王子様はガラスの靴を拾いました
「人と人との縁」なんてよく聞くけど、そういう意味では千秋くんと私は縁があったんだと思う。
『なんか、由梨花が星の王子様? のストラップを落としてたんだって、帰りの駅の改札で』
『それで東雲さんが預かってくれてて返したいらしいんだけど、どうする?』
みのりがメッセージアプリで王子様の行方を教えてくれたのは翌日のことだ。昨日来ていたメンバーのメッセージアプリの個人アカウントは全員分把握していて、千秋くんから連絡が来たのだという。
みのりを経由して直接連絡を取り、再び会ったのはその週の終わりの土曜日。
「お待たせ。待った?」
約束の神保町駅に細身のコートを着て現れた千秋くんは、本人の周辺がキラキラ輝いて見えるぐらいかっこよく見えた、気がした。
すらりと背が高いだけじゃなくて、ドラマに出てる若手イケメン俳優よりも顔立ちが整っていて。初めて会ったのは暗い時間帯だったから、ちゃんと容貌が見れていなかったんだろう。
「じゃあ、早速返しちゃうね」
「ありがとうございます」
千秋くんのシンプルなデニムのショルダーバッグから取り出されたのは、ジッパーの袋に入った星の王子様。頭にはカニカンにつける輪っかがついている。寂しいけどリュックにつけて持ち歩くことはもうできないだろう。
「いいね、星の王子さま」
「ご存じなんですか?」
「ご存じも何も『星の王子様』は誰でも子どものころに一度は読むものだろ?」
冗談なのか本気なのかわからない顔でさらりと言われたときは思わず噴き出しそうになった。
あの永遠の名作のことを語る男性に、実を言うと私はそれまで会ったことがなかった。
「さすがにそれは過言じゃないですか。本を読まない人だっているでしょうし」
反論しているみたいだったかもと、言ってすぐ後悔した。
だけど、千秋くんはそうは思わなかったらしく、照れたように笑っただけだった。
「そっか、読まない人もいるか。主語が大きかったね」
冗談なのか本を読まない人間へのマウントなのか曖昧な言い方のまま、千秋くんは照れたように笑った。意外と天然なのか変なところがあるのが面白くて、こっちまで笑いを堪えられなかった。
それが打ち解けるきっかけだったと思う。気が付けばごく自然に、何で今日は神保町だったんですか? と聞いていた。場所を指定したのは千秋くんの方で、場所なんてどこでも良かったけど気にはなっていた。
「行きたいところあったんだよね。せっかくだから行く?」
最初からこれを狙っていたんだろうかという考えが一瞬よぎったけど、それでも別に良かった。この人のことがもっと知りたいと思ったのは、高校生のときつきあってた西野くんのとき以来だった。
一緒に暮らしたいという話が出たのは、就活も終わって落ち着いた気持ちで迎えたカフェデートの最中だ。
クリスマスまであと数日、人気チェーンのカフェから見える外は今にも雪が降り出しそうな寒空。そして、神保町で恋仲になってからもうすぐ二年が経とうとしていた。
「楽しそうだけど、どこで暮らすの?」
一口飲むまで予想以上に甘ったるいのがわからなかったキャラメルラテを何とか飲み下しながら尋ねた。なんとなくそういう話だろうと思ってたけど、いざ言われてみると手が震えるぐらい結構動揺する。
「それね、どうしようかと思ってて」
私がその時住んでいたアパートでは二人暮らしには狭いことは明らかだったので、その選択肢はないなと即座に思った。
「新しい部屋探す手間ないし、僕の家でもいいかと思ってるんだけど」
「千秋くんの家って、あの神楽坂にあるっていう?」
「そう」
彼が神楽坂に住んでいるということは、少し前に聞かされていた。その時はまだ家を訪れたことはなかったけど。
「いいんじゃない。そこに住んでもいいなんて私が決めることじゃないけど」
「それは全然いいんだ。でも、ちょっと問題あってさ」
何かを言いかけた千秋くんは一瞬口をつぐんだ。
「気悪くさせるかもしれないけど、言った方がいいよね」
「大丈夫、言ってみて」
「だいぶ昔のことだし、僕自身は問題なく暮らしてるんだけど」
「うん」
「僕の家族、みんな家で亡くなってるんだ。お祖父さん以外みんな」
千秋くんは事も無げに言ったけど、だいぶヘビーな内容だった。
「両親は僕が一歳のときに家の近くで事故死したらしいし、お祖母さんは僕が生まれるずっと前の若いころに、家で亡くなったんだって。これも、全部お祖父さんから聞いた話なんだけど」
「そう、なんだ」
何と言えばいいのかわからず、そうとしか言えなかった。
千秋くんは軽く俯く。
「ごめんね、こんな話して」
「ううん、大変だったんだね。昔から」
「で、まだあるんだよね」
「はあ」
それはまた、大変だっただろうな。
「その前は、元々その家を建ててそこに住んでた親戚。書斎で亡くなってるんだって。揶揄するみたいな言い方だけど、いわゆる事故物件なんだ。えっと、だから、何が言いたいのかっていうと、そういう曰くの家だからいっそ二人で暮らせるアパートにでも引っ越そうかなって」
そこで千秋くんは失笑する。
「実を言うとさ、近所の人たちから度々『あの家はおかしい』とか言われてるんだよね。唯一生き残ったお祖父さんとずっと住んでたところだから、僕にとってはもう安住の地みたいな感じで。……やっぱおかしいのかな、こういうの」
「いいんじゃない。いくらでもあると思うよ、そういうの。少なくとも、千秋くんは今までずっと暮らせてきたんでしょ」
「まあね」
シャーリィ・ジャクスンの傑作ホラー『ずっとお城で暮らしてる』の主人公の少女と姉は、昔親戚が変死した家で生活し続けている。
もちろんフィクションだけど、彼女たちが曰くを持った家に住み続けているのは、その場所が居心地の良い家となっていたからだっていうのが容易に想像がいくし、真実だと思う。
「いいよ。千秋くんがオッケーなら、今あなたが住んでる家で暮らす」
二つ返事で承諾の返事を入れた私に、千秋くんはきょとんとした顔を見せた。
「いいの?」
「うん。言い方変だけど、そういうの気にならないし。だからその、昔お家で何があった、とか。」
だって、人はいつ、どこで死んだっておかしくない。
それに、幽霊より死よりも怖いものなんていくらでもあるから。
「……そう。ちょっと安心した」
私がどう思うかを恐れていた千秋くんは嘆息していた。
「でも、ちょっと待ってもらえると助かるかも」
それはもちろん、と千秋くんが頷く。
引っ越そうと思えば今からでもできると思うけど、そうもいかない問題がある。
『なるほどな。一緒に暮らしたいって言ってくれる人がいるのは良いことだと思うよ』
電話越しの伯父さんの声は楽しそうだった。
千秋くんから同棲の話を聞かされた一週間後の年明け。大事な相談をしたい、という私の頼みに、新年も忙しい伯父さんからは「電話でもいいなら」と対応してくれた。
一人で暮らすこともできるけど、可能なら自分の好きな人と暮らしてみたいということ。女の一人暮らしには結構怖いものもあるというし。
かといって、伯父さんの家に厄介になるつもりもないし、実家に戻って母と住むつもりもない。後者は絶対に無理だ。
『俺も真理とは大学時代から付き合い始めて、卒業後に結婚だったからな』
真理というのは、亡くなった桐雄伯父さんの奥さんのことだ。真理さんが亡くなって数か月の間、伯父さんは感情を表に出すことをしなくなっていたけど、最近はよく笑うようになってきている。
「ありがとう。それでなんだけど、このことお母さんには黙っていてほしくて。ダメかな」
母が聞いたら黙っていないだろう。ものすごい勢いで反対する姿が容易に目に浮かぶ。
伯父さんが困ったようにため息をつく。
『明乃さんのことだから、絶対に騒ぐよな。実を言うと、俺もちょっと心配なんだ』
「そうなの?」
『ああ。その相手の人の素性を疑うわけじゃないが、変な男じゃないとは限らないだろ』
「そんなことない。穏やかだし、優しいよ」
ついムッとして反論すると、伯父さんのクスリと笑う声がざわ、という音になってつたわってくる。
『そりゃ、由梨花ちゃんはそう言うに決まってるよ。けどな、『恋は盲目』ってよく言うだろ? いざ一緒に暮らしてみたら、人が変わったように怖い男になったっていうのもよくある話だからさ』
「それは……」
千秋くんに限ってそんなことはない、とは言い切れないところではある。
『だからさ、それで君が傷つくようなことにならないかなって。まあ、猛反対しようとも思わないし、必ずしもその人がやばい男だとは限らないけどな、そういう風に心配になったってことだけはわかっててほしい。……そうだな。明乃さんには軽く話しておくよ。さすがに黙ってるのはまずいと思うから。擁護はしとく』
「わかった、さすがにダメか」
『明乃さんのことはなあ。確かに、俺もやりすぎだと明乃さんに思うことはあるけど、一人娘を心配してる気持ちから来てることではあるんだよ。それはわかってあげてくれ』
「わかりました」
『それにしても君も独り立ちか、早いもんだな』
「独り立ちっていうのかどうか。でも、ここまで来れたのも、伯父さんのおかげだよ。お世話になりました」
母を説得してくれたこと、住まいの援助をしてくれたこととか、桐雄伯父さんには一生かかっても返しきれない恩ができた。
『気にするなよ。俺には子どももいないし、弟の家族を支えたいとはずっと思ってたから。ところで、その人とはどこで暮らすんだ?』
「神楽坂。実家なんだって」
『……神楽坂か」
ううむ、と何かを気にかけるような声。
「どうかした?」
『……いや、昔の友人が住んでたのがそこだったなーって、ちょっと思い出しただけだ』
「ふうん、そっか」
世間は狭いな。
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