第八章 救出
アトラフィスとマセーラの国境近く、隆起の激しい山岳地帯の傾斜を
少女を抱えた
だが、悪路での機動力においては
双輪を高速駆動させた鋼鉄の身体が、勢いよく跳ね上がる。段差を越えて一瞬だけ宙を駆けた鋼の馬は、次の瞬間に襲ってくる着地の衝撃も物ともせずに追走を続行する。
十数メートル先を疾走するヒト型を捉えながら、ヴェンは歯噛みしていた。
あの
一か八か。高速で動くヒト型の腕に抱えられた少女の負担も大きいはず。状況を打破すべく、白銀の騎士は
動いたのは、どちらでもなかった。周囲の物陰から飛び出す複数の人影。伏兵として身を隠していた
「チィッ……!」
同時に、片手で把手を操ったまま、両刃の剣を抜き放つ。跳びかかってきたヒト型の腰部を狙い、斬り払う。
しかし騎士の刃は、装甲によって阻まれた。咄嗟に片腕で振るった程度の力では、防護に適した鋼を両断できない。
「…………邪魔だ」
周囲に立ち塞がるヒト型を相手に、ヴェンは呟く。
「あいつを助ける、邪魔をするなッ……!」
一喝し、青年は《グラーネ》を駆った。後輪を高速で回転させ、同時に前輪を上げてその場で旋回させる。
鉄鎚の如く振るわれた
完全破壊には至らない。鉱物の身体に損傷を負わせたぐらいで、魔力核にまでは届かない。
道を切り開ければ、それで構わなかった。倒れたヒト型の一体に乗り上げるようにして
それを許す残りの
掠めた切っ先が容易く
そして、
後方から追い立ててくる数体の
ここからの挙動はすべて一瞬。ほんの一秒の停滞すら許されはしない。
鎧に刻まれた琥珀色の装飾が輝きを増す。全身に魔力を漲らせ、ヴェンは《グラーネ》を踏み台に後方へと跳んだ。
一体目。跳躍の速度を刺突の威力に変え、剣の切っ先で一気に装甲を貫く。
二体目。仕留めた一体目から棍棒を奪い、片手で振るって粉砕する。
三体目。両手で敵の身体に刺さったままの刀身を引き抜き、振り向き様に一閃させる。
四体目。回転を殺すことなく勢いに乗せ、ハンマー投げの要領で放った剣が命中。
五体目。振り下ろされた白刃を両の掌で受け止め、空いた懐に蹴りを加える。
それが最後の一体だった。吹き飛んだヒト型は、既に死に体だった他の
その結果を顧みることなく、白銀の騎士は再度《グラーネ》へと騎乗して加速をかける。
直後には四体分の爆風が背中に迫っていた。間一髪で、
急激な疲労が
限界が近い。それでも、立ち止まることなど許されない。
クリアになった視界を前に、ヴェンは追走を続けた。
騎士と対峙した同胞が倒されたのを確認して、その
このまま追跡を許せば、目的の達成すら危うい。命じられた行動を遂行できないというのは、
役目を果たす。そのためならば、どんな試練すら乗り越えてみせよう。
根底に刻まれた自動人形としての本能に忠実に、ヒト型は行動を選択する。
立ち止まり、抱えていた少女を傷付けないよう地面に降ろす。
振り返り、背中に待機させていた自らの武器を手に執る。
それは、槍だった。長く鋭い、金属製の刃。時には騎士の象徴ともされる、長柄の凶器。
「……!」
その行動に、騎士は
探られる腹など
柄から刃先まで十全に満たされた
槍を突き出す
隙がない。魔導師の森で対峙した最初の一体から今まで倒した、どの
その理由に、青年は瞬時に思い至る。違いはひとえに、武器の差だと。
ひとつ、槍であること。ふたつ、単純に材質が金属であること。
思えば最初に倒した
条件も最悪だ。周囲には点々と生えた木や藪があるだけで、大きな遮蔽物が存在しない。開かれた空間では竿状の武器を遮るものはなく、槍を携えた
刺突を繰り出し、穂先で振り払い、時には反対側の石突で打つ。縦横無尽にして華麗なまでの武技の冴えは、とても人造の人形の動きとは思えない。
直進を主体とする
《グラーネ》を正面から突進させ、自らは馬上から大きく跳躍する。大質量の追突武器と化した鋼鉄の馬に、ヒト型は迎撃も無駄と判断して回避を選ぶ。
その間隙を、上空から振り下ろされた剣の刃がさらに切り開く。躍りかかるようにして
回避不可能の一撃を前にして。
ほんの僅かに身体を捻り、騎士が放った刀身をその狙いから外れさせる。石製の身体を鋭利な刃が切り裂くも、魔力核の完全破壊には至らない。
それでも、損傷は致命的だった。肩口から袈裟懸けに斬りかかられた
けれど、それは理由にはならなかった。自分は消えても後から追っているはずの同胞が任務を果たす。その論理は完全で、破綻などない。
制限解除、証拠隠滅用の自壊機能を用いて、眼前の障害を排除する。
最後の役割を遂行すべく、
電撃的な速度で放たれた騎士の拳に、その身を打ち砕かれていた。
『──、……』
何が起こったのかを理解する猶予もなく。
白銀の騎士が片腕で繰り出した一撃に、半ば剥き出しとなっていた核を抉り飛ばされ。
その
「ッ……!」
だが、勝利の余韻に浸る間もないのは騎士とて同じだった。
倒れようとするヒト型を抱え、ありったけの力をもって頭上へと投げ飛ばす。
直後、魔力核の停止によって一旦は中断されていた機能が再起動し、中空でバラバラになった
「…………ふぅ」
周囲に舞い散る炎の残滓の中で、ヴェンは漸く息を吐く。追跡を開始してから今まで、ろくに呼吸を整える暇がなかった。
彼が身に着けた
だが目的は果たせた。横たわっている少女の無事を確認し、騎士は心の底から安堵する。
「…………ん」
気を失っていたはずの少女が不意に呻いた。目蓋を開き、ぼうっとした様子で周囲を見渡す。
その琥珀色の瞳が、白銀色の甲冑を認めた瞬間に見開かれる。
「き……騎士さま!?」
「ああ……体の具合はどうだ?」
「え……あ、わたし、
問われて、フェイラは気を失う直前の記憶を即座に思い出す。だがそれよりも、何ともない体の調子を尋ねられて、逆に目の前の騎士の痛ましい姿に気付いた。
「き、騎士さま……もしかして、またわたしを助けようとして?」
慌てて甲冑姿の青年に駆け寄る。いつの間にか外れていたフードを直そうともせず、
「気にしないでくれ。鎧が傷付いているだけで、体は何ともない」
「で……でも」
「それより本当に具合はどうだ? 見たところは大丈夫だが、頭を打っていたりしたら大変だ」
「い、いえ。本当に何とも……」
答えて、フェイラはさらに気付いた。すぐ側に、見慣れた
「……あれ? どうして、あの人の
「……あー」
その問題があったか。先程までとは違う危機に陥り、ヴェンは兜の下で表情を困惑させる。
「えーっと……そうだな。君が言う〝あの人〟というのは、金髪の男か?」
「え、あ、はい。そうです、ボサボサの金髪で無精髭を生やした汚い人です」
「…………うん。そうだな、その小汚い男から借りたんだ。君が攫われたから、助けて欲しいと頼まれてね」
「そうなんですか?」
「ああ、困っている人を助けるのは騎士の務めだからな。たとえ相手がどんなに見窄らしい男であろうと、その頼みを聞き入れるのは当然だ」
調子に乗り、芝居がかった口調で格好を付け始める騎士。目の前の少女が瞳を輝かせているのは嬉しいが、自分で自分の容姿を貶めていて何だか悲しくもあった。
そうしていると、その場に一台の
「ご無事ですか、フェイラどの!?」
「あ、はい。わたしよりも、この騎士さまの方が……」
そう言って、少女は傍らに立つ鎧姿の人物を見る。
スイゲツもまた、兜越しに青年と視線を交わし合った。
「安心しろ。残りの
「……そうか」
女騎士に対して頷くと、白銀の鎧を纏った騎士は鋼鉄の馬へと跨った。
「この
「そんな……」
深い失望の色がフェイラの顔に浮かぶ。だが、これ以上この場にいてはさらに彼女の夢を壊す結末になりかねない。
名残惜しさを断ち切るように、騎士は愛馬を走らせる。彼方へと消えるその背中をいつまでも見送りながら、少女は不意に背後の女騎士に尋ねた。
「デイム・スイゲツは……あの方のことをご存じなんですか?」
「……ええ。よく知っている男です」
「あの方のお名前は……?」
「……サー・ヴェントス。かつて英雄として讃えられた、偉大な騎士です」
「……ヴェントス様」
名前を呟き、記憶に刻む。あの騎士はもう、少女にとっての
「……さて。彼から《グラーネ》を受け取れば、ヴェンのヤツもすぐにこちらと合流しようとするはずです。私たちはそれまで、休息を摂るとしましょう」
スイゲツの提案に、フェイラと騎士見習いの少年は素直に頷く。
完全に気が緩んでいた。女騎士だけが、周囲の警戒を怠っていない状態だった。
その僅かな間隙を、魔導仕掛けの人形は見逃さなかった。
スイゲツの死角から飛び出す一体の人影。身体の一部を損失し、全身を爆風の煙で黒ずませた一体の
位置は少女の背後、女騎士から見た正面。如何に素早い刃であろうと、フェイラを傷付けずに救うことはできない。
指の一部すら欠け落ちた鉱物の魔手が、何も知らぬ少女に迫り、
ヒトの形をした疾風が、彼らの頭上から舞い降りた。
「……!?」
驚愕は、その場にいた全員のもの。
否、石製のヒト型は相手の存在を感知するよりも早く破壊されていた。
天より突き下ろされた、一本の
頭頂から這入り、股座の下まで一息に。装甲に阻まれることもなく
刺突の勢いは止まることなく、槍の穂に貫徹されたヒト型はそのまま地面に激突する。直後には力任せに振り解かれ、虚空へと舞い上がり、何もない場所で爆砕して果てた。
「…………な」
誰もが言葉を失っていた。突如として現れ、襲撃者たる
全身を覆う装甲。青みを帯びた鋼の色は、さながら燻し銀の如く。やおら背中に棚引くマントは、威風堂々と誇り高く。
その手に携えるは、騎乗の戦士である〈騎士〉を象徴する長大な
「……ご無事ですか? 皆さま方」
兜越しに、透き通るような美声が問いかける。特に、あわや
「あ……はい」
眼前に立つ騎士に、フェイラはそんな風にしか答えられない。
「おーい。悪い、待たせたな……って」
状況にそぐわない間の抜けた声がその場に響いた。
一際、少女の前に立つ銀色の騎士の存在に対して。
「……なんで、あんたがここに」
「…………ふむ。国境近くで〝怪物〟が出没するという噂の調査に出向いてみれば、思いも寄らず懐かしい顔と出会ったな」
金髪碧眼の青年の存在を流し目で認めて、甲冑姿の人物はそう呟いた。
だが、すぐさま己の不作法に気付いて反省する。騎士たる者として、兜を被ったまま敵でもない人々と対峙するなど、あるまじき礼節だった。
「失礼、名乗りが遅れました」
言って、彼は顔を覆う重厚な装甲を解除した。部分的に展開した兜が、騎士が纏う
風になびく亜麻色の長髪。社交場であれば婦人らを魅了して止まないであろう、美しさに溢れた端正な素顔。
否、祝宴の場所である必要などない。戦場に立ち、その強さを遺憾なく示す姿だけでも、人に憧憬の気持ちを抱かせるには充分だった。
「ガルストア帝国騎士団、マセーラ駐屯部隊所属、ロウェル・デヴァイス。あなた方の救援に推参仕りました」
かの地よりの使者は、そう告げて彼女たちを快く迎え入れるのだった。
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