⨕15:昇天ェ…(あるいは、饗庭ねっ/スーナプロスペティーヴァインヴィスタ)


 入院はまた二週間ばかりで済んだ。


 機体に乗ってそれを本能に従ってぶん回している時は微塵も感じないのだが、ふと気が抜けて精神が落ち着いてみれば、それを繊細に察したかのように、腰部を中心として身体全土に伸び張り出していくかのように、疼痛と鈍痛とだる重さをムラなく丁寧にシェイクしたかのように無駄に均質な、痺れをも伴った液体質の「痛み」が刹那、俺を苛み始めるのだけどェ……


「二体の殲滅、おつかれさまでした」

「えっと」


 いや、さらっと行ったな。


 目覚めてからはまた半寝たきり状態のままでただぼんやりとした意識のままで仰臥する日々だった。既視感もりもりなところの見知らぬ天井感のある白い病室の、窓から覗く景色は地元のそれとは違って雑多で割と活気のある街並みを呈して来てはいたが、暇なことはそれはそれで変わらなかった。そんな中、今回は退院が決まって正にその前日にすいと姿を現したかと思うや、またも見舞いの花をすいと花瓶に生けつつ、俺の枕元のサイドテーブルに流れるような挙動で置く姐ちゃんの、仰臥した上での下から見上げてみるその姿は、何となくの懐かしさを伴ってはいたものの、相変わらずの読めない言動やら態度は、何やら少し腹が立つ。


「……ツハイダー課長、そしてフーリ主任の活躍で、このスロクスリヤの鉱掘場は甚大な被害を出すこと無く済みました。本当に、ありがとうございました」

「いや、あのね」


 とは言え、そのすっとした小顔の中でそこだけ肉感的な唇をきゅっと結ばれるだけで、その薄紫フレーム奥の切れ長瞳を細められるだけで、様々な疑念やら憤怒だとかは、頭と、別の頭の双方から中空に粉を吹いたかのように放出されては霧散していくかのようであり。そしてさらに、いつもはひっつめにひっつめてる光を孕む柔らかそうな金髪を、今日は自然な感じでその深緑のスーツの華奢な背中の中ほどまで、すと、と落としているが、結構長いかったのね、そういうのおじさん弱いのよねへぇぇぇ……


――昂燃メモその18:説明しようッ!! おそらく年齢とはあまり関係は無いと思われるものの、女性の髪形やメイクが変わっていたりすると、一律勝手にどぎまぎしてしまう揺るがせられないごうやらサガを持ち得ているものなのであるッ!!――


「……流石にもう限界と思うんだが」


 平常心を取り戻さんと鼻から空気を落とし込むものの、頭の上の黄色い小花からなのか、それともそれを設置するためにベッドに寝そべっている俺の上に覆いかぶさらんばかりに身を乗り出していた時の淡い残り香なのか分からんかったが、とにかく脳髄を麻痺させ弛緩させてくるような甘い芳香が俺を襲って、ついついそんな腰の引けた言葉を紡いでしまう。が、


 何がです? みたいな小首を傾げて作り笑顔を作ってくんのはやめてくれねえかなぁ……いやこれでもこの姐ちゃん発のこの手の手管には引っかからんようには己を律し制することは出来るようになってはいるよ? そう、いつものひっつめちゃんならもう軽くいなせるまであるんだがよぅ? が……そんなさぁ、思てたんと違う姿ビジュアルでいきなり来られるとさ、網膜とか海綿体とかがこう、びっくりしちゃうんだよね……


「限られた条件の中で最善を尽くす、それって分かっていてもなかなか出来ないことですよね……やっぱり現場が長いヒトっていうのはそういう臨機応変がすごい、ってことなんでしょうか。私、本当に胸に来るものがあって……あの時、指示を出しながらちょっとこみ上げそうになっちゃいました……」


 落ち着け。ちゃんと上の方の頭で考えるんだ。この姐ちゃんの時折見せる「甘みの大波濤ビグウェーイ」みたいなのは、全部が全部計算ずくで放たれるものでは無いにしろ、ある程度、その他諸々の背景・都合なんかとは無意識に切り離して発することの出来る類のもんなんだ。本心、ではあろうと思われるが、「それはそれ」みたいな感じで次の瞬間にはまた無理難題を俺のキャパを振り切った水域ですらと斬り込んで来られる。だから心の圧は上げたままで次の一撃に備えないとまたなし崩し的にやられてしまうんだぜ……例え、斜め上から病室の素っ気ない白い電灯をバックにこちらをほんの少しの、だが自然なる柔らかな笑みで見下ろされていようと、その薄紫フレーム眼鏡のレンズ奥の鳶色の瞳が心なしか潤んで見えようとだ。擦り切れちまった学習野に鋭利な切っ先で刻んでおかなきゃらねえことなんだぜぇ……


「残る『目標』……『大物』ですね、は、おそらく『一体』。そして対抗しうる『護身用具』……端的に呼称することとなりましたが『鉱剤具プロミネ』、これらの開発は概ね完了した報告が既に入っています。そしてそれに対応した『新型機』も昨日ロールアウト。ツハイダー課長にはそれに搭乗・装備しての『残党』処理をですね、行ってもらいたいと」


 ほらね。来たよね。


「そういうのが出来たんなら、然るべき適材くんたちにやってもろた方が良いのでは」「もちろんフーリ主任を始め、適切な配備はいたします。ただそれでも相手は未知数なところもあり、戦闘状況に長けていて、逐次、前線現場で陣頭指揮も執っていただける方が必要と見ています」「俺は上に立ってどうこう出来るタイプの人間じゃあねえんだが」「先の現場での適切な判断、それを実行に移せる即断力、それが出来るのは貴方しかいないと思うんです」「あのね毎度毎度行き当たりばったりの死に物狂いが何かいい感じにうまくハマっているだけなの、いつか本当に死ぬ確率は多分少な目に見積もっても七割八割はあるんじゃねえかっていう」「これで最後、最後の『大物』を沈黙させることが出来ましたら、ツハイダーさんは元の現場に戻っていただけます。改修された『テッカイト』も一緒に」「お、おぅふ……」


 でも分かってても押し流されてしまうよね。


「お願いします……私も出来る限り協力させていただきますから」


 さらにはおいおい、姐ちゃんはその白魚のようなと陳腐な形容をするほかは無いほどに白魚白魚した両の手指で、俺の、毛布の上に力無く投げ出されていた右手を包むようにして来たのだが。


 どう取ったらいい?


 くらいに冷静に思うほどには、俺はもうこの虚実入り混じりぃのな現状に毒されているのかも知れねえ。何を考えてんだよ、と思うより先に、ひんやりとした表面のすべらかさから、徐々に染み込んで来るような熱。人肌。久しく感じていなかった感触に、海綿体よりも先に脳のどこかが静かに揺さぶられるような感覚に襲われそうになった。またいつの間にか出来ていた口内炎の核の部分を糸切り歯ですりつぶすように噛んで、痛覚によりその波濤のような感覚を騙しいなしていく。


 目線を上げて、こちらを覗き込んで来ている鳶色の目を見やる。その瞳孔の奥の奥まで。が、そうまでしてもやっぱりこの姐ちゃんの腹の底までは読めなかった。なぜこいつはそこまであの化物に関わろうとしているんだろうか。仇敵かたき、なんだろうか。親とか兄弟とかの。そうなのか? そうなのかも知れねえが、何かしっくりこない気もする。奥に流れている、何か……いや、そもそもがコトのナニも分からねえ部外新参の俺が、何かを分かろうとしようつぅのも端から無理で無駄なことかも知れねえが。が。


 ひとつ、はっきりしてることは、俺はもう本当に限界だということだ。


 調子ん乗って身体から脳から、細胞のひとつひとつ全部に、老後の備えみてえに蓄えていたエネルギーのような何かを一気に消費しちまったような。決定的な何かが折れてしまったような、切れてしまったような。


 身体に走るのはもう痛みだけじゃあねえ、「重み」もだ。重質な砂のような油のようなものが、脊椎から指先に至るまで全土に限界まで充填されているというか。相当の意志を以って肉体に指示を飛ばさねえとぴくりともしやしねえ。おまけにいちいちこっちの脚を引き付けてその間にそっちの肘を曲げて突っ張って……のような事を考え考えやらねえと、すっこけたり身体のどこかを無意識ゆえの遠慮のない力にてどこかに打ち付けてしまったりもする。まるでこっちの操縦がうまく伝わっていない機体に乗っているかのような、そんな感じだ。そして身体それに引きずられるようにして、思考の方も何と言うか常に諦観がまぶされているというような、そんなネガティブが常態みたいなテンションが染みつき始めてもいる。本当の本当に限界、そんな感じだ。陣頭指揮なんざ、取れるはずもねえ。


 もちろん、やつら黒い輩どものヤバさは二度ほど肌で感じすぎるほど感じたので、野放しにしちゃあならねえ奴らなんだろうことは百も承知なところもある。それでもって俺なら、俺と愛機、そしてあの若僧くんが付いていてくれるのなら。どんな野郎でも沈黙させること、それも出来るような気もしていた。今までは。


 そして、これまた別の角度からの感情だが、ずっと陰でしこしこ磨いていた己の操縦技術が思わぬ時に芽吹いて花開いて。柄には無いとずっと思っていたが、「ヒーロー」みたいなものの気分に、つかの間浸れた、そんな感じだった。こんな、人生半分がとこ使い減らしちまったこんな……枯れ始めた時に。そんな時に訪れた、自分の自負する能力にて、他人が、みんなが喜んでくれる。頼りにしてくれる。期待してくれる、そんな状況。どれも、俺がまだ若い時に、いや幼い時からずっと、乞い願って、そして得られなかったもの。そいつらが、一気に押し寄せるようにして流れ込んで来ていた。それに今の今まで引っ張られていなかったというと、嘘になる。むしろそれに全て牽引されるようにままならない身体や頭を奮い立たせていたまである。今までは。それに……


「……」


 軽く触れあってからは、お互いだんまりのまんまだ。拳ほど細く開けた窓からは、少しの冷気が吹き込んで来ている。陽の光はそろそろ傾き始めているが、まだ赤みを帯びるか帯びないかの色合い。そんな曖昧な色に全部が包まれている。そんなぼんやり俯瞰するかのような意識で、俺は俺で薄目のまま、硬い枕に首を起こされたまま、深緑色にかっちり包まれてその輪郭が浮き出てくるほどの細くゆるやかなカーブを描く姿から目が離せないままでいる。こちらをただ真っ直ぐに見つめてくる切れ長の瞳。ニャンの目以上に瞬々で様変わりする、そのいつ見ても引き込まれてしまいそうになる目。この姐ちゃんが、これまでの事に密接に絡んで無かったと言えば、はっきりの嘘になる。惹かれてるんだろう。この期に及んでこれまた俺に訪れた……それは、長年に渡って枯れ果てて凝固した胸の中の澱みてえなもんを、ゆっくりと、時に急激に、溶かされていくほどに激流な、一か月くらいの出来事だった。


 だが、それもまあ、もう終わる。


「!!」


 暖かなものに包まれていた右の手指に指示を飛ばし、軽く絡めるような仕草を伝えるやいなや、相手の意識が指先に移ったと感知した瞬間、今の最大限の力を以てして、姐ちゃんの手を握って思い切り引っ張り寄せる。驚いた顔を見せたのは一瞬で、自分の身体が流れるままに、力を抜いてこちらに倒れ滑り込んできたのは、潤んだ瞳と、思いつめたような強張った表情と、あと黄色い花のような香りだった。胸元に、柔らかな衝撃。俺は俺で、ままならない脳にも指示を振って、最後の「策」を捻り出そうとしている。


「ゲェッヘッヘッヘッヘェ……だぁったら『出来る限り協力』ってやつを今ここでやってもらおうじゃ、あ、ねぇぇぇぃかいぃぃぃ……ッ!!」


 自分にしては最大限のクソさを醸してみた。まあ大体無意識下でやれてることなのでそれほど苦労は無かった。それはさておき、どうよ。これで愛想尽かせて平手ビンタバッチぃぃん、で、晴れて解散、解放。それにてお開き、それでヨシ!だ。


 とか思った。その、


 刹那、だった……


「……」


 俺の、薄いガウンがはだけた胸板にその柔らかで熱い頬を寄せたまま、身じろぎもせずにただその場に、俺の身体の上に横たわるようにして、ただいるだけの、あれ? どうしたん? えーとえーと……これがこうなってこうでこうで……んんんんん、あら~ん?


――昂燃メモその19:説明しようッ!! 馬鹿であるッ!!――

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