがにないでしょ」

 閉じた開閉部を塞ぐように茶色いガムテープが貼ってある。側面部からゆっくりとはがしていく。

「さてさて、何が……。うわあっ」

 開けると不幸が飛んでいくというパンドラの箱ではなかったけど、入っていたものを見て悲鳴が出た。

 入っていたのは、鳥と猫と鼠とリス。ぴくりとも動かない動物が四体。毛並み、というんだろうか。つやつやとした体毛がまだしっかり残っていた。

「すごいな、これ。剥製だ」

 隣で覗いていた千秋くんが、感心したようなため息をつく。

「博物館にあるやつ?」

「そうだと思う。ちゃんと体毛が残ってるし、なめし作業とかしてあるやつだよ」

 剥製を作るときは体毛を綺麗に保つために、なめし作業というミョウバンや酸を使った薬液に漬ける工程が必要らしい。

「詳しいじゃん」

「本の受け売り」

「この小さい鳥って、ウグイスだっけ? ホーホケキョって鳴くやつ」

 柔らかい緑色の羽をした小さな鳥は、羽を目いっぱい広げて今にも飛び立ちそうだ。

「これはメジロじゃないかな。あと、ホーホケキョって鳴くのはウグイスだったような」

「あれ、そうだっけ」

「間違われやすいらしいね、ウグイスとメジロって。知らなかったな、本物の剥製がうちにあるなんて」

「お祖父さんが作ったんじゃないの?」

「作ってるとことか見たことないよ。それに、剥製制作には道具とか作業台が必要だからさ。うちにはそんなものなかったし、誰かからもらってきたんだろうね」

「そっか、でもびっくりしたあ」

「めっちゃ驚いてたね。ちょっと笑っちゃった」

「予想外のものが入ってたからさー。これ、ここに置いたままでいい?」

「いいよ、もちろん」

 面白そうに見ていた千秋くんが放っておいていいと言ったのを聞いて少し安心する。寝室とかに持っていって飾ろうとか言い出したらどうしようかと思っていたから。

 死んでしまった動物を綺麗なままの状態で保存しておけるのはすごいと思うけど、あまりじっと見続ける気にはなれない。本質的にそれは死骸だから、という固定観念があるからかあまり側には置いておきたくなかった。

 視線をどこかに固定させたまま動かない小動物たちを再び閉じ込め、ガムテープを貼りなおし、物置を出る。

 さて、気を取り直して今度こそ部屋の整理だ。

 部屋に戻り、レースのついたカーテンの間から外の景色を眺める。

 窓が面する通りには、洗練されたつくりの建物が並んでいる。

 たまにコインランドリーや飲食店なんかもあるが、ほとんどは住宅やマンションだ。

 こういうのを「閑静な住宅街」というんだろう。

 机の上に置いた私の携帯が鳴った。 

 電話だ。発信者は「姫埼 明乃」。

「誰から?」

 隣の部屋から着信音を聞きつけた千秋くんがひょっこり顔を出す。

「母親。最悪」

「……そっか」

 前に私と母親との問題を聞いた千秋くんが心配そうな顔をする。

 肩をすくめながら渋々「受信」ボタンをタップ。拒否するとさらに面倒なことになるから。

「もしもし」

『桐雄さんから聞いたわ。今付き合ってる人と同棲するって本当なの』

 挨拶も何も言わず、パニックになりかけの上ずった声がきんきん響いて耳が痛い。

「ああ、うん」

『本気なの?』

「本気だよ。もう、今日引っ越し終わったところだし」

 そのままショック死するんじゃないかというぐらいの悲鳴が聞こえてくる。こんな大げさな悲鳴、アメリカのコメディドラマぐらいでしか聞いたことない。

『どうして相談してくれなかったのよ』

「相談したら何かしてくれたの?」

『その人と会わせてもらうわ。ご家族のこともよく知っておきたいし』

「それでもし気に入らないことがあったらどうするつもり? また無理やり別れさせるの?」

 後ろめたいことを思い出したように、母が口をつぐむ。思った通りの反応だ。ちゃんと悪いと思ってるだけマシなんだろうか。

『高校生のときのことのことを言いたいんでしょう? でも、親戚に犯罪者がいるなんて普通じゃないわ。私は認めたくなかった。今でも変わらないから』

 どういう立場でそんなことが言えるんだろう。

「わかった、西野くんのことはもういいよ。でも、何かしら難癖つけるに決まってるよ、誰に対しても。それが嫌がられてるってわからないの?」

『だけど、私はあなたのこと心配して』

「もう聞きたくないよ、その言葉」

 この言葉が出たらろくなことにはならない。

「それが迷惑になってるってこと、いつまでも気づかないんだね。お母さんの言う『心配』はただの束縛でしょ」

 電話の向こうからはもはや、ひゅうひゅうと息を飲む音しか聞こえてこなくなっていた。

「今まで育ててくれたことには感謝してる。でも、もうお母さんの言うことにはほいほい従わないから」

『もう大人だから好きにさせてって言いたいのね』

 ようやく聞こえた母親の声は絞り出すように弱かった。

「そういうこと。なんだ、よくわかってるじゃん」

 千秋くんは険しい顔で私の言葉を聞いている。第三者から聞いたらさすがに言い過ぎなんだろうか。

 我ながら冷たい言い方になっているのは自覚してる。大学入学前の大喧嘩でもここまできつい物言いにはならなかったと思う。

 だけど今まで溜まった分なのか、母を切ろうとする言葉があふれて止まらなかった。

『あなたがそこまで言うなんて、よっぽどその彼のことを信用してるのね。痛い目に遭うかもしれないとは思わないの? 必要ない傷をつくることになるかもしれないのよ?』

「どうなろうが、お母さんには関係ないでしょ? 私の人生なんだし」

 母は深いため息をつく。ため息をつきたいのは私の方だ。

『……そう。そこまで言うなら何も言わないわ。でも、一度近いうちに帰ってきなさい』

「さっき私の言ったこと聞いてた?」

『大学入ってから全然戻ってきてないでしょう? あなたの顔を見れればもう何も言わないから。お願い』

 最後のお願いには、痛切な響きがあった。

「……わかった」

 戻ってくるときは連絡してね、という言葉にうんとも嫌だとも言わずに電話を切った。

「ごめん。見苦しかったでしょ」

 不安げに見守っていた千秋くんに曖昧な笑顔を向ける。

「大丈夫。だけど、結構言い合ってたね」

「確かに、今回は言い過ぎたかも。でも、ああでも言わないと自分の思い通りにしようとしてくる人なんだもん、良い薬だよ」

 本当に私はもう、子どもじゃないんだから。

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