10 毒を乗り越えて

気付けば、朝だった。天井から光が差しているので、周囲が非常にクリアに見える。


(よかった・・・。何とか生き延びたようだ)


周囲を見渡してみたら、青々とした草がこの洞窟の中を所狭しとびっしりと覆っている。元橋が召喚されたのがこの洞窟の中央付近で良かった。もし僕が洞窟の端の方であれば、中央の木までたどり着けてはいなかっただろう。辿り着く前に、確実に死に絶えていた。その考えに思考が及ぶと元橋は背筋に冷たい汗が噴き出た。


(本当に、死ぬ一歩手前だったのか)


この洞窟は毒素で充満しているようで、天井からの光がその毒素の粒子とぶつかり、綺麗な光線を描いている。死に覆われた、どんな生物も拒む陸の孤島だろうが、僕の目には、なぜか綺麗で幻想的で牧歌的な雰囲気を感じる。


(さぁ、ここから脱出しないとな。ここに留まっていれば、そのうち毒素にやられて、神経系がいかれて、脳機能も落ち、筋肉はすべて崩壊し、死に果てる未来しかない)


元橋は、昨日起こった事がフラッシュバックのように脳裏に過ぎった。彼の心は憎悪に燃え、腑が煮えくりかえる思いがした。


(絶対にあのヒト族たちを許すことはない。絶対に奴らに報いを受けてもらう。奴らは必ず殺す。また菅原や他の生徒たちも、結局俺が助けようとした言葉にも一切耳を傾けることはなかった。むしろ、菅原は僕を殴り倒した。アイツにも必ず落とし前をつけてやる。けどもアイツの一撃がなかったなら、もっと悲惨な状況にはなっていたかもしれない。因果なものだ。誰も僕の話を聞かない。誰も僕の事を守ろうとしない。何故僕だけが殺されそうになったんだ。勇者に対して処分する選択肢も、王族たちにとって存在することを考えてみると、勇者たちもいつか殺されることにもなるのか?どういう基準で、選択されているのか?使えなくなると、切り捨てるのか?ざまぁみろと思う反面、意味不明の王族の行為に背筋が凍る。国家という大きな組織が、何を考え、このような凶行に及んでいるのかと思うと、血の気が引く。とにかく分からないことだらけだ)


元橋にとって、この世界に来てあまりに非現実的な事態の連続だった。今まで自分が培ってきた社会のルールや規範、常識などがどんどんと薄れていった。日本社会や法律という枠組みではもう自分の行動を制限する意味がなくなるように感じる。この超異常事態の中において、今まで彼の中に培ってきた、信念や刻まれてきた信条、良識が、彼の行動規範の中心になっていくのを感じた。その中心は、やはり、彼の祖父の言葉だ。


決して外で、この古武術を使ってはならない。

信念は行動によってのみ発露される。

相手の行動は、自分の行動の反映による。


溢れかえるように、祖父の言葉が心の奥から蘇ってくる。


(じいちゃんの言う、『外では使うな』の『外』というのは、古武術の力を他人に見せてはならない、ということだろう)


じいちゃんが僕によく言っていた言葉を思い出す。


「『己を知り、相手を知れば百戦危うからず』というが、これは戦いにおける要諦を正確に指摘しているのじゃ。つまり、戦いは情報戦。戦いに挑むに際しては、いかに相手の手の内を知り、いかに相手に自分のことを正確に把握させないかが勝負となる。言い換えれば、自分の状況を正確に把握できず、且つ相手の状況も把握できない場合、その戦いにおいて負ける確率が格段に上がる、と言ってもいい。自明と言えば自明であろう。簡単に言えば、こちらの手の内を簡単に見せるな、という意味だ。しかし、『獅子は蟻の子を取らんとする時も、全力を尽す』とも言う。これは実際に戦いが始まってしまえば、最大限の力を持って相手を打倒するのだ。そしてこちらの全力を晒して力を把握したであろう、相手は全て殲滅すべきである、と解釈することもできる。わかるか、伸城?」


昔なら、「いや、知らん」と拒絶するような言葉を言っただろうが、今はじいちゃんの言々句々は、俺の中の最もコアな部分を形成していることが、強く感じられる。人間、逆境に相対した時に、今まで心に刻んでいた言葉や経験が、不思議と湧き上がってくるものだ。


じいちゃん、あいつらに殺される一歩手前だったんだ。これで『あいつらを許せ』とはならないだろう。


あの勇者召喚は、どのような理屈で行われているものかは知らないが、絶対に許してはならない。地球の人々が次々に殺されているんだ。必ず止める。そして、その方法がアイツらを殺すことになるとするなら、刺し違えても殺す。


『人を呪わば、穴二つ掘れ』とは言われている通りだと、直感的に感じる。身震いがする。自分の心が復讐の怒りで黒く塗り潰されていくが、同時にその黒く暗い心に光はないことを感じる。


たしかにこの復讐の道を歩くならば、俺も無事では済まないだろう。しかし、俺は奴らを殺す。その覚悟で俺の命を使おうじゃないか。俺はこれを自分の使命だと心の奥底に刻みつける!)


元橋は、今まで起こった非人道的な扱いを振り返り、自分自身の中で消化し、今後の行動の基盤とした。そして、まずは生き延びなければ、この想いも叶うべきこともないことを心に期した。


(そういえば、だんだんと体もこの毒素に慣れてきたのだろうか、昨日のような死への緊迫感を感じない。体も怠くはなっていくような気がするが、その倦怠感に陥る感覚の速度が落ちている。これは、体に毒への耐性が付いているからなんだろうか)


元橋はそう考え始めると、逆にこの場所が安全領域のように思えてきた。毒素が空気中に充満している分、どんな危険生物も近寄ることはできない。それでも彼はこの万癒の果物がある内はこの場所に留まれる。周囲にどんな肉食獣がいようが、この洞窟に逃げ込めば相手は追手は来れない。凄いことじゃないか!と元橋は気付いた。しかし、問題は食料がないことだ。どんなに安全でも餓死してしまえば意味がない。


(これは、困った。けども、何か引っかかる。待てよ、たしか・・・。何か転移直後に見たような・・・。あっ!!!!!そうだ!!!!!)


元橋は何かが昨晩、天井から落ちてきたモノを思い出した。一瞬の影を見た感じでは動物だった。あの時はそれどころではなかったが今から確認しに行こうと、元橋は立ち上がり、その何かが落ちた場所を見に行った。


昨日落ちてきた物の場所を何とか思い出して、その場所にゆっくりと歩いて行った。草むらを掻き分けて進んでいくと、そこには毒の為に、ボロボロの体になっていた巨大な鳥の死体があった。おそらく、毒素の為に筋肉が完璧に破壊されているのだろう。全ての体内の機能もボロボロになっている。これはなかなかグロイ光景だ。


(けども、これは、正直、僕にとっては千載一遇のチャンスだ。なぜなら、僕には、この動物が・・・


食べられる!!!!


万癒の果物を食べれば、この動物の肉のたんぱく質が菌で侵されていようと、殺菌されるはず!心身損傷が対象と言っているのだから、菌からの内臓へのダメージも効果範囲だろうか。どうせ、自分の命はこの万癒の果物の効能が助けてくれる以上はないのだから、食べるか死ぬかの2択なら、食べるしかないだろう)


そう思い、元橋はその動物の翼らしきものを持ち上げた。筋繊維がボロボロなので、簡単に翼部分がもげた。(これを食べるのか・・・)まるで凶悪な病気に罹り、死に絶えた動物のようだ。(実際そうなんだろうけど)絶対に何か悍ましい病気に感染するリスクがあり、食べるなんてもってのほかのような動物の死骸だが・・・。


元橋は、まずは万癒の果物のところまで移動し、一つ枝からもぎ取り、左手に万癒の果物、右手に感染リスクのある翼の肉を手に取り、翼を意を決して食べた。もちろん味はないし気持ちの悪い感触が口の中に残った。けども筋繊維がボロボロなので、かみ切れた。飲み込み、それと同時に万癒の果物も口に入れた。


(これで死ななければいいんだが・・・)


それから腹いっぱいになるまでその動物の翼部分を食べ、万癒の果実も同時に口に放り込んだ。あれから数時間経つが、体に異変が起こることはなかった。どうやら生き延びたようだ。


(おそらく、な)


これでタンパク質摂取は問題ない。ミネラルやカルシウムなんかもこの骨を食べる事で摂取できる。この状況下でどんな栄養素が足りないとか、正確に分かるわけでもないが、正直万癒の果物の効能を前提とした計算なので、自分が別世界にいる状態を考えても、俺のこの体の構成要素がこの世界に存在しているかどうかは謎。


この推測を推し進めると、目下の課題はビタミン補給となる。このままいけば栄養素不足で体に異変が出てくる。この場所から早々に退避するかこの辺りでビタミン補給のための植物を見つけるか。


やはりどちらにしろ、一旦ここから出るしかない。


そう思い、元橋はチラッと真上に少し跳べば届く枝を視界に捉えた。


ジャンプをして、掴まりこの枝を足場に木を登ろうと試みる。


バンッ!!!


少しジャンプしたつもりが、木の上部の方まで跳んでいた。視界が一気に、5メートルほど上から地上を見る形になる。目の前に枝が迫ってくる。


(は???)


驚きながら急いで、迫りくる枝(というか、自分が高速で迫っていっている枝)を避けていき、自分の体が跳躍の最上位点に達して、次の瞬間には自由落下が始まる。この高さから落ちれば、着地の衝撃で体に大きなダメージが与えられるだろう。


そう思い、元橋は横や下を見て掴まれそうな枝を探そうとしたが・・・


(ん??なかなか落ちない?そんなわけないか。おかしい、自分が思う落ちるスピードよりも遅い気がする。いや、確実に遅い。この現象には覚えがある・・・なんだったけかな・・・?


あれだ!!俺がじいちゃんの激烈な攻撃を受ける時にたまに起こる、あの『クロノシスタス』とかいう現象だ。脳の処理速度が超高速になり、時間の感覚が遅くなるのだ。確かに死ぬような状況になると、脳の機能のリミッターが外れるしな。生存本能の一種だ。であるのは分かるがこの高さからの落下が、じいちゃんの攻撃くらいの危機感を感じているかというと、全くそんなことはないとは思うのだが・・・)


元橋は落ち着いて、太い枝を見繕いそこの上に着地する。さっきの現象を少し考察することとした。


たしか、毒草の中に脳機能を破壊しつつも分解後は機能を上げるものがあったな。おそらく、毒草摂取による脳機能の向上と神経系の発達に起因するだろうと、結論を下した。元橋が植物鑑定をした時に、毒草の効能として、毒のダメージの反作用として、傷ついた体が回復した後に超回復を経験して、機能が大幅に上昇することは分かっている。元橋が真剣に何かを見ようとしたら、脳の処理機能が大幅に上がるのだ。今の彼なら160キロで飛んでくる野球ボールの縫い目も見られるかもしれない。


(これはとんでもないことだ。筋力もかなり増強され俺の身体能力も大幅に上がっている。ここの毒素の異常さと万癒の果物の治癒力のおかげだな。これは幸運だ)


と元橋は心の底から今の状況への感謝と、同時に背中にゾクゾクと悪寒が走った。


(少しでも何かがかけ違っていたら死んでいたな)


俺は今の思考に深く陥ることを一旦止め、手の近くにある枝に生っている万癒の果物を何個かもぎ取り、天井の穴に向かって跳び上がった。


穴の外に出ると、毒素がドライアイスのように濃い霧となって穴から漏れ出ていた。そのためか、眼前の森には動物がいるようには思えなかった。気配が全くない。とても静かだ。耳を澄ますと遠くの方で何かの鳴き声が聞こえるが、それも遠い遠い場所からの声だ。自分を中心とした約100~200メートルほどは一切何もいない、と思う。おそらくこの毒の霧の為だろう。今の俺なら、この洞窟は絶対安全地帯となる。毒への耐性のない生物にとっては、ただのデスゾーンだからだ。


ゆっくりと森の中を歩き出そうとすると、木の陰からゆっくりと狼のような生物が出てきた。なぜこんなところに、3メートルもある巨大な狼が・・・?毒素は大丈夫なのか?


次の瞬間、狼がこちらに向かって跳び上がってきた。目にも止まらない速さだ!!


(避けられない!!!)


一番致命傷となる首を守ろうと、とっさに左腕を首辺りに上げると、ちょうど狼も同じ思考だったようで、狼の口と自分の首の間に腕が滑り込み、直接の嚙みつきを回避できた。


しかし・・・


普通の狼の顎力は150キロぐらいの力がある。普通の狼の大きさの軽く3~5倍ぐらいは、この目の前の大狼にはあるので、450キロ~650キロぐらいの圧力がこの噛みつく顎にはあることが想定される。簡単に腕が嚙み切られると判断。案の定、噛みつき、左腕に当たったことで牙の進行が止まった。その間に俺は体全体を顎の攻撃範囲から逃れるように、左腕を上に掲げ、大狼の体の下に、自分の体を滑り込ませる。噛みつこうとしている左腕にはすでに牙が刺さっており、ここから噛み切られるのかと予測。


全てがスローモーションで進んでいく。俺の脳の処理機能のおかげで冷静に、この突然の突貫に対応できている。


左腕からブチブチと嫌な音がして、噛み切られた。筋繊維が引き裂かれる。そして、俺は、思い切り両足に力を入れて、踏ん張った。


左腕の肘の先が無くなった。強烈な痛みを感じるが、それどころではない。何もしなければ、次は俺自身の命だ。


思い切り右拳を固め、下から狼の胸辺りの心臓部に目掛けてアッパーカットを叩き込んだ。


ドン!!!!!!!!!!!!


「ギャッ!!!!!!」


狼が1メートルほど上に上がった。まさかそんな衝撃が下から与えられるとは思ってもいなかったかのか、驚きの表情をしているのが見て取れる。


心臓への強烈な一撃が放たれ、大狼の心臓は一瞬止まった。脳への血の回りが一瞬無くなり、大狼は無防備な状態を敵に晒した。そのまま大狼の体が落下してくる。


防御態勢が整う前に、体が落ちてくるタイミングに合わせて、大狼の顎を思い切り蹴り上げた。大狼自身の自重と蹴りの勢いを重ねがけして、首の骨を折ろうとしたが、まだ折れない。しかし、顎への強烈な衝撃で、大狼の脳が揺れ、脳震盪を起こした。


俺は自分のありったけの力を脚に込めて上空へ跳んだ。おそらく10メートルぐらいは上空へ跳んでいるだろう。そして、地面で脳震盪を起こし、下を向いて意識混濁している大狼の首筋に、全体重をかけた膝蹴りを食らわして殺す。体の中でも一番軟な部位は後頚部だ。ここを打ち抜く!


(頼む、そのままじっとしていろ!!!!)


大狼は意識を取り戻したが、目の前の俺はいなくなっている。周囲を見渡そうとしたその瞬間、上から強烈な衝撃が首筋に与えられた。


ボキ!!!!


骨の折れる音が森に響いた。大狼は白眼になり、地面に倒れ込んだ。体はピクピクと痙攣して、呼吸困難を起こしている。口からは体液が流れていた。


(はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!・・・・間一髪だったな)


そう思い俺は、周囲を警戒しながらまた穴の中に逃げ帰った。


(大狼が俺の首を狙うかどうかを賭けだった。違う箇所を狙われていたら、そこを嚙み砕かれ、戦闘不能になっていた。本当に紙一重の幸運ともいうべき勝負の結果だったな。左腕が肘先から無くなったが、これでも生きているからこその哀しみだ。このまま放っておくと、出血多量で確実に死ぬ。まず止血しないと・・・死ぬ。いや、止血よりも、まずは、万癒の果物だ。これを食べるべきだろうな。下手な治療より、この果物に俺の命はオールベットだ)


激痛が走る左腕と、だんだんと血が足りなっていく感覚が激しくなっていく中、万癒の果物を一齧りして飲み込む。すると、みるみる左の腕の肘先の血が止まっていく。そして、驚いたことに、だんだん肉が盛り上がっていった。また一齧りすると、更に肉の盛り上がりが加速していき、数十分経つと、左手の指までが元に戻っていった。


(あぁ、これは奇跡だ。本当に何でも有りだな、この世界は。無から有を創り出す、この所業には感謝に堪えないが、この世界の物理法則を研究している学者に、是非話を聞いてみたい。けども万癒の果物の効能自体が一つの物理法則といえば、そうなのか・・・。


おそらく血も補充されているのだろう。先ほどまでの貧血感が無くなっている。まさに万般の損傷を癒す果物。これがあれば誰でも世界征服を成し遂げることができるんじゃないだろうか。これは凄すぎる。いや、そもそもここに足を踏み入れることさえ誰もできない死の世界だ。あの転移魔法陣でしかこの場所に辿り着かないだろう。本当は、死ぬしかない流罪地であるから、ここで俺が生きているのは奇跡のようなものだ)


元橋はこのあまりに危険で安全な場所で、いかに自分が薄氷を踏むような状態を切り抜けたのかと、自分の幸運を嚙みしめていたのだった。

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