第四章 騎士
怪物と対峙した鎧姿の人物は、脇に抱えたローブ姿の少女にゆっくりと視線を下ろした。
少女と騎士の視線が交わる。頭部を覆う兜は騎士の素顔を隠していて、表情は見えなかった。
「……怪我はないか?」
兜の奥から、凛とした力強い声がフェイラに問いかける。
威厳を備えた張りのある口調に、彼女は反射的に頷いていた。怪物の魔手は少女に届く直前に妨げられ、その体には傷ひとつ付けていなかった。
無事な様子の少女に騎士もまた安心するように頷くと、彼は続いて離れた位置に立つヒト型の怪物──
次の瞬間には、怪物は石で造られたその身体を駆動させていた。
両の足で地面を踏み込み、一足飛びに騎士へと躍りかかる。
間に合わない、と騎士は直感で判断した。片腕で少女を抱えた状態では、利き腕に持った剣を振るっても僅かに鈍る。
だから、彼は迷うことなく片足を突き出した。
ズン、と衝撃が騎士と怪物の間で生じる。
ノーモーションで放たれた蹴りが
真面に喰らったヒト型の怪物は後方に吹き飛ばされ、周囲に生えた木々のひとつに激突して地面に落ちる。
否、咄嗟に体を翻して着地してみせた。両手を地面につけ、獣のような姿勢で停まって甲冑を纏った敵を見る。
ほう、とその反応に感心するように騎士が吐息を漏らす。常人ならば今の一撃で昏倒しているはずだった。
だが、そもそもヒトでないならば得心もしよう。この怪物には食物を消化する胃も、呼吸を司る肺も存在しないのだから。
姿勢を低くする
迎撃すべく、騎士は片腕に抱えていた少女をそっと地面に立たせる。
「後ろに下がっているんだ」
「は、はい……」
言われるままに騎士の後方へと退くフェイラ。そうして、漸く少女は騎士の全貌を見ることができた。
極薄の金属板が蛇腹状に折り重なり、
そして先程に見せた、岩石で形作られる頑強な
従来の甲冑に似た構造でありながらも、一種独特な形貌を有する姿。
魔導師の弟子である少女が持つ、膨大な知識から導き出される結論は、ただひとつ。
目の前に立つ騎士が身に纏う甲冑は、魔術によって造り出される武装──〈
鎧を着た騎士が動く。両手で剣を執り、敵の攻撃に備えて上段に構える。
グン、とヒト型がさらに姿勢を下げ、直後に疾走を開始する。
騎士もまた、一歩踏み込むと同時に剣を振り下ろした。頭上からの一閃、懐に飛び込んだ敵の脳天を両断することを狙った一撃が繰り出される。
だが、直前に
その顔面を、正面から突き出された拳が捉える。咄嗟に剣の柄から離した左手を固め、騎士はあろうことか
二度目の衝撃に、今度は敵も空中で対応してみせた。石製の身体を軽やかに捩り、体勢を立て直して足から地面に着地する。
『──、……』
その姿勢のまま、ヒト型の怪物は静かに騎士を見据えた。無機質な瞳が、何を思考しているのか窺わせない虫のような感覚でこちらを観察している。
二回に及ぶ攻撃をことごとく反撃で返され、
頭上に生えた木の枝を、飛び跳ねた勢いに任せて強引に折り千切る。長く伸びた丈夫な
まるで長槍を構えるように、
「武術の心得があるのか」
本当に人のようだ、と騎士は呟く。
瞬間、長い棒の先端が正確に眉間を狙って繰り出された。射程と威力を一気に強めた一撃を、けれど騎士は冷静に防ぎ切る。
反射的に放った剣先が棒を払い、先端を削って両者の距離を再び開かせる。
初撃を凌がれたことに動じる様子もなく、
(……狙いやがったな)
内心で騎士は舌打ちをする。今の攻撃は敵の殺害を目的としたものではない。こちらにわざと切らせて、手にした武器の殺傷力を高めるためのフェイントだ。ヒト型が携えた棒は、今や立派な木造の長槍と化している。
対して、騎士も走った。全身を鋼で固めているにも関わらず、
目にも留まらぬ速度で走り出した両者は、瞬時に交錯した。剣が振り下ろされ、即席の槍が装甲の隙間を狙って突き出される。
都合十七の応酬。時間にして数瞬の攻防。
騎士の刃が槍を持たぬヒト型の左腕を上段から斬り払い、続いて下段から胴部を狙う。その二撃目を
空振りした斬撃の勢いを殺すことなく、体全体を回転させることで切断力を飛躍させた刃の一閃が、
人の頭部を象った石の塊が宙を舞い、放物線を描いて地面に落下する。
それより早く、続いて
「……!」
薄い首元の装甲を狙った槍の穂先を、咄嗟に身を捩って紙一重で回避する騎士。
一切のタイムラグを挟まない連撃だった。首を斬られるより僅かに早く今の一撃を開始していた
だが、不意の一撃さえ凌げば勝機は人間の側にある。ヒト型の怪物は既に頭部を失い、おおよその位置でしか騎士の姿を捕捉できていない。振るわれる槍の精度も、一気に低下した。
騎士が放った剣の切っ先が、狙い違わずヒト型の胸を貫く。本物の人体であれば心の臓、命の源である中枢器官を抱えた場所を。
それでも、
胸に刺さった刃を意に介す様子もなく、むしろそれで敵を捕らえたかのようにして前進する。刀身がさらに喰い込み、騎士の身動きが制限される。
「チィッ……!」
躊躇うことなく剣の柄から両手を離し、騎士は後方へと跳ぶ。直後に放たれた刺突が、あわや装甲を貫徹する勢いで空気を裂いた。
ぐらり、と
不用意に近付けば、こちらが討たれる。確実に仕留める算段もなく先程のように当て推量で一撃を加えようものなら、今度こそ槍の刺突が自分を貫くだろう。
せめて、ヒト型を稼働させている核の位置さえ把握できれば──
「剣が刺さっている真下……お腹の中心に魔力核があるはずです!」
「……!」
背中に投げかけられた言葉に対して、反射的に呼吸を整える。
騎士の覚悟に応えるように、鎧に施された琥珀色の装飾が輝きを増す。
瞬間、嵐が起こったと錯覚するほどの衝撃破が発生した。
さながら電光の如く森を駆け抜けた騎士の姿は、誰の目にも捉えられない。
衝撃が
直後──振り抜かれた刃の一閃が、完全に
胸の中心から腰にかけて、力尽くに振るわれた刀身が身体を断ち裂く。亀裂がヒト型の上半身を駆け抜け、次の瞬間には地面に叩きつけられ粉々に砕け散っている。
完全破壊に他ならなかった。
静寂が森を支配する。戦闘の余波である風の音だけが響くも、それもやがて消えた。
「……助かった。忠告がなければ、もっと苦戦していたな」
振り返り、騎士は後ろに控えさせていた少女に声をかけた。ありがとう、と素直な気持ちを言葉にして贈る。
「あ、いえ……こちらこそ」
しどろもどろな口調になってしまい、フェイラは慌てた様子で騎士を見る。
その微笑ましい光景に兜の下で笑みを浮かべつつ、騎士は彼女に歩み寄ろうとする。
異変に気付いたのは、同時だった。
突如として生じた熱が、一帯に及ぶ。発生点は周囲に散った
「伏せろッ……!」
叫び、騎士は走った。少女もまた危険を察し、頭を抱えてその場に蹲る。
少女の体を全身鎧の装甲で覆うようにして、騎士は相手を庇った。
その直後、火炎と爆発と衝撃がふたりを襲う。
悪辣なまでの破壊性を秘めた罠は容赦なく、騎士と少女を包み込んだ。
誰かと誰かの話し声が聞こえて、目が覚めた。
目蓋を開けるまでの僅かな時間で、眠る前の出来事を思い出す。寝床に入った記憶がないのが謎だったが、とりあえず前日の諸々を一覧する。
朝、起床、早朝の薬草摘みに森に向かおうとして、ヴェンと名乗る旅人が野垂れているのを見付けてしまった。
夕方、遅い時間の薬草摘みのために森に出掛けて、そこでヒト型の
そして、そして、そして──
そこまで思い出して、完全に目が覚めた。飛び起きるように体を起き上がらせる。
「ああ、起きたか。体に異常はないか?」
「……はい」
いつも通りの魔導師に、いつも通りに返事をする。ベッドの上に少女の体は預けられており、身支度も睡眠時の装いだった。
開け放たれた庵の窓からは朝日が差し込み、明るい陽の中ではベルマが葉巻を咥えながら少女の方を見ている。作業台の椅子に座した魔導師の傍らには、金髪碧眼の青年の姿もあった。
「何があったかは聴いた。
「
大声で叫んで、フェイラはベッドの上で立ち上がった。
弟子の奇行に、ベルマはフードの下で目を見開いた。
「わたし、森で騎士さまに助けられたんです!」
「あ、ああ……そのようだな。というよりも、本人がここに……」
「すっごく格好いい人だったんです! 優しくて! 強くて!」
興奮冷めやらぬ様子で、フェイラは昨夜の出来事を語る。自分の身に何が起こったのか、誰かに伝えたくて仕方がないようだ。
普段の人形のように落ち着いた雰囲気とは異なる年相応の、いや、一〇の齢にも届いていない幼い子どものような燥ぎ様だった。
「…………そうか。それは良かったな」
そんな風にしか言えず、ベルマは口に当てた葉巻をじんわりと燻らせる。
「はい! わたし、絶対このご恩は忘れません!」
「うん、その心意気は立派だ。もしまた出会う機会があれば、ちゃんと伝えるんだぞ」
「はい、もちろんです!」
「よし、私はこの男と話がある。お前はいつも通り、薬草摘みと朝食の用意をしてくれ」
「はい! わかりました!」
ルーチンワークさえ今の少女には楽しくて仕様がないらしい。嬉々とした様子で庵を飛び出していった弟子の後ろ姿を見送り、魔導師はゆっくりと視線を隣に向ける。
強くて格好が良く、おまけに優しいなんて白馬の王子さまみたいな理想像も、
白銀と琥珀の全身鎧を身に着けた騎士の姿も、そこにはない。
明後日の方向に遠く視線を投げ、責任逃れをしようとする大人気ない男がいるだけだった。
「…………お前ね。年頃の娘に無責任な
容赦なく告げられた言葉に、ビクリと青年の肩が揺れる。非常に申し訳がなさそうな様子で振り返り、ヴェンはせめて事情を説明しようとする。
「い、いや仕方ねぇだろ。こっちの正体明かす前に気絶しちまったわけだし……ほら、俺も兜被って顔隠しちまってたし」
「…………」
「というより消去法で判る気もするだろ? 森の中にあの時いた男は俺だけだったんだし……」
「…………」
「あの……何か言ってくれよ、ベルマ」
「声が震えているぞ、ヴェントス・パウ」
問題については一切触れず、淡々と指摘するベルマ。この女魔導師は責任を追及するのに暴力を用いることはしない。ただ冷静に、ジリジリと相手に自分の非を認めさせるだけだ。
言い訳は聞かん。
「お宅の娘さんに余計な誤解をさせてしまって……すみません」
「…………」
はあ、と一際呆れたように煙を吐き出し、ベルマは漸く怒りを解いた。
「まったく。こんな男が
そう言って、琥珀色の魔導師はやれやれと頭を振るのだった。
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