20.初めての恋が終わる時

 義父に連れられて参加したとあるお茶会。そこでエルクはひとりの令嬢に出会った。


「初めまして。エーク・バーニングです」


 その女性は同じ上級貴族でありバーニング家とも親交のあるラディス家。ここ数年会う機会はなかったが久しぶりの再会に父親同士が会話を始めると、そのラディス家令嬢であるマリアーヌは美しい赤い髪を揺らしながらにこやかにエルクに挨拶を返した。



「マリアーヌと申します。お初にお目にかかります」


 上品で華やか、まさに麗しき貴族令嬢であるマリアーヌ。エルクの心は一瞬で彼女に奪われてしまった。マリアーヌが言う。



「よろしければ一緒にお茶でもいかがですか」


「喜んで」


 ふたりは昔話に花を咲かせる父親達とは別に同じテーブルに座る。

 マリアーヌは意外と活発な女性であった。一見お淑やかに見えるのだが、真面目で面白い話などできないエルクに代わり彼女はずっと会話のリードをしてくれた。



「エーク様、素敵なブローチですね」


 マリアーヌはエルクの胸に付いたブローチを見て言う。


「ええ、先日王都に行った際に購入したもので」


「よく王都へ買い物に行かれるんですか」


「時々ですが」


 エークは察した。上級貴族、特に女性の場合気軽に王都に行って買い物などできない。エークが言う。



「よろしければ今度ご一緒にいかがですか」


 マリアーヌが嬉しそうな顔で答える。


「え、宜しいのでしょうか?」


「はい、お忍びで」


「それは楽しみですわ。エーク様」


 恋などしたことのないエーク。

 ただこの後彼は抗うことのできない運命に絶望することとなる。




 ふたりの仲は順調だった。

 もう交際していると言ってもいいほどの仲。両家の親もそんなふたりを温かく見守った。


「エーク」

「マリア……」


 唇を重ねるふたり。マリアーヌも初めての唇をエルクに捧げるほど彼に惹かれていた。

 エルクは幸せだった。更にこの時期、正騎士団への入団が決まりまさに公私共に順調だった。



 ただそんなエルクを一変させる出来事が起こる。


「エーク、こんばんは」

「やあ、マリア。とても綺麗だよ」


 王家主催の舞踏会。バーニング家はもちろん、ラディス家も招待され家族で参加している。上級貴族だけが集まる特別な場。王族や大臣、正騎士団幹部など普段はお目にかかれないような人達が集まっている。

 綺麗に着飾ったドレスに身を包んだマリアーヌにエルクがグラスを手渡して言う。



「あとで私と踊ってくれるかな」


「もちろん。あなた以外に誰と踊ると思って?」


 そう言ってふたりは見つめ合って笑う。グラスをコンと軽くぶつけて口に含む。マリアーヌがふとバーニング家の兄弟達を見ながら尋ねた。



「ねえ、エーク。あなたはご両親や兄弟の方々と全然顔が似ていないわね。なんだか不思議だわ」


 エルクが一瞬考える。そして言った。


「なあ、マリア。私はいずれ君と一緒になりたいと思っている。だからこれから話すことをしっかりと聞いて欲しい」


 思いがけぬ言葉にマリアーヌは頬を赤めて頷く。エルクが言う。



「私はバーニング家の養子なんだ」



「え?」


 グラスを持ったマリアーヌの手が止まる。



「君には本当のことを知って欲しい。私は孤児院出身の平民で、昔はエルクと言う名前だった」


「エ、エーク……」


 大きく目を見開いたままのマリアーヌ。彼の言っている意味が直ぐに理解できない。



「でも今は違う。バーニング家の嫡子として家督を継ぎ、いずれはこの国を背負う人物に……」



「ふざけないでっ!!!!」



(え?)


 マリアーヌの大きな声。それは周りにいた人達を驚かせ、彼らの注目を集める。マリアーヌが体を震わせながら言う。



「平民……、平民ですって? なに、それ……」


「マリア、落ち着いてくれ。私は……」


 必至にマリアーヌに声をかけるエルク。しかし無情にもその声は彼女に届かなかった。



 バリン!!!


(!!)


 マリアーヌは持っていたグラスをエルクに投げつけ、床に落ちたグラスが音を立てて割れる。周りの貴族達は突然起こった騒動に好奇の目が注がれる。マリアーヌが言う。



「平民のくせに、平民の分際でこの私を騙して、唇を奪って……」


 その目からは大粒の涙が流れていた。エルクが青ざめた顔で言う。



「マリア、マリア、違うんだ! 私の話を聞いてくれ」


 マリアーヌはぎっとエルクを睨んで怒鳴りつける。


「平民が、平民風情がなぜ貴族の真似をする……、消えなさい!! 消えよ!! 今すぐ私の前から消えなさい!!!!」


 マリアーヌは怒りで体を震わせながらその場から走り去って行った。



「マリア……」


 残されたエルク。マリアーヌが投げつけた赤い飲み物がべったりとまるで彼の涙の様に服を濡らしている。



「え、エーク様って平民出だったの?」

「平民がなぜここに……?」


 周りから聞こえる貴族達の囁き声、冷たい視線。

 エルクはただ単にこれから生涯を共にするマリアーヌに本当のことを知って欲しかった。自分を理解し、認めて欲しかった。



 バリン!!


 エルクは持っていたグラスを床に叩きつけて割り、そのまま駆け足で会場を去る。暗い夜道、エルクは目に涙を浮かべながらひとり走った。



(私が平民だからいけないのか!? 違う、私はもう平民じゃない!! 貴族だ、エーク・バーニング、上級貴族!! そう私は貴族っ!!!!)


 この後エルクはまるで何かに憑りつかれたように勉学、剣術に打ち込む。

 そして数年後、その圧倒的な実力で騎士団長に就任する。だがそこに立っていたのは優しかったかつてのエルクではなく、冷淡な孤高の騎士エーク・バーニングであった。






「そうか、レフォ兄はそんなに苦労していたのか……」


 ヴェルリット家の中庭、心地良い風が吹く中ミタリアとガイルはテーブルでお茶を飲みながら話していた。

 ミタリアはガイルに尋ねられたレフォード救出の件を話した。奴隷労働者として数十年も過酷な環境にいたとは全く知らなかった。ミタリアが言う。



「本当に助けたばかりの頃なんて病的に痩せちゃってて、あと数年遅かったらお兄ちゃんは……」


 そこまで話したミタリアの目から涙がこぼれ落ちる。偶然、領内の労働者管理の一環で名簿を見ていた彼女の目に『レフォード』と言う名前を発見。結果的にそれが救出に繋がったのだが、もしミタリアが領主でなければどうなっていたのか分からない。



「俺達にはちゃんとした受け入れ先を用意してくれたのに、自分はそんなところへ……」


 ふたりがじっと紅茶のカップを見つめる。ミタリアが言う。



「だからお兄ちゃんにはこれから楽をさせてあげたいの。私達の代わりになってくれたお兄ちゃんに」


「ああ、そうだな。賛成だ」


 ガイルも苦労したとは言え、蛮族の頭領になり最後は気ままな生活を送って来た。ミタリアが言う。



「その為には私がお兄ちゃんと結婚して身の回りの世話から夜の相手まですべて引き受けなきゃならないの。ね、ガイルお兄ちゃんもそう思うでしょ?」


「思わん」


 さらっと答えるガイル。



「えー、どうして!?」


 それが理解できないミタリア。



「だってそうだろ。誰と一緒になるかはレフォ兄が決めることだぞ。今のところお前は『妹扱い』だ」


「うーん、やっぱり妹キャラを卒業しなきゃいけないのかな??」


「何訳の分からないこと言ってる。どう足掻いたってお前は妹だろ」


「えー、そんなの嫌だよ~、助けてよ、ガイルお兄ちゃん」


 ぷっと頬を膨らまし不満そうな顔のミタリアにガイルが言う。



「まあ、力になってやりたいとは思うが、何せ相手があのレフォ兄じゃなぁ……」


 徹底的に朴念仁のレフォード。それは昔から変わらない。ガイルが言う。



「とりあえず明日はふたりで王都に行くんで、その時何か話してみるよ」


「約束だよ」


「分かった、分かった」


 明日は騎士団長と面会が約束されている日。ミタリアはあいにく領主会議と日程が重なり出席できないが、代わりにレフォードとガイルのふたりが向かう。ミタリアが尋ねる。



「ねえ、本当にふたりで大丈夫? やっぱり私も行こうか?」


 ミタリアは心配と言うよりは単に一緒に行きたいと言うだけである。ガイルがそれを断って言う。



「大丈夫、ガキじゃねえんだし」


 兄弟の中でも最もガキっぽかった彼の言葉に重みはない。


「とりあえず騎士団長に謝って、騎士団に加えて貰って、ほら、それだけだろ?」


 ミタリアはよくこれで蛮族の頭領が務まったなと内心思った。無論、それは有能な副官であったジェイクのお陰であるのは言うまでもない。ガイルが胸を張って言う。



「まあ、任せなって。俺とレフォ兄に!」


「うん、気を付けてね」


 ミタリアが心配そうに言う。そしてこの心配はやはり現実のものとなる。

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