第28話 遅延戦術
炎で周囲を焼き、風で瘴気を払う。
見晴らしの良くなった傾斜面を高速で影が走るのを見つける。
忌々しい男だ。さっさと私に殺されてくれればいいのに。
私は影を目で追いながら体内魔力を絞り出し魔法を詠唱する。
「『
地面の中をまるで水中のように泳ぐ土でできた魚を生み出し、その群れを差し向ける。
影は私の魔法が発動したのを確認すると急速に方向転換し私から距離を取る方向へ走る。
逃げる気? そうはさせない!
「『
事前に回り込ませていた夥しい数の炎の鼠が影へと襲い掛かる。
影が足を止めたことでその姿をはっきりと視認する。
白い髪に、赤い剣身の大剣を手にした長身の男。
その名はハイリゲス。私の倒すべき相手だ!
「死ね! ハイリゲス!」
私の魔法に反応しハイリゲスは剣を抜く。
しかし、それよりも私の魔法の到達が早い。
前方の炎の鼠が牙を剥き、後方から土の魚が飛び掛かる。
鼠と魚の体でハイリゲスの姿が隠れる。
「らああああああああ!」
掛け声に一瞬遅れ、鼠が、魚が細切れに切り裂かれ魔力の露となって消えていく。
隙間から見えるのはすさまじい速度で剣を振りぬくハイリゲスの姿だ。
剣閃が止むと、あれだけ居たはずの魔法生物たちは全て倒されていた。
くっ。まだよ!
私は体内の魔力を練り上げていく――
「
「待ちなさい!」
ハイリゲスは私の思惑を無視し、無言で走り去っていく。
気づけばすでに私の魔法の射程圏外に居た。
……いい加減にしてよ!
「あいつ一体何のつもりなのよ!」
これでいったい何回目の襲撃だ。
あいつは突然現れては、今みたいに私が魔法を発動するとすぐに逃げ去っていくのだ。
狙いは明白。私の消耗だろう。
呪いのせいで私は戦闘から逃げることができない。
非戦闘時であればこの場から移動することは可能だが、ここは死の山『霊峰ヴィンケル』だ。
今は魔法で漂う瘴気を飛ばしたため見晴らしは良いが、通常は数歩先すら見通すことができないのだ。
そんな中、化け物じみた身体能力を持つハイリゲスに襲われれば詰みだ。
私は周囲に魔力を飛ばしてハイリゲスが周囲にいないことを確認し、ようやく息を吐く。
「お疲れ、ツァウ」
背後から私の名を呼ぶ声が掛かる。
聞くだけで気分が落ち着く、柔らかな声だ。
「フルーホ! 隠れていてって言ったでしょ! あんたは私に比べて弱いんだから」
「ごめんよ。でも、君が戦っていると思ったら隠れてなんていられないさ」
私が叱責しているのに、フルーホは堪えた様子がない。
優しい口調のままキザなセリフを吐く。
ほんと、どうしようもないんだから。
「ハイリゲスの狙いはおそらくあんたよ! ノコノコ出てきてやられたって、私は知らないからね!」
「ああ。分かっているさ。そのときはすぐに隠れるよ」
「私が守ってあげているんだから。死んだら承知しないからね!」
私の忠告が分かっているのか、いないのか。
危機感のないフルーホの態度にため息を吐いた私は、彼に注意するようもう一度釘を刺す。
どうしてか記憶を失い、アンデットに囲まれていた私を助けてくれたのがフルーホだ。
私が魔力切れを起こし、次々と現れるアンデットの軍団に死を覚悟した時、フルーホは身を挺して私を庇ってくれたのだ。
彼にも事情を聞いたが私同様に記憶を失っているという。
しかし、彼にはこの事件の首謀者の記憶があった。
それがハイリゲスだ。
なぜか彼は私達に呪いを掛け、命を狙ってきているのだという。
あの凶暴な面構え、間違いなく悪人である。
「それにしてもハイリゲスの目的は何? どうして私達を執拗に狙うのよ!」
私はハイリゲスの走り去っていった方向に視線を向けて毒づく。
奴は私に呪いを掛けた宿敵だ。
奴を殺さない限り、私に掛けられた呪いは解けることがない。
私は改めてステータスを確認する。
―――――
ツァウバー=フリエレン
レベル:92
HP :520/871
MP :2936/7260
筋力 :769
耐久力:611
敏捷力:802
魔力 :8981
スキル
『
特殊
『不明の呪い』『封印の呪い【逃】』『
―――――
私に掛けられた呪いは二つだ。
『不明の呪い』は、一度使った魔法が記憶ごと封印され二度と使えなくなる呪いだ。
この呪いがある限り、私は魔法を使えば使うほど弱くなっていく。
もう一つが『封印の呪い【逃】』だ。
戦闘中、その場から逃げ出そうとする意思が封印され自分から戦闘を辞めることができなくなる。
ハイリゲスは何度もこちらに攻撃を仕掛けてきている。
私は戦闘を挑まれれば受けるしか無い。
逃げる選択が取れない以上、魔法で撃退するしか無いのだ。
その度に私の使える魔法は減っていく。
私はもともといくつの魔法を使えたのだろう。
どうしてハイリゲスは私ばかりを狙うのだ!
その心当たりは私の中にない。
ハイリゲスに奪われた魔法の数を思い、私の中に怒りが湧き上がる。
「大丈夫。君の魔法からずっと逃げ続けられるわけがない。次は奴を倒せるさ」
私の肩にそっと手が置かれ、フルーホが微笑みかけてくる。
その声は、まるで劇薬のように私の心を奮い立たせる。
「ええ! 当然よ!」
私は内心の怒りをエネルギーに変えて、笑みを作る。
私はツァウ、正義の魔法使い!
「ハイリゲス! あんたのような悪には絶対に負けないんだから!」
☆☆☆
「はあ、はあ、はあ」
ツァウの下から逃げ出した俺は、山を駆け下り岩陰に隠れたところでようやく息を整える。
「さっきのは危なかったな」
俺は地面に腰を下ろすと、服をめくりわき腹を確認する。
そこには歯型状の小さな火傷痕がいくつも付いていた。
「その傷跡はツァウちゃんの魔法で付けられたものだよね」
イルジィの幻影が現れ、俺の傷跡を覗き込む。
こいつの場合、声色で感情を読むことは難しいが、心配してくれているのだろう。
「ああ。いくら何でもネズミの数が多すぎた。ほとんどは剣で切り裂いたが、取りこぼしたネズミに何か所か腹を噛まれたよ。ツァウも容赦ねえな」
俺は水で傷口を洗い流すと布で拭き取る。
既に手持ちの回復薬は尽きている。
俺が回復魔法を使えない以上、これ以上の処置は難しいか。
俺は引き上げた服を戻して立ち上がる。
『タープー』
「おっ、ターピーア。心配して出てきてくれたのか」
気づくと傍らには俺に鼻先を擦り付けるターピーアの姿があった。
今のこいつは幻影ではなく本体だ。
進化する際に夢の中から自由に出ることができる『夢破り』のスキルを手に入れていたのだ。
俺は刺激を与えないように軽くターピーアの頭に手を乗せる。
ターピーアはくすぐったそうに身を捩らせる。
初対面の時と比べて、俺にだいぶ懐いてくれたものだ。
「ターピーア。気持ちは嬉しいが、ここは瘴気の漂う山の中だ。健康に悪いぞ。夢の中に戻ってきてくれ」
『タープ!』
コクンと縦に首をふるとターピーアは俺の体に吸い込まれるように消えていく。
「本当は僕が傷を回復させてあげれればいいんだけど」
「無茶を言うな。お前の本体は王都にいるんだ。魔法が届くわけがないだろ」
ターピーアと入れ替わるようにイルジィの幻影が現れる。
軽い口調で返事をするが、イルジィは思いの外真剣な表情を浮かべていた。
「方法はあるんだよ。問題はそこじゃなくて『不遇の呪い』だ。この呪いがあるせいで魔法を使えば確定で暴発してしまうから……」
「ちょっと待て。方法があるって、王都にいながら魔法を俺の下まで作用させられるのか!? どんな影響範囲だよ!」
王都からここ、霊峰ヴィンケルまではどれだけ急いでも馬車で三日の距離がある。
イルジィの意識が俺とつながっている以上、正確な俺の位置は分かるだろう。
しかし、これだけ距離が離れた地点に魔法を飛ばすことなんてできるのだろうか。
「それは、無理だよ!」
「無理なのかよ!」
「ああ。だけど方法はあるんだ。君には説明しただろ? 『感覚共有』の魔法。その応用だよ」
イルジィは右手の人差し指を立て、顔の横でクルクルと回転させる。
「『感覚共有』魔法は対象者が感じた五感を術者も感じることができる魔法だ。反対に術者の感覚を対象者に感じさせる事もできる。ではどういう仕組みで他人が感じた感覚を体感できるのか。それは、相手の脳内に流れる電気信号を読み取り自身の脳内で再現するからだよ」
「ん? ああ、なるほど?」
「例えば触覚だ。君が指でこの地面を触ったとしよう。すると、指先の感覚受容器は地面の硬さや質感、細かさに、温度などを瞬時に感じ取りその情報を電気信号として神経を通じて脳へと送る。信号を受けとった脳はそれを処理し、今までの記憶と照らし合わせ地面を触ったと認識するんだ」
「……ええっと、いきなり何の話だ?」
やばい。話の一割も理解できなかった。
疲労した脳にイルジィの講釈は難解すぎる。
「ああ、ごめんね。話が脇道にそれてしまったよ。僕が言いたかったのは感覚は電気信号によって脳に伝達されるということさ。そして運動はその反対だ。脳で発生した電気信号が神経を通して運動器へ伝達される。つまり、僕の脳内で発生した運動を命令する電気信号を君の脳内で再現すれば自分の体を動かすように他人の体を動かせるんだ!」
「……」
イルジィは明るい声色で話続けるが、俺は相槌すら打てず沈黙する。
ただでさえ火傷の痛みを我慢しているんだ。
あまり頭を使わせないでくれよ。
「剣士君の魔力の動きを僕が制御すれば魔法の行使ができるからね。ただし、その場合は僕が自由意志で魔法を発動させている判定となって不遇の呪いの影響を受けてしまう。100%魔法は失敗して暴発してしまうだろうね……あれ? 元気がないけど剣士くんには少し難しかったかな」
「お前、わざと難しく言ってるだろ!」
「ハハハ。ごめんね! でも、僕のお陰で気が紛れて痛みも引いたんじゃないかな?」
「お前のせいで叫んだから、余計痛んでるんだよ!」
叫ぶ度に火傷痕が痛む。
くそ、こんなところにフルーホに味方する伏兵がいたとは!
「剣士君。あまり暴れていたら保たないよ。まだ一日は逃げ続けないといけないんだから」
「……お前、分かって言ってるんだよな? だが、いつまでも休んでいる訳には行かないよな。休憩は終わりだ」
俺は勢いをつけ一気に立ち上がる。
体の調子を確認するが違和感はない。
うん。『大物喰い』はしっかりと発動しているな。
「剣士君。作戦は覚えているよね?」
「ああ。もちろんだ。時間稼ぎだろ」
イルジィが俺に提示したのは時間を稼ぐという単純な作戦だ。
期間は二日間。
それもただ隠れていればいいわけじゃない。
「俺が散発的にツァウヘ戦いを挑んで、ツァウをあの場に釘付けにしなきゃいけないんだよな」
「ああ。フルーホに作戦を感づかれるわけにはいかないからね。フルーホには僕らがツァウちゃんの魔法を削るためにこの戦法を取っていると思ってもらわないと!」
フルーホは馬鹿じゃない。
俺達が時間稼ぎをしているのがバレれば、別の手段を講じてくるはずだ。
ツァウをその場で殺すことだってあり得る。
「後一日これを続けると思うと正直きついが……やるしかねえよな」
「剣士君には負担をかけるけれど、頼んだよ!」
「ああ。任せておけ!」
俺は決意を新たに力強く頷く。
もちろん、これは俺だけの戦いではない。
イルジィも、ターピーアも、みんながこの戦いの為に動いてくれている。
その目的は一つ、ツァウを救うためだ。
だから俺がこの程度の苦境で弱音を言うわけにはいかない。
必ず乗り越えて見せる。
だから。
「持っていろよ、ツァウ。必ず君を助けるからな!」
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