第二章 噂話

 テーブルの上に、いつもより一人前だけ量が多い食事が並べられている。 

 器に注がれた液体が朝の空気に湯気をあげ、芳ばしい小麦の香りが食欲をそそる。

 用意された朝食は、村で採れた野菜と豆のスープに、パンを添えただけの簡単なものだった。魔法使いの内弟子である少女が普段から支度し、今日は初めての客を迎えての準備でもあった。

「うおおお、うめえええ……!!」

 手始めにスープを口に含んだ青年が、感じ入ったように声をあげる。

 ニンジンにタマネギ、カブといった野菜の甘味に豆類のコクが加わり、複雑でありながらすっきりと澄んだ味がする。塩加減も絶妙で、飢えた体にも染み渡るように収まっていく。

 軽く喉を潤すつもりが、気付けば器ごと呷るように琥珀色に輝く液体を飲み干していた。

「…………マジでうめぇ。何だこれ、魔法のスープか?」

「大袈裟だな。もう少し静かに食事はできんのか」

 感動した様子で味の感想を述べるヴェンに、呆れた風にベルマが告げる。

「いやいや、本当にヤバいってこのスープ。何だよお前、毎日こんなの食べてるわけ?」

「まあ、そうだな。確かに凝っているとは思うが、そんなにか?」

「そりゃあ……悪い、おかわりもらえるか?」

「あ、はい」

 言われるままに新しいスープをヴェンの器に注ぐフェイラ。

 青年に対する不信感は解けていないが、今は一方的に圧されている様子だった。自分の食事もぼちぼち、猛烈なスピードでスープとパンを咀嚼するヴェンを唖然と見守っている。

 普段は粛々と進む魔法使いとその弟子の食事が、青年ひとりが加わっただけで一変していた。

「…………最高。最高だったわ、このスープ」

 ひとりで三人前ほどの食事を平らげ、両手で顔を覆うようにしながらヴェンが漏らす。

 スープだけでも最高だったが、パンを浸せば一段と味わい深かった。出汁の旨味を充分に吸い込んだ麦のパンはより芳醇な香りを放ち、匂いが鼻を抜けるより早く腹の中へと消えていた。

 空腹を通り越して飢え死に寸前だった青年の五臓六腑は今、完全に満たされていた。

「まったく。遠慮というものを知らんのか、お前は」

 何とか自分の食事を確保しておいたベルマが、最後のパンの一欠片を飲み下しながら非難する。食事時であっても、この魔法使いは決してフードを外そうとはせず、素顔も見せない。

 弟子のフェイラは、後片付けをするため炊事場へと向かった。その長身の背中に視線を送りつつ、ヴェンは友人である魔法使いに尋ねる。

「可愛い娘だな。料理も上手いし、どっから攫ってきたんだ?」

「人のことを魔女みたいに言うな。あれは間違いなく、私の子どもだ」

「…………隠し子?」

 突拍子もない結論に、魔法使いの女は一度は胃に収めた食事を吹き出しかけた。

「たわけ! お前は人のことを何だと……いや確かにあいつの存在は表に出せないがな……!」

 声を荒げながら、それでも冷静にベルマは浮き足立った腰を椅子に落ち着かせた。狂った調子を取り戻すべく、葉巻を取り出して食後の一服とする。

 煙を吸って柄にもなく理性的でなくなった感情を鎮めつつ、魔法使いは青年に告げる。

「初対面ではないだろう。あれがもっと小さい時に、お前とは会っている」

「あ……? …………あー、もしかして、あの時の?」

 半信半疑で尋ねるヴェンに、ベルマは無言で頷く。それでも信じられない様子で青年は炊事場に立つ少女の背中を眺めた。

 ピンと行儀よく伸ばされた長身は見ていて気持ちが良く、翡翠色の髪は陽の光の中で輝き、画家が描いた絵画のように出来過ぎの光景だった。

「はぁ……見違えたな。一体どんな魔法を使ったんだか」

「難しいことは何もしていない。ただの錬金術の応用だ。それから、おいそれと魔法なんて言葉を口にするな」

「いや、それにしても……やっぱスゲーな、魔術って」

 指摘され、素直に訂正しつつ心底から感服する。

 この世界、ヴァドルニアと名付けられ数々の国家を擁する広大な土地には〈魔術〉と呼ばれる知識があり、それらを学び研究する〈魔導師〉と呼ばれる存在がいる。〈魔法使い〉も〈魔法〉も実在せず、お伽噺の中の言葉でしかない。それぐらいの認識は青年も持ち合わせていた。

 だが世間一般には、これらの言葉は大して区別されていない。ヴェンと話した村の老人にとって〈魔導師〉が〈魔法使い〉であり〈魔術〉が〈魔法〉に過ぎなかったように、神秘に対する民衆の認識は飽くまで『奇跡を起こす不可思議な術』の域を出ていないのだ。

 本職の魔導師であるベルマいわく、〈魔術〉という単語すら厳密には〈魔導技術〉と呼称すべきらしい。『存在の力である魔力を導く技術』だからとのことだったが、そこまで細かい差異となるとヴェンからしても微妙だった。

「それで。どうして戻ってきたんだ?」

「うん? いや、旅の途中でどう考えてもあんたっぽい魔導師の噂を聞いたから……」

「そちらの話ではない。どうしてこの国アトラフイスに戻ってきたのかと訊いているんだ」

「ああ、そっちか。……聞いたことねぇか、この国アトラフイスに怪物が出るようになったっていう噂は?」

「生憎と、世事には疎いのが研究者の本分だ」

「相変わらずだな。ま、本当に噂レベルの話なんだけどな。王都あたりじゃなくて、ここらみたいな辺境に出没するらしいんだよ。『ヒトの形をした怪物』がさ」

 そう言って、青年は詳細を話し始める。故郷であるアトラフィス王国を離れて旅をしていた最中、奇妙な噂話を耳にした時のことを。そして、今回の帰国を決めた経緯についても。

 友人の語る内容を黙って聴いていたベルマは、話が終わるとゆっくりと煙を吐き出した。

「──ふん。怪物、亡霊の類か。非現実的だな」

「魔法使いが言うセリフかよ。一般人からしたら、あんたも怪物も同じオカルトだろうよ」

「だから、私はその呼称が好きじゃないんだ。イメージは伝わりやすいがね。正確に〈魔導師〉〈魔導技術者〉と呼ばせたいところだが、こんな辺境では魔法も魔術も区別はないからな」

 不満そうに葉巻の煙を燻らせる魔導師ベルマ

「それでだ。魔導師のあんたからしたらどうなんだ、怪物っていうのは?」

「噂だけなら眉唾物だな。実物でも見なければ、本当のところなど解らん」

「そこを何とか。やっぱ気になるじゃねーか、自分の国に変なのがうろついてるとか」

 頼み込む青年に対し、仕方なさそうにベルマはフードの下で眉を寄せた。再び葉巻を口に咥え、甘い香りの煙を吸い込みながら思考を巡らせる。

「──仮に、その怪物を魔術的な存在と定義するなら。ヒト型をしている、という時点で〈魔導人形ゴーレム〉は除外されるべきだろう。あれは、人のために働くように造られる自動人形だからな。普通なら完全なヒト型を模したりはしない。よって、もう一方の可能性である〈魔導獣キマイラ〉の必然性が強まるわけだが……こちらも、怪物がヒト型というのがネックだな。第一、わざわざヒト型にする理由が解らん。そうでなければならない理由がない限り非効率も良いところだぞ、こんな構造は」

 そう言ってヒラヒラと手を振ってみせるベルマ。説明は明快で、青年にも理解しやすかった。

魔導人形ゴーレム〉と〈魔導獣キマイラ〉。そのどちらにも、ヴェンは遭遇したことがある。前者は石や鋼で出来た巨人や獣に近い外見の人形、後者は複数の動物が混ざり合った化物といった存在であり、確かに『ヒト型の怪物』と表現すべきものではない。

「ふーん。要するに、噂の〝怪物〟がヒトの形をしてるのには理由があるってことか」

「そもそも、噂の真偽はどの程度なんだ? 正体見たり枯れ尾花では、笑い話にもならん」

「あー、ホントにちらっと聞いただけの話だったしな。ほら、帝国ガルストアの属領になってるマセーラ寄りのあたり? あそこら辺からこっちにかけての噂らしいんだけどさ」

「……マセーラね」

 思うところがあるのか、顔を伏せて女魔導師は思索に耽る。その様子に首を傾げながらも、気分を変えるようにヴェンは言った。

「ま、本当にただの噂だよ。それが気になっただけで、戻ってきたのにも大した理由はねぇよ」

 茶化した風に笑い飛ばす青年。一瞬だけ思考に囚われた意識を戻しつつ、ベルマもまたそれ以上は〝怪物〟について考えなかった。

「風来坊なのは変わらず、か。さっさと落ち着かんと、どこかで野垂れ死にしても知らんぞ」

「……それはちょっと笑えねーな。実際、今回とか危なかったわけだし」

 魔導師の言葉に、苦い顔をするヴェンであった。話のついでとばかりに、その件についてベルマに文句を言っておくことにする。

「そう言えば、なんで結界の効果が延びてんだ? 前は五日ぐらいで解けたじゃねーか」

「ああ、どっかのバカが断りもなく工房に這入ってきたことがあったからな。そんなのは二度と御免だったから、この森に庵を移す時に強化しておいたんだ」

「……あっそう」

 完全に身から出た錆だった。

 項垂れるヴェンを目の前に、ベルマはどこ吹く風で葉巻を燻らせ続けていた。

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