第九章 追憶

 その姿を、その言葉を、今でも彼は憶えている。

 忘れるはずもない。彼が彼である所以ゆえん、ヴェントス・パウが騎士であり続ける理由を、忘れられるわけがない。

 戦場だった。青年は、まだ騎士ですらない少年だった。

 ただ憧れだけを理由に、平民の出身でありながら騎士を志した幼き少年が、かつての彼だ。

 苦労はあった。民主化が推し進められていたとはいえ、新興国であるアトラフィス王国においても騎士は未だ貴族や荘園領主が担う職種だった。騎士見習いが集う士官学校においても、出生を理由にした偏見は払拭されてはいなかった。

 それはどうでも良かった。少年はただ騎士になりたいだけであり、その途中にどんな障害があろうと苦とも思わず進む覚悟があった。

 幸運なことに、少年にはそのための素養が備わっていた。騎士の証たる魔導鎧ブリガンダインを動かすために必要な、人並み外れた魔力──それもアトラフィス史上においても類を見ない膨大な生命力を、彼は己の肉体に秘めていたのだ。

 けれど、彼はまだ現実を知らなかった。戦場における騎士の役割、兵士としての宿命を。

 隣国との折衝。従騎士のひとりとして遣わされた戦場で、少年は騎士の世界げんじつを知った。

 華々しく、現代の騎士の象徴とされる魔導鎧ブリガンダインは戦においては強力な兵器であり。

 魔術によって造り出された甲冑を纏う騎士は、正式には〈魔導兵〉と呼称される戦力のひとつに過ぎなかった。

 根本的な部分では魔導人形ゴーレムと何も変わらない、魔導技術によって強大な力を与えられただけの戦士でしかなかったのだ。

 少年が夢見た理想も、騎士という偶像も戦場では存在を許されず。

 惨たらしい〝死〟の光景だけが、彼の前に残された。

「…………ぁ」

 現実を目の当たりにして、少年は言葉もなく立ち尽くすしかなかった。埋めようもない胸の空洞だけが、彼の中にあった。

「どうした。何を呆然としているのだ、少年」

 そんな彼に、声をかける男がいた。アトラフィス王国騎士団の兵士ではない。戦場で立ち尽くす無辜な子どもを見兼ねた、他国の騎士だった。

「…………知らなかったんだ」

 尋ねられ、彼は辛うじて言葉を紡いだ。

「知らなかった。解ってなかった。騎士がどういう存在なのか、現実が本当はどんななのか、俺は、何も……!」

「…………」

 剥き出しの感情を言葉にする少年に、騎士は無言だった。

 馬鹿にされると思った。ただ憧れるだけで本当の意味で理解しようとしていなかった愚かな子どもだと、馬鹿にされるだけだと思った。

 けれど、次の瞬間に騎士が発した言葉に、嘲りの感情は露ほどもなかった。

「この光景が耐えがたいのなら、なおのこと君は騎士になるべきだ」

「……え?」

 意味が解らない。何を思って、この人は慰めの言葉などを自分にかけるのだろう。

「なんで……俺はただの、憧れていただけの馬鹿なガキなのに……」

「君は純粋だ。純粋に、騎士という理想に憧れた」

 それがどれだけ稀少なことであるかを、男は知っていたのだろう。

 先を行く者として。少年よりも遥かに早く現実を理解した、ひとりの人間として。

「戦友の死体を前に眉ひとつ動かさぬ者になど、騎士の資格はない」

「…………」

 胸の中の空虚が、少しずつ埋まっていくようだった。男の言葉を一言たりとも聞き逃さぬようにと、少年は必死に耳を傾け、問いかける。

「でも……どうすれば? 俺は、もう……」

「何故に君は騎士を目指した? 理想ばかりが待ち受けていると信じていたわけではあるまい」

「……俺は」

 助けられた。村を襲った盗賊から、ひとりの騎士に命を救われた。

 だから憧れた。何があっても騎士になると、あの時に固く心に誓ったはずだった。

 見失っていた理想が、少年の中に蘇る。それを見届けると、男は何事もなかったようにその場を立ち去った。

 最後に、彼ただひとりに宛てた言葉を残して。

「悩め、少年。己が進む道筋の先にしか、解答は存在しない」

 だから生きろ、と。生きて悩み続けろ、と騎士は言い残したのだ。

 これが、青年にとっての忘れがたい、ありし日の記憶だ。

 成長した少年が騎士となり、さらには《アトラフィスの英雄》と呼ばれるようになるよりも以前、今より一〇年前の出来事である。






 乱雑に伸びた髪を切り揃える。無精に生やした髭を剃り上げる。

 そうすれば、鏡に映る姿はかつての自分そのものだった。

 艶のある金髪、澄んだ青い瞳、童顔の残った少年のような顔付き。

 身に積もった汚れは完全に取り払われ、衣服も新しく見繕ったものに着替え直した。目の前の姿見に反射して映っている男の虚像に、不潔さや無精さは微塵も感じられない。

「……もうちょっと切った方が、前髪は格好がつくか?」

 そんな自分の姿を前に、ヴェンは手探りで再びハサミを使おうとする。この青年にしては珍しく、随分と身支度の仕上がりを気にしているようだった。

 切り過ぎないように、そろそろと鏡を見ながらハサミを前髪に近付ける。

「…………どういう風の吹き回しだ」

「うおッ……!?」

 不意に声をかけられ、驚いて手元が大きく狂った。あわや毛根から切断する勢いで閉じられた刃が、バッサリと金色の髪を切り落とす。

「……ビックリしたぁ……驚かせんなよ、スイゲツ」

 前髪の異常には気付かないまま、青年は部屋の扉のすぐ近くに立っている黒髪の人物に非難した。軍服姿の女騎士は、やはり怪訝そうな顔をしながら彼を見ている。

「マセーラに到着した次の日に、思い付いたように身形を気にしに始める。……こちらの方が驚かされる」

「いや、まあ……これぐらいは、男の嗜みというか」

 今更な発言に、スイゲツは呆れたように肩を竦めた。

「分かりやす過ぎるぞ。嗜みというよりは意地だろう、お前の場合」

「……何のことだよ」

「ハッキリ言ってしまっていいのか? 直接的でないとはいえ自分に憧れていた女の子が、違う騎士に心を奪われているのを見ては男として面白くない、と」

「ぐ……」

 図星を指されて、ヴェンは言葉に詰まった。けれどすぐに立ち直り、戦友に対して尋ねる。

「……どうだ、今の俺? やっぱり前髪はもう少し切った方が……うん?」

 そこで、漸く彼は気付いた。足元に、そこまで切った覚えのない髪の塊が落ちていることに。

「げぇっ……!? 髪! 俺のブロンドの髪がぁ……!!」

 大騒ぎする青年を見ながら、格好も何もあったものではないな、と女騎士はやはり呆れる。

「安心しろ。別に変な髪型にはなっていない」

「マジで!? え、嘘だろ、もしかして襟首あたりとかの方が切り過ぎちゃってる!?」

「……そこも普通だ。お前ぐらいの童顔なら、それぐらい額を見せた方が格好はいい」

「あ、なるほど。なら、このままでオッケーなわけだな?」

「うん、まあ……悪くはないよ」

 オロオロしていて、子どもみたいに可愛らしいところが少し癇に障った。そんな内心の感想を表情には出さないまま、スイゲツは本題に切り出す。

「支度が整ったのなら、付き合ってくれ。ロウェル卿が、私たちに詳しい話を訊きたいそうだ」

「あー……あいつは?」

「先に行っている。これ以上負けたくないなら、急ぐことだな」

「ん、わかった。…………本当に、このままで大丈夫なんだよな?」

「…………」

 自信なさげな時点で勝敗は決しているな、と。

 情けない様子の戦友を前に、黒髪の女騎士は思うのだった。






 言明の場では、既に三人の人物が待っていた。

 上座に陣取り豪奢なデザインの椅子に座っているのは、ガルストア帝国騎士団の軍服にはち切れんばかりの巨体を収めた壮年の男。実質的なマセーラの統治を一任されているというその人物は、部屋に入ったヴェンとスイゲツに胡散臭そうな視線を投げて寄越した。

 もうひとりは、フェイラ・ミュステリウム。緑色のローブに付いたフードで表情を隠しているが、用意された椅子のひとつに座っている様子は思ったよりも落ち着いている。

 理由は、尋ねずとも簡単に分かった。フードの下にある琥珀色の瞳は、ヴェン達が部屋に入る前からずっと、壮年の男の背後に立つ亜麻色の髪の騎士に向けられていたのだから。

 サー・ロウェル・デヴァイス。肥満体な上官とは対照的な、線の細い印象の男だった。

 だが、同じく身に着けた帝国騎士団の制服の下にある肉体は、骨の芯まで鍛え抜かれた屈強さを備えているのがそれと判る。戦士として長い歳月をかけて洗練された立ち振る舞いが、気高さとなって男の美丈夫さに拍車をかけていた。

「さて、アトラフィス王国騎士団の……デイム・スイゲツと言ったかな?」

 揃った人数に、背後に美貌の騎士を従えた壮年の男が、横柄な口調で話を切り出した。

「はい。お初にお目にかかります、ロバート卿。スイゲツ・カグラと申します」

「……ふん。女の騎士など。成り上がりの国が考えることは度し難いな」

 蔑みの感情を隠し立てすることもなく、サー・ロバートはスイゲツに向けて言い放った。対して、言われた本人は慣れているのか涼しい表情だ。

 平然とした態度が面白くなかったのだろう。男は苛立った様子でさらに続けた。

「それで? 女であり、さらに東方の大陸の出身だったかな? いや本当に変わり種のようだ」

「相変わらず、お堅いねぇガルストアの騎士さんは」

 黙って聞いていた青年が、そこで口を挟んだ。それで初めてその存在に気付いたように、壮年の騎士はヴェンに視線を向けた。

「ふむ。君は……流浪の旅人だったか?」

「はい。まあ、暇に飽かしてあちこち旅して回ってる身分ですね」

「……はてさて。君がここにいる理由が分からんな。こちらの騎士はまだ良いとしよう。しかし貴族どころか騎士ですらない君が、なぜこんな場所に……?」

 ジロリ、とロバートは青年を睨め付ける。最初の発言が良くなかったに違いない。その顔にはもう、ヴェンに対する立腹の感情しかなかった。

 それを諌めるように、亜麻色の髪の騎士が発言した。

「ロバート卿。彼は、噂の〝怪物〟と最初に遭遇したとのことです。目撃者の証言を得るのは、問題を解決するためには必要不可欠かと」

「……貴公は黙っていたまえ、サー・ロウェル。この三人を連れて来たのは君だが、話を訊く権限まで与えたつもりはない」

「はい、失礼いたしました」

 必要なことだけを告げると、男の背後に控えた騎士は粛々と口を閉じた。上官の尊大な態度に苛立つ様子もなく、その表情は常に落ち着いている。

「そもそも、〝怪物〟の噂というものがきな臭い。君らの狂言ではないのかね?」

 疑った様子で言って、ロバートはヴェン達に視線を投げる。

「いえ。正確にはヒト型の魔導人形ゴーレムであります、ロバート卿。実際に、私とサー・ロウェルが交戦いたしました」

「は、魔導人形ゴーレムだと? それもヒト型? この地に這入り込む口実なら、もう少しマシな言い訳を考えた方が良かったな」

 馬鹿にして、壮年の騎士は嘲りの笑みを浮かべる。

魔導人形ゴーレムの講釈から必要かね? 自動人形にして優れた兵士である魔導人形ゴーレムは、戦場において騎士を補佐するための一兵卒だ。驚異的な継戦能力と、圧倒的な身体能力。第一級の騎士を相手にするのは難しいが、歩兵や傭兵を相手取る時には重宝される。……ふむ。妙だな、人間と同じ大きさの魔導人形ゴーレムがこの世に存在する理由が見当たらんな。弁解の余地はあるかね、サー・ロウェル?」

 同じ帝国騎士団の一員であるはずの人物に対しても、壮年騎士の傲慢な態度は崩れなかった。しかし、やはり冷静な口調でサー・ロウェルは返答する。

「ロバート卿、私がそのような魔導人形ゴーレムを討ち取ったのは紛れもない事実です。証拠隠滅の自壊装置によって魔導人形ゴーレムそのものはすべて消滅しましたが、デイム・スイゲツが倒した魔導人形ゴーレムというのも確実に──」

「もういい! どいつもこいつも、話にならん!」

 癇癪を起こしたように叫び、ロバートは今まで会話に加わっていなかった少女に目を向けた。

「君なら、もう少しマシな話はできるかね? 魔導師見習いとのことだったが……こうした場で顔を隠すのは礼儀に反するぞ」

「え……あ、その、あの……」

 肉食の獣に睨まれたように、フェイラは怖気づいてしまう。人見知りな少女に、壮年騎士の横柄な口調は刺激が強過ぎた。

 身動きすら怪しく固まってしまう彼女を真っ先に気遣ったのは、サー・ロウェルだった。

「誰もあなたに危害など加えません。どうか安心して、素顔をお見せください」

「…………はい。わかりました」

 諭すように説得されて、フェイラは恐る恐るフードを外した。翡翠色の髪と琥珀色の瞳、そして白い肌が衆目に晒される。

「これは──」

 思いがけない少女の容姿に、ロバートが息を呑んだ。魔導人形ゴーレムの襲撃時に既に目撃していたスイゲツとサー・ロウェルも、やはり感嘆するように目を細める。

「これは……いや、失礼した。こちらこそ、無礼を許して欲しい。それほどの美貌、簡単に人目に晒したくないと考えるのも当然だ」

「ぐっ……」

 うっわ分かりやす、と。あからさまな態度の変化に思わず吹き出しそうになって、ヴェンは慌てて口元を手で塞いだ。

 同席する他の騎士ふたりが叱責の一瞥をくれてきたが、自分ではどうしようもなかった。咳払いするように呼吸を整え、青年は何食わぬ態度で誤魔化す。

 幸いなことに旅人の狼藉など眼中にはないらしく、ロバートはただフェイラの容貌に見蕩れていた。無遠慮な視線に耐えかねて、少女は瞳をあちこちへと動かす。

「フェイラどの、どうか落ち着いてください。あなたには、ぜひ魔導人形ゴーレムに関する説明をしていただきたいのです」

 またもサー・ロウェルによるフォローが入った。琥珀色の瞳が亜麻色の髪の騎士に向けられ、そこで漸く落ち着きを取り戻した。

「……わかりました。でも、何からお話しすれば……」

「まずは、ヒト型の魔導人形ゴーレムの利点があれば説明していただけますか? 通常、戦場で用いられるものは人間よりも巨大に製造されるのが一般的で、完全なヒト型が模造されることはまずありえないはずでしたが」

「そうですね。わたしは、本式の戦闘用魔導人形ゴーレムを見たことがないので確かなことは言えませんが、本来は五メートルから一〇メートル強ほどのサイズが一般的というのはっています」

「それでは、ヒト型……人間と同様の魔導人形ゴーレムを製造する利点とは?」

 問われて、フェイラ・ミュステリウムは自分の中にある知識を総動員して答えた。

「第一に、製造コストを抑えられることです。一体ずつに対して使用する材料が少なくて済みますので、大量生産が可能になります。ただ、サイズを小さくすることで身体能力などの性能が低下する懸念が生じます。ですが、今回わたしが遭遇した魔導人形ゴーレムはとても緻密な術式が組み込まれていたようで、同じヒト型である魔導鎧ブリガンダインと同等の戦闘能力を有していました。ここまで高性能にすると逆に生産の能率が悪くなってしまうはずなので、数を揃えるには膨大な時間が必要だと考えられます。

 第二に、潜行能力の向上が期待できます。一般的な大きさの魔導人形ゴーレムでは移動の際に相応の路を確保する必要がありますが、人間サイズであれば特に問題も起こりません。駆動音を控え目に設定できれば、誰にも気付かれず移動できるのではないでしょうか。それから……」

 淀みなくスラスラと魔導人形ゴーレムについて説明していたフェイラだったが、そこで周囲の視線に気付いて言葉を途切れさせてしまった。

 それまでのオドオドとした落ち着きのない印象とは一変して、講師のように解説する少女に驚く大人たちの様子に、漸く我に返ったのだ。

「……えっと…………要するに……たくさん造れて動きやすい、ということです」

 何とかそうとだけ言い纏めるフェイラに、サー・ロウェルは慎み深く頷いた。

「なるほど。よく理解できました。ロバート卿、今の説明に不足はありましたでしょうか?」

「うん? あ、いや、大変興味深い内容でしたな。ふむ、そういう長所があるとは盲点だった」

 少女の説明を半分も理解できたか怪しい様子で、しかし理解できた風にロバートは称賛する。

 気持ちとしてはヴェンも同じだった。だが、少女の素性を知っているだけ壮年騎士ほどの驚きはなかった。魔導人形ゴーレムについて話しているフェイラの姿は、琥珀色の魔導師と瓜ふたつだったのだ。

 師と違って慣れていない分だけ、今回は少し話し過ぎてしまったようだが。ベルマなら面倒臭がって、最後の『大量生産と運動性』の二点について言って済ませるに違いなかった。

「では次に、魔導人形ゴーレムの製造元についてお願いいたします。既に、おおよその見当は付いているとのことでしたが」

 亜麻色の髪の騎士に再び問われて、今度は調子に乗り過ぎないように気を付けながらフェイラは話し始める。

「あ、いえ……わたしの師匠マスターが、ラブラ魔術をベースに製造されたというのを解析しただけで……錬金術や自然魔術が用いられた形跡がなく、石製の身体ということも考慮して……そこまで古い純正な形式となると、伝統性の強いマセーラが妥当だろう、と」

「……なるほど。確かな証拠が残されているわけではないのに、そこまで推察できるとは見事な分析力だ。あなたの師である方は、よほど優秀な魔導師なのですね」

「いえ、そんな……」

 ベルマのことを誉められ、恥ずかしがるようにフェイラは俯きがちになった。表情は変わらないが、耳の端あたりが僅かに紅潮しているようにすら見える。

 彼女から視線を外すと、騎士は傍らに座る上官に提言した。

「状況証拠だけではありますが、〝怪物〟の噂がアトラフィス王国の辺境地からこのマセーラにかけて伝わっていることから鑑みても、ヒト型魔導人形ゴーレムの出所がこの地域であることは間違いないように考えられます。ロバート卿、正式な調査団を設立する必要があるかと思われます」

「うむ……その通りだな。よし、さっそく魔導人形ゴーレムの調査に取りかかるとしよう」

「では、このロウェル・デヴァイスがロバート卿の指揮の下、実地調査に出向するといたします。宜しいでしょうか?」

「それで構わん。貴重な情報をこの令嬢から頂けたのだ。くれぐれも失態のないように頼むぞ」

「はい、了承いたしました」

 従順に頷く騎士に対して満足げに笑みを浮かべて、壮年騎士は立ち上がった。

「では、私はこれで失礼するとしよう。なに、私が指揮を執れば魔導人形ゴーレムの問題などすぐに解決するだろう。安心していただきたい、フェイラどの」

「はあ……」

 格好をつけた様子のロバートに、少女は意味がよく解っていないように応える。それでも彼女の美貌があるだけで充分らしく、上機嫌に巨体を弾ませながら壮年騎士は部屋から退出した。

「……あんたも苦労してんのな、サー・ロウェル」

「私は、騎士としての私の役目に忠実に従うだけだ。不満や苦労など、初めから考えないさ」

 姿勢を崩しながら感心するように言う青年に、騎士は冷静に返答した。頬杖をついて話すヴェンのことを不快に思う様子もない。

 むしろ、隣に座る女騎士の方がヴェンの不作法に腹を立てていた。

「ロウェル卿に生意気な口を叩くな、失礼だぞ」

「良いじゃねーか。知らない仲でもないんだし。お前だって、あのオッサンにはちょっとムカついただろ?」

「お前は……本当に一度、性根から叩き直さなければならないようだな」

「今は王都で指南役やってるんだっけ。見習い達から鬼教官って恐がられてるらしいじゃん」

「待て、誰がそんなことを言った」

「フィウスだよ。今あいつは俺と同室だからな。昨日の夜も、色々と話を聴かせてもらったぜ?」

「……あいつ」

 自分の従騎士の名前をあげる青年に、スイゲツは苦い顔をする。哀れ騎士見習いの少年の未来は、簡単に告げ口をした先輩によって暗雲が立ち込めるのだった。

 それはともかく、注意をしておきながら自分も雑談に興じ始めたのでは木菟ずく引きが木菟に引かれるようなものだ。すぐに失態に気付くと、女騎士はサー・ロウェルに対して丁重に詫びを入れた。

「申し訳ありません。この男が失礼をいたしました」

「いや。デイム・スイゲツ、私などよりも貴公の方が気苦労は多そうだ。この青年と旧知の間柄とは、少しだけ気の毒だよ」

 騎士は気分を害した様子もなく、飽くまでも礼節を弁えた態度で応じるのだった。

「……本当に」

「いや待ってくれ。あんたも何気に酷いな、サー・ロウェル」

「失礼。今のはただの社交辞令だ。君も、何事にも目角を立てるのは少し控えたまえ」

「う……」

 騎士の大人な対応に、青年はぐうの音も出せないでいる。

 その様子に満足したのか、サー・ロウェルは素気なく女騎士へと視線を戻した。

「デイム・スイゲツ、これは強制ではなく請願という形になるのだが。貴公に問題がなければ、魔導人形ゴーレムの調査に助力してもらいたい」

「……宜しいのですか?」

 意外な提案に、スイゲツは尋ね返す。矜恃の高いガルストアの側から協力を仰がれるとは考えていなかった。むしろ、どうやって調査に参加するか内心で思案していたところだったのだ。

「最初に魔導人形ゴーレムと遭遇した貴公らの意見を無視して、効率良く問題が解決できるとは思えない。ロバート卿には私から言い添えておく。是非とも協力してもらいたいのだ」

「承知しました。このスイゲツ・カグラ、アトラフィスの騎士として恥じぬ働きを約束します」

 粛々と帝国の騎士に誓約する女騎士。

 そこで、直前の青年に対する騎士の態度に疑問を抱いていたフェイラが彼に質問した。

「あの……サー・ロウェルは、この人とお知り合いなのですか?」

「ええ。昔、彼と話す機会がありまして。騎士の仕事を手伝ってもらったこともあります」

「……そう、なんですか」

 微妙に納得できない様子で、少女はヴェンの方を見る。

 そうして、やっと青年の容姿が変貌していることに気が付いたらしい。琥珀色の瞳を僅かに見開くようにして、彼のことを凝視し始めた。

「ん……どうだ? 格好いいか、俺?」

 自分から訊いたら台無しだろう、と青年を残念に思いながら見る隣の女騎士には気付かず、ヴェンは切り揃えた金髪を掻き上げたりなどしている。

 それでも彼の変化は衝撃的だったようで、フェイラは固まっている。

「…………」

「……あの、感想が欲しいんだけど。せめて、何か反応してくれよ」

「…………ぁ」

「あ?」

 小声で漏らした少女に、青年は鸚鵡返しに尋ねた。

「…………ありえません」

「ちょっと待て! ありえないって何だ!? おいスイゲツ、やっぱり変になってんじゃねーのか、俺の髪型!?」

「落ち着け。フェイラどの、この男の姿に何か気に入らないところがありましたか?」

 思わず立ち上がって子どものように狼狽する青年に、流石に吹き出しそうになりつつ女騎士が少女に問いかける。

 微妙に表情を顰めつつ、言葉を選びながらフェイラは自分の心情を吐露し始めた。

「気に入らないというか……何かこう……許せません」

「ああ、なるほど。安心してください、大いに共感できます」

「ふたりだけで納得してんじゃねーよ。俺にも解るように説明してくれ」

「要するに、今まで見窄らしかった男が急に格好を付け始めたからムカつく、ということだろう。それで間違いはありませんか?」

「……そうですね。印象が最悪の黒塗りだったのに、いきなり綺麗な色を上塗りされたようで……不愉快です」

「…………今までちゃんと訊かなかったけど。お前の中で俺がどういう扱いになってるのか、メチャクチャ恐くなってきた」

 声を震わせながら言うヴェンに、フェイラは淡々と告げる。

「単語の羅列でよければ、言いましょうか?」

「何それ、どういう形式だよ」

「えーっと……うるさい、乱暴、身勝手、不潔、変態、ボサボサ、髭……」

「やめろ! ダメージがデカ過ぎる! あとボサボサと髭はもう違うだろう!?」

「あ、言ってて思ったんですが。最初に会った時から妙に馴れ馴れしいというのもありました」

 フェイラの感想に、スイゲツも同意した。

「私の第一印象がそれですね。この男と私が初めて出会った時のことをお話ししましょうか?」

「お前ら……寄って集って俺をネタにするのは、やめてくれませんか!?」

「…………」

 騒がしく、子どものように感情的で楽しげな様子の三人を。

 サー・ロウェル・デヴァイスは、変わったものを眺めるように見守り続けていた。

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