⨕04:迷惑ェ…(あるいは、天高みアルテツァ/天秤そこにヴィブラツィオーネ)

 気のせいか、いつもより更にのがらんどうさ、みたいなのが増してきたような格納庫にて、整備の面々らぁは此方をちらちらと窺いながらも、あまり関わり合いにはなりたくないという気配を如実にその背中から匂わせながら各々の作業をこなしている。多分「これ」が本当の「臨時監査」とでも思っているんじゃあねえだろうか。俺は俺でもうここまで来たら他に助けを求めるってなことは逆に騒ぎを大きくしてしまってのっぴきならない局面までごとごとと急坂を下り落ちるが如くに突っ込み放り込まれるだろうことはもう脊髄で把握を終えているわけで、そうであればと一応は外面だけは監査の体を保ったまま、諸々を進めていくこととする。


 果たして。鉄錆くさい片隅に頽れた、勝手知ったる我が愛機へと、その頭部コックピットが、がくりとこれ以上ないくらいに前に向かって倒れ込んでいるという不安定さ、九十デグの傾きなんぞは意にも介せずに俺は。


「……」


 普段なら確実に腰をいわせちまうような……左腕を頭上に伸ばし上げて把部を掴みつつ、身体を上に持ち上げる段階で中空で背中をこごめつつ身体を丸めつつ、地面に対して真向を向くかたちになりながら、その流れの中で、軽く左爪先を伸ばして脚部のカバーを撫でるように蹴り入れて自身をそのまま後ろの「座席」に向け、すとりと押し込んでいくという作業のような一連動作を。


 何故かこういう時はてめえの五体がかつての「自分を自分が思う通りに動かせる」が如くに軽く操作することが出来るようで。さて、いったん席に収まったら後は反射的に右腕をざっと眼前、横に払うようにして機体の「起動」を促す。何千回、下手したら万回やってきた動作かも知れねえ。


「お手をどうぞ、お嬢さん?」


 そのサマをなかば驚愕なかば呆れ、みたいな感情を宿した鳶色の目まぐるしく動く視線をレンズ越しに照射してくる姐ちゃんであれど、恭しく差し出した俺の……では無く愛機テッカイトの無骨で巨大な「掌」の、そのナリにそぐわない緻密かつ繊細な動作に、思わずええ……と、これは素直な驚きの小声を発してくる、くれるわけで。


 え、これって「キャプチャ」とか使ってませんよねっていうかそんな技術さすがに導入無理か……え、だとするとこの生物みたいなと言うか人間みたいなぬるぬるもぬるぬるした動作は逐一「細切れの指示コマンド」によるものなんですかってええぇぇそんなコト出来るもんなのぉぉぉ……


 いや、驚きの後は何と言うかのほぼ唇を動かさねえ凄ぇ早口のつぶやき声だったわ。が、それが嫌悪でないことに一抹の勝手なる手ごたえを感じながら、俺は「人間みたいな」と評されたが、もっと格調高く「紳士然とした」振る舞いであることを暗にアピールしたいがために、殊更にゆっくりとしかし途切れることなど皆無なシームレスの挙動にて、格納庫の色気のない打ちっぱなしの床へと音も無く愛機の掌を滑らしていくと、グレースーツの御仁をその上へといざなうわけで。


「……」


 と同時に、機体の首から下のバランスは完璧に保ちつつ、コクピットの収まる頭部を持ち上げて水平安定させると、さて、とは言え二人乗りって奴はどうすんべい……と手狭な操縦席を軽く見渡してから、ま、じゃあ特等席はお客様に譲って、イレギュラーなタンデムでもやりますかねい……といった、自然と薄ら気持ち悪くなってしまう口調で脳内に爛れた音声を響かせる。


 全周わずか六mくらいの、やや前後ろ方向に長い楕円形。その円周にきちりと沿うようにして、必要最低限の計器類が、それでもぎゅうぎゅうと、さらには互いが互いを干渉し合わない絶妙な配置と距離感にて詰め込まれている。座席の後ろ側の方は、アーチを描く壁面の結構な上の方まで、まるで操縦者に覆いかぶさってくるようなほどに無骨な機械らが落ち物系の何かのように重なり積み上げられているが、そう言やよくこの有様で先の「監査」を通ったよな……という今ほど詮無い瞬間に思うことでもあるめえ的なことをついつい考えてしまう。いやいやいや。


 ど真ん中に鎮座する操縦者席シートは、あえて簡素な造りとしている。というか背もたれも肘掛けも無い、四方から伸縮性のある「ベルト」で中空に固定された、ただの「盤」状のものだ。「玉葱タンモネンガ」状とでも称しゃあいいか、比較的柔らかめの樹脂でできた横長の楕円形に、前方方向にきゅっとツノのように張り出した部位がある。一見奇妙だが、この形状こそが機体との一体感を出すのに最適な形状であることに行き着くまで、実際に何十回と試しながら調整に何年もかかっているのであって。「座る」というよりは、「骨盤を中空に固定させる」と表現したらいいか。「盤」には大き目の穴がふたつ穿たれていて、そこに両脚を通して「跨る」というような姿勢で着座するってな寸法だ。


 こうすることで「両足」はもちろんのこと、「両膝」が普通に座る体勢よりも精密に、フリーに、プラス力を込めやすくなる。意外にこいつが馬鹿にならない利点と言える。両足裏は一応床面に着けるものの、「あぶみ」のような輪っかに爪先を差し入れた状態で保持し、さらには踵で操作するペダルもあるため、体重が足裏全体に直に乗っちまうのは少し具合が悪いというのが一点。それでもって膝は膝でそれを使って揺れ動き機内での姿勢保持も行うものの、三百六十デグ稼働する「レスト」と呼ばれる円盤状の操縦盤のようなものも当てがわれており、これも膝の角度、押し込み具合にて微細に操作する必要がある。なのでシートは普通に椅子に座るようなタイプの奴だと、ついつい操作にのめり込んでしまうあまり、操縦者が滑り落ちるということが多々あった。ゆえにこの到達点。これについては深淵ディイプ深淵ディイプなため、姐ちゃんには流石に分かろうこたぁねえだろうが。


 ふわぁ凄い機械油? のにおいですねぇ……でも悪くないかも、とかまた計算してんのかそうじゃねえか分からねえほどの自然な微笑を見せながら、地表面から高さ目測五mのコクピット位置までゆるりとリフトされた愛機の掌の上からフレームのこちら側へとこわごわと乗り移ってくるものの、片膝を操縦席の縁に降ろし、左腕を伸ばして頭上の安全把手につかまるその姿、姿勢ポーズは、背後からの人口の白い光も纏って何と言うか、神々しくさえも見えたわけで。


「……」


 思わずその華奢な肩に両腕を搦め回して抱き止めたくなっちまいそうな、そんなケツ穴を突き上げてくる強烈な衝動を抑え込むことに初めて成功した自分を自分で褒めてやりたくなったがそんな感情は無論のこと表には出さず、表面上は何気ない動作にて今まで自分が仮に軽く腰かけていた「盤」をガニ股で跨いで後方へと身体をずらしてやると、なるほどこの座席……一見奇抜ではありますけど、きっちり人間工学に即しているとも言えますね……との、またもこちらのどや感を煽るようなことを言い募るもんだから俺は一昨日くらいからできていた右頬裏の口内炎の核らへんを噛み締めることによって情動をいなす作業に没頭させられる。


「ていうか、え? ここに私が座っちゃってもいいんですか?」


 何だろう、驚きまじりの期待が込められた美麗な表情というものはこうまで人間の感情を揺さぶるものなのだろうか……動物性と思しき饐えた臭いあるいは金属性の鼻から大脳に抜けそうな刺激的な臭いしか充満していなかっただろうこの四畳半フォージョゥンハーフの操縦席に今ほのかに漂うのは、イメージ的には黄色っぽい小花が咲きこぼれているような、そんな爽やかでありながらどこか甘酸っぱいような芳香なのであって。機体の操縦以前に、てめえの肉体を懐柔することが出来るのかどうか不安だ。くそ、いざという時に役に立たないくせに、なぜこのような役に立ってはならぬ時に覚醒してしまう……ッ!?


――昂燃メモその7:説明しようッ!! まったく何でもない、例えば昼前のちょっとした会議終わりに椅子から立ち上がりかけた正にのその瞬間に机との隙間に引っかかるほどの誤った臨戦態勢に入ってしまい立つも座るもままならぬ往生をさせられるという静なる鉄火場状況へ落とし込まれること、ままあるものなのであるッ!!――


 どうぞどうぞ、と内壁にへばりつくようにして充分にスペースを広げてやりつつ、そのグレーのパンツスーツに覆われてもなお、すらとしつつも柔らかな美麗曲線を描く脚を軽く持ち上げて「盤」に跨ろうとする折には手を差し出してやる。流麗なるその仕草はまるでバスタブに浸かろうとする動きなんかを想起させてきやがり、そして軍手越しだが確かに伝わる柔らかさと熱。紳士然とした振る舞いを自らの理性に先ほどから鋭意強要しているものの、野性の方はその実、どこで破裂するか分からんほどに猛り狂わんばかりであって、まるで右脳と左脳を分かつ正中線で己の身体も真っ二つになっちまいそうな感覚に襲われつつある俺は、いつかの安全週間の時に視聴させられた痛ましい岩盤事故記録動画の容赦ない無修正絵面の逐一を走馬灯のように脳内に思い巡らせ波濤を収めようと四苦八苦するのだが。


「四肢と体幹のコントロールはこちらで逐一行うんで、ねえちゃ……アランチさんはその目の前の『威力棒桿ヴィーかん』でこの操縦席に当たる『頭部』の向きだけを担当してもらえると有難えーっす。じゃ、ぼちぼち行きますかね」


 何とかそのように、口調はままならないものの真っ当な言葉が紡ぎ出せたことに安堵しつつ、わぁ、やったぁ私も「操縦」できるんですねっ、という喜色に彩られたかのような弾んだ声に意識を持っていかれそうになりつつも、年月を経て渋く黒光りする全長約十八cmサンクルメトラァなる正面の操縦桿をその白魚のような細く長い両手指で包むようにして保持した彼女の両脇から俺は両腕を伸ばし、左右に二つずつある「操縦把」に両の薬指小指を引っ掛けるようにしてこちら側に軽く引き寄せつつ、捻りも加えて上半身のバランスを取っていく。と同時に何とか内壁の機器類にケツを引っ掛けられる場所を探り当てると、思い切り両脚を伸ばして「鐙」に爪先を通し、突き当たった両膝の操縦盤の角度をぐいと調整し、愛機を起動・稼働させていく。よし、何とかこの程度のゆるっとした挙動ならこんな体勢でも問題なく操れそうだぜ……


「そうそう……そいつぁ結構過敏に調整されてやすからねぇ……優しく、そう、下からゆっくりと包み上げるようにそして確実に絞り上げるように……お、おぅなかなか……そうそうそんな感じで……ん? 結構手慣れてませんかね? お、こいつぁすごい……いやぁ、いったいどこで教わったんです? こ、これぁなかなかの遣り手でございますな?」


 とか、姐ちゃんの繊細かつ精密な「桿」扱いに感心してその華奢な背中越しに称賛を述べると、そ、そんなことないですっ、と食い気味で否定される。ものの、つつがなく起動は済み、操縦席は命が吹き込まれた如くに計器の光やら機関が躍動する音、そして心地よい振動に包まれていく。この瞬間は何回経験しても心躍るものがある。


「……」


 まずは立ち上がる動作だ。が、こいつがいちばん難しい。片脚を曲げて胴体に引き付けつつ、逆の方の手を地面に付いて、やや斜め前方に向けて上体を跳ね上げさせる。と同時に両足裏を地面にしっかと貼り付け、腰・膝中心に下半身を総動員させ素早く安定を保って直立体勢へ。よし、問題は無い。……と思ったが、ん? 眼前の御仁……先ほどまであれほどはしゃぎつつも精密な「頭部操作」をしてくれていたんだが、今は不必要に下を向いたまま固まっちまってるぞ? 心なしか震えて見えるその両肩。ヘルメットの中に束ね入れられた金髪から垣間見えるなめらかな白いうなじも今は何となく赤く染まっても見える……いけねぇ、ヒトを乗せてんだ、一応気をつけてはいたが、てめえのいつもの感じで急制動しちまったから、もしやどっかぶつけちまったとかか……?


「だ、大丈……い、痛くねぇか?」


 泡食ってそう問いかけるが。


 刹那、だった……


「あ……違うんです、起動した時から結構な微振動が足裏から、えと、お、おなかの方まで響いてきちゃってて……でも、も、もう大丈夫です慣れましたから。だから……続けて……っ、くださ、い……っ」


 ゆっくりと振り返られた紅潮顔。軽く汗ばんでいるかのような質感の肌。眼鏡の奥の鳶色の瞳は潤みを帯びてただ俺を見つめ返してきているだけのように思えて。そして艶やかな唇から漏れる小声も何だか湿り気を帯びているようでもあり。天国のおふくろ、そして親父……


 何だか今日はいけそうな気がする――

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