10. 小さな命
「行ってくる!」
光る石を引っ掴み駆け出そうとする父さん。だけど、すぐに右膝を抱えて
「ぐぅ……こんなときに!」
「どうしたの、父さん? 怪我?」
「いや、古傷だ。ちくしょう、これじゃあ走れねえ」
父さんが悔しそうに呟く。よほど痛むのか、額には脂汗が滲んでいる。
古傷のことなんて初めて知った。気になるけど、今はそんなことを聞いてる場合じゃない。父さんが無理なら、僕が走らないと。
「僕が行くよ。場所はどっち?」
「お前が? ……いやそうだな。話がついているのは、中央寄りの池のそばに住んでる呪い師だ。あの辺りには建物が一つしかないからわかるはずだ」
「うん。わかると思う」
中央寄りの池は、僕らがあまり近寄らない場所だ。というのも、その辺りはちょっと不気味なんだ。植生が違うのか見慣れない植物が多い。そんな場所にポツンと一軒だけ家が建ってるんだ。しかも、その家はたびたび黒い霧を吐く。きっと何か悪い者が住んでいるに違いないと思って近寄らないようにしていたんだ。まさか、あれが呪い師の家だったとはね。
場所を聞いて、光る石も受け取った。いざ、家を出ようとしたとき、父さんが僕の肩を叩く。
「頼んだぞ、グレゴリー」
「うん!」
父さんが僕を戦士の名前で呼んだ。こんなときなのに嬉しくなる。
緩む頬を引き締めて走った。父さんが信頼してくれるなら、それに応えないと。
暗い森を僅かな月明かりと、蓄光石の頼りない明かりだけで進んだ。種族特有の暗視能力のおかげで、近くにある障害物の輪郭くらいは把握できる。とはいえ、昼間のようには見通せない。呪い師の家を見つけられるか、少しだけ不安だった。
ゴブリンの村に整備された道はない。人が良く通る場所は踏み固められて多少は移動しやすくなってるけど、その程度だ。転んだり、飛び出した枝葉に引っかかれたりして、細かい傷がいくつも出来た。キーナにやられた打ち身もあるから、すっかりボロボロだ。
それでもがむしゃらに走ったことで、思ったよりも早く池にたどり着いた。訓練の一環としてやっているジョギングの成果が出たのかもしれない。
暗闇の中、目を凝らすと建物らしき影が浮かび上がる。間違いない。ここが呪い師の家だ!
「すみません!」
入り口から中に向かって声を掛けた。コブリンの家には扉がないからドンドンと叩くわけにもいかないんだよね。
「なんだい、騒々しいね」
しばらく呼びかけていると、
「あなたが呪い師ですか? 実は……」
「声が大きいよ。話は家の中で聞く」
「え? いや……」
「いいから、入りな」
有無を言わさずピシャリと言い放つお婆さん。僕の返事を待たずに部屋の奥に引き返していく。仕方なく、僕も後に続いた。
部屋の中には不思議な匂いが充満している。呪い師は調薬もするって話なので、何かの薬の匂いなのかもしれない。
闇の中からカチカチと音がする。蓄光石の仄かの明かりでは判然としないけど、お婆さんが何かを打ちつけているみたい。
パチリと火花が飛んだ。闇を泳いだ火花が器に落ちる。たちまち、部屋は光に包まれた。
明るい。蓄光石の明かりとは比べものにならないほどに明るい。それは炎による明かりだった。ゆらゆらと揺らぐ炎は部屋を赤々と照らし、影を踊らせている。
お婆さんが手にしているのは石と何らかの金属片。火打ち石と打ち金だ。燃える器には油みたいなものが注がれていたんだと思う。つまり、火がついたのは偶然じゃない。お婆さんは明確な意志のもと、照明として火を使っている。
そういえば、と思い出した。呪い師の家は他とは違っている。屋根から柱が突き出ているんだ。時折、吐く黒い霧はその柱から出ていたような気がする。今思えば、あれは煙突と煙なんじゃ……?
ゴブリン族は火を使わないと思っていたけど、もしかして呪い師は火の扱いを知っている?
「さて、話を……って酷い格好だね」
呪い師のお婆さんは、僕の姿を見るなり顔をしかめた。そうされても仕方がないほど、僕の格好はボロボロだ。また服を駄目にしちゃった。しばらくはこの格好で過ごさないと駄目かも。
「もしかして、用件は怪我の治療かい? もう少し早い時間に来て欲しいものだけどねぇ……」
「違うんです! 赤ちゃんが生まれるんです!」
「……は? なっ、出産かい!? それを早くお言い!」
お婆さんは慌てた様子で、火のついた皿に蓋を被せた。それでまた部屋は闇に包まれる。鞄のようなものを引っ掴むと、僕を家の外へと追い立てた。
「さあさあ、行くよ。アンタ、何処の子だい? 子供が生まれたって言うなら、ベッセのとこの子かね?」
ベッセ?
聞き覚えのない名前だ。慌てて否定する。
「違います! 父さんはハナマガリで母さんはヨナキです!」
「あぁあぁ。たしかにそんな名前だったね。するとアンタは……ネジクレタツノだったかね?」
「ネジレタツノです! とにかく急ぎましょう!」
惚けたことを言うお婆さんを急かすけど、お婆さんは気にもしないで僕をじっと見た。
「ベッセの子にしちゃ、ひょろいね。この体付きじゃあちょっと無理があるかねぇ……」
何の話かわからないけど、お婆さんが乗り気ではない様子が見て取れた。頭によぎったのは対価の話だ。父さんは話がついてると言ったけど、もしかしたら不十分だったのかもしれない。後払いでいいというのも父さんが勝手に判断しただけなのかも。
ということは、お婆さんは僕が労働の対価を支払えるかどうか見定めているんだ。だとすれば、僕がちゃんと働けることをアピールしないと!
「僕はグレゴリーです。戦士としての誓いも立てました! だから……!」
母さんは苦しんでる。赤ちゃんも生まれるんだ。ここで呪い師を連れて帰れないと困ってしまう。必死の想いで告げると、お婆さんがニヤリと笑った。
「ほぅ、頼もしいじゃないかい。じゃあ、頼んだよ」
お婆さんが僕の後ろに回って背中を叩く。
「え? 何をですか?」
「何って、そりゃあアタシを負ぶっていくんだよ! アタシの足じゃ、時間が掛かりすぎる!」
お婆さんが見定めていたのは、対価の労働力じゃなくて足代わりとしての性能だったみたい。
「わかりました!」
声や姿勢の良さで元気そうに見えるけど、しわしわのお婆さんだ。自分で歩かせるよりは背負った方が早いに違いない。僕は勢いよく返事をして、しゃがみ込んだ。
枯れ木のような手足のお婆さんは想像したよりも軽かった。それでも、人を背負って走るのは大変だ。転ばないように慎重に、でもできるかぎり早く。
家にたどり着く頃には体力も精神も限界ギリギリだ。疲れて切って体が重い。それでも、最後まで走りきった。
「よくやったね! 大した根性だよ!」
お婆さんが、倒れ込みそうになる僕から軽やかに飛び降りる。それだけ言い残して、家の中に駆けていった。その走りは軽快そのものだ。本当に僕が運ぶ必要があったのかな……。
でも、体力を温存するという意味はあったのだと思う。きっと、たぶん。
「グレゴリー!」
聞き慣れた声に顔を上げると、そこにはフラルがいた。イアンとキーナもいる。
「みんな、どうしたの?」
「ハナマガリが協力して欲しいって声を掛けに来たんだよ。赤ちゃんが生まれるって。ママが手伝うっていうから、アタシたちも付いてきたんだ」
「僕も」
「ああ、そういうことか」
僕が出て行ってから、父さんが近くの家に協力を求めたみたい。呪い師だけじゃ人手が足りないんだろうね。
「グレゴリーは何してたの?」
へたり込む僕をみて、フラルが首を傾げる。
「僕は呪い師を連れてきたんだよ」
「呪い師?」
フラルとイアンは呪い師と聞いてもピンと来ていない。僕もそうだったしね。でも、キーナは知っていたみたい。「病気や怪我を治してくれる人だよ」とフラルたちに説明してくれた。
「わ!」
不意にイアンが声を上げる。理由はすぐわかった。僕の家から、明るい光が漏れてきたからだ。
「きっと、火を灯したんだ」
「……火? 肉を焼くの?」
「あはは、違うよ。火があると周りが明るくなるでしょ。呪い師は火を明かりに使うみたいだよ」
「へぇ……」
イアンにとって、火は肉を焼くためのものって感じみたい。照明に使うんだよって教えても興味なさげだ。これだけ明るければ夜間の活動時間も増えるんだけどなぁ。
でも、この村って、何もしなくても食べるに困らないくらい豊かだから仕事が少ない。その上、娯楽もろくにないから、みんな暇を持て余してるのかも。貴重な燃料を使ってまで夜更かしする理由はないか。
うーん、娯楽か。暇を持て余すくらいなら、そういうのもあった方がいいのかも。夢の世界には、本当に様々な娯楽があった。その中でも簡単なものなら僕にも作れそうだ。時間があれば作ってみてもいいかな。
そのまましばらくみんなと話して過ごす。いつもならとっくに寝ている時間になっても、少しも眠くならない。体は疲れてるけど、心がそわそわしてる。
「赤ちゃん……生まれないね」
「うん」
不安げに呟くフラルに、僕も小さく頷く。呪い師のお婆さんは連れてきてどのくらいが経つだろうか。時計がないので、正確な時間がわからないのがもどかしい。
「長ければ、朝から夜まで掛かるって言うよ」
キーナが教えてくれる。ゴブリンも出産は大変みたい。特に、こんな衛生的とはいえない環境じゃ命がけだ。
自然と口数が減り、祈るような時間が過ぎる。
――オギャア
突然、元気な鳴き声が聞こえてきた。遅れて歓声。よくやった。おめでとう。大人たちの声も聞こえてくる。
「行こう!」
返事を待たずに駆けだした。家に飛び込むと、大人たちが場所を空けてくれる。
「待ちな! ばたばた押しかけるんじゃないよ。入るのはグレゴリーだけだ。残りは今度にしな」
鋭い声を掛けてきたのは、呪い師のお婆さんだ。
みんなには悪いけど、僕だけが寝室に入った。ゆらゆら揺れる炎に照らされて父さんと母さんが一心に何かを見ている。
僕に気付いた父さんがニッコリと笑った。
「おお、来たか。ほら、お前もこっちに来い!」
抱きかかえられるように引き寄せられ、そのまま包みの中をのぞき込んだ。
「あ!」
包みからは小さな頭が覗いていた。ゴブリンらしく肌の色は緑。だけど、生まれたばかりだからか角がない。代わりにちょこんと瘤のようなものがあった。さっきまで元気に泣いていたけど、今はもう静かだ。目は閉じられているけど、眠っているわけじゃないのかな。頻りにもにょもにょと口元を動かして、ときおり意味のない音を発している。
「ネジレタツノ、あなたの妹よ。あなたはお兄ちゃんになったの」
母さんが優しく微笑む。
そうだ。僕はお兄ちゃんになったんだ。
生まれたばかりの赤ちゃんはとても小さくて弱々しい。守ってあげなくちゃと素直に思えた。この子のために僕がしてあげられることは何だろう。
栄養面、衛生面。ゴブリンの生活には色々と足りていない。赤ちゃんを包む襤褸切れだって清潔とは言えない。しばらくはお乳で過ごすんだろうけど、そのためには母さんの栄養も必要だ。家ももっと頑丈なものにしないと。あと、やっぱりオークだ。妹を危険な目にあわせるわけにはいかない。
「よろしくね。お兄ちゃんだよ。僕がキミを守ってあげるからね」
僕は小さな手を握りながら話しかける。まだ意味なんてわからないはずだけど、妹が笑った気がした。
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