第4層 大切なものは何かを理解する僕



 ダンジョンは下層へ進むごとに、険しい雰囲気になった。敵の容姿も、見た瞬間に危険だと本能に訴えかけるおぞましいものへ変化した。


 レベル1モンスターは第3層までにしか存在せず、第4層からはレベル2~3モンスターがメインだ。


 周りの探検者も攻略ガチ勢がちらほら見え始める。


 翔太は持ち前の身体能力でモンスターをズバズバ倒して先に進んでいた。


 一方、健吾は臆病な性格でモンスターに及び腰であるが、弓矢は敵と距離が取れるので、落ち着いて攻撃できて、翔太との能力の差を埋めることができた。しかし、倒すのに時間がかかった。


(豪華な装飾のわりに、威力は普通の弓矢とあまり変わらないな……)


 しばらくして健吾は、複数本の矢をまとめて放つと散弾銃の要領で複数の敵を攻撃できることに気づき、徐々に翔太のスピードに追いついてきた。


 後ろから健吾の様子を乃亜たちが心配そうに見守っていた。


「野崎、大丈夫かな?」


 乃亜が言った。


「女神さまに強くしてもらっているから、大丈夫だと思います」


 イオナの言葉に乃亜は首を傾げた。


「ねえ、イオナってさ、剣を握ると性格変わるよね?」


 乃亜が尋ねると、イオナは剣を握って、


「性格じゃなくて人格が変わるのだよ」と別の人格を呼び出した。



 第5層へ降りる頃、健吾は翔太に追いついたが、モンスターを倒すスピードは翔太の方が速いので、彼が優勢だ。


 健吾の人生ではいつも負けることが前提で物事が進んでいた。しかし、イケメンになったことで、周りの評価が変わり、自身の心内でも変化が起こっていた。


(……もう少しで、アイツに追いつける)


 やがて、エリクサーの近くまでやってきた。そこから健吾と翔太の間には倒すべきモンスターがいなくなり、二人は走り出した。


「追いついてみろよ!」


 翔太は吐き捨てた。健吾も後を追うが運動神経の差が如実にょじつに出て、差が縮まらない。


(だけど、女神様が僕の力を覚醒させてくれたんだ! 僕はアイツに追いつけるはずだ!)


 しかし、健吾がいくら本気を出して走ろうと、翔太との距離はどんどん開き、やがて、翔太がエリクサーを手にした。


「おい、負け犬野崎! お前はイケメンになろうと何しようと勝てるわけないんだよ。おまえは一生弱者男性として生きて行くんだよ!」


 翔太は高笑いした。健吾は膝に手をついて、ゼイゼイ息をして汗を拭った。彼は後ろから見守っていたイオナたちや翔太グループの事が気になったが、


……何かドラマの撮影かな?」


……あの人ちょーかっこいいじゃん。悔しがってるところめっちゃ絵になってる」


 いつのまにか健吾の周りを女性冒険者たちが取り囲んでいた。


「あのっ、撮影ですか?」


 健吾は彼女たちから声をかけられて驚いた。


「えっ? いや撮影とかじゃなくて、あの人と勝負してて……」


 健吾は翔太を指さした。


「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」


「はい?」


(なんでそうなるの!?)


 女性冒険者はいきなりスマホを取り出して、写真を撮った。


 他にもサインや握手をねだられて、いつのまにか健吾のためのイベントになっていた。


 その様子を見ていた翔太は、


「おい野崎! 調子乗ってんじゃねえぞ!!」と、叫ぶと、


「何あの人? 感じわる」


「なんか怖いね。反社の人かな」


 健吾のファンが翔太の悪口を言い始めて、彼はいつのまにか悪いヤツ認定されてしまった。

 健吾は流石に翔太を気の毒に思った。翔太は、舌打ちをして、第一層に引き返そうとすると、


「うわあああ!」


 彼は尻餅をついていた。視線の先には、バハムートがそびえていた。独特のチューリング・パターンで覆われた鱗に、美しい球状楔きゅうじょうくさび形の羽を広げて、翔太をめ付けていた。


 周囲にいた探検者たちもその姿に恐れ慄いて、我先にテレポートゾーンへ逃げてゆく。


 健吾は呆気あっけに取られて、言葉が出てこなかった。


「まさか、『エリクサー』ってヤバいテレポートゾーンに置いてあるやつじゃ……」


 乃亜は青ざめて呟いた。イオナがどういうことかと訊くと、


「先日、第5層から50層までショートカットできるテレポートゾーンが発見されたんだけど、そこを守るバハムートか強すぎて、A級ライセンスの人たちが束になっても倒せなかったの……何人か死人も出たって」


 乃亜が声を震わせて、説明した。


「助けてくれぇ!!」


 翔太が悲鳴をあげた。彼はバハムートに啄まれて振り回されていた。


「ちょっと! 翔太がヤバいよ!?」


 乃亜が言った。しかし、バハムートに立ち向かうレベルと勇気のあるものは居なかった。

 全員が翔太を目で追った。彼は泣き叫びながら振り回されているので、声が近くなったり遠くなったりした。


(……僕がアイツを助ける義理はない。アイツはいつも僕を虐めてきた。殺したいと思わなかった日はない)


「城北、アイツを助ける理由はないよ」と健吾は吐き捨てた。


(ザマァ見ろ。はよ死ね)


「そうですよ城北さん。あの人を助ける義理は私たちに存在しません」


 イオナは断言した。彼女はこの世界にきて時間も浅いせいで、容赦なかった。


「でも……」と乃亜が反論しようとすると、


「アイツにいじめられてたんだ」


 健吾が心苦しそうに呟くと、彼女は押し黙った。


 健吾の中で、虐められた日々が走馬灯のように駆け巡る。クラス全員が彼を攻撃し、誰も助けてくれず、嘲笑される苦しみは誰にも理解されないだろう。


 しかし、彼の倫理観も同時に責め立ててくる。


(助けないと、後で後悔するかもしれない、だけど……)


 怒りや憎しみと、悲しみやあわれみとが入り混じって、間違えて塩を入れたコーヒーのような不快な味が心に広がる。


「……逃げよう。じゃないと僕ら全員死んでしまうよ」


 健吾は言って、翔太とは反対方向を指差した。


「……テレポートゾーンに急ごう」


「本当にいいの?」


 乃亜は言った。


「うん。第一層に戻って救援隊を呼ぼう。それまでに翔太が生きていれば……助かる」


 しかし、誰もが救援隊が来るまでに翔太が生きている可能性は低いと理解していたが、口にしなかった。


「でも、やっぱり……」


 乃亜が言うと、魔法攻撃が健吾たちの足元に放たれた。


「いいから! はやく逃げよう!」


 健吾は声を荒げた。


 やはり皆は自分の命が惜しかったので、テレポートゾーンへと走り出した。


 イオナが先にテレポートゾーンで第一層へ戻って行った。乃亜は手前で振り返って健吾に言った。


「やっぱり、私たちだけでも助けに行こうよ! 救援隊を待ってる間に翔太が死んじゃうよ!」


 健吾は乃亜の言葉を無視して、彼女の体を強く押した。


「えっ、ちょっ……」


 乃亜は尻もちをついて、テレポートゾーンを踏んだ。彼女が何かを言っていたが、健吾は聞き取れずに、彼女は第一層へ転送された。


 健吾はバハムートのもとへ戻った。


(女神が力を覚醒させたなんて言ってたけど、僕は僕のままだった。運動神経もないし要領も悪いままだけど、こんな僕でも、救援隊が来るまでの時間を稼げるかもしれない……僕はこれ以上、自分に失望したくない!)



 健吾が駆けつけると、翔太は壁に叩きつけられて、頭から血を流していた。


 健吾は翔太を助け起こした。彼は話す事ができなかった。健吾は翔太を安全そうな場所に移して、彼にエリクサーを与えると、かろうじて話す事ができた。


「野崎……」


「今は話さないで、ここで隠れてて」


 健吾は翔太のソードを抜き取り、バハムートを切り付けた。しかし、鋼のような鱗に覆われていて、効いている様子はなく、バハムートはあざけるかの如く、鳴き声をあげた。それでもめげずに切り続けるとソードは、

「ガキッ」と、嫌な音を立てて刃こぼれをおこし、使い物にならなくなった。


(どうすれば……この鱗じゃ矢も刺さらないだろうし)


 健吾が焦っている間に、バハムートは健吾を啄んで、壁に叩きつけた。全身にものすごい衝撃が駆け巡った。かろうじて立ち上がるも、バハムートの赤い瞳が光り、メガフレアを吐こうとしていた。

 健吾は全身の力が抜けて、へたり込んだ。なまじっか一度死んだことがあるので、冷静ではいられるが、自分の死ぬ未来を正確に想像できるだけで、どうすることもできない。


(もうダメか……)


 健吾が諦めかけた途端、装備している弓の装飾の部分がまばゆい光を放ち始めた。

 

 弓が健吾に話しかけてきた気がした


 —そなたは選ばれたのだ。矢筒にはそなたが今一番必要としている矢が入るようになる。矢をつがえよ。そなたが放つのは魔弓63番……シルバーアロー。さあ、放ち、そして叫べよ—


 健吾は立ち上がり矢を番えて、叫んだ。


「魔弓!!シルバーアロー!!」


 弦をはなすと、矢は一瞬にして空中に銀色の軌跡きせきを残し、バハムートに刺さると、轟音と共に全てを消失させた。


 健吾は一瞬、なにが起こったのか分からず、弓を見た。


「……えっ。めっちゃ強いやん」


 健吾は弓と消え去ったバハムートの方を交互に見た。


(その場で必要な矢が矢筒に入ってるってチートじゃん)


「野崎っ……」


 翔太は健吾に向かって何かを言いかけたが、彼は駆けつけた救急隊に保護されて、言葉を交わす事ができなかった。


 逃げ遅れて、側から見ていたベテラン探検者たちが、健吾を取り囲み、賞賛を浴びせた。


「おまえ、すごいじゃん!?」


「そんな装備でよく倒せたな!?」


 健吾はどう対応すればいいかわからず「あっ、どうも」と、戸惑いながら苦笑いを浮かべ続けていた。


◇◇◇


 今回の一件で、翔太グループを含めて健吾たちは担任から大目玉をくらい1週間の停学処分を下された。

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