66.孤独のゼファー

「まず名前を教えてくれ」


「ジェネスだ」



「じゃあジェネス。詳しく話を聞かせて貰おうか」


 地下牢から出され、来客室に案内されたガナリア大帝国からの密入国者ジェネスにレフォードが尋ねる。部屋には他にミタリアの他ガイルも同席。弟であるかもしれないゼファーとの関連を探る。ジェネスが尋ねる。



「皇帝ヘルムが拘束されたのは知っているか?」


「知っている。号外が出ていた」


 ジェネスが真剣な顔になって言う。



「ヘルムを拘束したのが、今皇帝を名乗っているゼファーだ。何者かは知らない。突然やって来て圧倒的な力で帝国をねじ伏せた」


「ねじ伏せた? 政変じゃないの?」


 ミタリアが尋ねる。


「違う。武力だ。クーデターと言うのが相応しいかどうかは分からないが、とにかくその力でゼファーが皇帝を含めすべての人をねじ伏せたんだ」


「……」


 黙って聞くレフォード。ジェネスが続ける。



「とは言ってもそのやり方が気に入らない奴もいる」


「だろうな」


 レフォードの言葉を聞いてからジェネスが言う。



「その筆頭が俺の親父だった」


「親父?」


 ガイルがその言葉に反応する。



「ああ。親父は帝国の三将軍のひとり『剣士ロウガン』。冷酷な圧政を敷く新皇帝に盾突き、そして今拘束されている。生きているのかも分からない状況だ」


「……」


 黙り込むレフォード達。悲しみの表情を浮かべたジェネスが続ける。


「それで親父の家族である俺も追われる身となり、ひとり亡命した。この怪我は越境時に帝国兵に負わされたものだ」


 ジェネスの腕や足にはいくつもの包帯が痛々しく巻かれている。激しい戦闘を経てここまで来たのであろう。ジェネスが言う。



「そしてあんたらにとって重要なのがここからだ」


 レフォード達が黙って聞く。



「近いうちに帝国が侵攻してくる。この辺りの国を一斉攻撃するつもりだ」



「!!」


 前々からあったガナリア大帝国の侵攻の噂。だがこうして帝国の人間の口から直接聞くといよいよ覚悟を決めなければならない。ガイルが言う。



「本当なのか? お前を疑いたくないけど、帝国のスパイって可能性だってあるだろ?」


 ガイルの心配も尤もだ。どのような切り口で仕掛けてくるのが分からないのが帝国だ。レフォードが言う。


「どちらにしろ帝国の南下に備えておくのは悪いことじゃないだろう。それでお前の要求は何だ? 何かあるんだろ?」


 レフォードの問いにジェネスが小さく息を吐いてから言う。



「帝国を倒して欲しい」


「え!?」


 驚きの言葉。ミタリアが尋ね返す。


「どういうことですか?」


「そのままの意味だ。ラフェルやヴェスタなどが力を合わせて今の帝国を倒して欲しいんだ。そして捕らわれている俺の父を助けたい」


 ジェネスの要求は分かった。

 とは言え宣戦布告もされていない状況でこちらから仕掛ける訳にはいかない。これほどの戦、世界を巻き込んだ戦いになる可能性もある。ミタリアが言う。



「分かりました。何ができるか分かりませんが王国に伝えます」


「本当か?」


 それを聞いて喜びの表情を浮かべるジェネス。だがミタリアがはっきりと言う。



「本当です。だけどそうは言ってもまだあなたの全てを信じることはできません。スパイの可能性もありますし。なのでしばらくここに監禁させて貰います。今の話を王国に報告し、しかるべきタイミングで王城へ一緒に行きましょう。私個人としてはあなたを信用したいと思っています」


 領主の言うことも当然だとジェネスは思った。いきなりやって来た言わば敵国の人間の言葉を全て信用することなどできない。疑われても当然だろう。ジェネスが答える。


「分かった。だがあまり時間はない。ガナリアの侵攻はもうすぐそこまで迫っている」


 ミタリアが頷く。それは正に領主の顔である。




「なあ、ゼファーには会ったことがあるのか?」


 レフォードがジェネスに尋ねる。


「遠目から見たことはある」


「どんな感じだった?」



「凶悪そうな顔をしていたよ。俺はあいつを倒す為なら何でもやる」


「そうか……」


 レフォードはあの大人しくていつもおどおどしていたゼファーのことを思い出す。そして唯一別れの挨拶ができなかったその弟の顔が頭に浮かんだ。






「ゼファー、こちらが新しい母親だ。よろしくな」


 ゼファーはとある商家の息子として生まれた。大きな商家ではなかったが、父親は稀代のモテ男。とっかえひっかえ女を換え、ゼファーが自分の本当の母親も知らぬうちに次から次へと新しい女がやって来た。



「……」


 幼かったゼファー。なぜ自分の家に知らない女の人が来るのか理解できなかったが、彼女らが自分に対して良い感情を持っていないことは理解できた。



「気持ち悪い子供。全然懐かないし」


 ほとんどの女がそう思った。

 遊んでばかりで仕事をしない夫。一緒になる前はあんなに輝いていたのに、結婚後はダメなところばかり目に付く。そして夫婦仲が悪くなり離婚。その度に新しい母親がゼファーの前に現れた。

 ゼファーは機嫌が悪くなる義理の母親から逃げるように家の中で隠れるようになった。会うと叱られる。八つ当たりされる。ゼファーは自分の居場所を暗く誰もいない影の中へ求めた。そしてある日、父親が死んだ。



「さようなら」


 浮気に逆上した女による殺害であった。

 あっけなく死んでしまった父親。同時に消える母親を名乗っていた女。ゼファーはしばらく親族の家をたらい回しにされたが、最終的に孤児院に連れて来られた。



「よろしくな。俺、レフォードって言うんだ」


 そこで会ったのが義兄レフォードと兄弟達。皆仲良くしてくれたが、ゼファーは怖かった。



(この人達も僕を見捨てる……)


 恐怖。孤独。震え。

 幼いゼファーは圧倒的な負の感情に支配されていた。



「ゼファー、何やってんだ? 掃除に行くぞ」


 孤児院の部屋の隅。目立たない場所で座っていたゼファーを『見守り役』のレフォードが探し出し、手を差し出す。


 パン!!


 ゼファーはその手を払いひとり駆け出す。



「おい、ゼファー!!」


 レフォードにすら心を開かない弟ゼファー。交わした会話は数えるほど。他の弟妹達とは何かが違うゼファーにレフォードも心を痛めた。




「おーい、ゼファー!! ゼファー、どこにいる!?」


 孤児院での作業時間。朝から姿を現わさないゼファーをレフォードが探す。担当の使用人の女が腕を組みながら未だ来ないゼファーに苛立ちながら声を荒げる。



「レフォード、何やってるんだよ!! 早く探してこい!!!」


 バン!!!


 無慈悲に殴られるレフォード。耐久スキルを持っている彼にとってはその痛みは大したことはないが、弟が来ないという現実には胸を痛める。



「すぐに探して来ます」


 レフォードは軽く頭を下げて部屋を出る。



「レフォード兄さん、僕も探すよ!!」


 部屋を出たレフォードにエルクがやって来て言う。


「ああ、頼む!」


 ふたりの兄は弟ゼファーを必死に探した。




 ある日、またゼファーがいなくなった。

 兄弟達の管理責任は『見守り役』にある。朝から見当たらないゼファーをレフォードがずっと探していた。



「本当にどこ行ったんだよ……」


 夕方になっても見つからず夜、そして次の朝を迎えた。



「レフォード、ちょっといい?」


 翌朝からゼファーを心配し孤児院中を探していたレフォードに、主任使用人ミーアが声を掛けた。嫌な予感がする。レフォードの直感は当たった。



「ゼファーが身受けされたの」



「え?」


 それは最も悲しい兄弟の別れ。最後涙を流しながら見送る兄弟が突然身受けされたという。



「身受けされたって、もういないの?」


「……うん」


 レフォードの問いかけにミーアが悲しそうに頷く。



「……なんでだよ」


 レフォードが体を震わせて怒りを表す。全然兄らしいことをしてやれなかった。自分の器量不足に嘆きながらもその現実にまだ納得がいかない。レフォードが尋ねる。



「どこに身受けされたの?」


「分からないの。全然行き先も、どうして急に連れて行かれたのかも……」


 あまり経験のない身受けにミーアも困惑している。



「普通じゃないところなのか……?」


「……」


 無言のミーア。行く先は分からないが、それを否定しないのが辛い。レフォードがつぶやく。



「あいつはここに来て、楽しかったのかな……」


「どうだろう? それは誰にも分からないわ」


「だよな」


 その日、レフォードよりゼファーの身受けが他の兄弟達に伝えられた。突然の知らせにミタリア達が悲しみむせび泣く。悲しむ弟妹達を見ながらレフォードが部屋の隅を見て思う。



(俺は結局お前を見つけてやれなかったな……)


 いつも陰に隠れていたゼファー。最後の最後にその姿を見つけられなかったレフォードの目にうっすらと涙が浮かんだ。




 ゼファーが身受けされたのは意外にも敵国ガナリア大帝国だった。

 名もないような商家。そこで使用人として働くゼファーだったがやがて帝国魔導部の魔導人体サイボーグ化の適応試験に合格し、本人の意思とは全く違った人生を歩むこととなる。



「レー兄ちゃん……」


 一度も口にしたことのないその呼び名。

 帝国に連れられて来たその夜、ひとりになったゼファーは枕を濡らしながらいつも自分を探してくれた人の名を口にした。

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