第七章 疾駆
「昨晩は醜態を晒してしまい、大変申し訳ありませんでした」
翌日の朝に部屋を訪問した女騎士は、開口一番にそう謝罪した。
胃の中を空にするまで泥酔していた人間の言葉とは思えないほどに凛々しく、精一杯の謝意が込められていた。丁寧に詫びるスイゲツに、フェイラもまた同様に謝り返す。
「い、いえ。こちらこそ……とんでもない勘違いをしてしまっていて」
「なー、てっきり気付いてるものだと思ってたからな。そのせいで昨日は酷い目に遭ったぜ」
「……お前は黙っていろ。今回の件に関して、お前に発言権などない」
「おいおい、どちらかと言えば俺は巻き込まれた方だろ? 両サイドからビンタ喰らったとか、初めてだったし」
氷のように凍えた視線を女騎士から受けつつ、両方の頬を擦る青年。
昨夜の一件で次の日まで持ち越すダメージを負ったのは、彼だけだった。酔い潰れていたスイゲツが回復しているのは、魔導師の弟子である少女が調合した薬の賜物だった。
「でもさ、俺って初対面の時にちゃんと紹介したよな? 敬称も付けてたはずだし」
「敬称……ですか?」
「……そうか。もしかして知らなかったのか、デイムが女性騎士の名前に付ける敬称だって」
「無理もあるまい。アトラフィスぐらいでしか使われていないし、そもそも女の騎士が珍しい」
自分の立場を理解しているスイゲツは、そんな風に言い纏める。
「そう……なんですか」
「ああ。こいつ、アトラフィス初の女性騎士なんだよ。いや、もしかしたらヴァドルニア史上初めての正式な軍人騎士なんじゃねーか?」
「どうでもいいだろう、そんなこと。国の民主化政策が進めば、私のような事例はいくらでも出て来るはずだ」
誇るわけでもなく、単なるテストケースに過ぎないとばかりにスイゲツは言い捨てる。その態度に女であることを恥じる様子は欠片もなく、飽くまでも自然体だった。
最初に感じた落ち着いた雰囲気や立ち振る舞いも、いま思えば女性だからこそのものだったのだろう。騎士は男だけという先入観を持っていたフェイラだったが、それで目の前の女性を否定するような気持ちは起きなかった。
むしろ格好よくて、憧れてしまうぐらいだった。
「……お体の方は、問題ありませんか?」
「はい、調合してくださった魔導薬が良く効きました。おかげ様で、同僚や見習いに二日酔いなんて無様な姿を見せずに済みました。感謝いたします」
「い、いえ。私は、自分にできることをしただけですし……」
横柄なところもなく、平気で自分に対して頭を下げる女騎士に、少女の方が恐縮してしまう。俯きがちにフードの下の顔を隠すフェイラの頭の上に、ヴェンが遠慮なく手など置き始める。
「いーや、お前は誇っていい。むしろ貸しを作ったぐらいに考えとけばいいんだよ。そうすりゃ、もしもの時に助けてくれるからな」
「……」
人知れず赤らんだフェイラの表情には気付かぬまま、騎士たちは話し出す。
「その意見には賛成だが、お前が言うことではないだろう」
「うん? そうか?」
「……この数年、私に気苦労をかけたのは誰か、もう忘れたのか?」
「あ、うん、そうだな……確かに。でもほら、昨日世話した分でチャラってことにならねーか?」
「ほう、あれで清算しろと」
「うん……ダメか?」
「誰のせいで暴飲してしまったと思っている。反省の色がないな。よし、舌を出せヴェン」
「え? 何? 何するつもりだよ」
「いいから、さっさとしろ」
目が本気だった。拒めば、もっと酷い目に遭わされる気がした。
素直に口を開き、中身を見せる青年。
その口腔に、琥珀色をした謎の液体が注がれた。
「ぶっ……!? おい、なに入れた今ッ!?」
「この娘が作ってくれた魔導薬だ。お前も昨日は酒を飲んでいたんだ。ありがたく頂いておけ」
「いや、俺は全然酔っ払ってねーし! つーか、何だこれ!? クソ苦い上に妙に酸っぱいし……おえ、何だこれ!?」
中身については訊くまでもない。昨夜の騒動の後、精神的なダメージを引き摺りながらフェイラが薬を調合するのを見守ったのだ。何が使われているかを知っているだけに、味の原因がひとつひとつ理解できて余計に気持ちが悪かった。
吐き出そうにも、不意打ちだったせいで残さず飲み込んでしまっていた。悶絶する青年の様子を見ながら、フェイラが恐る恐るスイゲツに尋ねる。
「あの……今のは、差し上げた残りの薬を薄めたものですよね?」
「いえ、こいつに飲ませるつもりで取って置いた原液でしたが……何か問題が?」
否定の言葉に体を硬直させる少女に、女騎士もまた緊張の面持ちで問いかける。
「はい……今の摂取量は少し……一度に摂るには、体に強烈過ぎます」
「…………」
「…………」
沈黙するヴェンとスイゲツ。最初に口を開いたのは、女騎士の方だった。
「まあ……大丈夫でしょう」
「お前……人に致死量を飲ませたかもしれないのに、それはねぇだろ!」
「いえ、命の心配はありません。ただ神経が過剰に刺激されて不眠症になってしまうかも……」
「ああ、それなら心配は無用ですね。しぶといだけが取り柄のような男ですし、数日ぐらい眠れなくても平気でしょう」
「平気じゃねーよ!」
「さっきからうるさいぞ。大体、お前の酔狂さは常から酔っ払ってるようなものなんだ。もしかしたら、少しぐらいは素面の状態になるかもしれないじゃないか?」
「いや待て! 上手く言ったみたいな顔すんな! ああもう、口の中に味がまだ残って……おえええっ……!」
嗚咽をあげるヴェン。数年分の鬱憤が、ほんの少し晴らされたのだった。
一騒動の後、一行は漸く本来の予定通りに出発することにした。
ただし、追加の人員があった。アトラフィス王国騎士団の一員であるデイム・スイゲツ・カグラと、その従騎士であるという見習いの少年がひとり。
今朝になって判明した同行者に、フェイラは意外な気持ちだった。自分たちのスケジュールはそのままだが、昨日会ったばかりの女騎士も加わるというのは。
「この男に、あなたを襲ったという
少女の疑問に対して、スイゲツはそんな風に説明する。青年の素性と、命令のひとつに彼の監視が含まれていたという事実は伏せながら。
「いや、それにしても昨日の今日でよく即断してくれたよな。頼もしいけど、ちょっと意外だったぜ。誰なんだ、遠征隊の指揮官って?」
「サー・ルーペスだ。包み隠さずお前のことを説明したら、あの方もすぐに察してくれたぞ」
「あー、ルーペス卿か。あの人にもかなり迷惑かけた覚えあるわ、俺」
石頭だが有能な重鎮騎士のことを思い出しながら、青年は苦笑する。
一行は、マセーラへと出立すべく門へと向かう。目的地とは逆の方角の門だったが、ヴェンとフェイラの移動手段である
街の外に出るとヴェンだけがひとり森へと歩き、
突然の襲撃は、青年が少女から離れた瞬間に実行された。
藪の中から突如として現れる無数の人影。以前とは違い、本式の武装を施された
「フェイラどの……!」
抜刀したスイゲツが少女の前に立ち、
敵の数は二〇を超えた。対して、その場で少女を守ることができたのはスイゲツだけ。
女騎士の死角から迫った一体の
「ッ……ヴェントス!」
スイゲツは戦友の名を叫んだ。
対して、金髪碧眼の青年もまた、
「来い、《グラーネ》!」
大音声で発せられた言葉は、青年の後方にある森の中にまで届く。
乗り手の音声を認識し、その愛馬が稼働を開始する。
身体を覆っていた枯れ木や葉を派手に振り払い、一体の
瞬時にして真横に並走する
同時に、彼は身に着けていた武装を解き放った。動力である魔力を注ぎ込まれ〝騎士の鎧〟が今、起動する。
上着の下、肩や背中といった箇所に折り畳むように収納されていた無数の金属板が展開し、瞬時に
光沢は白銀。張り巡らされた葉脈の如き琥珀色の装飾が、装着者の生命力に呼応して輝く。
その光景を何も知らぬ者が見れば、こう思ったに違いない。
まるで魔法のようだ、と。
そこに現れたのは、鋼鉄の馬を駆る見紛うことなき〝騎士〟の姿だった。
前方に数体の
「……
相手をしている暇などない。減速など最初から考えず、騎士は
前輪を浮き上がらせ、突き出された槍の先端を弾き飛ばす。
衝撃、激突音、後方で聞こえる地面に石の塊が落ちる音。
立ち塞がった
膨大な馬力、制御を誤れば即座に暴れ狂う速度を御し切って、ヴェンは
その腕の中で気を失っている、ひとりの少女を救うために。
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