56 ガルーシュ伯爵領へ⑨ ~そして再び死の森へ~

太陽が地平線上に辺りまで沈んできた。綺麗な夕焼けが雄大な自然を照らし出す。その紅い光が空を染め、遠くにある山々の輪郭を美しく浮かび上がらせる。しかし、岩山の頂上付近で静かに佇むニコの胸中には、哀しみと怒りが広がっていた。


彼は孤独な旅人でこの自然の美しさに囲まれながらも、心は深い哀しみと怒りに包まれていた。彼は過去の出来事や失ったものを思い出し、その痛みが胸にしみた。夕焼けの美しさを見るにつけて、なんとこの世界には哀しみが溢れているのかとその不一致に皮肉な笑いが口角を上げさせる。


彼は岩山の頂上から遠くを見つめ夕焼けの色合いに心を奪われる一方で、その美しさと対照的な悲憤が、彼の魂を揺さぶっていた。雄大な自然が彼に平和をもたらすように見えても、その心の奥底には消えることのない悲哀と憤怒が住みついていた。


ノアとの戦闘から4時間ほどが経った。ノエルの体力と魔力もある程度回復しこれで索敵スキルを常時張り巡らしながら、睡眠を取るのも可能となる。


ノエルは死の森で1年間ほど過ごしていた日々を思い返した。


あの頃はただただ生きることのみを考え生活していた。岩塩を血眼で探し、死角から襲ってくる魔獣に不意打ちをされないように常に周囲をビクビクして警戒して過ごしていた。洞窟を見つけそこで寝食をするにも、罠を張り巡らせた。小さな音に怯えた。生きることで精一杯だった。それに比べればこの岩山ぐらいで過ごすなんて、本当に楽園のようなものだ。あそこの魔獣の凶悪さは圧倒的だった。そのおかげで眠りながらでも索敵を常時発動させられるようになった。


(こんな平和な生活をしていると本当にあの頃の苛烈さを忘れてしまう。慣れは怖いな)


そう一人愚痴りながらも、索敵スキルを展開し付近に野獣がおらず、遠くの野獣も近付いて来ないことを確認した。俺は近くに生えていた低木や草など、燃えるものを片っ端から集め俺の目の前に置いた。そして、火魔法を発動させ焚火を作った。暖を取ることができ、また火自体が周囲の野獣へのけん制としての役割をしてくれる。俺は少し安心し、俺の膝元で寝ているエマの頭を撫でながら眠りに落ちた。


俺は眠りながら索敵により半径500メートル以内の生物の動きを監視していた。近くにネズミの巣があり何十匹と群れで生活をしている。それを狙う鷹やイタチ、狐はいるようだが、こちらに向かってくる様子はなさそうだ。


どこにもこちらを狙う個体は存在しない。警戒態勢を維持しながらも俺は眠りの中にいた。


もう4時間ほどか経つと俺の膝元のエマが動き出す気配に気付いた。そろそろ起き出す頃なのだろう。


俺はエマが起きる前に目が開けた。もう夜の帳は下りていた。目の前の焚火はすでに消えていた。闇夜が降り注ぎ大地は静寂に包まれていた。ふと空を見上げると天空は魔法のカーテンを引き裂いたかのように、無数の星で埋め尽くされた。満天の星空が広がりまるで宇宙自体が俺たちに微笑んでいるかのようだった。俺の元いた世界では絶対に見られないような、奇跡の光景だ。


星々は大小さまざまで瞬きのように輝いていた。一つ一つの星は光り輝く宝石のようで夜空はその宝石たちで輝いている宝石庫となっている。星座は神話の物語を語り、宇宙の秘密を探求する者たちを導く指標となっていた。


夜風は優しく肌を撫で、星座ごとの物語が語られる夜空は心を静かに打ち解けさせた。銀河は遠くに広がり、星々の軌道は時間と空間の奥深さを物語っている。


この満天の星空の美しさは、俺たちの小さな存在を思い知らせる一方で、宇宙の壮大さと神秘さを感じさせた。星々は遥か彼方からの光であり俺たちはその一部であることを感じさせた。この夜空は宇宙の神秘を探求し、その奥深さに心を捧げる者たちにとって永遠の魅力と謎なのであろう。


宇宙の広大さと神秘に心を奪われながら、俺はエマが起きるのを眺めていた。


「う・・・ん・・・。ノブ??」


「エマ。起きたか?」


「こ・・・、ここはどこ?私は・・・?」


「あっちを見てみな」


俺は、ノアが真っ二つになって死体となって地面に転がっている姿を指した。エマは、自分に付き従ってくれた護衛兵や従者を死に追いやった魔族の死体であることを理解した。


「また・・・、ノブに助けてもらった・・・のね」


「それが、俺の役目だからな。すまない。俺のせいでこんな目に遇わしてしまって」


「どうして・・・?これはあなたのせいではないわ。そんなこと言わないで。元を辿れば、私がムラカ派との対話を進め、対魔族統一戦線を築こうとしたことが、一番の原因なのだから、あなたが悔いる必要なんてないはずよ」


「もちろん、エマの行動は魔族どもがガルーシュ伯爵家を襲う根本理由であることは否定しない。しかし最後の理由付けを与えてしまったのが、俺の映像なようだ」


「どういうこと?」


「魔族を殺した時、その場面を魔法具で映像として撮られてしまったのは知っているな?そして、エマを護衛するニコの姿が捉えられ、そのニコがガルーシュ伯爵領の冒険者であることを特定された。それを根拠として奴らは、ガルーシュ伯爵家の人々を・・・」


「ちょ・・・ちょっと待って!!本当に私のお父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、みんな殺されたの?!あの魔族が言っていたけど、本当なの?!本当にそうなの?!ノブは、ガルーシュ伯爵邸まで偵察に行ったのよね?!どうだったの?!何が分かったの?!」


エマは上体を起こし、俺に迫るようにして聞いてきた。エマは魔族の言葉を否定したいがために、俺に縋りついてきた。俺も『それは嘘だったよ』と優しく伝えてあげたい。こんな絶望の淵に叩き落とされたエマを、更に奥の谷底に突き落とさないといけない役目をしなければならないなんて・・・。本当に・・・。


「エマ、気を確かにして聞いてくれ」


「いや!!いや!!そんな前置きなんて聞きたくない!!お願い!!ただ、みんな大丈夫だった、みんな生きていた、みんないつも通り笑顔でいたと言ってーーーーーー!!!!!!!!」


エマの絶叫が岩山の静寂を引き裂いた。周囲には小さな動物がいたがその絶叫に驚き皆逃げて行った。


「エマ、すまない。俺が到着した時はもう既に、皆殺されていた。最後にティサ様が言っていた。『エマ、あなたを永遠に愛している』と。またスフィル様も仰っていた。『これからはエマの好きなように生きなさい』と。最後まで信念に生きた立派な人たちだったよ」


「いやーーーーーーーー!!!!!!!!!お父さん!!!!!お母さん!!!!お兄ちゃん!!!!お姉ちゃん!!!!!私を残して逝かないで!!!!あぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!!」


エマは俺の胸にしがみつきながら、泣き喚いていた。今俺ができることは、ただエマを強く強く抱きしめることだけだった。












                    

1時間ほど経ち、エマはえずきながらも少しずづ落ち着いてきた。しかしエマの瞳にはもう光は消え去っていた。



「ノエル・・・お願いがあるの・・・・・・。」


「なんだ?」


「私を・・・・」


そこで、エマの言葉は小さくなっていった。


















「殺して・・・・」









「エマ・・・。そんなこと言うな・・・。エマ・・・・。そんなことを言うなよ・・・」

俺の眼から涙があふれてきた。


「もうこの世界に未練はないわ・・・。もう戦う意味もない・・・。もう生きる希望もない・・・・。もう生きる意味がないわ・・・。私は家族に会いたいの・・・」


か細く震える声で、エマは自分の頭を俺の胸に預けながら呟いた。





「エマ・・・」




「お願い・・・。私にこれ以上、辛い思いをさせないで・・・。私が頑張れたのは・・・家族がいたからなの・・・。もうそれもない・・・。私は家族の元に帰りたいわ・・・」


エマは再び一呼吸置いて言った。






「ころして・・・・・・・」








「エマ・・・。お前に一つ告白があるんだ」

「お願い、殺して・・・」




俺はエマの両肩を持ちエマと正対した。しっかりとエマの両眼を見た。エマの両眼はすでに焦点が合っていなかった。




「エマ。お前の生きる理由を俺にはできないか?」

「・・・?」


「エマ。お前は美しい。外見もそうだが、俺はお前の高貴な魂に惹かれていた。俺がこの世界で孤独で死にそうな時に、セバスと共にエマが俺の世界に入ってきた」


俺は死の森での孤独な生活を思い出した。辛かった日々が俺の胸を抉った。


「しかし、エマ、お前の慈愛、高潔、自信、信頼、信念、そして笑顔はこの世界の希望だ。そして・・・・・


俺の希望だ」


エマの眼に光が戻ったように見えた。エマの眼から一筋の涙がまた零れ落ちた。


「セバスはお前を俺に託した。


お前の家族もお前を俺に託した。


みな、一心にエマの幸せだけを祈り散っていった。


本当は自分たちがエマを幸せにしたかっただろう。

本当は自分たちがエマの幸せを守り続けていきたかったろう。


しかし、不条理にもその願いは打ち砕かれた。


その思いを一番に知る、俺はお前を心の底から守って生きたい、と願っている。

そんな自分がいることに、俺は気付いた。

皆の思いを心の底に刻んでいる、俺はお前と一生一緒に歩んでいきたいと思っている」



エマの眼からは止めどなく涙があふれ出ていた。

俺の眼からも涙があふれていた。




「エマ、どうだ?俺と一緒に歩んで行かないか?」





エマは俯いた。





もしかして時間が止まったかのように感じる程、静寂が辺りを支配していた。


エマは徐に口を開いた。


「ノブ・・・、ありがとう。実はね、私もあなたと共に歩む人生を何度も夢想したわ。あなたが最初に現れた時から、私はあなたに恋をしていたと思うの。そして私を隷属の首輪から救ってくれたわ。またずっと私を支え、守ってくれた。あなたは、私の大きな生きる支えだったわ。貴方との人生を、私は何度も考えたわ」


エマは言葉を区切り、俺の両眼をしっかりと見て言った。


「けども、分かるの・・・。私は、あなたに相応しい人ではない。


あなたに支えられるだけの私が、あなたの支えになる事はないわ。


あなたは、私があなたの希望だと言ってくれる。本当に嬉しいわ。けども、この戦乱の中で私はあなたの足枷にはなりたくないの。あなたにはあなたにしかできないことがある。あなたは必ず、この戦乱の世で英雄となると思うわ。その時に」


エマは苦渋の表情をしていた。







「ぐす・・・。わ、私は必ずあなたの邪魔になるわ」





涙が再び溢れるように出て、エマはえづき出した。


「い、いつか、わ、私が人質になった、と、時に、わ、私の存在が、あ、あなたを殺すかもしれないのが、こわいの。絶対にそんなことになりたくないの!だから・・・、ごめんなさい。あなたの気持ちは、私を天にも昇る気持ちにさせてくれるけど、ノブ、あなたは、もっとあなたに相応しい人を探して」




俺はエマの答えを聞き拳を握った。




「エマ、君の気持は良く分かった。しかしやはり、それでも君には俺の隣にいてほしいんだ」


俺は力強くエマを励ますように言葉を継いだ。


「俺の秘密も全て、君と共有しよう。何故ここまで俺が強くなれたか。あの死の森で本当は何があったか。そして、エマ、君に俺と共にエルフ族の独立の為に戦える力を与えてあげよう。今の俺と同等の力をあげよう」


エマは眼を大きく開けて驚いたように俺を見た。


「それならどうなんだ?俺は、エマ、君が欲しい。君と一緒に日々を送りたいんだ。エマ・・・、俺と共に生きよう」


「そ・・・そんなことが可能なの?私はあなたの足手纏いにならないの?」


「あぁ、今の俺と同等だから、だいたい賢魔1桁の位の連中なら、魔力無しでも倒せるようになるよ。まぁ、ノアとの戦闘は紙一重で、元々俺の戦闘技術もあったし、また偶然に左右される部分は多々あったから、1桁を魔力無しでは厳しいけど。まぁ、魔力有りなら問題なく勝てるようになる」


俺は再びエマの両肩を強く掴んだ。


「もし、エマ、君に今、死んでもいいと思うぐらいの決意があるなら、君のこれからの人生を俺にくれ。俺と共に生きれる力を付けてあげるから!」


「・・・」


「エマ。どうだ?」


エマの瞳に光が戻り、笑みが戻っていた。


「それは、本当に素敵な提案だわ。分かったわ。本当にありがとう。私にはもうあなたしか残っていない。いえ、あなたが残っていてくれたことが、私にとっての最大の希望だったのね。ノブ。私を救って。私と一緒に歩んで。私をあなたと共に生きれる力を与えて。お願い」


エマは最後は、涙を流しながら、俺に微笑みかけていた。


「よかった。君を絶望の淵から救い出してあげよう。俺と共に歩んでくれ」


「ありがとう」


「じゃあ、行こうか・・・俺の原点の地にして第二の誕生の土地、死の森へ」


「はい。あなたとなら、どこまででも行くわ。地の果てまで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る