11. 呪い師ウルティナ

 僕の妹はソフィと名付けられた。命名はもちろん僕だ。おかしな名前をつけられる前にと生まれてすぐに名前を決めた。お兄ちゃん、頑張ったよ、ソフィ!


 といっても、僕が提案してすぐは両親とも戸惑っていた。ゴブリン流の命名じゃないからね。決め手になったのは呪い師のお婆さんの言葉だ。


「別に名前のつけ方に決まりなんてないよ! アンタらが気に入るかどうかだ!」


 しわしわのお婆さんが言うんだから、本当に決まりなんてないんだろうね。戸惑いはあったけど、反対というわけでもなかったらしく、最終的には両親も賛成してくれた。戦士名とかだと近い響きの名前もあるから、それほど抵抗感がなかったのかも。


 それから三日。今のところ、ソフィはよく寝てよく泣いてとても元気だ。このまま元気に育ってくれるといいんだけどね。


 もちろん僕としてもできることはするつもり。特に衛生面については気をつけないと。できることはこまめな手洗いと定期的な水浴び、それに洗濯かな。それがまた難しいんだけどね……。


 それらの相談もあって、僕は再び呪い師の家までやってきた。もちろん、主な目的は対価の支払いだけど。


 この間は夜だったからよくわからなかったけど、改めて見るとやっぱり周囲とはかなり雰囲気が違う。もしかしたら、珍しい植物が見つかるかもしれないね。


 というか、あの背の高い植物って、もしかして……?


 近寄って、細長い茎を指で弾いてみる。返ってきたのはコツンと硬い感触。僕の予想通りだった。やっぱり、この植物、僕の知識にあるアレによく似てるなぁ。


 ちょっと気になったけど、今日は呪い師のお婆さんに用事があるので、詳しい調査はまたにしよう。


「こんにちはー」


 入り口前で声をかける。奥から「勝手に入ってきな」と言う声が聞こえてきたので、遠慮なく中に入らせてもらう。


「おう、アンタかい。良く来たね」


 お婆さんは細長い筒を咥えながら僕を迎えた。筒の先からは白い煙が上がっていて、ちょっと煙たい。不思議な匂いもする。この前の夜、部屋に漂っていたのは、この煙の匂いだったみたい。


「それは煙草たばこですか?」

「ほう、よく知ってるじゃないか」


 お婆さんが細い筒から口を離して、ふぅと息を吐いた。白い煙が勢いよく吹き出てドラゴンのブレスみたいだ。


 細い筒は僕の知るパイプや煙管きせるによく似ている。形状から言うと煙管の方が近いかな。


「金属が使われてますね」

「ん? ああ、そうだね。アタシらには作り出せない貴重な品さ」

「そうですか……」


 呪い師に伝わる秘術で金属の精製ができるのかも、なんて期待したけど、そう甘くはないみたい。まあ、金属だけあっても、それを鍛えて加工する技術がないとあまり意味がないんだけどね。


「……不思議な子だねぇ。まあ、いいさ。ひとまず、アンタの話を聞こうじゃないか」


 煙草は十分に堪能したのか、お婆さんが煙管を置いて、話を向けてくる。僕も気を取り直して、本題に入った。


「呪い師様、先日はどうもありがとうございました。おかげで母さんもソフィも無事です」


 頭を下げて御礼を伝えると、お婆さんはふんと鼻を鳴らす。


「礼ならあの日に聞いたよ。それがアタシの仕事なんだ。気にすることはない。対価は用意してきたんだろ?」


 はい、と答えるとお婆さんは満足そうに頷く。でも、すぐに顔をしかめた。


「それよりも、だ。呪い師様、なんてむず痒い呼び方するんじゃないよ。アタシの名前はウルティナだ。名前で呼んどくれ」

「ウルティナ……? 呪い師にも戦士名みたいなものがあるんですか?」

「そんなものはないさ。元々の名だよ。ソフィだって、そうだろ」


 そう言われると確かに。だからお婆さんはソフィの名づけのときに援護してくれたのかな。


「そうですね。それじゃあ、ウルばあと呼んでもいいですか?」

「ああ、構わないよ」


ウル婆は軽く頷くと、ニヤッと笑みを浮かべた。


「それより、グレゴリー。ベッセから聞いてるよ。アンタ、美味い料理が作れるって話じゃないか。それを持ってきてくれたんだろ?」


 ベッセというのは父さんの戦士名みたい。実は、父さんも誓いを立てた戦士だったんだって。膝に傷を受け、思うように戦えなくなったから引退したらしい。それ以来、父さんは戦士名を名乗らなくなったらしいんだけど、ウル婆は未だに戦士名で呼んでるみたいだ。


「はい、持ってきました。ウル婆は火を使うから珍しくないかもしれませんが」

「いいから、さっさと出しな。どんな出来なのか楽しみだよ」


 呪い師が火を使うと知ってから、肉串が対価として認められるか不安だったけど、ウル婆の様子を見る限り本当に楽しみにしているように見える。それならと、用意した包みを手渡した。


 外側を包んでいるのはゴブリン族が皿代わりに使う大きな葉っぱだ。中には肉串が五本。作り方は以前と変わらない。胡椒の実っぽいものを生のまま潰して塩と混ぜて調味料にしている。一応、乾燥させると黒胡椒っぽいものができることは確認したけど、そっちはまだ試してないからね。


「ふむ。ちゃんと火が通ってるね。これは胡椒の実かい」


 ウル婆は肉串を手に取って、しげしげと見ている。胡椒っぽい実が本当に胡椒だったことが判明した。呪い師は物知りだね。


 ひとしきり観察した後、豪快に食らいつく。しわしわなのに歯は丈夫みたい。


「ほぅ、確かに美味い。胡椒の実はそのままじゃ食べにくいが、こうすりゃ絶品だね。ううむ……」


 あっという間に一本を食べ終えたウル婆は、次の一本を手に持ち唸っている。言葉通りなら、肉串は気に入ってもらえたはずだけど、そうなるとちょっと気になるね。


「呪い師は火を使った調理はしないんですか?」

「かつてはやってたんじゃないかねぇ。そういう話は聞いてるよ。どこかの世代で途絶えたんだろうね」


 ウル婆がやれやれとため息を吐く。嘆いている様子はない。どちらかと言えば、諦めの雰囲気を感じる。


 だけど、その雰囲気は一転した。ウル婆の目にギラリとした強い光が宿る。睨み付けるような視線で僕を見据えた。


「ところで、アンタ。その知識はどうしたんだい? 煙草に金属に火による調理。呪い師でもないアンタが知ってるのはどういうわけだい?」


 やっぱり聞かれるよね。まあ、隠すつもりもなかったけど。


 今のところ、僕の見た夢については誰にも話していない。父さんにも母さんにも。別に隠しているわけじゃないけど、言っても意味がないかなと思って。


 僕自身は、あの夢で見た世界が、得た知識が本物だって確信している。でも、他の人にとってはそうじゃない。夢は夢。所詮、妄想空想のお話に過ぎない。その知識を使って暮らしを良くしたいと提案しても、きっと笑われておしまいだ。


 だけど呪い師のウル婆なら相談相手にちょうどいいんじゃないかって思ってるんだ。接した時間はまだほんの少しだけど、それでも呪い師が他のゴブリンに比べて豊富な知識を持っているのがよくわかる。ウル婆の知識と擦り合わせて矛盾がないとわかれば、夢で見た知識にも信憑性が生まれると思うんだよね。


 だから、ウル婆に問われるのは予定通り。僕は包み隠さず、夢の世界の話をした。そして、できればゴブリン族の生活を同じように向上させたいという願いも。


 ウル婆は何も言わずにただ静かに聞いていた。僕が話し終えたあとも、唸るように「ううむ」と声を上げたきり、黙り込んでいる。


「信じられませんか?」

「信じるとか信じないとかの段階にないよ。判断材料が少なすぎる。でも、真っ当な方法じゃ、アンタみたいな子供がこの村でそれほどの知識を手に入れるのは不可能だからね。信じられないような話の方がよほど信じられる」


 ウル婆は手にした肉串を見て、深いため息をついた。


「この肉串を焼いたのは、アンタじゃないんだって?」

「え? そうですね。ほとんどはイアン……僕の友達が焼いてくれました。焼くだけなら僕でもできますけど、火起こしが大変で……」

「で、そのイアンって子はアンタなしでも火起こしはできるのかい?」

「はい。自分で獲った野ウサギを焼いて食べたって言ってましたから。あ、火の始末はちゃんとするように教えてますよ」

「そうかい」


 再び、ため息を吐くウル婆さん。何故だか、思い悩んでいる様子だ。


「……もしかして、火の起こし方を教えるのは駄目でしたか?」


 ひょっとしたら、火の扱いは呪い師が秘匿している技術だったのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。だけど、それは思い過ごしだったみたいだ。ウル婆は苦笑いを浮かべたあと、ゆっくりと首を横に振る。


「まさか、そんなことはないよ。火の危険性についてはもう少ししっかりと説明した方が良いかもしれないがね」


 では、なんでため息をついていたのか。そんな思いが顔に出ていたのか、ウル婆はひとつ頷くと、理由を説明してくれた。


「アタシは落ち込んでいたのさ。なんて不甲斐ないんだってね」


 実はウル婆も若い頃にゴブリン族の生活を変えようと奮闘したことがあったみたい。清潔さを保つことの重要性、火の利便性。呪い師として先代から受け継いだ知識を広めようとしたらしいのだけど……


「ま、何も変わらなかったね。教えても教えても、そのときはやるんだが、後が続かない。結局は諦めてしまったんだよ」

「そうだったんですか」

「そうさ。それをアンタみたいな子供がやってのけるんだからね。自分の不甲斐なさに落ち込みもするさ」


 やれやれと首を振るウル婆に僕は何も言えない。ウル婆の苦労は想像もつかないし、イアンが火の扱いを覚えたのも彼自身の食欲のおかげな気がする。だから、ウル婆が落ち込む理由はないし、僕も威張れはしないんだ。いや、別に威張るつもりはないけどね。


 僕の微妙な態度を察してか、ウル婆が笑い出した。


「ああ、すまないね。歳をとると愚痴っぽくなっていけない。落ち込んだなんて言ったけど、アンタには感謝してるんだよ。やり方次第で、ぼんくらどもの意識を変えることができるとわかったんだ」


 イヒヒとウル婆が笑う。意地悪魔女みたいでちょっと怖い。


「で、だ。アンタは、これからもゴブリンの生活を変えようと思ってるんだね?」

「はい!」


 もちろん、まだまだこんなものじゃない。肉串もいいけど、他にも美味しい料理はたくさんあるし、豊かな生活にはほど遠い。僕が快適に過ごすためにも、ソフィが元気に育つためにも、もっともっと生活を変えていかないと!


 僕の顔はきっと満面の笑顔だ。笑顔は伝染する。ウル婆もニヤリと口の端をつり上げた。


「よし、よく言ったね! それならアタシも協力するよ! 一緒にぼんくらどもを教育してやろうじゃないかい!」


 しわしわな顔をますますしわしわにしながら、ウル婆が拳を振り回す。言ってることがちょっと過激だけど、とっても心強い味方ができたね。


「というわけで、アンタは呪い師になりな!」


 えぇ!?

 僕、戦士団に入るつもりなんだけど!?

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