⨕29:霧中ェ…(あるいは、ほの明るきは/苔むすカヴィタ/レッジェェロ)

 耳鳴りがするような、静寂の中に包まれた。


「……」


 てっきり重質な粘度高い液体に包まれて往生するかとか思ってたが、愛機テッカイトごと引きずり込まれたその「空間」は、何なんだろうか、さらさらとした肌触りの、微小な「砂」のようなものが漂い流れる、重力も感じないような摩訶不思議な「場」であったわけで。光は、ある。無機質な、白い光。


 これは何だ? どこだ? 壮年ヤロウの腹の中。なんだろうか。先ほど地面に「底なし沼」のようにずっぽり嵌まったと思ったが、白く、果てしなく広がるような奥行を持ったこの空間は、覚えちゃいないが、胎内の羊水に浸かっているような、あたたかさと奇妙な安堵感を与えて来ていた。


 沈んでいる。少しずつ。水中に没していくような。低重力の中を、落下していくような。


 地中に、こんなものが在ったのか。いや、「作った」のか。よく見ると、白い背景バックに、流れるように蠢く黒い「点」。街中に大量に発生していた、アレだ。てことはここは奴らの「巣」か。湖のほど近くの土中に、巨大な穴を掘ってそこで棲息していた。岩石やら鉱石やらを取り込んでその数を増やしながら。そうなのか。


 満ちているもんは、いったい何だ。気体のようで、液体のようで、固体のようでもある何か。先ほどから俺自身はそいつを吸い込み呑み込んでいっちまってるが。眼が痛烈に痒い、鼻の穴がピリピリして、喉元がザリザリする。「辛み」に似たような感覚。ってことは「痛み」でもあるよな……あんまり摂取したらよろしくねえ物質モノのようだ。


「……」


 俺は操縦盤の下、足元に引っ掛けてあったゴーグルと、その横の<緊急用>と記された小さな物入スペースの小扉を左爪先で蹴り落とし、中に入れてあった鉄製の小型簡易タンクを引っ掴んでどちらも装着する。噛んだマウスピースから流入してくる黴っぽい錆っぽい空気にむせそうになりながらも、曇りの激しいレンズ面を通して、目の前を包む白い光に目を凝らす。


 左右上下に目線を振りながら、どこかに漂ってんだろう流麗な肢体のシルエットを探す。通信は途切れたまま……ちらちらと瞬く白光が、そのままぶちぶちと画像やら音声やらも途切れさせているようだ。機器に頼っての捜索は困難ムリっぽいぜ。くそう、ゆるゆると沈んでいっている。「底」がどこまでか定かじゃあねえが、あまりこの場に留まることは良策とは言えねえだろう。早く、姐ちゃんナディルカを探さねえことには。


 ずるずると滑るように光の中を落下していく。機体の残存光力はこの「ぬかるみ」の中に飛び込んだ時には既に30%を切っていた。この深さ……脱出にはどれくらい必要なんだろうか。10か15か。極力節約したいが、だが、そうも言ってられねえ。とにかく探さねえと。とは言え「砂」のようなものが俺の顔やら身体やらにまとわりついて五感を妨げてきやがる。そうでなくても最近特に衰えてんだ、この体たらくじゃあ探し人もままならねえ、どうする?


 その時だった。


<zにえrlがりgねじゃkjdんkじゅhぬそrと4kmltkんb……ッ!!>


 いきなりの爆音。思わず耳を両手で塞いじまうが、それでもそれは止まず、さらには光のうねりのようなものが俺の網膜の底あたりで破裂するかのように目まぐるしく跳ねまわってきた。肌を摩擦する、熱、鼻から流れ込んでくる粉っぽい匂い、口腔までくだってくるとそれは甘い芳香へと変わっていく……何……だ、こいつはぁぁぁ……


 笛か何かを叩き鳴らしている雑多な音楽の中、肉が焼ける香り。酔客が押し合いへし合いするどっかの夜祭りの光景。口の中にいつまでも残る、何かの硬い破片。夜空に輝く一群の星々。赤ん坊を抱き上げ、胸に寄せる、その柔らかさ、甘いにおい。目の前を流れていく、目が滑っていく意味はあるはずだが意味を為さない活字の群れ。土を掘り起こす、掴んだ鍬の柄から断続的に感じる手ごたえ、衝撃。みずみずしく色鮮やかな果実や野菜、さまざまな食材が並ぶ市場を誰かに手を引かれながら低い視点で見渡す。やがてクセになっていく苦い。身体の底から突き上げるような轟音。ののしり合い、掴み合う、その迫る男の鬼気迫る顔面。喉元から、血液が、空中に、立て続けに放出されていく、炎の中を。肌をチリつかせる熱。掘削する。岩盤を。精密に。小川の深みに足を取られ嵌まって、鼻から侵入してくる水の粘膜を刺す鋭さ。


 ……上向いた両目に、輪郭をぼやかせながら光を差し込んでくる陽の光。


 大脳を五感全部が同時に揺さぶってくるようだった。これは……これは「記憶」か。誰かの、呑み込んだ人間たちの。そいつを……「記憶を記録」でもしてやがんのかコイツは。岩石に鉱石に? 微細な亀裂で刻んで? 微細な粉を精密に配置して? そしてそれを「再生」させてくる。どういう仕組みだよ。だが、


 確かに蓄積してやがんだろう。そうやって「学習」していく生物なんだろう。「単体」で行動していたあの「黒の輩」どもとか、あの「壮年」は全部「表層」の何かだ。


 こいつらは「群体」、みたいな何か。その大元が「ここ」。「巣」じゃあねえのか。主となる身体。ひとつの。であれば。


 呑み込まれちまうぞ、ぐずぐずしてたら。現に今一瞬意識が飛びかけた。「記憶の粉」に肌を擦られているだけで、自分の思考を侵されてしまうようだった。自分の記憶を写し取られてしまうようだった。


 こうやって喰うのか、他の生物を。記憶という養分に変えて濾し取っちまうのか。「吸収」しちまうのか。その「記憶媒体」があの「鉱石」たち……それも粒子化してればしているほどに好都合と。それを集め回ってたってことか、黒の輩は。働きバッチのように。


「……ぐぅううううぅうう……ッ!!」


 なこと考えている場合でもねえ。自分を自分であるとしっかり認識してなけりゃあ、吹っ飛んでいっちまう。自分、自分、自分、それだけで手いっぱいだ早く……ナディルカ……どこだ、よ……ぐッ……だ、ダメだ、この砂嵐みてえなのが邪魔すぎる、姿も見えねえし、通信も入ってこない。タンク内の空気も尽きてきたみてえだ、ダ、ダメだ……


 落ちて、いく……


 おち、て……


――あ、それとですね、私の方もツハイダーさんを全面的にバックアップ出来ることになりまして、あ、あの複座形式は改良の余地はあると思うんですけど、「操縦」の方もサポートできると思いますから、その、どうぞよろしくお願いします……


 ……いくわけにはいかねえ。


「ああああああッ!!」


 頭の中に巡るのは、初めて会った時からこれまでの、もったりとしたりぐだぐだしたり時に激しく反発し合う会話の逐一や、その黄色い小花のような香りとか、テッカイトの操縦席で見せた素の笑顔とか、重ねたお互い同士の体温とか。


 うっすら感じるそいつらを搔き集めて。掻きむしるように辿っていけば。それらが導く方向へと向かえば。


――必ずいる。いるはずだ。


 それによぉ、あるだろうが、これ以上ない「目印」が。俺は目を閉じて自分の、正に自分の身体から微弱に立ち昇っている桃色の「光力」に感覚の焦点のようなものを合わせる。真っ暗な中、左十時方向に微かに感じる。この色は。間違いねえ。間違いようもねえ。その色の、その「藍色」の方へ。唯一無二のその色の方向へと。


「いけえぁぁあああああああッ!!」


 マウスピースを吐き出しながら、腹からの叫びを上げる。何事も気合い。だよなぁ? 頼むぜ相棒、お互いカラダはガタガタだがよぅ……


 ここいちばんの、力を見せてくれぇぇぇえええッ!!


 「砂」が噴き出し舞ってくる中を。愛機テッカイトは俺自身の光力もその動力機関へとゴンゴンとくべていきながら。


「……ッ!!」


 逆らうように、いなすように、そして流れるように突っ込んでいく……ッ!!


 記憶だ学習だ、もうその辺のところはよく分からなくなっちまってるけどよぅ……


 忘れちゃいけねえものや、受け止めなくちゃあならねえ想いだとかは。ないがしろにしていいわけが、ねえんだッ!!


「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 左腕を極限まで伸ばす。光の粒子は今や全身を激しく叩き続けるまでになっていて。まるで壮年の野郎が全力で拒んでいるかのようだった。だが渡さねえぞ、というか奪いに来たァッ!! 初対面で不躾だけどよぉぉぉ、お、お壮年とうさんッ!! 娘さんをボクにくださぁぁぁぁあいッ!!


<ツハイ……ダーさん……?>


 掴めた。引きずり出せた。ギリギリのところで。ひどい雑音混じりだが、通信も復帰する。ずるりと密度の濃い「砂」の中から現れた薄緑色のボディのどこにも損傷は無さそうだった。華奢な右腕を引き込んで、胸元に抱き寄せる。あ、いや、そんな余裕は無かったわ……


<あ、あの……わた>「完全に想定外だがッ!! ヤってヤれねえことはねえッ!! これより当機の腹腔空間に、御機を格納する形にて救助を行うッ!!」<た、助けに来てくれたんですね……え、えとあのありが>「が、残存エネルギーが残りわずかだ……二機の力を合わせてこの窮状を乗り切らねえといけねえ……いちかばちかだが、お前の力が必要だ。いいか?」<あ、ええ。えと、わかりました……ふたりの、力を合わせて、ですね……共同作業……>「そうだよしッ!! では速やかにテッカイトのどてっ腹に腰掛ける感じで着座してくれッ!! ちょうどいい底面位置に受け口ジャックが突出している……そこに御機の『孔幡波径射出口ヴァ=ギルナリーゼ・プシィィング・ワァナホゥル』を激挿入ドッキングすれば確固たる固定および、そこを通しての光力の授受も成し得ぅぅぅるッ!! か、完璧だ……完璧に御都合なまでに完璧だ……」<ちょ、ちょっと待ってください? 結局それなんです? だ、だめですって後ろからとかッ!! て言うかそんな口径のもの入らないですって入らないですからッ!!>


 ダメだ、呼吸いきがもうもたねえ……とりあえず合体してのち、「複座」仕様としていると見た、姐ちゃん機の操縦席コクピットに俺自身を引き揚げてもらわねえと死んじまう……


 御免ッ!! っと最大限の容赦の言葉を放つと、腕の中の姐ちゃん機をくるりと反転させると、その射出口向け、テッカイトの内部下腹部から突き出した受け口を突っ込んでいく……ッ!!


 あああああああーっ、との絶叫通信が耳をつんざくが、OK、連結は無事遂行出来た……テッカイトのぽかり空いた腹部空間に、椅子に腰かけるようにして姐ちゃん機がきちり格納された状態……機体からだ相互整合性あいしょうがここまでばっちりだとは……いいぞ、御都合の波はまだ尽きてはいねえッ!!


 が、俺自身の身体が限界だ。いや、これ以上この騒々しい「砂」に晒されていると、何より精神の方がさっくりぶっ壊されてしまいそうだ……緊急脱出、呼吸もままならなくなってきた状態にて俺は速やかに自分を操縦席に固定していたベルトを全脱させると、一度も使ったことは無かったが、非常口として機能するはずの床面の「脱出ボタン」を何とか狙い定めて、力無く垂れた右腕の手の甲で叩き込む。果たして。


「……ッ!!」


 ガシャシャという音と共にカメラのシャッターがごとくに円形に開いた「穴」。は、拘束を解かれて這いつくばった俺の正にの真下にあったわけで。それも蹲り両肘を突いて何とか体勢を保ってた、正にの両肘の接触点の真下に。瞬間、俺の身体はバランスを失って前のめりに頭から落ちていく。さらにはシャッターと床面の隙間に、着ていたつなぎの襟元も引き込まれて中途半端な送襟締オクリェリジメォンのような形に。逆さ宙づりになりながら頸動脈を自重にて締め込まれているという一本待った無しの状況に、受動能動の双方の力によるところの白目を剥かされながら。それでも力を振り絞る。ままならない身体に、ここ一番踏ん張ってくれよと頼み込みながら。震える両腕を何とか持ち上げて、首元のジッパーを引きちぎるように無理やり降ろす。緩んだ首元。身体を滅茶苦茶に振って、這い出るようにして。拘束から何とか解放された。と思った時には。


「!!」


 当然ながら再びの落下は始まっており、当然頭っから突っ込むかたちにて急降下は継続していくわけで。逆さになった視界の中、何故か両手をそろえた両膝に置いて畏まった姿勢にて鎮座していた薄緑色の機体の姿が見えた。その胸元へと、真上から、落ち込んでいってしまう……メットは被ってるから、首だ、頸椎を守れ……いつか聞いたおやっさんの言葉が脳を巡る。咄嗟にうなじのとこで両手指を組んで顔面の前で両肘を突き合わせる。しかし、


 脳天に与えられた衝撃は結構なもんで。目の前が白く光ったのか黒く塗りつぶされたのか分からねえが、とにかく俺の意識はそこで途切

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