4 エルフ国奈落の底編

57 ミハルド伯爵領

ガルーシュ伯爵家は消滅した。元ガルーシュ伯爵領はムラカ派のミハルド子爵が伯爵に陞爵し、ガルーシュ伯爵領地を引き継ぐことになった。まるで全てが予定調和だったかのように、大きなトラブルもなく伯爵家の移行は遺漏なく行われた。


領地を運営する伯爵家が変わり、大きく領政も変わってしまった。


ミハルド伯爵当主ノートは、ガルーシュ伯爵が力を入れていた教育に何の価値も見出さず即座に方向転換を指示し、産業の発展に力を入れた。農業を拡大するよりも、警察や魔族に供給する武器の開発、生産、販売に力を入れた。


また政治や社会不安に目を向けないように娯楽を多く取り入れ、民衆が真剣に国の事を考えないように仕向けた。一大エンターテイメントのメッカとして伯爵領を国中に発信し、多くの他領の人々を引き込んだ。外貨を獲得し食糧は近隣のムラカ派伯爵と協定を結び輸入することとした。領地の人々は今までのように平穏な生活が続かない事に恐れながら、軍事化していくミハルド伯爵領内の領民は農業や教職から転職する者や、他領地へ転出する者もいた。


転出者増加がミハルド伯爵領の人口減少に繋がることはなく、むしろ冒険者や傭兵、腕に覚えのある者達、また娯楽を求めて多くの人々が全国より流入し、人口はトータルとしては大きく増えることとなり、景気は以前より活性化していった。


最初は小さな変化だった。小さな賭博場が開業し、そこで時折地元の住民たちが時間を過ごすようになった。彼らはそれを娯楽の一環と考え、特に問題はないと思っていたが、それは一連の出来事の始まりに過ぎなかった。


次に街の裏道に娼館が増え、酒場などの人が集まる場が増えていった。初めは周辺地域からの訪問者が多かったが次第に地元の若者たちも引き寄せられるようになっていった。これらの娼館や酒場は時が経つごとに、街に不安と混乱をもたらした。街の夜の暗闇に浮かび上がる明かり、そして彼らの存在が、何かが起こる前触れとして感じられるようになっていったのだ。


そして最も大きな変化がやってきた。伯爵領が不安定化していく中で、冒険者や傭兵、用心棒がこの地域に進出してきて、その存在感がますます強まっていった。警察が正常に機能しない社会だ。力がルールとなっていき、現状変更や新たなルールの施行も、力を持つ者が決めていった。


統治者が法によって支配せずに成り行きのままに社会を運営していった時、自然とその世界は弱肉強食の世界になっていく。


地元の企業や店舗は護衛を雇い、保護料が支払われた。またある事業者たちは冒険者や傭兵たちを使い、他事業者たちを脅迫や暴力を持って屈服させていった。地域の弱小商店は経済的に追い詰められ伯爵領内からの転出を余儀なくされるか、他領へ移動するほどの資金のないものたちは細々と生き延び、暴力の嵐を耐え忍んでいく以外になかった。


地域の犯罪率も上昇していった。強盗、恐喝、暴力事件が日常的に散見され、住民たちはますます不安定な状況に置かれた。警察は力のある者達を守る見返りに、賄賂を受け取り生活の安定を図った。無法者の存在は警察の息のかかっている組織に迷惑をかけない以上は野放しとなり、地元社会に対する脅威を続けていった。


街の変化は地元住民にとっては悲劇的だった。以前は静かで平和な場所が、犯罪と混乱の渦に巻き込まれていったのだ。住民たちは安全な環境を求め、地域社会を取り戻すために奮闘したが、警察の助力は求めるべくものでなく、ますます増える無法者たちの力と影響力は強大となり、容易には打破できないでいた。


長年居住している人々は自分の事は自分で守らなくてはならないと、自衛に力を入れ出した。その為、ミハルド伯爵地では更に、用心棒業や傭兵業が盛んになっていったのだった。それがまたミハルド伯爵領への人口流入を加速させた。昔を懐かしむ人々は、ガルーシュ伯爵家の人々の善政時代を懐古した。


このようにして街の犯罪率が上昇し、その静けさと平和が失われた。


そして、最悪の状況を更に悪化させる出来事が起こってしまった。


ミハルド伯爵領地の『奈落の底』の発見であった。


ミハルド伯爵当主ノートは早速、伯爵領地に発見された『奈落の底』を攻略する事を至上命題とし、広く冒険者ギルドや貴族達に攻略を命じた。そして、その奥にあると伝説で伝わる『超高純度魔鉱石』の奪取を求めた。


そのおかげで都市ウォルタは空前絶後の好景気で湧いた。更に多くの冒険者や傭兵が集い冒険者や傭兵に物を売る商人が集まり、ダンジョンで傷ついた人々に群がる療養所が設置された、回復系魔法のエルフたちが集った。鍛冶屋が軒を連ね、宿場町が形成され、多くの人々が奈落の底の魅力に囚われていった。


奈落の底には最下層にあるかもしれない『超高純度魔鉱石』だけが目的ではなく、多くの高純度の魔鉱石や珍しい草花、そして未知の魔獣魔虫が発見された。高純度魔鉱石は火をや風を起こしたり、水を生成したりと、人々の生活を豊かにしていける無限の可能性を孕んでいた。


ダンジョン内での魔鉱石獲得量の大きさに驚いた冒険者ギルドや商人ギルドは、挙って魔鉱石の確保に奔走した。


ダンジョンの草花には、人を一服で睡眠に誘う花や、香りで人を麻痺させる毒草、回復力の高い薬草も発見されていた。全国に展開される国立療養所は冒険者ギルド、商人ギルドに採集の依頼を出し、高値で取引がされていった。


しかしもちろん恩恵だけをダンジョンが人々に齎すことはなかった。むしろ、ダンジョンアタックには、大きな計り知れない甚大なリスクがある。


ダンジョン内は凶悪な魔獣や魔蟲、凶悪な植物にモンスターたちが徘徊し長年住み着いていたこともあり、暴虐で無惨な生態系が形成されていた。ダンジョンがここまで大きくなるには、長遠な時間が必要であった事は察するに余りあり、そして噂ではまだこのダンジョンは深くなっているのではないか、と人々は語り合っている。


魔族もエルフ族も挙ってダンジョン踏破に突き進むのだが、ダンジョンの特殊な空間のみに適応した魔獣や魔蟲、植物がダンジョン内を蔓延り、下層域への侵入は未だ誰も可能にしていなかった。


奈落の底はまさに文明を大きく発展しえる謎と魅惑に溢れた場所であったのだ。


そのような大きな死のリスクを伴う狂乱の宴がミハルド伯爵領地に舞い降りた。







そして、1年の歳月が過ぎた。







奈落の底が発見され1年経ったのだが、未だ魔族・エルフ族達は上層部を彷徨っているに過ぎなかった。


誰も攻略の為のノウハウを持っていないのだ。誰も深淵で暗黒に支配された、多種多様な危険が蔓延る洞窟を経験した者はいなかった為、全ては遅々としてしか進まなかった。


ダンジョン内の魔素が高密度で、全ての生物は魔素を吸収しどんどん進化し凶暴化していった。


肉体は強化され、攻撃力・防御力・耐性などが増強された。魔法やスキルが使える個体も多く発見されている。


また魔獣や魔蟲は、ダンジョン内で共存をしているのではなく、壮絶な生存競争が瞬間瞬間繰り広げられていた。


その中では他を食い尽くし恐れられた最強の生物のみがダンジョン内で縄張りを作り、生息する事を可能にしていたのだ。


ダンジョン内の全ての生物は、他を食らい栄養を摂るかダンジョン内の魔素を体内に取り込み、自身の増強の為の栄養とするかしていた。


故にダンジョン内に生き抜いた分だけ、その生物の凶暴性は増すばかりであった。昨日に出会った全長1メートルの魔蟲のムカデは、1週間後には、全長3メートルへと成長している。そんな急激な変化が起こるのが、この奈落の底であった。


奈落の底の構造には、不思議な特徴があった。それは深く潜ると、壁の色が変わっていくのだ。


入り口付近は淡い赤色だが、どんどんと深く潜っていくと、その赤色が鮮明になっていく。


だいたい1日潜り続けていくと、赤色が真紅へと変化していく。そして最後には、炎のような鮮やかさに変わる。その赤色の層は『一層』と自然と呼ばれるようになった。


その層より深く潜ると色は大幅に変わり、淡い青色へと変化する。


その青色は紺碧へと変わり瑠璃紺へと変化する。ここまでを二層と人々は呼ぶことにしている。


その先の色が、黄色三層、緑色四層、紫五層、茶色六層。


ここまでは判明しているが、まだその先を行った者は未だ誰もいない。それぞれの層が、明確な床になっている訳ではなく、蟻の巣のように入り組んだ構造になっている。深く潜っているのか上に上がっているのかは、壁の色を見ると分かるようになっている。


なぜこのような色があるのかは、誰にも分からないでいた。もしかしたら、生息する生き物の体内の色素が壁に付着するのだろうか、魔素の密度で色が変わるのではないか、などと学者たちは日夜、ダンジョンの解明に取り組んでいた。


そこに日々挑戦を続けるエルフの冒険者パーティがあった。


「今日はやっと黄色の三層に進出できたな。まだまだ道は長そうだ。どこまで深いんだ、このダンジョンは」


春日翼は遅々として進まないダンジョン攻略に焦りを感じ、愚痴を吐き出した。

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