18. 大猪と猫みたいな種族
四人の中で一番足が速いのは僕だ。すぐにイアンを追い越して、フラルに追いついた。そのままフラルと併走しながら、少し前を走るキーナに声をかける。
「ねえ! 罠を壊したのがオークだった可能性はないかな?」
キーナが少しスピードを落として、僕の横に並ぶ。
「ないとは言えないね。そうだとしたら、この先にいるのは?」
「かもしれないと思って」
僕の懸念は正しく伝わったみたい。否定がなかったところを見ると、彼女のその可能性を考えているんだろう。
「僕ら四人でオークに勝てる?」
「相手が単独なら……いや、難しいだろうね」
一対四でも、厳しいとキーナは見ている。それだけ、オークは手強い相手なんだ。
ただ、僕の知る限りアイツらはあまり頭が良くない。獣のように本能のまま戦うというイメージだ。武器だって鈍器を振り回すだけ。だから、上手く立ち回れば戦えなくはないんじゃないかなという気もする。
「もしオークがいたら、フラルはスリングで援護をお願い」
「わかった!」
「私とグレゴリーで攪乱するんだね。イアンは……ちょっと遅れてるか」
本当なら用心してみんなで踏み込むべきなんだろうけど、さっきの声からして状況は切迫している。遅くなれば取り返しのつかないことになるかもしれない。そう判断して、イアンを待たずに突入することに決める。
進んでいるのは獣も通らないような道なき道。生い茂る草木のせいで視界が悪いので、未だにはっきりとした状況が掴めない。ただ、興奮した獣のような声と悲鳴が聞こえてくる。やはり何かが争っているようだ。
草木をかき分けて進んでいくと、ふいに視界が開けた。森の切れ間だ。
「い、猪!?」
「でかっ!」
「オークじゃなかったか。だけど、アレならやれるよ」
視界に飛び込んできたのは巨大な猪だった。僕の知識にある姿よりも二回りくらいでかい。体高がイアンの高さくらいある。猪は興奮しているのか、フガフガと荒い鼻息だ。
ちょうど側面に出たみたい。僕たちに気づいているのかいないのか。猪はこちらを見向きもしない。その視線はまっすぐと前を見据えていた。
「あれは……?」
「ゴブリンではないようだね」
「誰だろう?」
猪が睨み付ける先にいるのは、黒い毛に覆われた種族が二人。実物を見たことはないけど、猫にそっくりだ。
でも、決して猫ではない。だって、彼らは二本足で危なげなく立っているし。それに、さっきの悲鳴はきっと二人のどちらかのもの。言葉を理解する知的な存在だ。
「あなたたちは!? お願いです! 助けてください!」
「いけません、お嬢様! 儂のことはいいので、お逃げください!」
仮に猫人と呼ぶけど、猫人二人はお嬢様とその付き人みたい。衣服は簡素だけど。ゴブリンよりはちゃんとした“服”だ。付き人は戦いの心得があるのか、短めの剣を手にしている。金属製らしくて、日の光を受けて剣身がキラリと輝いた。
対峙する猫人二人と大猪。戦況は猫人たちが劣勢に追いやられているようだ。猪に目立った傷はないけど、付き人猫人は右足を負傷している。勝てないと見て、お嬢様を逃がそうとしているみたい。
さて、どうしようか。猪はいつまた暴れ出してもおかしくない。助けに入るなら、今しかないだろう。だけど、手を出せば巨大猪の怒りは僕たちに向けられることになる。同族のためならともかく、見知らぬ異種族のためにリスクを負うべきかどうか。
まあ、考えるまでもないか。
「フラル、目を狙って」
「わかった!」
そう。考えるまでもなく、僕は猫人たちを助けることにした。
たとえ種族が違っても、困っている人は助けたい。そういう気持ちも少しはある。だけど、それ以上にリスクに見合う価値が十二分にあると思ったんだ。
だって、ゴブリンとは違う文化圏にいる種族だよ! 彼らがどんな種族なのかは知らないけど、間違いなくゴブリンより進んだ技術を持っているはず。付き人猫人が持つ剣がその証拠だ。猫人はきっと金属加工技術を持っている。
言い方は悪いけど、彼らに恩を売る絶好のチャンスだ。別に足元を見て不当な要求をするつもりなんてないよ。ゴブリンの知らない道具、知識、それらが得られるだけでも十分なんだ。ついでに猫人たちと交易が出来るなら最高なんだけどなぁ。
おっと、今は先のことを考えるより、戦いのことだ。フラルがスリングを振り回しながら、巨大猪に狙いをつける。少し離れて、僕も同じようにボーラをぶんぶんと振った。キーナは猪の突進に備えて槍を構えている。
「っらぁ!」
勇ましい声とともに、フラルのスリングから石が放たれた。遠心力によって勢いのついた石の弾丸は、猪の目に突き刺さる。
“プギィィ!”
堪らず猪が悲鳴を上げた。目への直撃は、大きなダメージを与えたみたい。ヤツの左目からはどろりと何かが垂れている。
猪は一瞬怯んだけど、すぐに戦意を取り戻した。鼻息を鳴らしながら、まだ無事な瞳でギロリとこちらを見る。ターゲットを僕たちへと切り替えたようだ。
「ひぇ!」
「フラルは左手側に待避! 今度は右目を狙って」
「わ、わかったぁ!」
ボーラを振り回しながら、フラルに指示を出す。両目を潰せば戦うにしろ逃げるにしろ有利になるからね。真っ向勝負で打ち負かすのは難しいので、せいぜい頭を使わないと。
「うわ、デカい!」
遅れてイアンが森から飛び出してきた。
「イアン! フラルが目を潰すから、上手くいったら仕掛けよう。遅れないようにね」
「わかったよ!」
最低限の指示だけど、イアンに迷いはない。すぐに槍を突き出し身構えた。
ぶんぶんとボーラを振り回す音が気に障るのか、猪は完全に僕をターゲットに定めたみたいだ。目を狙うフラルから注意が逸れる。こちらとしては好都合だね。
“プゥガァァ!!”
猪が吠えると同時に駆けだした。僕に向かってまっすぐ突っ込んでくる。その前脚めがけてボーラを投げた。くるくると回転しながらボーラが猪の前脚にぶつかる。回転の勢いで石がくるりとその脚を絡め取る。うまく両の前脚を巻き込むことができた。
「よし!」
会心の投擲だ。脚を獲られて猪がつんのめる。狙い通り猪の機動力を奪った。こうなれば、もう怖くはない……と思ったけれど、そう上手くはいかなかった。
拘束なんて知らないとばかりに巨大猪が暴れる。ついには、ボーラの縄がブチブチと音を立てて千切れ始めた。巨大猪の馬鹿力を封じるには、簡素な縄では強度不足だったみたい。
「避け――」
「いや、大丈夫」
咄嗟に待避を呼びかけようとしたけれど、キーナが冷静な声で止めた。その直前に横手から何かが飛んでいく。フラルの二投目だ。狙い澄ました一撃は、再び猪の瞳に直撃した。惚れ惚れするほどの命中精度だね。
“ピギャアア!”
再び、猪が悲鳴を上げた。その隙を見逃さず、キーナが走る。僕も手槍を拾ってそれに続いた。
「イアン!」
「わかってる!」
イアンもちゃんとついてきてる。猪まではあともう僅かだ。
最初の一撃はキーナ。痛みに我を忘れて暴れる猪の左目に向けて槍を突き刺す。角度が良かったのか、ズブリと沈み込むかのように槍は猪の眼窩に呑まれていった。ほぼ同時に僕の槍が右目を穿つ。嫌な感触が手から伝わってきた。それほどに、槍は深々と突き刺さっている。
「くっ!?」
「仕留め損なったか!」
僕らの攻撃は間違いなく深手を負わせた。だけど、命を奪うには至らなかったみたい。脳みそが小さすぎて直撃しなかったのかも。
痛みのせいか、それとも怒りのせいか。大猪が激しく首を振る。槍を保持していられず、キーナともども地面に転がされてしまった。
だけど、僕らの攻撃はこれで終わりじゃない。
「うおおおぉっ!」
猛々しく叫びながらイアンが右目の槍に飛びついた。猪は狂乱状態で首を振るけど、イアンは槍にしがみついて離さない。
「肉になれぇええ!」
それどころか、タイミングを見て、槍をさらに押し込んだ。そしてかき混ぜるかのように、槍の柄をぐるりと回す。
“ブギイイイイィィ!”
この攻撃が決め手になった。ひときわ激しい叫び声を上げた後、猪はその巨体をどうと横たわらせる。しばらく様子を見たけど、ピクリとも動かない。
「か、勝ったの?」
恐る恐るといった様子で近づいてきたフラルには答えず、代わりに猪の目に刺さった槍を押し込んでみる。二度、三度試すけど反応はない。ここまでやって反応がなければ、死んでいると判断していいはずだ。
「うん。僕たちの勝ちみたいだね。今日は焼き肉パーティーだ!」
「本当? やったぁ!」
「へへ……肉、たくさん食べるぞー!」
よほど嬉しかったのか、フラルが抱きついてきた。イアンは山ほどの肉料理を想像しているのか顔が緩んでいる。
「なかなかの強敵だったね」
キーナはキーナで満足そうな笑顔だ。
誰も怪我することなく倒せたけど、巨大猪は間違いなく強敵だった。誰か一人でも欠けていたら、結果は違っていたかもしれない。キーナはともかく、僕ら三人もかなり成長したよね。というか、フラルとイアン、成長しすぎじゃない?
フラルの投擲精度は僕らの中では飛び抜けてるし、イアンの巨体を生かした攻撃は非常に強力だ。キーナだって瞬発力と咄嗟の判断力に優れている。総合的に見ると、僕が一番弱いんじゃないかな。
地道にトレーニングしたら村で一番強くなれる……って思ってたけど、みんなでトレーニングしてるから無理かも。まあ、この中の誰かが団長になっても、豊かな村作りには協力してもらえるだろうから、心配はしてないけど。
まあ、いいや。それよりも、やるべきことをやらないと。
「三人は肉の処理をしておいてよ」
「了解! 冷やすのは無理だから、血抜きかな」
「わぁ……大きいから大変そう」
「大変というか、無理じゃないかな」
貴重な肉を無駄にしないためにも、ちゃんと処理をしないとね。あの巨体なので、なかなか難しいだろうけど、肉好きのイアンが頑張ってくれるはずだ。
その間に僕は、猫人たちと話してみるとしよう。
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