26 極秘任務

「あいつら、森の中で何故、こんなにも長く彷徨っているんだ!?何故早く捕まえられないんだ???!!!」


ガルーシュ伯爵家の領内を、我が物顔で歩いている、ある貴族がいた。彼の名前はケンス・メ・マーカス子爵。この伯爵を寄り親にしている訳でもなく、近接する伯爵領のムラカ派の子爵貴族だ。ケンスは蛙のような大きな腹に、蛙のような油ぎった、でっぷりした顔、短身短足で極度の嗜虐性と噛み付いたら決して離さない執着心を持つ、サニ派、ムラカ派に限らず、出会うエルフ達には蛇蝎の如く嫌われた男であった。年齢は45歳。独身。子爵を40歳で世襲し、いち早く魔族の警察組織立ち上げに参入。持ち前の嗜虐性と執念深さで、恐喝、拷問、暴行、強要、詐欺、横領、捏造など、犯罪者検挙の為なら違法的なことを全く厭わず、冤罪お構いなしに『成果』を上げていった。結果ガルーシュ伯爵領と5つの隣接伯爵領を担当する広大な地域の警察組織の上役として、その地位を不動のものしていた。犯罪者は全てサニ派エルフにしておけば、ムラカ派貴族から文句はなく、魔族からの陰からのサポートも得て、何の問題もなく自分の好きなように捜査権を行使できていた。


ケンスはその醜悪な外見と内面から、彼を嫌うサニ派、ムラカ派の全てのエルフたちからは、魔族の権威に縋りケロケロと鳴いている蛙のようなものなので「ケロス」と陰では呼ばれていた。本人はそんなことは全く関知していなかったが。


彼の唯一の楽しみは犯罪容疑者として検挙したサニ派の若い女のエルフを嬲ることであった。捜査の最中に、拷問、監禁、強姦を繰り返し、最終的には魔族たちの裁判を通し、罪をでっち上げ死刑にするか、終身刑にして、死ぬまで彼の屋敷で性奴隷として奉仕させるのであった。ケンスのような悪逆非道の行為を魔族たちが好意的に見ていたのは言うまでもない。ケンスこそまさにサニ派とムラカ派の溝を更に深める、最高の人材だったのだ。魔族はもろ手を挙げてケンスを歓迎した。


今回ガルーシュ伯爵の次女であるエマ・ル・ガルーシュ令嬢が、ムラカ派の人々を20数名の兵士を伴い襲撃し本人は森の中に逃亡するという事件が惹起した、とケンスより警察組織に報告があった。目下、警ら隊が追跡を行っているとのこと。捜査はガルーシュ伯爵家にも及んだ。事態を知ったガルーシュ伯爵はこの捜査に対して猛抗議をし、事実無根である可能性を主張し捜査方針の撤回を捜査本部の部長を務めるケンスに求めたがケンスはそれを一蹴した。


「捜査は公正公平に行われている。関係者は口出し無用である」と突き返した。


しかし、それだけに留まらずこの抗議自体が捜査妨害と判断し、犯罪幇助の嫌疑をかけ、ケンス子爵邸での取り調べ後、自宅軟禁との理不尽な決定が下されガルーシュ伯爵はその場で連行された。


この暴挙には他のサニ派貴族から猛烈な非難の声が上がったが、ムラカ派貴族からは「捜査の結果を見て判断すべし」とのケンス擁護の反論があり、見え隠れする魔族の影に怯え、サニ派貴族は静観する以外なく、このような理不尽な愚行に忍難の涙を流すしかなかった。今はただエマ・ル・ガルーシュ伯爵令嬢が無事に帰還されんことを祈るしかなかった。


エマ令嬢は精力的にサニ派、ムラカ派の貴族たちを来訪し、対話を繰り返していた。エルフ国の安穏のため、エルフは宗義・宗派の違いを超えてお互いを尊重しなければならない、との主張に国家転覆の嫌疑が掛かっており、公安組織よりエマは以前より目を付けられていたのだ。


この流れをケンスは素早く読み取り、ムラカ派への貢献と魔族への機嫌取り、そしてエマ令嬢を我が物としたいとの欲望を剥き出しにし『エマ令嬢のムラカ派市民襲撃事件』を謀ったのだった。


エマ令嬢は、まだ15歳と年齢的には子供であるが、理知的な言動とその美貌に宗派を問わず、多くの男性陣が心ときめかしていた。彼女の来訪を心待ちにする独身男性貴族が大勢いるのは公然の秘密のようなものであった。彼女への婚約申込の手紙は毎日、大量に届き、ケンスもまた同じようにエマに魅了された一人であった。今のエマの取り巻く状況に内心で歓喜を爆発させ、自分の持つ全ての権力と人材を使って必ずエマを手に入れ、屈服させると強く決意をした。


ケンスが自ら現場に赴くことは普段はあり得ないのだが、今回の案件はあの『エマ令嬢』だ。絶対に自分の手で手に入れる。その思いで森との境界線に出張っているのだが、待てど暮らせど、エマは森から出てこない。


1カ月ぐらいで出てくる予想だったのだが、1週間経ち、2週間経ち、3週間経ち、そして予定より1カ月が経とうとしても、まだエマは森の中を徘徊している。焦燥感がケンスの心を苛立たせ、自分の所有している奴隷たちを拷問し、痛めつけ、泣いて慈悲を乞う若いエルフの女の姿を見て、溜飲を下げる日々であった。


「おい、参事官どうなっている?!!!」


と近くの幹部を呼び、怒鳴りつけた。


「も、申し訳ありません。魔除けのアミュレットの反応を見ていますが、ここから10キロ辺りをウロウロしている様子なのです」


「お前たちは能無しか!?様子を見に行ったのか!?」


「ひー!!も、申し訳ございません!!!偵察には、何人もの乱波を送っておりますが、全て帰ってきておりません。森の中は非常に危険ですので、魔獣にやられた可能性が高いです。出てくるのを待つしかありません・・・」


「くそ!!!では、なぜエマは森の中で生きているのだ!?乱波は無能か!?」


「も、申し訳ございません!」


「くそー!!何か策はないのか!!??」


このようなやり取りが最近では何度も見られるようになり、ケンスの怒号が毎日現場に響いていた。


ケンスは現在100名程の警ら隊を従えて、魔除けのアミュレットに入った、強力な魔法陣を検知できる、魔族から秘密裏に貸し与えられた魔法道具を持って、待ち伏せを画策していた。ケンスが魔族たちに森林捜査の困難さを訴え、状況を説明した時にエマが魔除けのアミュレットを持っていると報告したことで、魔族から魔法陣探知道具の魔法紙を与えられたのだ。それが功を奏し明確にエマの所在が特定でき効果的に警ら隊を設置、待ち伏せをすることができている。まさか魔法陣の場所を探知できる道具が開発されていようとは、エマもセバスも元橋も思いもよらなかった。


「あ、そうだ!!!」


妙案が思い浮かんだ。今まで待つばかりであったが、この森の特性を生かせば逃走中の犯罪者を炙り出す方法があるのではないか、とケンスはずっと考えていたが、最高の計画を思いつき表情が綻んだ。


「あいつらを呼べ!ダーチのパーティを呼べ!!」


「獣使いのパーティですか?どのようなご要件でしょうか?」

参事官は首を傾け、若干嫌な予感をしながらケンスにその意図を聞いた。


「10キロより更に奥から、こちらに向けて魔物の暴走を起こすのだ!そうすれば、エマたちも森から出てこざるを得ないだろう。どうだ、名案だろ!!」


「お待ちください!その森から出てくる魔獣の討伐はいかがなされるのですか?ここの近くには村もありますし、ここから遠くないところには、ムラカ派貴族の領地もあります。それに魔獣暴走を起こした場合、エマ令嬢が逃げ遅れ魔獣暴走に巻き込まれるかもしれません。仮に逃げ果せたとしても、エマ令嬢がこちらに逃げて来るかが不明です。そして、仮にこちら側に逃げ込んできたとしても、魔獣暴走を止める為に、我々が対処しなければなりません。魔獣のランクにもよりますが、高ランクの魔獣が現れた場合は、エマ令嬢共々、我々も同時に壊滅いたします!!これは名案ではなく、迷案でございます!ケンス様、ご再考を具申いたします!」


と参事官は一気に、この計画の執行に対して不備を何個も挙げて中止を要請した。


しかし


「うるさい!!お前たちがどれだけ経っても何も成果が出ないから、私自らが動くしかないだろう!愚か者どもが!私の言う通りにしろ!!!さぁ、ダーチたちを呼べ!お前との話し合いはもういい。私はあいつらと話し合い、この捜査に終止符を打つのだ!」


ふん!魔獣対策?愚かな。魔獣暴走は、いわゆる自然災害よ。関係各所にそのように説明すれば問題ない。獣使いを使ったどうかなど、こちらで何とでも隠ぺいできる。魔獣暴走で私の兵士団を肉の壁にし、警ら隊にも被害が出ていれば、仮に貴族どもに被害が出ようと、痛み分けと判断され、どこからも不満は出んわ。


そんなことも分からんのか、この参事官は。それに、最悪の事態になった時は、この参事官の計画であったことにしておけば、問題なかろう。その気概を持て!!本当に、無能な部下を持つと、こちらが苦労をする。犯罪者を炙り出すために、功に焦った参事官の無謀な計画だったと説明し、それを知らなかった俺、という構図でいこうか。


決まったな。


意気揚々と自分用のテントに馬を走らせ、テント内で討議事項を整理することにした。そうしてダーチたちがテントに招かれると、ケンスは彼らと極秘任務についての通達と、余念なく計画の細事の詰めをするのだった。

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