50 ガルーシュ伯爵領へ③ ~エマの後を追って~

「行ってしまった」


エマは小さく独り言ちた。


本当なら一緒に行きたかった。もちろん実家のガルーシュ伯爵家がどうなっているかも知りたかったが、ノエルの足手纏いにはなりたくない。本当はノエルと一緒に旅に行くことが、エマにとって心が弾む出来事であるのだ。ノエルと一緒に行けるぐらいの力があれば、ノエルに守ってもらうだけの存在からは卒業できるんだろうけど、たぶんそれは無理な気がする。あんな強くはなれない。


そうため息をつき私は自分の寝室へと戻った。寝室用のテントに入ると護衛の兵士たちが起きていて、警戒態勢を崩さず休憩をしていた。私はいつも通り自分の寝所に臥して枕に頭を預けた。あまりの疲労の為にすぐに意識を手放すことになった。


静かな夜、星が輝き月が静かに空に浮かんでいた。風はほんのり涼しく、虫の鳴き声が遠くから聞こえてきた。村の中に点々と点いている明かりが村を照らしていた。村の小さな家々の窓からは暖かな灯りが漏れており、その光が道を照らしていた。夜の静寂が深まり静かな村の夜に穏やかな幕が降りたようだった。


しかし兵士たちは、何か得体の知れない何かが近づいてきているかのような不気味な雰囲気が広がっていることを肌で感じていた。


遠くでひときわ大きなフクロウの鳴き声が聞こえ、それが不気味な響きを持って迫ってくる。風は冷たく、木々がざわめいているかのように聞こえ、その音が村の周りに響いた。


遠くの山々からの風が吹き下ろされ、その風音が不気味な影となり、闇の中で動き回っているような錯覚を覚えてしまう。この村の夜は静寂と不気味さが交差する、謎めいた雰囲気に包まれていた。


歩哨に立つ護衛兵たちが交代で任に着き、一切の油断を排し最大限の警戒レベルで周囲の監視を続けていた。夜も更けてきて雲が月を隠し星々の光が周囲を照らすようになった。その中で護衛兵たちは不気味な雰囲気の正体をうっすらと感じ始めていた。


「なんだ?体が痺れてくるような・・・?」

「お前もか?なぜか手足が痺れる感覚があるな。それに少し体全体が重くも感じる。移動の疲れだろうか・・・おかしい・・・」


囁く声が私の耳元に届いた。私は熟睡と浅睡を繰り返しており、兵士たちの不安な声がやけに耳朶に残り目が冴えてしまった。確かに自分も体に麻痺感は感じる。たしかにこれはおかしい。私も疲れてはいるが、こんな痺れる感覚はあったことがない。


そのようなことを思っていると外の様子が少し騒がしくなった。言い争いをしている声が聞こえたと思うと数瞬後には消えていた。不審に思ったが、今は自分の身の守ることを優先し護衛兵たちの報告を上体を起こし待った。


そうするといきなり、村の静寂を切り裂くような大声と怒号が発せられた。私はすぐさま近くの護衛兵に小さく声をかけた。


「何があったの?」

「わかりません。少々お待ちください。すぐに外のものが報告にきます」


不審者が村の入り口に姿を現した。女だ。この場に似つかわしくないノースリーブの煌びやかなドレスとハイヒール、そして右手には細い長剣を抜き身のまま手に持ち歩いていた。あまりに場に合わない服装そして自信ありげに兵士団へ一直線に歩み寄る姿、武装している点、そして何よりその髪の毛が白髪で、真っ赤に光る眼、青黒い肌、そして角のような突起物が生えている額。全てが兵士たちの警戒心を最大限に上げた。護衛兵たちは即座に駆けつけ不審者を取り囲んだ。


「貴様、魔族か?何をしに来た?」


「何をしに来たとはおあいにく様だな。私は魔族のノア。賢魔24位にして、剣豪の異名を持つ者。エマを連行するためにここに参上した。エマと会いたいのだが、案内してもらってもいいかな?」


「用件をお聞かせ願おうか?」


「エマは魔族殺害の罪で逮捕令状が出ている。今すぐここにエマを連れてこい。ここに来ていることは、もう既に情報として入っている」


「エマ様はここにはいない。もう既にここを出られた」


「あー、こういう問答はいらないんだ。邪魔だからどいてくれ」


「ここは通さない」


「邪魔」


そう言い捨て、右に持った剣を一閃。止めようとした兵士の胴体の上が斜めに地面に落ちていった。


「貴様!!!」


「邪魔するなら、殺す。死にたくなきゃどきな。そしてエマを出しな」


そしてノアはゆっくりと一番大きく張られたテントに向かって歩き出した。


その中からエマに扮した兵士エマが私服で出てきて、言った。


「何事ですか!?」


「君がエマか。私に同行してもらおうか。君には魔族殺害の容疑が掛かっているんだ。捜査をしたいと思うから、一緒にガルーシュ伯爵都市に行こうか。そこまで私が君の護送の責任を持とう」


「エマ様を守れ!!!」


護衛兵士達が、エマの格好をした女兵士を守る為、大声を張り上げてその侵入者を撃退するように防衛戦を展開していた。


ノアは突然うっとりとして表情に変わり、自分が持つ剣を頬に当てて、ケラケラ笑い出した。


「聞いてよ。この魔剣は凄いんだよ。何でも切れる魔法の剣なんだ。物理防御無効化と魔法防御無効化が付与されているんだ。これに当たったものは、何でも一刀両断なんだ。あぁー、快感ー」


人格が崩壊してしまったのか、と護衛兵たちは薄気味悪くノアを見て臨戦態勢に入った。ノアはそう言いながら、ゆっくりと兵士エマに向かって歩みを進めて行った。


護衛兵達が、一斉にノアを向かっていった。武器の保持が魔族との条約で認められていない為、皆徒手空拳で臨むしかなかった。蹴りを入れようにもその蹴りは魔剣で斬られ切断された。拳打を放つも剣で腕を斬られ防がれた。腕を斬られた兵士はならば体で体当たりと迫ったが、横薙ぎの斬撃で胴体を真っ二つにされていた。まさに蹂躙であった。


しかしその事で怖気付く兵士たちではなかった。四方八方から魔族に襲いかかり必死で死中に活路を見出すべく、自分が殺されても仲間が討つとの決死の覚悟でノアに向かっていった。しかしノアの動きは、そもそも兵士たちのそれとは別次元であり、どの打撃も彼女の体に触れることさえ叶わなかった。


「遅い!遅い!遅い!どうしたの?止まって見えるよ!はははは!そうかー、残念だなー。毒の効果が、効き始めたのかなー?」


兵士エマは怪訝な顔をして、自分の手を眺めた。たしかに今までにない震えを感じる。恐怖から来る震えではなく、何か体内の違和感がこの震えを起こしている原因であることが感じられた。


今の兵士たちの動きは確かに精彩を欠いていた。明らかに動きが遅くなっているのだ。旅の疲れのせいではない。自分の動きも同様に気怠い。毒か。いや、しかし、どうやって毒を盛られたのか・・・。村人?まさか、村人たちが魔族と繋がっていた・・・。


兵士エマは心の中で悔しがった。


(やられた・・・。しかし、どんなことがあろうが、私の役目はエマ様をお守りすること。そして影武者としてエマ様の代わりに死ぬこと。私の死が、大きな義に繋がっているのなら、私の生きた20年間も価値あるものだったと思える。私の体がどうなろうと構わない。ただただエマ様の為に、この命を使うことができたら本望だ)


そう思いながら、今目の前で繰り広げられている激戦を見ていた。


「はははは!!!凄い!凄い切れ味だ!やはり人を切ると威力の程度が分かりやすい!さぁ、どんどん行こう!どんどんかかってこい!」


半狂乱になりながらノアは舞を舞うように周囲の護衛兵たちを虐殺していった。元は20数名いた護衛の兵士たちだったが、気付けば戦闘可能な兵士はすでに1名しかいなかった。


クリシュナ兵士団長は兵士エマの横に立ち警護していた。フィブラーとアルハも兵士エマと共にいた。今本当のエマは、一人テントの中に隠れ事態の趨勢を見守っている。


フィブラーは戦場に立ちながら兵士エマを手で制し叫んだ。


「お嬢様決して出てはなりません!ここにいて下さい!ここは私たちで対処します!」と兵士エマに叫んでいた。この叫びは近くの小さなテントに潜伏しているエマへのメッセージであった。


ノアの動きは絶望的な程速かった。目で追えるものではなく残像しか残らなかった。気付けばノアの動きは止まり、周囲にバラバラの死体だけが地面に転がっているだけだった。


クリシュナは、兵士エマを見て周囲にも聞こえる音量で言い放った。


「申し訳ありません。勝つ見込みはほとんどありません。しかしそれでも貴女だけは逃げて下さい。どうか生きて生きて生き延びて下さい。領都にさえ着けば、希望はあるでしょう。さぁ、フィブラーとアルハを連れて逃げて下さい!」


と言い兵士エマと2人の執事は、全力で村から出で領都を目指して走って行った。


「あれー、君はここに残るのかな?エマ令嬢の護衛はいいの?」


「貴様はここで殺す。その後、エマ様に追いつけばいいだけのこと。絶対殺させはしない!私の命に代えても!!!」


そう叫び、クリシュナは魔族の女を正面に見据えた。


(あの剣に触れてはいけない。他の者達が、まるで紙切れのように細切れにされている。ならば!)


クリシュナは、接近戦よりも遠距離戦に持ち込んでいくことにした。魔力弾を両手に込めて連弾を魔族に叩き込んでいった。


ダダン!ダダン!ダダン!ダダン!


強烈な勢いで、クリシュナの両手からかざし、魔力弾を生成しては、魔族に打ち込んでいった。魔族の女は、一つ一つを切り落としながら、ゆっくりと進んでいった。


「こんな芸当もできるだね。一つひとつに込められている魔力は大したものだ。当たれば、結構ダメージもあるんじゃないのかな?」


と余裕で一つひとつに丁寧に対処している。


クリシュナは、一歩一歩下がりながら、できるだけ距離を取りながら遠距離戦に持ち込んでいるが、相手の距離を詰めるスピードの方が数倍速い。


とうとう後10歩程で、魔族の女の間合いに入ろうとする所で、クリシュナは連弾を止めて魔力を溜め出した。


「おぉ、これは何か大きな魔力の奔流を感じるね。大きな魔力弾でも打ち出すつもりか。これは厄介だから、潰させてもらうよ」


そう言い放ちノアは加速して、一足飛びでクリシュナに接近。気付けばもう剣の間合いだ。


必殺の間合い


死を予感したクリシュナは魔力を乗せた拳打を放った。


「それは当たらないかな。モーションが大き過ぎるよ」


と拳打の先から姿を消し、クリシュナの右拳打を下に潜り回避した。


しかし


「これは遠距離弾じゃない。超接近戦の連打撃だ!!!」


すぐさま左アッパーを放ち魔族の顎に直撃した。ノアの顔面が上に跳び上がった。


ここがラストチャンス!!


と心で叫び、クリシュナは猛ラッシュをかけた。


連打撃を無数に放ち、ノアの無防備な顔面から胸から腹から腕から足から全ての部位に打撃をただひたすら打ち込んだ。無呼吸でただ全力疾走をするような、一切の呼吸の間をおかず連打していった。


首筋への手刀打ちから首への貫手突き、心臓部をめがけて正拳突き、体側面部への振り打ち、鳩尾への肘打ち、頭部へ渾身の鉄槌打ち、下がった頭へ膝蹴り、腹部へ中段蹴り、回し蹴りを側頭部へ行い、胸部に20連打の突きを放ち、正拳突きを顔面に放った。5メートル程ノアは後方に吹っ飛びとうとう沈黙した。


(立ってくるな。立ってくるな。もうこちらの力はほぼ空っぽだ。もう立てない。頼む、もう死んでいてくれ)


そう願うが、あえなくその願いも打ち砕かれた。


「まぁこんなもんかな。なかなかやるね。今の動きを後1時間ぐらい続けられたら、私を殺すことも可能なのだろうが、今ので精一杯じゃないかな?」


そう言い終わると、クリシュナの右手が肩から地面に落ちた。


「!!!???」


「正拳突きの時にカウンターで斬っておいたよ。何度言うけど、この魔剣はすごいんだよ!私の魔力や生命力を吸い取り成長していくんだ。少し当たっただけでこの切れ味。私はこの魔剣を使い賢魔1位となり、最終は部隊長まで登り上がっていくつもりなんだ。ここでは止まれないんだよ。応援していてね」


「なるほど。私の命と引き換えじゃないとお前は殺せない、ということが良く分かった。しょうがない。一緒に死んでくれ」


「いや、君の命が1万人分あっても、私の命と同等にはならないよ」


「ここで死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」


クリシュナは自分の体になる全ての生命力・魔力をリミッターなく放出させ大爆発を起こすつもりでいた。


「窮鼠猫を噛む、というけど、それをするのは予想してたけど、それはね、実は悪手なんだ。だって、今無防備でしょ」


一瞬でクリシュナの正面に驀進し、剣で突貫。クリシュナの眼を貫き剣が頭を貫通した。


「が・・・ぐ・・・う・・・だ・・・」


クリシュナの体が痙攣して、その場に崩れ落ちた。


「さて、逃げたエマを探さないとな。どこに行ったかな。追いつくといいけど」


そう言い残しノアは闇の中に姿を消し、エマの後を追って行った。

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