19.エーク・バーニング

 エルクは真面目で正義感の強い少年だった。



「うわっ! ミタリアのパンツ、今日も白だぜ~!!」


「やだー!! うわーーーーん!!!」


 悪戯っ子のガイル。しょっちゅう大人しいミタリアを苛めては泣かせていた。そこへ金色の髪が美しい少年エルクがやって来て言う。



「こら、ガイル!! ミタリアを泣かせるんじゃない!!」


 手には木の棒。エルクが聖剣と称していつも持っている棒だ。ガイルが舌を出して言う。



「うるせえよ、エルにい!! お前にはカンケーねえだろ!!」


 そう言って逃げるガイルをエルクが追いかける。

 エルクは弟妹達の中で一番年上。真面目で正義感の強かった彼は、レフォードがいない時には自ら兄弟達の面倒を見ていた。






(あれ、体がふらつく……、熱か……)


 ある日、エルクは自分の体がふらつくのを感じた。

 手で体の至る所を触ってみると明らかに熱があるのが分かる。とは言え孤児院での作業を休むわけにはいかない。貧しい生活の中で薬など貰えない。エルクは夜になるのをひたすら待った。




(ん? あれはエルク……)


 深夜。皆が寝静まった暗闇の中、レフォードはひとり物音を立てずに部屋を出るエルクに気付いた。



(こんな夜中に、一体どこへ行くんだ……?)


 レフォードは静かに起き上がると上着を着てこっそりと後をつけた。




(くそっ、体がふらつく……)


 真夜中、たったひとり外へ出たエルクは、手に相棒の木を持ちながら暗い森の中を歩いていたら。どこからか聞こえる動物の鳴き声。風で揺れる木々の音。新月で暗く深い夜の森を金髪の少年が歩く。



(どこにある、どこにあるんだよ。確か……、あった!!)


 森の中を歩き続けたエルクの前にその光る野草が姿を現した。

 通称『光り草』、深い森の奥に自生する解熱効果を持った薬草。日があるうちは全く他の雑草と区別がつかないが、夜になると光を放つことからそう呼ばれている。



「これがあれば熱なんて……、え?」


 光り草を取りに行こうとしたエルクの前に、暗闇から唸り声と共に巨大なが現れた。



「あれは、ワイルドウルフ……」


 魔物ではないが、遭ったら食い殺されると恐れられている野獣。真っ黒な体に大きな牙が特徴の恐るべき存在。とても子供の手に負える相手ではない。



「ど、どうする……」


 聖剣代わりの木の棒を構えるエルク。日々剣術に励み、その腕は同じぐらいの子供の中では群を抜いている。だが今は熱もあり体がふらつく。そして凶暴な野獣。エルクの足が震え出す。



「ガルウウウウ!!!!」


 そんな弱気なエルクの心を見透かしたのか、ワイルドウルフが一気に彼に襲い掛かる。


「うわっ!!」


 間一髪それをかわすエルク。ただそれは幼い少年には十分過ぎる恐怖。もう戦うどころか逃げることすらできなくなっていた。



(どうするどうするどうする……!?)


 冷静なエルク。ただそんな彼でも今の状況はどうすることもできなかった。



「ガルウウウウウウ!!!!」


 躊躇なく襲い掛かるワイルドウルフ。ふらつくエルクに抗う術は残されていなかった。




 ガブッ!!!


 目を閉じたエルク。同時に声が響く。



「今だ、エルク!! やれ!!!!」


 目を開けるとそこにはひとりでワイルドウルフの攻撃を受ける兄レフォードの姿があった。腕にその大きな牙が突き刺さり鮮血が流れ落ちている。



「レフォード兄さん!!??」


 エルクはなぜここに兄が居るのか理解できなかった。ただ今が好機。それだけはすぐに理解した。



「はああああっ!!!!」


 ガン!!!



「キャン!!!」


 エルクの渾身の一撃。手にした聖剣の木の棒で思いきり殴りつける。頭蓋骨を直撃したのか、ワイルドウルフは情けない声を上げてその場に倒れ込む。レフォードが叫ぶ。



「今だ!! 逃げるぞ!!!」


 そう言ってはあはあと肩で息をするエルクの腕を引っ張って走り出す。強撃を受け、倒れているワイルドウルフを横目にふたりは全力で逃げ延びた。





「はあはあ、兄さん、その手……」


 全力で走り森を出たふたり。エルクはレフォードの手から滴り落ちる血を見て顔を青くする。レフォードが腕を上げて答える。



「ああ、大丈夫だ。俺は頑丈だからな」


 スキル【耐久】と【回復】。幼いながらもレフォードには特殊スキルが備わっており、激痛はあるものの大事には至っていない。



「それより……」



 ガン!!!


「痛っ!」


 レフォードがエルクの頭にげんこつを落とす。頭を押えながらエルクがレフォードの顔を見上げる。



「どうしてひとりで森なんかに入ったんだ?」


 エルクが下を向き小さな声で答える。


「熱が出ちゃって、それで森に光り草を採りに行って……」


「なんで俺に言わないんだ?」


 兄弟達の『見守り役』であるレフォード。エルクから相談があれば別の対処もできた。



「……」


 黙り込むエルク。誰にも迷惑を掛けたくない。自分で何とかなる、そう思っていた。



(え?)


 そんなエルクの肩にレフォードが腕を回す。



「なあ、エルク。お前はひとりじゃないんだぞ」


「兄さん……」


 レフォードが言う。



「俺だっている。兄弟だっている。もっと頼ってくれ。お前は俺の大事な弟だ」


 エルクの目に血に染まったレフォードの腕が映る。ひとつ間違えば自分も、そして兄も死なせるところだった。大好きな兄弟にも会えなくなる。そう思うとエルクの目から涙が溢れた。



「ごめんなさい。レフォード兄さん……」


 そんなエルクの頭をレフォードが撫でながら、ポケットに入れてあったを取り出す。



「ほら、光り草。早く飲め」


「え、どうして??」


 驚くエルク。レフォードが笑って言う。



「さっき偶然見つけてな。きっとお前はこれを探しに来たんだろうって思ってさ」


「あ、ありがとう。兄さん……」


 全て見透かされている。

 エルクは心から信頼できる兄を持てて自分は本当に幸せだと思った。






 そんなエルクの引き取り先が決まった。


「バーニング家ですか……」


 主任使用人ミーアの口から意外な家名が告げられた。

 それはラフェル王国でも有数の上級貴族。貴族の気まぐれか、慈善活動の一環として孤児を引き取りたいとの連絡があったらしい。協議した結果、真面目で礼儀正しいエルクにその白羽の矢が立った。ミーアが言う。



「由緒正しき名家よ。きちんと面倒を見てくれるとは思うわ。でも……」


 レフォードが黙って言葉を聞く。


「でも、それだけの貴族なんだから少なからず差別はあると思うの。孤児で平民出身のエルクがどこまで耐えられるのか心配だわ」


 貴族社会特有の差別。中には平民を人間だと思わない者もいる。



「エルクなら、大丈夫かと思います……」


 それでもこの役は彼以外考えられなかった。真面目で正義感の強いエルク。きっと彼なら上手くやれる。レフォードは半分自分に言い聞かせるように言った。





「レフォード兄さん、本当にありがとうございました」


 別れの日、エルクはサラサラの金髪を風に靡かせながらレフォードに頭を下げた。


「エルク……」


 レフォードがエルクを抱きしめる。驚いたエルクが尋ねる。



「に、兄さん!? どうしたの?」


「元気でな。負けるんじゃないぞ……」


 エルクもレフォードを抱きしめ頷いて答える。



「うん、頑張るよ。絶対に負けないから」


 エルクは大好きな兄弟達に誓って、絶対に立派に生きて見せると心に刻んだ。






 エルクの才能は、数多く居た使用人の中でも抜きん出ていた。


「はっ、はあっ!!!」


「それまで!!」


 使用人を交えた剣術大会。元正騎士団でもあったバーニング家当主が好んで屋敷で開いていた。当主が言う。



「エルク、お前の強さには本当に感心するよ」


「ありがとうございます」


 エルクが礼儀正しく頭を下げる。

 実際エルクは剣術だけでなく、勉学や礼儀作法などすべての分野においてその他の者達を圧倒していた。最初は使用人だと馬鹿にしていた者達も、時が流れるにつれエルクが本物だと気付き誰も陰口を叩かなくなっていた。

 そして当主から思いがけない言葉がエルクにかけられる。



「エルク、うちの養子にならないか」


「え……」


 驚いたエルク。ただ、バーニング家にやって来て数年、平民の自分では越えられない壁を彼自身ずっと感じていた。だからこの申し出は心から嬉しい。エルクはふたつ返事でそれに答えた。ただひとつ条件があった。当主が言う。



「今日よりお前はエークと名乗りなさい。エーク・バーニング、これがお前の名前だ」


 エルクと言う名前は平民でよく使われるもの。名門バーニング家の養子としては受け入れられないものあった。エルクが答える。



「分かりました。ありがとうございます!」


 ここにバーニング家の新たな息子、エーク・バーニングが誕生した。






「エーク、お茶会に行くぞ。付いて来なさい」


「はい、お義父上」


 バーニング家当主には数名の子供がいたが、皆貴族のボンボンを体現化したような愚者ばかりで当主の悩みの種であった。

 そこに現れた養子エーク。精悍な顔つきに平民出身とは思えないオーラを纏い、文武両道、貴族会の礼儀も嗜む立派な青年へと成長していた。



「お茶会は楽しいか?」


「はい、とても楽しんでおります」


 ゆえにバーニング卿も好んでエルクを連れて歩いた。血は繋がらないがどこへ出しても恥ずかしくない息子。エルクもそんな義父の期待に応え続けた。



「初めまして。エーク・バーニングです」


 そんなエルクが父と臨んだとあるお茶会。そこでエルクはひとりの貴族令嬢と恋に落ちることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る