王子様のお城は、とても大きくて立派でした

「だけどさー、本当すごいね。千秋くんの家」

 玄関先から千秋くんが持ってきた荷物たちを、二階の小部屋の一室でほどいていると、自然とそういう言葉が出てきてしまう。

「そうかな。結構あるんじゃない、こういう家」

「ないって。かなり贅沢だと思うよ」

 ここに引っ越してくるまで私が住んでいたのは、アパートの狭い一室だったし、実家も普通の家と比べたら比較的大きな一軒家だったけど、庭も書斎もなかった。

「ずっと住んでるから、感覚が麻痺しちゃってるんだな」

「一度は言ってみたいよ、そのセリフ」

 元々は、彼のお祖父さんが住んでいたらしい家に、千秋くんは子どものころから現在までずっと暮らしている。

 彼のお祖父さんは東雲文成といって、今でも業界トップとして活躍する日本の大手製薬企業、東雲製薬の創業者・東雲巌を父に持っていたという。

 しかし、俗にいう「非嫡子」であったらしく、本家とのいざこざなどで苦労していたそうだ。

「結局僕の曾お祖父さんの会社は継がなかったんだって。正妻の長男がいたみたいだし、継がせてもらえなかったの方が正しいとか言ってたけど」

「なるほどねえ」

 千秋くんは一歳のころに両親を亡くして以来、お祖父さんの文成さんとこの家で暮らしてきた。現在でも企業経営をしている親戚筋との交流はほとんどないらしく、よく知らないという。

「まだあの人が生きてたころに一回、二回ぐらいお祖父さんの義理のお兄さんの息子さんとかに会ったことあるけどね。ちょっと顔合わせただけで、後はもう会ってないや。それでも全然生きていけてるし」

「お祖父さんってどんな人だったの?」

 荷物の開封作業を進めつつ、それとなく聞いてみる。

「穏やかな人だったよ。怒るときも怒鳴ったりはしなかった」

 淡々と話すからそれはそれで怖かったんだけどね、とも。何となくどんな人なのかは想像できた。

「怒鳴ったり手を挙げたりすることはないけど、その場を凍らせる静かな怒り方をする人」だ。こういう人を怒らせるのが一番怖い。

「あと、たまに悲しい目をする人だった」

「悲しい目?」

「うん、ふとしたときに目からすっと光がなくなるっていうか。僕と話してるときはしないんだけどね。でも、お祖父さんが一人でいるときに様子を伺うとわかるんだ。多分、大切な人をたくさん亡くしてきた人がする目だったんだと思う」

 文成さんは、若いころに一度結婚して、千秋くんのお父さんとなる息子ができたものの、三十代の頃に病気で奥さんを亡くしてしまったらしい。

 今の時代シングルファーザーも少なくないと思うけど、何十年も前からじゃ、周りの目もあるだろうし、大変だったんじゃないだろうか。

「じゃあ、お祖父さんは子育てのエキスパートだったんだね」

「どうだろ。殴られたりとかはなかったからそうなのかな」

 お祖母さんが亡くなったのは、千秋くんが生まれる前、両親が亡くなったのも彼が物心つく前のことなので、千秋くんはほぼお祖父さん以外の家族と触れ合ったこともないということになる。

「寂しいって思うときもあった?」

 千秋くんは窓の向こうを見つめていた。

「そうだね。周りの友達とかはみんな両親がいたし、どうして僕だけってお祖父さんに当たったこともあるよ。だけど、何年もしたら気を患うこともなくなっちゃった。今でもお墓参りは行くし、会ってみたいとも思うんだけどね」

 千秋くんはふと寂しい目をする。

「お祖母さんの病気も両親の事故もなければ、家族に囲まれてみんなと同じように暮らせたのかもしれない、もっと違う人生を歩めていたのかもとは思う。けど、今更考えたってどうしようもないことだから。ドライすぎるかな、こういうの。冷たいんだね、って言われたこともあるんだけど」

「……わかんない。私はあなたと同じような境遇で育ったわけじゃないから、どうのこうの評価するのは傲慢だと思う」

 なるほど、と千秋くんは頷く。

「その考え方好きだな」

 下から車のエンジン音が聞こえてきた。

 続けて、リンゴーンという音。少し古いタイプの呼び鈴だ。

 窓から様子を見ると、大手宅配便業者のロゴがついたトラックと、大きな段ボール箱を持った配達員が家の前で待っている。

「宅配便?」

「何か頼んでたっけな……。あ」

 千秋くんが思い出したように声をあげる。

「マジか、今日来るとは思わなかった。ちょっと行ってくる」

 私も行く、と言う間もなく千秋くんは駆けだしていく。

 二分後、玄関の靴脱ぎ場に大きすぎもせずさほど小さくもない半端な大きさの段ボール箱が置かれる。

「何買ったの?」

「えーっと、服。シーズンではないけど、春用に上着買ってたんだよな。前注文しておいたのすっかり忘れてた」

 後ろからざっざっと足音。

 白髪を肩まで伸ばした小柄なおばあさんが、玄関に近寄ってくるところだった。おばあさんが入ってきた背後の門扉は鍵がかけられておらず、公道に向かって開け放たれている。

「桜井さん。こんにちは」

 近所の人なのか千秋くんが挨拶するも、桜井さんと呼ばれたおばあさんは何も答えず、不愛想な顔のまま玄関の前までやってきた。

「車の音やら外が騒がしいと思ったらまたあんたか、東雲さん」

 不快そうなしゃがれた声は、開口一番千秋くんにとげとげしい言葉を投げかけた。

 しわの多い顔は七十から八十に見えたが、もしかしたらそれ以上かもしれない。年の割には歩き方がかくしゃくとしている。

 桜井さんは異端なものを見るような目で私たちのことを見ていた。

「お嬢さん、初めてここに来た娘だね」

 お嬢さんと呼ばれてようやく、桜井さんの関心があるのは私だということに気づく。

「はい、今日から東雲千秋さんのお家に住まわせていただくことになりました。姫埼由梨花です。よろしくお願いします。あの、後ほどこちらの方からご挨拶に」

 はっ、と桜井さんが口角を斜めに上げてせせら笑ったように見えた。

「早死にするよ、あんた」

「えっ」

 一瞬、何を言われたか本当にわからなかった。

「すみません、桜井さん」

 眉をひそめた千秋くんが、桜井さんと私の間に足を踏み出す。

「いきなり、何をおっしゃるんですか」

「本当のことを言ったまでだよ。あんたの家では今までに女が二人死んでるだろう。それもここに来て二年経たずにだ」

 何十年もここに住んでるんだからなめちゃいけないよ、と桜井さんは唇を歪めながらそう吐き捨てた。

「だから、あんたもだよ」

「やめてください、桜井さん。彼女にそんなこと」

「黙りな!」

 私より小さい体のどこからそんな声が出てくるのかと思うぐらいの声量で、桜井さんは千秋くんを叱責する。

 そうだよ、と桜井さんのものではない別の声がさらに遠くから聞こえた。

 杖をついた蓬髪のおじいさん、まばたき一つせずこっちを見ているおばあさん。そのほかにも数人の老人が東雲家をぐるりと取り囲むように集まってきていた。皆、桜井さんのようにこちらを責めるような顔で。眼はにらみつけるようにぎらぎらと嫌な輝き方をしている。

 間違いなく異様な光景なのはわかる。

「全く、まだ凝りてないんだねえ。あれだけのことがあったのに」

「身の程知らずもいいとこだよ」

「そうだ、そうだ」

 口々に放たれる、千秋くん、東雲家に向けられた非難の言葉。はっきりと向けられた悪意に、胃がずっしりと沈むような心持にさせられる。

「確かに、両親や祖母もこの家で亡くなりましたが、この家のせいだとは思ってません。悲しいことですが、不幸が重なっただけだったんでしょう」

「薄情なやつだね」

「僕に対してなら何とでもおっしゃっていただいて結構です」

 千秋くんは負けずに続ける。

「ですが、根拠もない噂話をするのはやめてくれませんか。恋人を連れてくることがお気に障ったのでしたら、事前に伝えなかったことをはお詫びします」

「あんたがこの家に誰を連れてこようと勝手にしたらいいさ。だけど、女はダメだってわかるだろう。それに、この家の話はここいらのあんた以外の人間はみんな言ってることじゃないか。知ってるかい、お嬢さん」

 再び私に向けられた桜井さんの目は異常なほどぎらぎらとしていた。

「この人の母親は事故死してる。かわいそうにそれに道連れにされて旦那さんもだ。信じられるかい?」

「そうだったんですか。それはお気の毒なことです」

「それだけじゃない、その前の代の千鶴子さんだってこの家で亡くなってる。普通じゃないよ。あたしは全部見てきたんだからね。それだと言うのに、いつまでもこの家を取り壊さないし、未だにお嬢さんみたいな女の子を連れてくるなんてね、大したやつだよ」

「言わせていただきますが、あなたたちは僕の家族の死を使って、呪いだと騒ぐのは不謹慎だとはお考えにならないんですね」

 桜井さんは何も言わず、ただ千秋くんを睨みつけた。

 周囲から、あんたは黙っとれという理不尽な言葉が聞こえた。どの口が言ってるんですか、と言い返したかった。

「あの、私がこの家に住むのは良くない、ということでしょうか」

 桜井さんは片眉をあげてこちらを見る。

「そうだよ。早く出て行った方がいい、死にたくなければね」

「わかりました。つまり、私が死ななければいいんですよね?」

 千秋くんがはじかれたように顔を上げて、驚いたように私を見つめている。

 桜井さんも声に出ない叫び声をあげ、虚をつかれたような顔をする。

「この家で昔千秋くんのご親族が亡くなられたことは知っています。ですが、それが呪いなのかは何とも言いようがないと思います。せっかくご忠告いただき、申し訳ないのですが」

 何か言いたげな桜井さんに向かって、はっきりとものを言えていることが自分でも驚きだ。

「私がこの家で暮らし続ければ、呪いなどないと証明できるでしょう? だから、私はここで暮らします。大切な人が住み続けてきた家でもあるので。あと、本当に呪いというものがあるなら、誰の呪いなのか教えていただけますか?」

 返事は返ってこない。根拠のない噂だととっても良いんだろう。

「正気かね、お嬢さん」

「はい、私は本気です」

「……なら、勝手にすればいいさ。あたしは忠告したからね」

 捨て台詞を残し、千秋くんを一睨みしてから桜井さんは踵を返し、東雲家の敷地から出て行った。門扉を閉めないまま。千秋くんがすかさず閉めに行く。

 ガチャンと掛け金のかかる音が響くと同時に、彼女に同調していた近所の老人たちも、ちらちらとこっちに目をやりながらもそれぞれの方向に散っていく。

「ごめんね、ここに来ていきなりこんな思いさせて。怖かったでしょ?」

「謝んないでよ、千秋くんのせいじゃない。それよりさ、あんな風にずっと前から言われ続けてきたの?」

「まあね、子どものころから噂ぐらいはされてたの聞いたことはある。あんなにはっきり言われたのは初めてだったし、最近は変な目で見られることもなくなってたから安心してたんだけどね。だから、ちょっと気抜いてたところはあった」

 千秋くんが恐怖を抑えつけるかように、大きく息を吸う。

「こういうことあるかもって、僕が先に予測しておくべきだったよね、本当ごめん。最近は何もなかったから、うちが異端だってこと忘れてた」

 しーんとした空気の中で「うちが異端」という言葉が耳に残った。

「やめてよ、そんなこと言わないで。今までずっと住んできたんでしょ?」

「うん。でも、それは僕が変だからなのかも」

「変じゃないよ。一年つきあって来た私が言うんだから変じゃない。この話はもう終わり。本当に私が何か見たら、ちゃんと言うから」

「……わかった。ありがとう」

 明るい声で冗談めかすと、千秋くんはぎこちなくだけど笑う。この家にオカルトのようななにか、そもそもそんなものが本当に存在するとも思ってないけど。

「本当おかしいよ、あんな寄ってたかって。あー、でも、やばかったかな」

「何が?」

「結構きついこと言っちゃったじゃん」

 高齢の人の意見に楯つくのは褒められたことではないかもしれないと思いつつ、悔しくてつい言い返してしまったことへの後悔が顔を出し始める。

 後で謝罪回りとかした方がいいだろうか。 

「あんなはっきり口答えしたら、今度こそ本当にご近所トラブルみたいになるかな。村八分とか?」

 村八分っていうのはちょっと違うか。

 気づいた千秋くんは、ああ、と頷く。

「大丈夫だよ。こう言うのもおかしいけど、嬉しかったな」

「そう?」

「この家、気に入ってくれたんだな、って」

 もう一度、千秋くんの家もとい東雲邸の正面玄関を眺めてみる。周りの住宅よりも抜きんでて大きい家。本当にお城みたいだ。

「何でこの家がとやかく言われるのかわかった」

「えっ」

「周りの家より大きくて立派だから嫉妬されるんだ」

「なるほど」

 くすりと笑った千秋くんに合わせて笑う。さっきの重い空気はこれでどっかに行ったような気がする。

 気を取りなおして玄関に戻った先にあった段ボール箱を見下ろしながら、千秋くんが顎に手を当てて悩む。

「開けないの?」

「どうせしばらく着ないから、このままでもいいかな」

「欲しくて買うけど、いざ届いたら開けないで放っておくタイプだな」

 几帳面そうに見える千秋くんだけど、結構めんどくさがりなところがあるらしい。

「はは、そうかも」

 ひとまず二階の物置まで持っていくことになった箱は、私一人でも持てるぐらい軽かった。

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