8. 戦士キーナ

「はいはい。もう来てるよ」


 その声はすぐ近くから聞こえてきた。思わず振り向くと、キーナがゆっくりと近づいてくるところだった。額にはたくさんの汗の粒が浮いているけど、動きには何の鈍りもない。


「……イアンは?」


 キーナがここにいる。それはつまり、イアンが負けたってことだ。不安に思いながら尋ねると、彼女は笑みを深めた。


「向こうで横になってる。強かったね。でも、体力が足りない。もう少し鍛えてから、また戦いたいな」


 そうか。そうだよね。


 恵まれた体格のイアンは、身体能力にも優れている。トレーニングを始めたばかりだというのにキーナと渡り合えていたのは、その身体能力に依るところが大きい。


 とはいえ、彼女とイアンでは鍛え方が違う。その差が大きく出るのはきっと持久力だ。体力は地道なトレーニングを続けることで少しずつついていくものだから。


 もしかしたら、キーナがイアンの攻撃を避けるのに専念していたのは、攻めあぐねていたわけじゃなく、体力切れを誘っていたのかも。


「何を呑気に話してやがる? まあいい。キーナが来たからには、お前らには万が一にも勝ち目はないぜぇ? ひゃは……ひゃはははは!」


 キーナが合流したことで途端に強気になるイワアタマ。アイツの言うとおり、イアンでさえ勝てないのなら、僕らに勝ち目はないだろう。


 だけど、それがどうしたって言うんだ。負けるからって、泣いて許しを請うとでも思ってるのかな。僕らの誓いは、僕らの想いはそんなに軽いものじゃない。ここで諦めるくらいなら、最初から戦いを挑んだりしないよ。


「たとえ、負けたとしても僕らは屈しない!」

「アンタなんかボッコボコだからね!」


 僕とフラル、二人に睨まれて、イワアタマはたじろぐ。


「ぐっ……! キーナ! キーナァ! さっさとやれ! アイツらを俺に近寄らせるなぁ!」


 喚き散らすイワアタマ。どんなに威張り散らしても、自分では何も出来ない。結局はキーナ頼みなんだ。なのに、何で彼女はこんなヤツに従ってるんだろう。


「……はあぁぁぁ」


 ふいにキーナが大きく息を吐いた。みんなの視線が彼女に集まる。


「わぁ」


 思わずといった様子でフラルが声を上げた。気持ちはよくわかる。だって、もの凄い迫力だったんだもの。


 怒りの表情を浮かべるでもない。苛立たしげにしているわけでもない。変に力むでもなく自然体で彼女は立っている。ただ、いつもニコニコと浮かべた笑顔だけが抜け落ちていた。


「や、やめろぉ! そんな目で俺を見るなぁ! お前は、そいつらをさっさと叩きのめせばいいんだよぉ! 俺の言うことが聞けないのかぁ? 受けた恩を忘れたのかぁ?」


 癇癪を起こしたように唾を飛ばし、イワアタマが叫ぶ。それに対して、キーナは静かに首を横に振った。


「いいや。恩は忘れてないよ。親を亡くした私が不自由なく暮らせたのはキミの両親が養ってくれていたからだ。そのことはよくわかってるよ」

「だったら……」

「まあ、聞いてよ。キミは私に戦士になれと言ったね。そのことは感謝してるんだ。自分に従順な手駒が欲しかっただけかもしれないけど、おかげで今の私がある」


 そこでキーナは言葉を切った。真剣な顔で、イワアタマを見据える。


「でも、今日わかったよ。私は戦士じゃなかった。キミに言われるまま暴れ回る獣だった。だから、もうキミに従うのはやめにするよ。私は戦士になるんだ。イアンや、グレゴリー、フラルみたいな!」


 キーナの顔に笑顔が戻った。吹っ切れたような輝く笑顔だ。


「言ったなぁ? 後悔するなよぉ? 家にも入れてやらねぇぞ? 恩を仇で返すようなヤツには思い知らせてやるからなぁ?」

「仇で返した覚えはないけど、後悔はしないよ」


 イワアタマが脅しは、キーナには通じない。


 家から追い出すみたいなことを言ってるけど、小さい子供ならともかく僕らぐらいの歳になれば何とでもなる。この村は豊かだから、食べ物には困らない。問題となるのは住む場所くらいのものだけど。


「家づくりなら僕も手伝うよ」

「アタシも!」


 僕とフラルが手伝いを申し出る。きっとイアンも協力してくれるだろう。ゴブリン仕様の簡素な家なら、僕らでも作れるだろうしね。いざとなれば、父さんたちに協力してもらってもいい。


「あはは、ありがとう。まあ、自分で何とかしてみるよ。せっかくの独り立ちだからね」


 キーナの表情にも余裕がある。イワアタマという枷が外れたせいか、さっきまでよりずいぶん晴れやかだ。


「お前がいなくても、俺にはたくさんの手駒がいるんだぁ! 必ず! 必ず思い知らせてやるからなぁ!」


 イワアタマはまだそんなことを言っている。でも、本当かな。それほど求心力があるようには思えないけどね。あと、そんなに真っ向から彼女と対立して大丈夫なのかな。


「それは私に戦いを挑むってことだね? わかった。受けて立とう」


 キーナがノリノリで応じる。まあ、そうなるよね。


 結局、イワアタマは何も言い返せずに押し黙った。僕らにも勝てなかったのに、キーナに勝てるわけないからね。


 これにて一件落着だ……と思ったけど、残念ながらキーナがすんなりとは終わらせてくれなかった。


「そういえば、グレゴリーとは決着がついてなかったね。続き、やろっか?」


 ああ、うん。イワアタマに従うのはやめても、好戦的なところは変わらないんだね。


 正直、僕としてはもう戦う理由もないんだけど……というか、はっきりと僕の実力不足だから、訓練にしてももうちょっと鍛えてからお願いしたいんだけど。


 助けを求めるように視線を彷徨わせると、フラルと目があった。彼女はニッコリと頷く。


「一対一の真剣勝負ってことだね! わかった! アタシは手を出さないよ!」


 い、いや、そんなこと、一言も言ってないんだけどね! むしろ、一人じゃ手も足も出ないだろうから加勢して欲しいくらいだけどね!


 だけど、フラルは「じゃあ、アタシはアイツとだ!」と言いながら行ってしまった。


 仕方がない。これも格上と戦う訓練だと思おう。戦士になって村を守るなら、オークなんかの凶悪な敵と戦うことになるんだ。相手が強いからといって、怯んでもいられない。


 気持ちを切り替えて、キーナに向き合った。


 迂闊に攻めかかっても、あっという間にやられてしまうだろう。僕としては、キーナの隙を見つけて仕掛けるしかない。キーナはキーナでニコリと笑みを浮かべたまま、こちらの様子を窺っている。


 突如、「ぎゃああ」という悲鳴が響いた。イワアタマの声だ。フラルが容赦なくやったらしい。


 その悲鳴が始まりの合図となった。キーナが姿勢を低くして、走ってくる。僕は動かない。じっと彼女の行動を見定める。


 彼我の距離は二歩と半分。そこでキーナが右の拳を固めた。攻撃の予兆だ。ひとまずこれは右に跳んで避ける。だけど、視線はそのままに。彼女の動きから一瞬でも目を離したら負けだ。


「ははは、また避けた! キミはきっと目がいいんだね」


 喋りながらもキーナの攻撃は途切れない。一方、僕に返事をする余裕はなかった。右から左から、彼女の拳が僕に迫る。横方向への回避を警戒されていることは目つきからわかる。攻撃をいなすのも早すぎて無理。となると、後ろに逃げるしかない。


 このままじゃ不味いことはわかってる。多少開けているとはいえ、ここは森の中。後ろに下がり続ければいずれ――……


「あっ!」


 背中に軽い衝撃。すでに追い込まれていたみたい。


 キーナの口の端がつり上がる。勝ちを確信したのか、次の攻撃は少し大ぶりだった。その分、軌道が読みやすい。隙とも言えない、僅かな隙。でも、ここに賭けるしかない!


 迫る拳。胴に向けて放たれたその一撃をギリギリで避ける。拳は僕の脇を抜け、背後の木にぶつかった。キーナの伸びた腕を掴む。そのまま引き倒――せない!?


「少し隙を見せたら、ちゃんと狙ってくるね。ふふ、グレゴリーも強くなりそうだ」


 キーナが嬉しそうに笑う。どうやら、さっきの大振りはわざとだったみたい。掴んだはずの彼女の腕。でも、いつの間にか僕の腕が取られている。


「だけど、今回は私の勝ち……だ、ねっ!」


 小さな体の何処にそんな力が隠されていたのか。気がつけば、僕の体は彼女に背負われ、一瞬だけ宙に舞った。直後にくる強い衝撃。僕は投げられ背中を強く打ったみたいだ。


 衝撃で頭がくらくらする。視界が暗転し、薄れゆく意志の片隅で僕はちょっとだけ見通しの甘さを後悔していた。


 強くなるって……意外に、大変……かも…………

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