第11層「イオナの過去」


 イオナが10歳の頃の話だ。その頃は現代のような教育制度はなく、立つことができて簡単な会話ができれば、誰でも働きはじめる時代だった。


 彼女の家はロシア大陸で漁師を営んでいた。ある日一家で沖合に出ていると、嵐に巻き込まれてしまい、三日三晩海を漂流していた。生死の縁を彷徨さまよい、たどり着いたのは当時の日本だった。


 浜辺でぐったりとしていた彼女たちを、ムラの住民のアイダ一族が発見して保護した。回復した彼女たちは彼らに恩義を感じ、ムラの農作業を手伝うことになった。次第に彼らは受け入れられ、ムラの一員として生活するようになった。


 しかし、アイダ以外の一部の村人が彼らを青い目のオニの姿をしていると気味悪がった。アイダは必死に庇ったが、彼らの発言力は大きく、最終的にムラの首長が処刑を決定した。


 当時は娯楽が少なく、処刑当日は見物人で溢れかえっていた。さらには鬼の処刑という触れ込みで、わざわざ隣のムラから見物に来た者もいた。


 やがて、一家を処刑する時間がやってきた。観客は歓喜し、アイダの叫び声がかき消された。

 一家は死を覚悟した瞬間、鶴の一声が響いた。処刑を止めたのは男だった。彼は卑弥呼ヒミコの弟だった。


 弟は一家の姿を面白がって、姉の卑弥呼に見せると、彼らの姿は天照大神アマテラスオオミカミの使いだと言って、それぞれに新たな名前を与えた。タケル、イブキ、イオナ、スメラギ。彼らを自分の護衛役に任命した。



 その頃の日本は小規模なクニ同士の覇権争いが多発していたが、卑弥呼が邪馬台国の女王として即位すると、その不思議なカリスマ性と弟の補佐により邪馬台国が政府という形でクニ同士をひとつにまとめあげていた。


 日本政治の中心にいた卑弥呼は中国との関係構築に腐心していた。この先、中国と良好な関係を築かないと、日本列島が中国によって支配されるという危機感があった。 


 その矢先、中国に日本政府の存在を認めてもらおうという試みで朝貢がなされた。

 朝貢とは日本の特産を貢物みつぎものとして時の中国皇帝に献上しに伺うことである。

 そして朝貢のつかいとして派遣されたのが、難升米ナシメ都市牛利ツシゴリだった。

 この朝貢は成功を収めて、皇帝からの返礼に金印を授かり、卑弥呼の地位は確固たるものとなる。



 その後、卑弥呼が亡くなり、彼女の一族の中から台与とよが後を継ぐことになる。しかし、彼女は卑弥呼ほどのカリスマ性はなく、実権を握っていた弟が暗殺されたために、国内は再び戦乱の世に逆戻りすることとなった。


 その激動の時代を護衛役として近くで見ていたイオナは、卑弥呼の弟がツシゴリによって暗殺されたことを見抜いていた。

 ツシゴリは朝貢以来、日本は中国を見習って、現状の宗教的で曖昧な形での国民の統治よりも、理論的で明確な律令制度で国民をひきいていかないと将来はないと度々主張していた。一見それは彼に先見せんけんめいがあるように見えるが、実際は中国に金を握らされていただけのことなのだ。

 イオナは漂着した余所者とはいえ、保護してもらいクニの一部として受け入れてくれた恩義に報いるために、ひいては日本の将来を守るためにツシゴリ陣営を相手に戦争を始めた。

 その戦いの中でツシゴリとイオナは相討ちになった。


——私は確かにこの手でアイツを……ツシゴリを刺し殺しました。だけど、彼の刃に毒が塗られていて、傷を負った私も2週間後に死んでしまいました。勝負の行方もわからないままに」


「つまり、イオナは日本人だったってこと?」


 乃亜が尋ねると彼女は頷いた。健吾もニアも衝撃の事実に驚いていた。


「今風に言えば、ロシアからの移民のようなものです」


「空白の時代にそんなことが起こっていたとはね……残念ながらイオナさんの生きていた時代は、文献による資料が残されていないんだ」


 美波が興味深く言った。彼の言葉にイオナは少し悲しげな表情を浮かべた。


「……つまり、先の戦乱は私たち側が勝利したかツシゴリ陣営が勝利したのかわからないのですか?」


 イオナが美波に訊ねると、彼女は頷いた。


「なるほど、どちらの正義がまかり通ってこの日本になったのかはわからないということですか」と、イオナは言って、自分の考えをまとめた。


「つまり、私が元の世界に帰ることで、この世界が大きく変化してしまう可能性があるということですか」


 イオナは美波に尋ねると、彼女は頷いた。


 この現代日本はイオナたち陣営の勝利という歴史の延長なのか、ツシゴリ陣営の勝利による歴史の延長なのか、誰にもわからないのだ。


「……私はみんなに強要する義理はありません」


 イオナは突拍子もなく言い始めた。


「今まで付き合ってありがとうございます。ここからは私一人の問題です」


 イオナが言うと乃亜は首を傾げた。


「ちょい、どういうことさ?」


「私がこのダンジョンで自分の願い事を叶えようとすると、今いるあなたたちの生きる世界に多大な変化を及ぼすかもしれない」


 健吾はイオナの言いたいことが理解できた。


「ここから先、私に関わるということは日本の運命を左右するということです。国の将来を背負うというのは若者にはあまりにも荷が重すぎる。だから、私に関わらない方がいい」


「でも、イオナは元の世界に帰りたいんでしょ? どの道乗りかかった船なんだから、一緒じゃない」


 ニアが言うと、イオナは反論した。


「生半可な気持ちで言わないで!!」


 イオナの言葉で辺りが静まった。彼女は静かに剣を握った。


「私は戦乱で多くの人を殺してきた……昨日は同僚だった人間も、ツシゴリ陣営を選んだせいで、私と対峙することになった。互いに殺したくもないのに、殺めざるをえなかった……自分の行いが正しいのか間違いなのかわからず、不安と恐怖で眠れなかった……自分の行いを正当化するために、今の人格まで生まれてしまった……自分の義を貫くことや国の行末を背負うということが、どれほどの重荷なのか、どれほど自分の手を汚さないといけないのかわかっていないだろ? 君たちにその覚悟はあるか? 私の夢を後押しするということは、間接的に自分の手を汚すことに他ならないのだぞ。そしてその責任は誰も取ってくれない。その覚悟はあるのか?」


 イオナの重たい言葉に、誰も口を聞くことができなかった。


「……今まで付き合ってくれてありがとう。ここからは私ひとりの問題だ。私が解決すべき問題だから」


 そう言ってイオナは立ち去った。


 健吾も乃亜もニアも、イオナの言った『覚悟』という単語が胸に刺さって、簡単に抜くことができなかった。


◇◇◇


 翌日、イオナは一人で狩場へと向かっていた。彼女はあそこまで啖呵を切ったのだから、誰も来ないだろうと思った。

 イオナはひとりになってしまったと思った。現世にやってきた当時はどうしても友だちが欲しくて、無理やり魔物を仲間にしたが、健吾はいい奴だったと思った。


(彼を中心に仲間が増えて楽しかったけど、ごっこ遊びはもう続けられない。あんなに良い人たちに、こんな重たいことを背負わせるわけにはいかない)


 イオナが狩場に行くと乃亜の姿を見つけて驚いた。


「おいっす〜」


「……どうして?」


 イオナは乃亜に訊いた。


「どうしてって?」


「どうしてここにいるのですか?」


 イオナは言い直した。


「どうしてもこうしても、私は私のためにここにいるんだよイオナがどうとか関係ないよ」と乃亜が言った。


「そうそう。乃亜の言う通りよ。別に明日に世界がなくなっていようが、今日の自分は今日の自分ってことよ」とニアが後ろから現れた。


「ニアさんまで……」とイオナは驚いた。


「ニアがちょっと何言ってるかわからないけど、雰囲気そんな感じ」と乃亜が言った。


 ちょっとしてから健吾が現れた。


「健吾さん。あなたまで……」


 イオナは言葉の続きが浮かばずに、健吾をじっと見た。


「僕は、イオナが一人で背負うべき問題じゃないと思ったから、この四人で分け合うべきだと思ったから、ここにいる。『覚悟』はできている」


 健吾は言った。


「でも……」とイオナが言いかけると、


「生半可じゃないよ。少なくともイオナほどじゃないけど、僕たちだってつらい経験をしてきた。その時ひとりじゃなかったらって後悔してきたんだ。イオナにはそんな思いさせたくない。だからみんながここにいる」


 健吾が言うと乃亜とニアが頷いた。


「この†アークスタープロジェクト†の4人でダンジョンの最下層を目指して、イオナを元の世界に帰すんだ!」


 健吾は宣言した。


「うわっ、最後のパーティ名で良いシーンが台無しだ」とニアが言った。


「おい!余計なこと言うなよ!!」健吾はニアを指差した。


「そうだよ!†アークスタープロジェクト†ってかっこいいじゃん!」と乃亜。


「乃亜が庇うせいで健吾の痛々しさが倍増されてるってことに気づかないの?」とニアが言った。


「なんで? †アークスタープロジェクト†って完璧な響きじゃん」


「乃亜、そろそろ連呼するのはやめてくれ」


 健吾はだんだんと羞恥心に犯されてきた。


「……おいおい、今から本格的にダンジョン攻略だぞ! あのツシゴリに先を越されるわけにはいかない!」


 イオナは目尻を拭って、剣を握って堂々と宣言した。


「我が†アークスタープロジェクト†はツシゴリの野望を打ち砕く!」


 イオナが言うと、三人は声をあげて一つになった。


 

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