19. 外のゴブリン

「こんにちは。大丈夫でしたか?」


 ゴブリンの子供が四人だけで巨大猪を仕留めたことが信じられないのか、猫人たちは呆然と立ち尽くしていた。声をかけたことでようやく我に返ったみたいで、はっとした様子で僕に視線を向けてくる。


「あ、あの……ありがとうございました」


 お嬢様猫人が右の拳を、左肩から右肩へ移動させながらお礼を言った。その動作の意味はわからないけど、言葉の内容から考えると、お辞儀のようなものかな。


「儂からも御礼申し上げる。貴殿らのおかげで、命を拾うことが出来た」


 僕が返事をする前に、付き人猫人も同じような仕草で礼を言った。表面上は感謝を伝える行動だけど、その意図はきっと別にある。お嬢様猫人を押しのけるように前に出たので、彼女を庇おうとしてるんじゃないかな。僕らは警戒されているみたいだ。


 まあ、当然だと思う。彼らからすると、僕らは見知らぬ闖入者。危機を救ったとはいえ、無条件に信じるのは危険だ。態度に出過ぎてる気もするけど、向こうは二人でこちらは四人だからね。余裕がないのかもしれない。


 僕としては是非仲良くしたい。不思議な仕草といい、身につけている衣服といい、文化の香りがするものね。彼らの振る舞いも個人的には悪くないと思うし。表面上は友好的な態度を示しつつ警戒は怠らないっていうのは、つまり本音と建て前を使い分けられるってことだ。日常的に接するには疲れちゃうけど、交渉相手としては理性的な話し合いを期待できる。


「いえ、無事で何よりです。足を負傷しているようですね。手当しましょう」


 手製の袋からごそごそやって、取りだしたのは謎の葉っぱ。別に怪しい物じゃなくて、ゴブリン族……というか呪い師に伝わる由緒正しい止血の薬草だ。効果のほどは不明だけど、個人的には無くはないかなと思ってる。


 だって、見た目がヨモギそっくりなんだもの。夢の世界では草餅とかに使う葉っぱだけど、止血効果もあるんだ。もしかしたら、本当にヨモギなのかもしれない。


「これは止血の薬草です。すり潰して傷口に当てます。使っても大丈夫ですか?」

「ふむ。ああ、頼む」


 使う前に許可を取っておく。得体の知れない草を使うのだから一応の配慮だ。断られるかもしれないと思っていたけど、猫人付き人は意外にもあっさりと受け入れた。断ってこちらの心証を損ねることを嫌ったのかな。いや、もしかしたら、この薬草のことを知っていたのかもしれないね。


 ともかく、許可を得たので薬草をすり潰して傷口に塗布する。かなり酷い怪我だ。傷口が化膿したら危ない。本当ならよく洗って消毒液をつけた方が良いんだけど、 生憎あいにくとそんなものはないからね。薬草の効能を信じることにしよう。


 処置している間、猫人付き人がじっと僕のことを見てくる。僕のこと……いや、ゴブリンという種族のことを見極めようとしているのかも。まあ、観察されるのは別に構わない。敵意がないとわかってもらえればいいんだけどね。


 それよりも、彼らは僕たちゴブリンのことを知っているのかな。僕らが彼らを知らないからと言って、彼らが僕らを知らないとは限らない。まあ、交流がない以上、知っていたとしても詳しくはないと思うけど。


 いや、そうとも限らないか。ゴブリンの村だって、僕らが住んでるあの場所だけじゃないだろうし。別の場所には豊かな生活をしているゴブリンだっているかもしれない。僕らの村は他との交流がないから、外の世界のことは何もわかっていないんだ。


「……貴殿はゴブリン、なのか?」


 傷の手当てをしながら話を切り出すタイミングを見計らっていたら、猫人付き人に先を越されちゃった。どうやら、ゴブリン族を知ってるみたいだけど、その表情はどこかいぶかしげ。確信があるという感じじゃないね。


「そうですよ。ゴブリンを知ってるんですか?」

「う、うむ。知っているつもりだったが、少しわからなくなった」

「はい?」


 知っているのか知らないのか、はっきりしないね。イメージと違ったってことかな?


 気になる反応だけど、まずは傷の処置を終わらせてしまおう。止血の薬草を塗り込んだら、あとは幅広の葉っぱで上からふさぐ。紐で縛ってずれないようにすれば応急処置は終了だ。


「とりあえずの処置は終わりました。あくまで止血なので、しばらくは回復に専念した方がいいと思います」

「そうだな。感謝する」


 治療を終えたところで、改めて猫人たちを観察する。


 見た目の印象はやっぱり二足歩行する黒猫って感じ。もし四つん這いになって歩いてたら、まるっきり猫だ。猫にしてはかなり大きめだけど。


 お嬢様の方は僕と同じくらいで、付き人は僕とイアンの中間くらいの背丈だ。彼らが標準な体型から大きく外れていなければ、猫人はゴブリン族と同じくらいの体格っぽいね。つまり、オークや人族に比べれば小柄な種族だ。


「ええと、すみません。僕はあまり外の事に詳しくなくて……あなたたちは何という種族ですか?」

「ふむ……」


 僕の問いに、猫人付き人は鋭い視線を向けてきた。にらまれているのかと思ったけど、どうもそうではないみたい。目つきが悪いのでそう見えるだけで。


「私たちはケットシーです。私はリリネ、彼はヨルヴァと言います」


 付き人の代わりに、お嬢様の方が教えてくれた。彼女たちは猫人ではなくケットシーらしい。


 ケットシーか。初めて聞いたけど、不思議なことに心当たりがある。夢の世界の娯楽のひとつ、ファンタジー小説にときどき登場する種族だ。夢の知識と現実とが一致するとは限らないけど、少なくとも見た目に関しては共通しているかな。たしか、ケットシー妖精ってことで妖精に属するんだよね。


「そうなんですか。僕はグレゴリーと言います」


 向こうが名乗ったので、僕も名乗る。すると、ヨルヴァと呼ばれた付き人が顔をしかめた。


「……どうかしましたか?」

「ああ、いや、何でもないんだ。ただ、儂の知るゴブリンとあまりに違いすぎて困惑していた」


 あ、そうなんだ。あれは戸惑ってる顔だったのか。怒ってるのかと思った。ヨルヴァは顔で損してるような気がする。


「そうよね。私も聞いていた話と違って驚いたわ。とても勇敢だし、紳士的だもの。きっと、見たこともない人が面白おかしく噂を広めたのね」


 リリネもゴブリンを知っているみたい。でも、二人の口ぶりからすると、ケットシーが抱くゴブリンのイメージはあまり良くなさそうだね。リリネは僕らを見て印象が変わったみたいだけど、ヨルヴァの方はまだ複雑そうな顔をしている。


 いったい、どんなイメージを持っていたんだろう。聞きたいような聞きたくないような。でも、悪評を払拭するためにも、聞いておいた方がいいかな。世間からどう思われているかは、交渉の仕方にも影響するだろうし。


「ゴブリン族はどんな種族だと思われてるんですか?」

「あ、その、それは……」


 尋ねるとリリネは口を濁した。口に出すのもはばかられるほどの悪評って事かな。


 リリネの視線が助けを求めるように、ヨルヴァへと向かう。彼はふぅと小さく息を吐いて僕を見た。


「グレゴリー殿にとっては不快な評価になるだろうが、それでも聞くかね?」


 凄い前置きが来た!

 

 あまり聞きたくなくなったけど、それでも聞かないわけにはいかない。ゴブリンの村には不足する物が多すぎる。豊かな生活を実現するためには、外との交流が不可欠だもの。ゴブリンが他の種族からどう思われているのか、知っておく必要がある。


 覚悟を決めて頷くと、ヨルヴァが明らかに乗り気じゃなさそうな口調で話し始めた。その話はなかなか衝撃的で半分も頭に入らなかったけど、要約すると“ゴブリンとは臆病で怠惰で非常に弱い。本能のまま動く、邪悪で残忍な種族である”ってことらしい。


 うわぁ、最悪な評価だ。でも、どこかで聞いたことがあるような話だね……?


 ああ、わかった。夢の世界の話だ。


 ファンタジー小説に登場する種族はケットシーだけじゃない。ゴブリンはむしろケットシーよりも頻繁に出現する。だけど、どうにも僕らと同じ種族とは思えなかったんだよね。だけど、ヨルヴァから聞いた話とは一致する。やっぱり、アレはゴブリンだったんだ。


 となると、僕らは何なのって話になるけど。本当にゴブリンなの?


 わけがわからず混乱しちゃった。そんな僕を見てどう思ったのか、ヨルヴァが慌てて言葉を付け足す。


「不快になるのはわかるが落ち着いてくれ。これはケットシーだけの認識ではなく、我らと交流のある他の種族でも同様だ」


 あれ?

 フォローかと思ったら、追い打ち?


 ケットシーだけの偏見じゃないから勘弁してくれってことかな。僕らにとっては悪い知らせだけど。世間的に根も葉もない悪評が広がってるってことだからね。


 と思ったけど、状況はもっと悪かった。


「そして、残念ながら、これらは偏見ではなく事実だ。儂は貴殿ら以外のゴブリンとも遭遇したことがあるが……まあ、儂らが抱くイメージそのままの存在だった」


 あぁ……そうなんだ……。


 困ったことに、僕ら以外のゴブリンは悪評通りの存在みたい。根っこも葉っぱも生い茂った噂って……どう払拭すればいいんだろうね?

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