第十二章 暗中飛躍
夜を待って、青年はサー・ロウェルの執務室を訪問した。
昼間に行われた戦闘の疲労を残した様子もなく、亜麻色の髪の騎士は自室で仕事をしていた。
立ち塞がった
その唯一の糸口がヴェンの手元にあるのだから、それも当然なのだが。
「よう、いま大丈夫か?」
「問題ない。何か用かね? 酒の誘いなら、断るが」
「あのな、俺のことをいつも遊んでる道楽者みたいに思ってるなら、そりゃ勘違いだぜ」
「失礼。真面目な用件だったか」
手にしていた書類を机上に置いて、サー・ロウェルはヴェンに視線をやった。片手で、相手に椅子に座るように暗に促す。
遠慮なく腰を下ろして、ヴェンは騎士と向かい合った。この青年には珍しく、話を切り出すのを僅かに躊躇するようにしながら口を開く。
「えっと……まあ、要はヒト型の
「聴こう」
迷うことなくサー・ロウェルは応じた。顔色ひとつ変えないところは流石だな、と相手に対する尊敬の気持ちを強めつつヴェンは本題に入る。
「憶えてるだろう? マセーラがガルストアに侵略される前、一緒に仕事をしたことがあった」
「ああ。貴公が出奔する以前の話でもあるな。とある魔導師の討伐に協力してもらった」
アトラフィス王国と旧マセーラ王国がまだ完全な同盟国であった頃の出来事である。マセーラに属しながら国の管理下を離れ、独自に魔術の研究を行おうとした人物がいた。
それ自体は問題ではない。無論、不必要に魔導技術を世に広めようとする輩であれば粛清の対象となるが、知識そのものを大して備えていない者であれば捨て置かれる。
問題は、その人物が《禁忌破りの魔導師》であったことだ。
「今回の事件……首謀者は、多分あの時に俺たちが逃がした男だ」
「……イゼア・タブラスカ。なるほど、あの男ならば
得心するように、サー・ロウェルはヴェンが告げた事実に頷いた。むしろ、なぜ今まで気付かなかったのかと自分の迂闊さに後悔している様子だった。
《禁忌破りの魔導師》イゼア・タブラスカ。ラブラ魔術の名門タブラスカ家の子弟として生まれながら、一族の中では愚鈍と蔑まれた人物だ。マセーラにおいては異端とされていた人工生命の研究に傾倒し、ある程度の成果を収めた魔導師でもある。
しかし、急進的な魔導技術の発達に関しては保守的だったマセーラでは実力を認められず、国によってほとんど幽閉される形で人生の半分を過ごす羽目になった。そうした長年の辛酸に報いるべく、大量の
だが、計画は瓦解した。早期に魔導師の企みを察知したサー・ロウェルや、同盟国の騎士であるサー・ヴェントスの行動によって
今から五年ほど以前の事件である。記憶の底から一連の事情を取り出しつつ、帝国の騎士は目の前の青年に尋ねた。
「どうしてヤツの仕業だと思った。確かに、あの老魔導師はラブラ魔術に秀でた人物だ。いや、それ以外にしか関心を抱けない破綻者と呼ぶべき男だったが。当時のマセーラを統治していた者たちも、ヤツが老齢ということもあって捨て置いたぐらいだった」
「そこは……パッと頭に思い付くことがあってね。直感に近いけど、間違ってはいないと思う」
「……そうか」
半信半疑の態度で、しかし青年が辿り着いた結論については異論がないように騎士は頷く。
「悪いな。少しだけ昔のことを思い出させる話になっちまって」
「先程から何度も言っているが、どういう意味だ。私は別に、不快に感じてなどいないが」
「いや……だってさ」
朴訥としたサー・ロウェルの反応に、ヴェンはいじらしくなってついに言ってしまった。
「実際どうなんだよ? あんたは、かつて《マセーラの一番槍》って呼ばれた男じゃねーか」
「ああ、そういうことか」
漸く青年の言いたい意味を理解して、しかし男は大して動じた風もなく言葉を紡いだ。
「その名は既に捨てたものだ。今の私は、帝国に属する一介の騎士に過ぎん」
「……そうかい」
少しだけ遣る瀬ない気持ちになって、ヴェンはかつて憧れた男を見る。
いや、昔の話ではない。今だって、目の前の騎士は自分にとっての──
それ以上は、考えても詮ないことだった。事実だけを鑑みれば、珍しい出来事でもない。敵国に敗れた兵士が、その傀儡となって働いている。生きるための術だと思えば、糾弾できる行動でもない。
それでも感情の整理を付けられぬまま、青年は脱線した話を元に戻す。
「で、どうする? あの爺が何を企んでるのか知らねぇが、放っておくわけには行かないだろ」
「当然だ。むしろヤツだと判ったことで、余計に捨て置くわけに行かなくなった。あの男の思想は危険過ぎる」
互いに同意して、ふたりの騎士は一致団結の思いで問題の解決に当たることにする。
数年前の出来事は、両者にとっても忘れがたい記憶であったのだ。
今後の方策について騎士と話し終えたヴェンが自分に宛がわれた部屋に戻ると、女騎士を前に畏縮している騎士見習いの少年の姿が待ち構えていた。
というか、部屋に匿っていた少女の存在が戦友であるスイゲツにバレていた。
「す……すみません、ヴェンさん。秘密にしろって言われていたのに」
「あー……いや、別に良いよ。大体の事情は察したし」
申し訳なく謝罪するフィウスに、ヴェンは構わないとばかりに言い含める。自分の師である騎士に逆らえ、と言う方が無茶なのだ。
「さて、説明していただこうか、サー・ヴェントス?」
「恐いって。悪かったよ、黙ってたのは」
他人行儀に詰問してくるスイゲツに、青年は苦い顔で応える。
「でも、何となくは解ってくれるだろ? 俺が、お前にも秘密にしたかった理由はさ」
「それは……まあ、確かにな」
部屋の一角に視線を向けて、女騎士は不承不承としつつも頷く。
ヴェンとフィウスのために用意された一室の隅には、今は三人目の入居者が居座っていた。
翡翠色の髪に、翡翠色の瞳。人形のように白い肌以外はすべて緑色に彩られた幼い少女が、何をするでもなく佇んでいる。
この部屋に連れ込まれてから意識を取り戻して今まで、ずっとそんな様子だった。自分から行動することはなく、ただ何かを待つように翡翠色の少女は存在している。
「……似ているな」
誰に、とまでは言葉にしないスイゲツに、けれどヴェンも同意する。
「だろ? 流石に、昼間にこの娘をお前らと引き合わせるわけには行かなかったんだよ。あいつとは、尚更な」
「この娘は……何なんだ?」
「まあ、
「……ヒト型の
「ああ。そいつについては、さっきサー・ロウェルと話してきた。ちょっとだけ因縁のある相手だったんでね」
言って、ヴェンは数年前に自分が参加した討伐戦について説明した。
「《禁忌破りの魔導師》……ヒト型に取り憑かれた男か」
青年が一部の情報を伏せたことには気付きつつも、最優先して考慮すべき事実についてスイゲツは思考する。
「それで、この娘をどうするつもりなんだ? ヴェン」
「どうするって……どうしようもないってのがホントのとこだぜ。こっちから質問しても答えてくれねーし、頭撫でたり頬っぺた
「お前……何をやっているんだ?」
呆れて、スイゲツは部屋の一角で微動だにしないままの少女に歩み寄った。
「質問に答えろ。お前を造った魔導師は、今どこにいる?」
「…………」
「庇い立てするつもりなら、あの男と違って私は容赦しない。今の内に話した方が身のためだ」
「…………」
「…………おい。どうなっているんだ、この娘は?」
何の反応も返さない少女に、女騎士はヴェンに振り返って尋ねた。
「いや、だから言っただろ。こっちからどんなにアプローチかけても、反応してくれないって」
「むう……お前の手緩さに甘んじているだけだと思ったんだが」
「おーい、誰が甘やかしてるって?」
「猫可愛がりしてる時点で、言い逃れはできまい。何なんだ、撫でたり抓ったりというのは?」
「いや、まあ……それ以上、どうしろってんだよ?」
「それは……そうだな」
まだ幼いといえる少女の姿を前に、スイゲツもまた扱いに困り兼ねていた。場所を移して自分の従騎士がいないところで厳しく尋問することも考えたが、そもそも少女の存在を隠匿しているのだから目立つ行動はできない。
結局のところ、八方塞がりだった。
「まあ、仕様がないだろ。とりあえず、何か食べさせてやらないとな」
気を取り直して、ヴェンは用意しておいた食物を少女に与えることにした。
材料を揃え、自分で調理した手作りの蜂蜜菓子である。
「…………あの、本当に作ったんですか?」
「うるせー。ちょっと暇だったから、ここの厨房を借りただけだ。他に意味なんてねぇぞ」
「はあ……」
ぞんざいに返事する先輩騎士に、後輩のフィウスもそれ以上は何も言えなかった。
見たところの菓子の出来が良いだけに、英雄の残念な感じが増しただけだった。街での会話を知らないスイゲツだけが、奇妙そうに戦友と蜂蜜菓子の組み合わせを眺めている。
「ほら、甘い食べ物だ。
「…………」
無言で、少女は青年の手の中にある黄金色の塊を見た。初めての反応に、「お?」と部屋にいる全員が様子を見守る。
次の瞬間には、ヴェンの指ごと噛みつく勢いで少女は焼き菓子を口に含んでいた。
「危ねぇ……! スゲェ食い付きっぷりだな、おい!」
相手の怪力ぶりを知っている青年は、慌てて後ろに飛び跳ねて少女の白い歯を躱していた。
モグモグと無表情の淡々とした態度のまま、それでも口の中の蜂蜜菓子を堪能するように少女は咀嚼している。どうやら、気に入ったようだ。
「……甘いもんが好きなところは、やっぱり似てるんだな」
表情を変えずにお菓子を頬張っている少女を前に、ヴェンはそんな感想を漏らした。
月明かりに照らすように、古い一冊の物語を繙く。
師匠の庵で内容も判らず最初の一冊を開いた時とは異なる、期待に満ちた昂揚感がフェイラの中にあった。
一ページ目で、すぐさま心を奪われた。やはり、この物語は面白い。古びた書面を捲る動作を早めたい衝動に駆られつつ、自制してゆっくりと文章に目を通す。
その時、部屋の扉を控え目に叩くノックの音で、不意に物語の世界から現実に呼び戻された。
「夜分に失礼します。ロウェル・デヴァイスでありますが、フェイラどのはご在室でしょうか?」
「あ……」
夢心地から覚めた気持ちが、異なる感情で一気に塗り替えられる。物語の中の騎士ではなく、現実に存在する気高い騎士の訪問によってだ。
「は、はい。いま部屋にいるのは、わたしだけです」
「む……それは本当に失礼いたしました。火急の用件でもありませんし、日を改めましょう」
扉越しのフェイラの返答に、サー・ロウェルは粛々と謝罪する。夜遅くに婦人の部屋を訪れるだけでも礼儀に反するというのに、それが少女ひとりだけとなると、騎士の風上にも置けないと言われても反論できない。
姿を見せることもなく立ち去ろうとする男を、フェイラは慌てて引き留めた。扉を開けて、その背中に声をかける。
「だ、大丈夫です。デイム・スイゲツならすぐお戻りになると思いますし、わたしも本を読んでいただけですので……」
「そうですか。申し訳ありません、
躊躇うことなく頭を下げて、礼儀を尽くした態度でサー・ロウェルは少女に詫びる。
「い、いえ、そんなことは……どうぞ、中に」
「ここで結構です。淑女の部屋に立ち入るなど男としても騎士としても許されるものではない」
言って、サー・ロウェルは扉のすぐ前に立つだけにとどめた。それでも部屋の中の様子だけは見えて、窓際の机の上に置かれた一冊の本を彼は目敏く捉えていた。
「…………驚きました。ルネード物語ですね」
「え……あ、はい。ご存じなのですか?」
表紙を見ただけで物語の名を言い当てた騎士に、フェイラは驚いて尋ねる。
同時に、あの本を購入した時に青年が発禁になったものだと言っていたのを思い出す。
もしかしたら、自分は間違いを犯してしまったのかもしれない。相手はガルストアの騎士団に所属する人物である。規制された書物を見逃す理由はないはずだ。
しかし、ロウェルは懐かしいものを見たように机上の物語に対して目を細めるだけだった。
「本当に驚きました。私もあの話は子どもの頃から好きで、全巻揃えていたものですから」
「え……」
今度こそ心の底から驚いて、少女は目の前の騎士に尋ねていた。
「ほ、本当ですか!? 一作目から、完結編まで!?」
「ええ……発売禁止となる前に購入していたものですので、公には持っているとは言えませんが。書斎の見えないところに隠すようにして所蔵しています」
唐突に目を輝かせて話し始めたフェイラの様子に戸惑いつつ、騎士は答える。
その反応に、少女は慌てて自分を落ち着かせた。また悪い癖が出てしまった。自分が好きな話題となると、どうしても感情の起伏を抑え切れない。
俯きがちにシュンと落ち込んでしまった彼女に、今度は騎士が質問する。
「あの本は、どこで手に入れられたのですか? 一見したところ、古書のようですが」
「あ……街に出た時に、買ってもらったものです。一篇目を読んだだけで、続編があるとは知らなくて……わたしが物欲しそうにしていたら、あの男が《ひと》」
「…………なるほど」
何かを考えるようにして、サー・ロウェルは少女と卓上の物語を見比べた。
「宜しければ、私が所有しているものをお貸ししましょうか?」
「え……そんな……いえ、でも本当に……?」
信じられない気持ちで、フェイラは尋ねる。遠慮するみたいにして上目遣いに自分を見る少女に、男は寛容に頷いた。
「ええ、無論ですとも。どうやら、あの叢書の熱心な愛好者でいられるようだ。私が持っているもので良いのであれば、どうぞ好きにお読みください」
「あ……ありがとうございます!」
元気よく礼を言うフェイラに、騎士は微笑みを浮かべた。
そこで、目の前の少女に用があって部屋を訪問したことを彼は思い出した。
「ああ、失礼。それはともかく、私の話を済ませてしまいましょう。夜も遅いし、あなたも続きを早く読みたいはずでしょうから」
「あ、すみません」
「いえ、こんな時間に訪問した私の方が無礼なのです。ですが、これも騎士の務めのひとつ。ご協力いただけますか?」
「はい、もちろんです! わたしは、何をすれば良いのでしょう?」
騎士の役に立てることが嬉しく、フェイラは燥いた様子で質問する。
それに、サー・ロウェルは青年から受け取った情報を元に考えた策戦を告げた。
「あなたは
「いえ、そんな……わたしは、師匠の《マスター》知識を受け継いでいるだけです」
「それも立派なあなたの実力です。そこで提案なのですが、ヒト型の
「はい。武器と装甲の追加ですね」
「相手は、こちらの戦力に臨機応変に対応している。昼間の一戦で、さらに改良される懸念があります。あなたには、次に
「……なるほど」
納得して、フェイラはすぐさま頭の中の情報を総動員する。
問題はなかった。彼女の師匠は、ラブラ魔術についても豊富な知識を持ち合わせていた。それをひとつ残さず継承した弟子である少女にも、師と同じことが可能なのだ。
ラブラ魔術に限定する必要はない。自分の中のあらゆる魔導技術に関する叡智を働かせて、フェイラ・ミュステリウムは予想される
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