75.新たな一歩
レフォードの頭は空っぽだった。
いや、正確に言うと空っぽではない。たったひとつの感情だけが残されていた。
――弟達を殴ったあいつをぶん殴る
皇帝ハルクの前に倒れるエルク達。足蹴りにされる最愛の兄弟を前に、レフォードの思考回路はある意味破壊されてしまっていた。
「うぐぐぐっ、ごほっ……」
その壊れたレフォードの足元には、彼の重撃を受けて蹲るハルク。
(一体何が、どうなってやがる……)
まるで先程とは別人。大して効かなかった奴の拳もズンズンと腹の奥で痛みが増幅している。
ハルクは気付いていなかった。魔法を打ち砕く力を持つエルクの聖剣。その剣で何度も攻撃を受けたことで
「に、兄さん……」
倒れたエルクが地面に顔をつけながら再びやって来たレフォードの名を口にする。
(エルク……)
レフォードの頭に孤児院時代の幼きエルクの笑顔が浮かぶ。
「あーくそ、てめぇ許さねえぞっ!!!!」
逆上したレフォードがハルクの襟首をつかみ持ち上げる。ハルクが言う。
「き、貴様。なにを……」
ドン!!!!!
「ぎゃっ!!!」
レフォードが問答無用にハルクの右頬を殴りつける。後ろに飛ばされるハルク。レフォードはゆっくりと歩み寄り倒れたハルクを再び掴み言う。
「死んで償え」
ある意味感情がない表情。無慈悲に相手を殺す言葉。ハルクは一瞬体をぶるっと震わせてから、それでも反撃しようと無意識に太い右手を振り上げる。
「だ、黙れっ!! 俺は最強の皇帝だあああああ!!!!!」
ドン!!!!
ハルクの右手が無防備のレフォードの顔面に入る。だがレフォードは微動だにしない。
「レ、レフォ兄……」
倒れたままのガイルがそれを見て小さく声を出す。周囲から見ればハルクの攻撃がレフォードを直撃した。だがその当人は全く別の思いに襲われていた。
(い、痛てぇええええ!!!!! な、なぜだ!!!??)
まるで巨大な岩を殴ったような感覚。決して割れることがない重く硬い岩を殴ってしまったような手の痺れ。殴られたのに微動だにしないレフォードが小さく言った。
「死んで償えよぉおおおおおお!!!!」
ドン、ドドオオオオオオオオン!!!!!
「ぎゃあああ!!!!!」
地面に叩きつけられるハルク。
周囲の人間は一体何が起こったのか理解できなかった。あれほど強く無敵の皇帝であったハルクが、一方的にやられている。レフォードが強いのか、それともハルクが弱くなったのか、どちらか分からないが突然の戦況の変化に皆が我を忘れてその戦いを見つめた。
ドン、ドドドド、ドン!!!!
襟首を掴んでは殴り、地面に叩きつけられては再び掴んで殴り、まるで抵抗することができなくなったハルクをレフォードが一方的に殴りつけた。
誰も見たことがないほどのレフォードの怒り形相。殴り続ける彼に、ようやくその金髪の騎士が声を掛けた。
「兄さん、もう大丈夫だよ……」
レスティアの応急処置を受け、立ち上がり歩み寄って来たエルクがレフォードに言う。
「……ん?」
弟の声で真っ赤に血走っていたレフォードの目の焦点が定まる。
「あれ?」
そして気が付けば足元に横たわる血まみれの皇帝ハルク。息はあるがぐったりしており意識がない。レフォードが尋ねる。
「俺が、やったんだよな……」
微かに残る記憶。逆上して我を失ったレフォード。弟エルクに声を掛けられようやくこちらの世界に戻って来た。
「そうです、兄さん……」
エルクがゆっくりとレフォードに近付き抱きしめる。助けて貰ったこと、迷惑を掛けたこと、様々な思いがエルクの頭の中に浮かび上がる。
「ありがとうございます、兄さん……」
強くレフォードを抱きしめるエルク。その義弟の抱擁が、ようやく彼の心の中にあった熱く滾る炎を鎮火させていった。
「お兄ちゃーーーーん!!!!!」
そこへ涙で目を真っ赤にしたミタリアが駆けて来る。
「わわっ、ミタリア!?」
そのままレフォードの胸に飛び込むミタリア。強く強く義兄を抱きしめて言う。
「うわーん、お兄ちゃんが死んじゃうかと思ったよーーーーっ!!! うわーん!!!」
「ミ、ミタリア……」
ミタリアを撫でようとしたレフォードが、自身の手が血で真っ赤に染まっていることに気付き一瞬躊躇う。
「レー兄ィ!! おい、ミタリア!!」
「邪魔なの。どいて、ミタリア」
そこへ同じくヴァーナとルコもやって来て心配そうな顔をしてレフォードを見つめる。
「お前ら留守番を頼んでおいたのに……、全く仕方ねえな……」
それでもルコの重力魔法で動きを止め、そこへヴァーナの業火魔法で敵を一掃してくれたこの最強姉妹を見て「まあいいか」と思い直す。
「レフォ兄はやっぱすげえな」
「レー兄さん、本当にありがとうございます……」
そこへ同じくレスティアの応急手当てを終えたガイルとゼファーがやって来て言う。エルクがゼファーを見て声を掛ける。
「ゼファー、本当に大きくなったな。皇帝とは驚いたよ」
ゼファーが金色の髪が美しい兄エルクを見て恥ずかしそうに答える。
「エルク兄さん、その……、色々ごめんなさい……」
エルクはゼファーの背中を軽く叩くと笑顔で言った。
「気にしなくていい。弟の問題は私達の問題。そうでしょ? 兄さん」
そう尋ねられたレフォードもやや恥ずかしそうな顔で答える。
「ま、まあな……」
それをレフォードに抱き着いたままのミタリアがからかうように言う。
「あー、お兄ちゃん照れてる~!!」
それを見たヴァーナがミタリアの手を引っ張って叫ぶ。
「お前、いつまでレー兄にくっついてるんだよ!! 離れろっ!!!」
「いやーだ!!! やめてよ、ヴァーナちゃん!!」
「早く離れるの。潰すよ」
そんな妹達のやり取りを見てレフォードが苦笑する。
「レフォードさん、ありがとうございました」
そんな兄弟に白髪の老人に肩を貸してやって来たジェネスが頭を下げて言う。レフォードが尋ねる。
「お前の親父さんだったんだよな。良かったな」
「はい、何とお礼を申し上げて良いのやら……」
皇帝ハルクの剣によって倒れた元帝国三将軍の『剣士ロウガン』。エルク達の応急処置を終えたレスティアがすぐにロウガンの処置もしてくれた。涙を流し感謝するジェネス。ロウガンも同じく深く頭を下げて言う。
「レフォード殿。今回の件、息子からすべてお聞きしました。本当に感謝致します」
ダメージはあるものの、ルコの
「ロウガンさん、私はあなたに謝罪しなければなりません。本当に申し訳ありませんでした」
頭を下げるゼファー。皇帝に一方的に即位し、蛮行を止めようとした剣士ロウガンを叩き斬り牢にぶち込んだ。自我を無くしていたとは言えその記憶はまだ残っており、それはゼファー自身、今後償っていかなければならないことだと思っている。
「……」
無言になるジェネス。尊敬する父が皇帝だったゼファーに破れ投獄された。その憎き相手がレフォードの義弟だったことは驚きではあったが、かと言ってジェネス自身ゼファーを許した訳ではない。ハルクと言う新たな敵が現れ有耶無耶になっていたが、今でも父の仇としてこの目の前の男を叩き斬りたい。ロウガンが言う。
「頭を上げられよ、ゼファー殿」
(!!)
ジェネスはその言葉に驚いた。ロウガンが続けて言う。
「聞くところによると
「と、父さんっ!!!」
それには納得できないと言った顔のジェネスが叫ぶ。ロウガンが息子に言う。
「お前も見ただろう、ジェネス。ゼファー殿が死ぬ気でハルクに向かって行く姿を」
「……」
黙り込むジェネス。
「あれは同じく国を想う仲間の姿。今のゼファー殿に私は剣を向けることはできぬぞ」
「父さん……」
言うことは理解した。だが心情的にはやはり納得いかない。レフォードが言う。
「ジェネス。この件は許してくれとは言わないが、こいつに償う機会を貰えねえか」
「償う……?」
そう言うジェネスにレフォードが言う。
「そうだ。これからの人生、ゼファーには一兵卒として帝国の為にしっかり働いて貰おうと思う。いいよな、ゼファー?」
ゼファーが頷いて答える。
「はい、もちろん。私もそのつもりでした」
「うむ。それでいい。それでこれからのことについてだが……」
ロウガンがゼファー、そして皆に向かって言う。
「これから帝国の皇帝制を廃止したいと思っている。そして君主を国民が選ぶ『君主選挙制』を導入したいと思っているがどうじゃろう」
「君主選挙制……」
それは世襲制とは違い、その都度民の投票によって君主を選出する制度。これまでの世襲制だった帝国とは全く別のものとなる。
「父さん、それは素晴らしい考えです!! 新たな帝国を造りましょう!!」
ジェネスも父の意見に賛成する。ロウガンが少し離れたところからこちらを見ている帝国兵達に向かって大声で尋ねる。
「皆の者っ!! これより帝国は皇帝制を廃止する!! そして君主を皆の選挙で選ぶ君主選挙制に移行する。賛成する者は手を叩いて応えよ!!!」
パチパチパチパチ!!!!!
「うおおおおお!!!!」
「それは凄い!!! 大賛成だ!!!!」
帝国兵の間から割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。実際、ゼファーが無理やり即位する前の皇帝ヘルムも酷い圧政を敷いていた。長く続く世襲制による歪が帝国を圧迫し、民は苦しい生活を強いられていたのだ。皆の歓声を背に、ロウガンがゼファーに言う。
「と言う訳だ、ゼファー殿。初代国王にはあなたを推薦する。受けてくれるか?」
「え? ええっ!!??」
驚くゼファー。ジェネスが叫ぶ。
「と、父さん!! 何を言っているんだ!!!」
「何って、これからの国の話だ。帝国の為に尽くしたいと言うのならば、そのトップに立って牽引して欲しい。そうじゃろ?」
「だ、だけど、こいつが国王だなんて……」
やはり納得がいかないジェネス。レフォードが言う。
「まあ、それも皆民が決めることだろ。ゼファー、立候補しろよ」
「で、でも、俺なんか……」
そう戸惑うゼファーにエルクが言う。
「心配するな、ゼファー。お前が即位した際にはラフェルは全面的に協力する。正騎士団長の私が保証しよう」
「エルク兄さん……」
嬉しそうな顔をするゼファーにヴァーナも言う。
「ヴェスタ公国も同じだ。ゼファー、お前死ぬ気でやれよ」
「ラリーコットも手伝うよ~、任せてよ~」
レスティアもそれに続く。
「パパにお願いするの。魔族も協力する」
そしてルコ。父親である魔王カルカルの協力が仰げる。レフォードが笑って言う。
「すげえじゃねえか!! これだけ周辺国から味方して貰えれば、何の心配もねえ!! さすが俺の兄弟達だな!!」
(それ、全部あんたのお陰なんだけど……)
その言葉をガイルが苦笑して聞く。心を決めたゼファーが皆に言う。
「分かったよ。俺、やれるだけやってみる。みんなが応援してくれればきっと大丈夫だと思えるよ!」
孤児院時代、いつも陰に居て目立たない存在だったゼファー。その成長に兄弟達は何度も頷いて応える。ゼファーが言う。
「ジェネス。あなたに許して貰おうなんてまだ思わないけど、俺は俺のやり方でみんなに償って行こうと思う。ロウガンさん、ふたりともありがとう」
そう言って深く頭を下げるゼファー。無反応だった息子の頭を無理やり下げさせてロウガンが言う。
「それは楽しみじゃな。さ、帰ろうか、我が国へ」
「はい! レー兄さん達も一度来てよ」
そう言って誘ってくれた弟にレフォードが笑顔で答える。
「ああ、もちろんだ。お前の雄姿を見せてもらうぞ」
「帝国って何が美味いんだ?? 爺さん、教えてくれよ!!」
そうロウガンに話すガイルを見て皆が笑いに包まれる。新たな帝国がその記念すべき第一歩を踏み出した。
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