54 ガルーシュ伯爵領へ⑦ ~岩山での逃亡劇~

太陽が昇り始めた。エマは山の麓の岩場に潜め、ガルーシュ伯爵領へ少しでも近づこうと進んでいた。


エマは、荒々しい岩山を進むために懸命に足を運んでいた。その足元は鋭い岩や尖った石で覆われており、時折、彼女の足に小さな傷をつけることもあった。しかし、彼女はそれに耐え、逃げるために全力を尽くしていた。


太陽はまだ高くなく穏やかな気候であったが、彼女は徹夜で走り続け、魔獣の熊との死闘もあったが休憩することなく走り続けたため疲労はとっくにピークを越していた。いつ気を失ってもおかしくない状態であり、汗が滝のように流れ、長い髪は額にくっついていた。服は熊との戦闘であちこちが破れボロボロであった。それでも彼女は一瞬たりとも立ち止まることはなかった。その選択肢はなかった。早くガルーシュ伯爵領に到着しなければとの一心で、歩みを止めなかった。止められなかった。エマの為に散っていった命を思い出すと、止めるわけにはいかなかった。


風が山々を通り抜け彼女の身体を撫でる。彼女は息を切らせながら進み、時折岩肌に手をついてバランスを取った。彼女の瞳は決意に満ち、断固たる意志が彼女を前へ前へと進ませた。


ガルーシュ伯爵領には希望が待っている、という確信が彼女を駆り立て、彼女は不屈の精神で進み続けた。彼女の裸足が岩山の道を切り開く様子は、まるで人の無限の可能性を表しているように美しく、同時に力強いものであった。


エマは進みながらも岩山に住む小動物を求め、狩りも同時に行っていた。彼女の飢えは限界に達し生存がかかっていたため、彼女は慎重に小動物を見つけることを試みた。小さな岩の隙間から出てきたネズミの一群を発見し、彼女は隙を見て飛び掛かり、なんとか一匹のネズミを捕獲することができた。ネズミは小さくか弱かったが、彼女にとっては貴重な食料だった。彼女は休憩を取り、火を起こし小さなネズミを焼いて食べた。彼女の目には飢えた生存者の執念が宿っていた。ネズミの肉は少なかったが、それは彼女にとっては生きるための大切なエネルギー源であった。


昼頃になり照り付ける太陽に晒され、とうとうエマの体力は限界を迎えた。後少しで頂上に着くのだろうが、もう指一本動かすことができない。できるだけ安全であろう場所を探し岩と岩の間の隙間に体を寄せて、小休止することにした。決して眠れない。強烈な眠気がエマを襲っていたが眠れば野獣に襲われ死ぬかもしれない。その恐怖心と疲労感の狭間でエマの意識は朦朧としてきた。その時。


「ここにいたんだね。いやー探したよ。あいつは影武者だったんだよね。さすがエマ令嬢。やることが卑劣だね。あれだけの従者を犠牲にしても生き延びたいのかな?」


自分が体を寄せている大きな岩の上に、ドレス姿のノアが片手に血塗られた剣を抜き身で持ちながら立っていた。


「あ・・・あ・・・あなたは・・・」


「あの村のテントの中で隠れていたんだって?村に戻って村人たちに聞いたら、君がこちら方面に逃げたって言っていたよ。私は間違いなくエマ令嬢を殺したと思ったけど、あの最初から最後まで全員が私を騙そうとして戦っていたんだから、凄いね、君の従者は。完璧に騙されたよ。さすがガルーシュ家の者たちだ。尊敬する。けども残念だったね。たまたま村に戻った私が、村人たちから情報を得てしまうとはね。運の尽きだったな。それに君も悪いんだよ?途中、熊と戦ったんじゃないかな?戦闘跡もそのままだし、走ってきている跡もあるし、君は逃亡に関しては素人なのかな?まぁ、逃亡のエキスパートだったら困っていたけど。そんなのは盗賊の称号持ちじゃないとできないしね」


最後の方はノアは自分の話にのめり込み、エマの事を忘れているかのように独白で分析を始めていた。まだブツブツあーでもない、こーでもない、と何かを検討している様子だった。エマは最後の最後まで生きる希望を失わず岩の間から体を出し、強烈な眠気と疲労感で今にも倒れそうな体を押して、ノアに向かって構えた。


「よっと」


ノアは岩の上からエマの元に跳び降り、エマと対峙した。


「エルフ族の執念は恐ろしいね。やはり、エルフ族は滅ぼさないと、私たち魔族の未来は不安だ。ここでエマ令嬢が死ねば、エルフ族の結束の要が無くなるだろうな。エマ令嬢、君は少し動き過ぎたね」


「あなたたちは・・・悪魔です・・・決して許さない・・・私の仲間・・・フィブラーもアルハも・・・」


「あの兵士も執事もよく頑張ったよ。身を挺して偽エマを守っていたんだよ。あの必死さも全力での逃走も命乞いもそれが全て、全て嘘だとは!!凄い!忠義が半端ないね。


まぁ、それとエマ令嬢、君の言っていることには虫唾が走るから一言言っておきたいかな。何でも2つの視点というのはあるんだよ。君の意見はそっち側。魔族側から見た、エルフ族も十分悪魔だけどね。


それと、もう一つ言っておきたい事があるんだ、いいかな?君は一生懸命、村や私から逃れるようにして、ガルーシュ伯爵領に向かっているようだけど、無駄足だよ。逃げるとしたら、別の領地が良かったかな。そうだったら私は君を見つけられることはなかったよ」


「ど・・・どういう・・・こと?」


「ガルーシュ伯爵家はもうすでに滅亡した。主要人物たちは全て殺された。残るは君だけだ。あの領地はこれから違う伯爵が統治することとなる。まぁ、知らないよね。知らないから、こっちに向かって逃げていたんだろうけど」


「な・・・何を・・・言っているの?」


「もう死ぬ人に渡す情報はない。ここで朽ちて死ね」


ノアはグッと腰を落とし一気にエマに襲いかかり、袈裟切りでエマを斬ろうとした。


しかし、エマはノアから発する殺気が膨れ上がった瞬間を感じ取り、最後の最後の力を振り絞り、突破力のスキルを発動させて、カウンターで開いたノアの体に中段蹴りを放った。


まさか、まだ抗戦する力が残っているとは思いもよらず、予想外の突進と攻撃に、腹部を強打された。自分の突進の勢いもあり、ノアは1メートルほど後ろへよろめいた。


「グッ!!いったーーー。くそ!油断した。手負いのエルフが!次は、絶対に殺す!」


と殺気立ってエマを見たが、エマはもうその場で倒れていた。


(も・・・もう動けない。最後の一撃は食らわしたわ・・・。これでダメならもう終わり・・・)


ノアは、油断なく左右にステップを踏みながら、エマに的を絞らせないように動き、もはや残像しか見えない動きで、上空へ跳び、刺し殺そうとした。


(あ・・・お腹がすいたな。喉が渇いたな・・・疲れたな・・・お母さん・・・お父さん・・・お兄ちゃん・・・お姉ちゃん・・・会いたいな・・・また会えるよね・・・)


ステップの動きを聞きながら、こちらからの反撃を警戒しているのはわかったが、全く見当違いも甚だしい。こっちはもう指一つ動かす力は残っていないのに、と思いながら、最後の時を待った。ダッ!!と地を蹴る音がしたので、頭の片隅に『これで最後か』との思考が過ぎった。


グッと目を瞑り、生を刈り取る衝撃を待った。


1秒待っても、2秒待っても、3秒待っても、何も来ない。


そー、と重い瞼に力を込めて、目をこじ開けて前を見ると、そこには、懐かしいノエルの姿があった。


「すまんな。待たせたな。伯爵邸で色々あってな。遅れた」


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