第十一章 討伐
ヒト型の
相手の不意を万全に打つには夜襲が最善なのだが、夜というのは得てして魔導師の世界である。敵の軍勢が不明であり混戦が予想される以上、同士討ちを防ぐためにもこうする他にない。
マセーラ中心部ゼルトの郊外、旧市街より近い岩山の麓において、ヴェン達は魔導師の工房と思われる洞穴の様子を窺っていた。
とはいえ、基本的に部外者扱いであるヴェンは戦闘に加わる予定はない。
「……それにしても、あいつを連れてくる必要はあったのか?」
少し離れた岩陰に待機させた少女の様子を見ながら、同時に洞穴を監視しつつ青年は隣に立つサー・ロウェルに尋ねた。
ヴェンと違い、直接この討伐戦に参加する亜麻色の髪の騎士は、既に完全武装の状態だった。兜の前面だけを展開した状態で、燻し銀の甲冑に身を包んだ男は流し目を青年に送る。
「不服かね。マセーラまで彼女を同行させたのは、貴公と聞いているが」
「いや、そりゃあそうだけどさ……でも、戦場にまで」
「こうした場に立ち会わせたくないと言うのなら、そもそも貴公は彼女を連れてくるべきではなかったのだ。中途半端に関わらせるだけのつもりなら、最初からそうべきではない」
「…………ああ。そうだな」
騎士の正論に、ヴェンは不承不承としつつも納得する。
「サー・ロウェル、私とあなたの従騎士にはフェイラどのの護衛を命じさせました。これで、こちらの準備は完了と思われます」
銀色の騎士と同じく、自らの
一見すれば、ロウェル・デヴァイスの鎧よりもさらに異色の戦装束だった。本式の
水色に近い浅葱色に彩られた装甲で全身を覆った彼女は、腰に備えた片刃の剣に手を添えながら戦友に言葉をかける。
「ヴェン、お前も下がれ。あの娘には、まだ自分の正体を知らせたくないんだろう?」
「ああ、悪いスイゲツ。でも、万が一ヤバそうになった時は俺も」
言いかけた青年の眼前に手をあげて、スイゲツは相手を制した。
「甘く見てもらっては困る。この数年、宛もなく旅をしていたお前と違い、私は一日たりとも修練を欠かすことはなかったのだからな」
「言ってくれるね、お前の方こそ」
「事実だ。それに、今の発言は私よりロウェル卿に対する失礼だ。この御方の力は、お前の方が知っているはずだろう」
「……そうだったな」
確かに、二重の意味で失言だった。すまなかった、と素直にふたりに対して謝罪して、ヴェンは早足でフェイラとふたりの従騎士が待つ場所まで向かった。
「……大丈夫なのですか? サー・ロウェルとデイム・スイゲツのお二方だけで……」
緑色のフードで表情を隠した少女が、それでも不安を隠せぬ様子で青年に尋ねる。
「……はは」
「な、何を笑っているんですか? わたし、そんなにおかしなこと言ったつもりはありません!」
「いや、悪い。俺と同じ余計な心配をお前もしてるもんだから、面白くなっちまってな」
詫びて、ヴェンはふたりの騎士の背中に青色の瞳を向ける。
「まあ見てろ。俺らが知ってるあのふたりは、メチャクチャ強いぞ」
誇るような言葉は、ともに戦ったことのある者だけに許された揺るぎない真実だった。
底も知れない暗闇の中から、無数の人影が湧いて出た。
ふたりの騎士が工房と予想された洞穴に近付くと、彼らを迎い撃つべく数え切れぬほどの
「やはり、ここが製造場所で間違いなかったようですね」
歩みつつ、スイゲツは隣に立つサー・ロウェルに言う。
「そのようだ。探索専門の魔導師らに協力を仰いだのだが、正解だった」
「数秘術、でしたか。アトラフィスにはない魔術ですが、見事な精度です」
「ああ。マセーラがかつて誇った魔導技術のひとつだ」
歩みを止めず、迫り来る
だが、それもここまでだ。もう十数秒も経過すれば、敵の武装の範囲に踏み込む。
「では、私が先陣を切る。デイム・スイゲツ。貴公には、逃走するものや私が討ち損じた魔導人形の後始末を願いたい」
「はい。承知しました」
ともすれば相手を軽んじたとも思える申し出に、しかし女騎士は不満もなく首肯した。
相手の真摯な態度に、サー・ロウェルの方が恐縮して謝罪の言葉を口にする。
「すまない。この役目だけは、誰にも譲るつもりはないのだ」
「いえ。《一番槍》と讃えられたあなたの功名は、アトラフィスにおいても名高いものです」
「……そうか」
「僭越ながら、私からもご提案があります。あの数を前に混戦は必死です。どうか、私の刃圏には踏み入ることがないようにお気を付けください」
一歩間違えれば無礼と受け取られかねない発言に、帝国の騎士はやはり粛々と頷いた。
「貴公の忠告に感謝する。アトラフィスの騎士を侮れば痛手を被ることぐらい、私程度の者でも聞き及んでいる」
「ご謙遜を……」
話しかけて、スイゲツは口を閉じる。いま自分が言いかけた内容こそ、相手への侮辱だった。
亜麻色の髪の騎士は、右手に携えた
同時に、ふたりの騎士が被る兜が展開し顔面を覆い、完全なる臨戦態勢へと移行する。
「では……ガルストア帝国騎士団がひとり、ロウェル・デヴァイス。
風の
名乗りをあげ、騎士は無数のヒト型に向けて踏み込んだ。背中に羽織ったマントが大きく靡き、空気を纏って敵の中に飛び込む。
先頭を走っていた一体の
だが、強力な突撃は同時にサー・ロウェルを敵陣の中心近くにまで誘っていた。一〇体ほどのヒト型を貫徹した後に停止する騎士に、周囲の
「フンッ……!」
一喝し、サー・ロウェルは長大な槍の穂先をその場で一周させた。己の肉体を軸とし、瞬間的に高速で回転させて風を巻き起こす。
竜巻のような空気の流れが発生し、周りの
複数の爆発が石製の怪物たちの中で起きる。だが、一帯を薙ぎ払い己の周囲を空白地帯としたサー・ロウェルに及ぶ被害はひとつとしてない。
さらに一度、騎士は前方に
最初の攻撃から見て、敵陣に対して横一列に真っ直ぐ猛進する。騎士の前に立ち塞がる魔導人形は、ことごとく槍の餌食となって打ち砕かれた。
しかし、彼ひとりで全滅させることができるほどに
獣じみた速度で、それでいて武芸に通じた達人の動きで武器を構えて迫る敵を前に、女騎士は鞘に収めたままの刀身の柄を握る。
「アトラフィス王国騎士団が戦士、スイゲツ・カグラ。
宣言し、言葉の通り一息に鞘から刃を抜き放つ。目にも留まらぬ早業で、左腰から右背後まで片刃の鋼を一閃させた。
極薄で反りの深い形状の刀身が、空気を断ち裂く。通常の刀剣と比べれば、まるで紙のように華奢な印象だ。
だからこそ、その太刀筋は神速の領域にすら至る。
しかし、なぜか早過ぎる。相対する先頭の
否、
ぐらり、とバランスを失った鉱物の身体が前のめりに崩れ落ちた。腹から背中までを両断された
六体のヒト型が女騎士の刃圏にまで這入っていた。魔力核を斬り裂かれたヒト型たちは、刻まれた術式に従い自壊機能を起動させる。
後方を走っていた個体らが制動をかけるが、その動作こそ遅過ぎた。
一列に巻き起こる爆発。スイゲツの前方で彼女を守る壁のように発生した炎は、本来は味方である同胞たちを容赦なく呑み込んだ。
だが、その程度で自動人形の本能は失われない。爆風を浴びながらも破壊されるまでには至らなかった
「…………」
無言で、スイゲツは再び刀身を鞘へと直した。自分の方から斬りかかるつもりは露ほどもなく、飽くまで敵を迎撃する形で応じる。
敵は先程よりも接近してきていた。迎え撃つのが遅過ぎれば、女騎士の肉体もまた自爆に巻き込まれる。
だが片刃の範囲にはやはり遠い。それでも、女騎士は柄を握る手に力を込め、
「────」
一瞬にも満たぬ神速の域で刀身を抜き出す。
炎の光を受けて、微かに線のようなものがスイゲツと
次の瞬間には、線が撫でた通りに石製の身体が装甲ごと断ち切られていた。綺麗な切断面を晒しながら、一刀両断された
一度目の再現だった。続く爆風に呑まれ、再度ヒト型の群れは数を減らす。
そして、もう一度スイゲツは鞘に片刃を納刀する。先端から僅かに水滴を垂らした刀身を、異変に思うこともなく構える。
何度繰り返すことになろうとも問題なかった。魔導技術の粋たる《水刃》をもって、届かぬはずの剣を届かせるのみ。
迫るヒト型の群れを前に、女騎士は三度目の斬撃を撃ち放った。
「おうおう、派手にやってるなー」
岩陰からその光景を眺めながら、ヴェンは見慣れた風に呑気な感想を漏らした。
だが、他の三人はそれどころではなかった。少女と騎士見習いの少年ふたりは、地面を伝わって襲ってくる爆発の衝撃に足元すら覚束ない状態だ。
騎士となるべく訓練を受けている従騎士たちはまだ何とか耐えているが、元から活発に運動する習慣のないフェイラは這々の体勢に近い。
「きゃっ……!?」
「っと、気を付けろ。転んで頭でも打っちまったら大変だ」
硬い岩場に倒れ込もうとした少女の体を、瞬時にヴェンが支え直す。
「あ……ありがとうございます」
「おう。まあ、しばらくはこの姿勢のままが良いだろうな。放した途端にまた倒れちまうのもバカらしいし、居心地は悪いかもしれないが我慢してくれ」
「い、いえ……」
思いも寄らず親切なヴェンの態度に、戸惑うようにフェイラは言う。
考えてみれば、こういう状況は今まで何度かあった。常に何気なく、この青年は自分のことを気遣ってくれていた。
師匠との約束事だからといえばそこまでだが、そうした面倒見の良さも含めて本人の性格なのだろう。意外な気持ちで、彼女はフード越しにヴェンの横顔を見上げる。
飄々とした言葉とは裏腹に、戦場を見る青年の表情は真剣だった。ふたりの騎士の戦い振りを見守りつつ、戦場を隈なく眺望して異変の兆候はないかと観察を続けている。
今まで見たことがなかったその一面に、少しだけドキリとしてしまった。その感情の正体を確かめる術もないまま、フェイラは青年の横顔を眺める。
その時、前方の光景を窺っていたヴェンの碧眼が不意に細められた。未だ
「フィウス、この娘を頼めるか」
「え、あ、はい。でも、ヴェンさんは……」
「ちょい野暮用。怪我させたらタダじゃおかないから、気を付けろ」
「は、はい!」
初めて聞いた青年の固い口調に、従騎士の少年は思わず返事をしていた。少女の護衛を騎士見習い達に任せて、ヴェンは戦場を迂回するように岩陰の反対側へと向かう。
そこに見えた土色の人影の正体を確かめるべく、足を速める。
数分をかけて、青年は岩山の一角へと辿り着いた。走りつつ、周囲に視線を巡らせる。
先ほど目撃した人影は、洞穴に背を向けるように移動していた。だとすれば
いずれにせよ、手掛かりには違いない。素早く周りを見ていたヴェンの瞳が、周辺に散乱した岩の合間を動く土色の外套を捉える。
「──見付けた」
方角を見定め、速力を追跡のそれへと切り替える。だが人影の移動速度の方が、ヴェンが走るのよりも速い。
「チッ……!」
舌を打ち、ヴェンは体に装着した武装に魔力を巡らせた。極薄の装甲が直ちに彼の全身を覆い、白銀と琥珀色の騎士へと変貌した青年は強化された身体能力をもって人影を追う。
逃がすわけには行かない。
一歩目で頭上へと大きく跳躍し、二歩目で巨石を足場に蹴って人影に追い縋る。
「よう。悪いが、停まってくれ」
「──、……」
突如として現れた追跡者に、人影はその場で立ち止った。外套に備え付けられたフードは頭をすっぽりと覆い、表情は見えない。
「誰だい、あんた? 見たところ普通の動きじゃないし、やっぱ
「…………」
騎士の言葉には答えず、人影は背負っていた荷物のひとつを紐解いた。布が巻き付けられていた長い棒のような中身を、外気に晒す。
「…………おいおい。なんて言うか、どいつもこいつも好きだな。
人影が構えた長柄の武器に、ヴェンは呆れたように呟く。同時に細身の刀身を持つ諸刃の剣を抜き、両手に執る。
そして、状況を瞬時に判断する。敵は、恐らく
周囲の環境は、二度目の戦闘時とほぼ同じだ。周りを岩石に囲まれているという点が異なるが、長槍を振るうのに不便はないだろう。
己の武器を互いに構え、騎士と人影は静かに対峙する。
直後、金属の打ち合う甲高い音が岩の合間に響いた。突き出された槍の切っ先を刀身で横合いに弾き、ヴェンは瞬時に相手の懐へと飛び込む。
槍の短所は、そのリーチの長さと比例した隙の大きさだ。刺突を凌いで穂先の内側へと踏み込めば、敵はこちらに刃を加える手段がない。
だが、人影は尋常ではない手練れだった。弾かれた槍の勢いを殺さず、そのまま小柄な身体を
「ッ……!」
衝撃に、ヴェンは槍の範囲外へと一旦下がる。痺れるような痛みが残る左腕の感触を確かめながら、対峙する敵を正面から見据えた。
(……やるな、こいつ)
素直に相手の実力を評価する。一撃を受けた
一発ぐらいなら受けてそのまま反撃する覚悟だったが、考えを改める。乾坤一擲で勝利を得られるほど、目の前の敵は甘い相手ではない。
ヴェンの思考を遮るように、槍の切っ先が眼前に迫る。後方に跳ぶと同時に斬り払い、青年は即座に行動を決定した。様子見をしながら考える余裕を与えてくれる敵でもない。
直感に従い、白銀の騎士は両手に握った剣を頭上へと放り投げた。
「──、──」
人影の視線が、宙に舞った刀身を追う。
瞬間、ヴェンは相手の懐へと再び踏み込んだ。
片手で槍の穂を掴み取り、動きを封じてもう片方の拳を握り込む。
直後に放たれた一撃は、見事に人影の胸元へと打ち込まれていた。
「あっ……!?」
だが、驚愕は攻撃をした騎士のものだった。腕を伝わってきた明らかに無機物とは異なる感触に、思わず拳を途中で止めてしまう。
それでも衝撃は残り、人影は後ろへと吹き飛んだ。ダメージを受けつつも、しかし戦闘には支障ない様子で体勢を立て直し、敵は再び槍を構える。
「……ちょっとタンマ。考える時間をくれねーか?」
「…………」
馬鹿げたヴェンの発言に、けれど人影もまた拍子抜けするように動きを停める。ただ、混乱しているだけの騎士と違い、人影は単にいま自分を受けた攻撃について考慮してみたかっただけだった。
まさか、あんな風にする戦い方があったとは。自分の身体に刻み込まれた戦法とは、似ても似つかぬ奔放な技術だった。
「…………」
無言のまま、土色の外套は周囲に視線をやる。
今の自分になら、これまでと違うことができそうだった。
そう思って、
「…………あ?」
「…………」
未だ困惑から抜け切れていないヴェンは、その光景に呆けた声を漏らした。人影は敵の様子などお構いなしに、刺さったままの岩ごと長槍を背後に持ち上げ、
思いっ切りフルスイングで、目標に向かって巨石を投擲した。
「ちょっ……!」
質量武器と化した塊に、騎士は咄嗟に身を捩る。白銀の装甲と鋭利な岩の先端が接触し、甲冑の一部を掠め取りながら投擲物はヴェンの背後へと飛んでいった。
「ふざけんな! いきなりトンデモナイことやらかしてんじゃねーよ!」
「…………」
『お前が言うな』とでも告げたそうに沈黙したまま、人影は抗議の声をあげた騎士を見詰める。
「ああもう、解った! 考えんのは後だ! とりあえず、あんたには大人しくなってもらう!」
面倒臭くなって、ヴェンはその辺の岩場に落ちて刺さったままだった剣を乱暴に引き抜いた。両手に握り、けれど殺気は一切こめずに細身の刀身を相手に向ける。
感情の切り替えは、それこそ一瞬だった。
雑念も逡巡もなく、ヴェントス・パウは己が纏う
青年の姿が消えた、とそれは錯覚してしまった。琥珀色の残光だけが僅かに視界の隅に映り込むも、そう知覚した瞬間には意識を刈り取られている。
刹那の内に人影の背後へと回り込んだ白銀の騎士は、気付けば一撃で相手を昏倒させていた。
「────ぅ」
微かに呻き声をあげて、土色の外套は地面に崩れ落ちた。
その様子を見下ろしながら、ヴェンは瞬間的に限界を超えた電の
一瞬とはいえ甲冑を駆け巡った膨大な魔力を許容し切れず、火花どころか
「さて……と」
生身となった体を外気に慣らしながら、彼は身を屈ませた。人影を覆ったままの外套を剥がして、その中身を確認する。
まだ幼い、翡翠色の髪をした少女だった。
青年が知る魔導師の弟子と同じ、新緑よりも鮮やかな髪の色。見た目の年齢は、一〇の齢にも届いていないような未成熟なもの。けれど、瞳を閉じて眠る様子は、ヴェンがよく知る少女の姿にとても似ていた。
「…………チッ。そういうことか」
すべてを理解して、青年は呟いた。
この少女とヒト型の
自分は、それが誰かを間違いなく知っている。
面白くもない結論に、ヴェントス・パウは溜息を漏らす他なかった。
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