第六章 戦友

 広場に陣取った騎士の一団に近付こうとする者など、誰もいなかった。

 好奇心旺盛な旅人も商魂逞しい商人も、尊敬の念を抱くべき対象として距離を置いている。

 精々が見習いと思しき年若い少年らが集団の中を駆け回っているぐらいであり、ある意味で異様な雰囲気がその場に漂っていた。

「…………騎士さま方ですね」

「そうだな。服装からして、全員アトラフィスの軍人みたいだな」

 群青色を主体とした軍服に身を包んだ屈強な男たちがほとんどを占めており、誰もが険しい顔をしつつも、一時の休息に身を委ねているようだ。

 この町に到着したのはヴェン達よりも少し早いぐらいだったのだろう。すぐ側には何台もの魔導駆輪バヤールが留め置かれており、やはり森に隠しておいて正解だったと青年は思った。

 他の群集と同じように遠巻きにしながら、ヴェンとフェイラは騎士の一団を見る。特に、少女の視線には羨望にも似た熱が籠っていた。

「わたしを助けてくださった白い騎士さまも、アトラフィスの軍人だったのでしょうか?」

「あー……どうだろうな。遍歴騎士って言葉もあるし、他の国から来た人だったりするかもな」

 フェイラの発言に曖昧な返事をしつつ、ヴェンはもう一度だけ王国騎士団の様子を眺めた。

「まあ一口に軍人騎士って言っても、アトラフィスは割と変わった人種が多かったりするからな。平民出身だったり、中には海を渡って東方大陸から来た移民の末裔だったりするヤツもいる……し……なぁ……?」

 やけに饒舌だった青年の説明は、最後は尻窄みになって聞こえなかった。

 休息を摂っている集団の中に見知った顔を見付けて、ヴェンは思わず立ち止まってしまった。後ろを歩いていた行商人とぶつかって、文句を言われる。

 青年が視線を向けていた相手が、こちらに注意を惹かれて振り返った。

「あ──」

「…………?」

 見詰め合うこと数秒。何気なく青年を見ていたその騎士は、やがて興味を失ったらしく再び視線を元の位置に戻し、

 次の瞬間にはハッと思い至ったように、ヴェンのことを二度見したのだった。

「悪い、俺ちょっと逃げるわ」

「へ?」

 青年が唐突に発した逃亡宣言に、傍らにいたフェイラは反応できない。一連の挙動を見ていても、意味が不明だった。

 既に体は引き気味だったヴェンは、騎士がこちらに向けて歩き始めたのを確認して、本当にその場から駆け出そうとする。

「マジで悪い! この広場で待ってれば必ず戻るから、それまで絶対──」

「やはり貴様か、ヴェン!」

 大声が広場に反響した。青年の名を呼んだ騎士もまた走り出し、全速力で追跡を開始する。

 無駄の一切ない見惚れるようなフォームで疾走し、後ろで纏めた黒い長髪を風になびかせる。

 雑踏にいた青年と開かれた場所に立っていた騎士とでは、初動の差が大き過ぎた。一〇メートル近い距離を一気に縮め、黒髪の騎士は青年を簡単に引っ捕らえた。

「貴様、こんなところで何をしている!?」

「うお、待ってくれ待ってくれ! お前こそ、いきなり町中で脇差とか抜いてんじゃねーよ!」

「黙れ! 何年も姿を消して、見付けたと思ったら何だその格好は!? 一瞬、貴様だと判らなかったぞ!」

「いや、旅してたら髭とか髪とか切るの面倒臭くてさ! 気付いたらこんな感じに……」

「そんなことは訊いていない! この数年、どれだけ貴様のせいで気苦労があったと……!」

 周囲の視線など構うことなく、容赦なく青年を締め上げる騎士。

 ぐええ、と呻き声をあげながら息を詰まらせるヴェン。

 広場の一角で急展開されたその騒動を、フェイラはただ呆然と眺めているしかなかった。






「えー、紹介します。こちら、デイム・スイゲツ。俺の古い知り合いです」

 連れの少女に旧知の騎士を引き合わせた青年は、粛々とした態度でそう言った。

「それで、こっちがフェイラさん。知り合いの魔導師から預かってるお弟子さんです」

「……知り合いの魔導師?」

 フード姿の少女と対面した黒髪の人物は、怪訝そうな顔をして相手を観察する。

「うぅ……」

 見詰められ、フェイラは視線に耐え切れず顔を俯かせる。どうやら人見知りで、初対面の相手に見られるのが苦手らしい。不作法だったと気付いた騎士は、慌てて態度を改めた。

「失礼しました。ただいま紹介に与りました、スイゲツ・カグラと申します。……この男とは私が騎士見習いだった頃からの知人です」

 丁寧な口調で名乗りつつ、ジロリと隣に立つヴェンに流し目を送る騎士。

 礼儀正しい騎士の姿勢に対して、フェイラは徐々に警戒心を解くようにして上目遣いにスイゲツを見る。何より、騎士という存在に興味以上の感情があった。

 格好のいい人だ、と素直に少女は思った。輪郭の細い鋭い容姿をしていて、軍服を身に纏った立ち振る舞いは堂に入っている。広場にいる他の騎士たちよりは華奢な印象だが、スレンダーな体つきは威圧的でなく、この場合は男性的な屈強さよりも少女には有り難かった。

 エキゾチックな顔立ちと肌の色から、異国の血を受け継いでいることが判る。特に黒い髪は、村に住んでいた人々にはなかった珍しい色だ。濃褐色の瞳と相俟って落ち着いた雰囲気だ。

 観察している内に、恐れよりも好奇心の方が強くなっていた。一体どうして、青年はこんな格好のいい騎士と知り合いなのだろう。

「……初めまして。フェイラ・ミュステリウムといいます」

「ミュステリウム? というと、マギ・ベルマの関係者でありましたか」

「え、あ、はい。私の師匠マスターです」

「……なるほど。いや、失礼。あなたの師のお名前は、この男から以前より伺っておりました」

「…………そうなんですか」

 つまり、師匠を介した関係ということだろうか。

 いや、デイム・スイゲツは『ヴェンから』と言った。自分の師匠と直接の面識はないようだった。職業旅人を自称する青年の交友関係の広さも、ここまで来ると謎だ。

 微妙に残念な気分になりつつ、少女は青年と黒髪の騎士の様子を窺う。

「それでなんだけど。悪いスイゲツ、今だけは見逃してくれねーか?」

「……構わん。大体の事情は、何となくだが察した」

「お、さすが話が分かる。じゃあ──」

「今だけ、この場だけだ。後で事情は、一から一〇までハッキリ説明してもらう」

「……はい、わかりました」

 凄味を利かせた視線でそう告げる相手に、思わず頷いてしまうヴェン。

 どうあっても、逃げ切れそうにはない。

 過去が、彼に追いつこうとしていた。






 数年分の気苦労を清算するために酒を奢れ、と迫られれば承諾する他なかった。

 指定された酒場に着くと、既に相手は飲み始めていた。昼間は結っていた黒い長髪を下ろしてリラックスした様子の騎士は、透明な色の酒が入った杯を片手に、肴を摘むようにしている。

「待たせた。なに飲んでんだ?」

「焼酎。私の故郷で造られた酒だ」

「おお、さすが商売の町。何でもあるな。折角だし、俺ももらうか」

「……ブランデーよりはマシだが、強い酒だぞ。お前では無理だと思うが」

「まあ、ものは試しってことで」

 そう言って同じものを注文するヴェンに、スイゲツは胡乱な視線を送る。

 まあ、この青年の酒に対する弱さについて知っているのは、もう少し若かった頃のことだ。数年も経てば体質が変わっている可能性もある。

 数分後、予想よりも強烈なアルコール度数に噎せる男を見ながら、『やはりこいつは阿呆だ』と思い直すスイゲツだった。

「だから言っただろう、強い酒だと」

「ぐっ、ごっほ……確かに。そのままじゃキツイな」

 涙目になりながら、異国の酒に水を足して再び口にする。

「お、今度は美味い。良い酒を造るんだな、お前の故郷」

「…………」

 染み染みという青年を、スイゲツは複雑な感情で眺める。しかしすぐに感傷的になるのを嫌うと、気持ちを変えるべく話題を振った。

「あの娘はどうしたんだ?」

「ああ、宿に留守番させてきた。つーか、流石に眠そうだったんで無理やり寝かせつけてきた」

「そうか……ベルマ・ミュステリウムの弟子と言っていたな?」

「ああ、あいつんとこの庵で内弟子やってる。今回はちょっと、魔術の知識に詳しい人間が必要だったんだ。だから、付いて来てもらったってわけ」

「……本題はそこだな。お前、どうしてこの町にいる?」

 鋭い視線で睨んでくる友人に、ヴェンは苦笑を返した。

「そんな顔するなって。折角の美形が台無しだぞ。別に、やましいことをしてるわけじゃない」

「まあ……そういう心配は初めからしていない」

「そっか、信用してくれて何より。だったら、こっちもちゃんと説明しねーとな」

 相手の好意に応えるべく、青年は事情を話そうとする。

 だが、机の上にほとんど何もない状態で居座る客など店にとっては迷惑でしかない。間を持たせる意味も含めて、何品か追加の注文をする。

「えっと、ニシンの塩漬けに羊肉の燻製、ソーセージとキノコのソテーに、あと豆のスープももらおうかな。全部二人前で」

「……相変わらず、よく食べるな」

「いや、流石にお前の分も一緒だぜ?」

「自分の分だけ頼んでいるようなら殴っている。……いま飲んでいるのと同じものを追加だ」

「あ、俺もぶどう酒を追加で」

 気前よく注文する客に上機嫌な様子の店員を見送り、ヴェンは漸く本題に切り出した。

「ああ、でも俺の話よりお前の事情を先に聴いた方がいいかも。なんで、アトラフィスの王国騎士団がこんな国境近くの商業都市にまで来てんだ?」

 そう言って尋ねるヴェンに、スイゲツは質問で返した。

「お前、マセーラの現状を知らないのか」

「いや? 今回の俺の事情に関係してるってのが判ってるだけで、詳しくは何も」

「……情勢が怪しくなりつつある状態だ。今回の遠征は帝国ガルストアへの牽制を兼ねた偵察が主な目的だが、場合によってはマセーラへの軍事介入も予定されている」

「そりゃまた……穏やかじゃねーな。そんな噂、まだ聞いたこともなかったけど」

「本当にまだ火種だけの状況だ。陛下が先んじて出兵を決定しただけで、事が起こると決まっているわけではない」

「ああ、それで牽制か。流石は爺さん、仕事が早いね」

 手腕の素早さを懐かしむように微笑を浮かべつつ、青年は考えを整理する。

 ヴァドルニア北方の大国ガルストアは、侵略戦争によって領土を拡げてきた軍事国家だ。新興の国であるアトラフィスもまたルーツを辿れば元は帝国が保有していた領土のひとつであり、先の《大戦》においては両国の威信をかけた攻防戦の末に防衛に成功した経緯を持つ。

 だが、すべての国家が帝国の侵略行為に耐え抜けたわけではない。アトラフィスの隣国であった旧マセーラ王国はガルストア騎士団の猛攻により瓦解、属領地として吸収されてしまった。

「……うん、なんとなくは繋がった。けど意味はまだ解らねーな。俺の事情とマセーラの内情が、どう関係してんのかねえ」

「話せ。そうしなくては私も意味が解らない」

「まあ、そうだな。んじゃ、昨日のことから説明しますか」

 ヴェンは語った。《琥珀色の魔法使いベルマ・ミユステリウム》を訪ねたこと、魔導師の弟子が出所不明の魔導人形ゴーレムに襲われたこと。調査の結果、その製造元がどうやらマセーラであるらしいこと。

「マセーラ製造のヒト型魔導人形ゴーレム? また随分と奇妙な話だな」

「ああ、今回の内紛……って状態じゃまだないんだったな。それと関係してるのかどうか」

「反抗勢力の兵力増強か? いや、それにしては中途半端な話だ」

 情報を思惟するスイゲツだったが、不確定要素が多過ぎた。その様子に、ヴェンもまた今後の行動をどうするか考える。とはいえ、頭の中で思考しても答えは出ないのだ。やはり当初の予定通りにするしかないだろう。

「……待て。まさか明日の朝には出発するつもりか、お前」

「うん? ああ。お前から話を聴かなくても、最初からそうするつもりだったからな。考えても解らない以上、現地に行ってみるしかねーだろ?」

「…………少し待て」

 ここで目の前の男を見過ごせば、また何年も姿を消す予感がした。ここ数年間の気苦労を思い出し、スイゲツは反射的に手元の杯を一気に飲み干していた。

「おい、自分で強い酒って言ってたんだから加減はしろよ」

「…………うるさい。大体、貴様は勝手だ」

 まだ酔ってはいないはずだが、完全に目が据わっていた。蛇に睨まれたカエルのような寒気を覚えて、ヴェンは卓上の酒を没収しようとする。

 だが一足違いで遅かった。彼が残していた焼酎のグラスを奪い取ると、これもまた呷るようにして黒髪の騎士はすべて胃に収める。

「……本当に勝手なんだ。どうして、何も言わずに姿を消した」

「いや一応、爺さんに伝言は頼んだはずだろ。『悪い』って」

「そんな言葉で納得できると思っていたのか!? 自分の立場を弁えろ!」

「ああ……うん。でも、爺さんは許してくれたぜ?」

「陛下の寛容さにお前が甘えただけだろうが! 本当なら許されることでもないはずだ! それに、言ってくれたなら私も一緒に──」

 本音を言いかけたことに気付き、誤魔化すように空いたグラスをテーブルに叩きつけるスイゲツ。もはや完全に酔いに勢いを任せている状態だった。

 朝まで付き合う覚悟を決めて、青年も卓上の料理に手を付け始める。ぶつ切りにされたソーセージと一緒に炒められ、程よく脂を吸ったキノコを肉とともに口に含む。

「あ、このソテー美味いな。へえ、隠し味に芥子マスタードとか混ぜてんだ」

 脂肪のしつこさが香辛料によって軽減され、食べ飽きない味になっていた。感心しながら他の料理にもフォークを向けようとするヴェンに、スイゲツは不満そうに言う。

「話を逸らすな。あと微妙に所帯染みるな。ムカついてくる」

「いや、お前も酒ばっか飲まずに何か食べとけって。悪酔いするぞ」

「優しくするなぁ! ああもう、どうして私はこんなヤツを……!」

 やり切れなくなって、感情を爆発させる黒髪の騎士。

 彼らにとっての夜は、まだまだ終わりそうになかった。






 扉を乱暴に叩く音で、フェイラは夜中に目を覚ました。

「おーい、開けてくれ! 片手だと難しいんだ!」

 例の騎士に誘われて酒場に行ったはずの青年の声が、扉の向こうからする。

(相変わらず、乱暴で騒がしいひと

 寝起きの不機嫌さでそんなことを思いつつ、少女はベッドから起きて部屋の入り口に立つ。

「……どなたですか?」

「いや、声聞いたら判るだろ。俺だ、ヴェンだよ」

「…………知り合いの人に、騒がしい酔っ払いなんていません」

「泥酔してんのは俺じゃねーよ! とにかく早く頼む、こいつがちょっと持ちそうにない!」

 どうやら青年はひとりではないらしい。あの高潔そうな黒髪の騎士が酒に溺れることなどないはずだから、酒場で別の人とでも会ったのか。

 ひとりだけならまだしも、もうひとりを放置するわけにも行かない。まだ重たい目蓋を擦りつつ、フェイラは扉を開ける。

 そして、その向こうにあった光景に絶句してしまった。

 青年に担がれ、どう見ても意識を失いかけている黒髪の騎士が、そこにいたのだ。

「おう、悪い。とりあえず、俺のベッドに寝かせるわ」

「……はい」

 ショックから立ち直れぬまま、少女は部屋に入るふたりの姿を見送る。

「ふう、落ち着いた。おーい、気分はどうだ?」

「ぐ……最悪だ、この朴念仁」

「憎まれ口が叩けるだけマシだな。でも自分じゃ歩けねーだろ?」

「……へいきだ。かえ……る」

「あ、寝やがった。仕方ねぇな。なあフェイラ、悪酔い用の魔導薬とか作れるか?」

 ベッドに横たわるスイゲツの様子を見ながら、ヴェンは少女に尋ねた。

「え……あ、はい。材料は一通り持ってきてますので」

「オッケー。悪いけど頼めるか? こいつ、外面とか気にする方だし、二日酔いじゃ騎士見習いの連中にも示しがつかないだろ」

「はあ……」

「それじゃ、俺はちょっと宿のおっちゃんに用事を頼んでくるわ。その間、こいつの介抱も頼んで構わないか?」

「……はい」

「ありがとうな」

 ポン、と軽く少女の頭に触れながら部屋を出るヴェン。その後ろ姿を見送った後、フェイラはベッドの上で呻いている騎士に視線を移す。

 一言でいえば、幻滅してしまっていた。少女の中の〝騎士〟という理想像の一部が、儚く崩れ去った瞬間だった。

 とはいえ、目の前で苦しんでいる人を放置するわけには行かない。まずは症状の確認、細かい対応はそれからだ。

「……失礼しまーす」

 断りを入れ、スイゲツの体に触れる。脈拍は少し早いが、体温は正常だった。中毒症状を起こしている様子もない。

(うん、騎士さまだって人間だもんね。間違えることだってあるよ)

 頭の中で多少強引に自分を納得させつつ、少女は診察を続ける。

 着崩されてはいたが、固い軍服ではどうしても体が締め付けられる。せめて胸元だけでも開いておかなければ苦しいだろう。

 純粋な親切心から、フェイラは騎士の服に手をかけた。

「…………あれ?」

 生地越しの感触に、僅かな違和感を覚える。それが何なのか解らないまま、彼女はコートの前を完全に開けて、

「おーい。とりあえず、水だけ頼んでもらってきた。水分だけでも先に摂った方が……って」

 その光景を、部屋に戻ってきたヴェンに思い切り目撃させてしまった。

 汗に蒸れて、僅かに湿り気を帯びた淡褐色の肌。固い服装の上からでは判らなかった、体の起伏。男性ではありえないはずの形が、そこにある。

 瞬間、フェイラは理解した。自分が酷い勘違いをしていたという事実を。

「ちょっ……!」

「不潔ですっ! 出て行ってください!」

 理解からの行動は素早かった。水差しを片手に部屋に入ってきた青年を追い出そうと、少女は奮闘を開始する。

 だが如何せん、腕力が足りない。ヴェンの胸をポカポカと叩くもまるで効果がない。抵抗など皆無だったが、それでも青年の体を動かすことは叶わなかった。

「な、何をジロジロと見てるんですか! 早く出て行ってください!」

「見てねぇよ! 全力で目ぇ逸らしてるよ! とりあえず水だけでも置かせてくれ!」

「知りません! 不潔変態、この……!」

「わかった! 出て行くから、水差しを受け取れって!」

「…………ん」

 騒々しさに、ベッドの上で騎士が呻く。

 意識を一時的に取り戻し、スイゲツは不快そうに目を開けた。

「うるさい、頭に響く……何を騒いで……」

 言いかけて、彼女﹅﹅は気付いた。自分のあられもない状況、部屋の現状、目の前に見知った青年がいるという看過できないシチュエーションに。

「な、な、な……」

「あ、悪いスイゲツ! こいつ、お前のこと男だと思ってたみたいでさ!」

「いいから早く出て行ってください! この変態!」

「いやいやいや、その呼び方だけは納得できねぇ。不可抗力だろ、これは!」

「貴様ァッ……!」

 叫び、黒髪の女騎士はベッドから立ち上がろうとする。不安定な挙動で長い髪を振り乱し、懐からは短い小刀すら取り出そうとしている。

「貴様、何を……何おぅっ……!?」

 立ち上がろうとして、胸の奥から込み上げる不快感に悶絶する。

「お前、酔ってるんだから無理に動こうとすんなって!」

「うるさい、頭が痛い、貴様は絶対に許さん!」

「やっぱり、あなたは最低です! この変態!」

 三者三様の叫びが、夜の宿に木霊する。

 夜明けはまだ、訪れそうになかった。

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