青野海と赤居苺3

「新しいグループを作ろうと思ってさ

 事務所の社長室に呼び出されたのは、Intense*Toneの結成日の前日で、その時点で私にはなんの決定権もなかった。冷静に考えれば、もとよりそのような権限などあるはずはないのだけれど、なぜかその時は、あるような気がしてしまっていたのだ。

 社長室の壁の奥には南の島の写真が飾ってあって、空が広くて明るくて、海が遠くて青くて、目眩がするようだった。

 社長に呼び出された時点で、ある種の期待と確固たる悪い予感があったのだ。期待はもちろん、今の非公式グループが公式になってデビュー出来るかもしれないということ。

 悪い予感の方は、今のグループが解体されて、別のグループが作られるかもしれないということ。どちらか、ということもなく後者の方の可能性が高いだろうと思っていた。

 私がセンターを張っていたグループは実力に関しては申し分なく、どのスキルもデビュー組と並べるくらいのものではあったけれど、センターを含めて、花がなく、新しさもなかった。

「どんなグループですか?」

 自分がどういう理由で社長に呼ばれたのか、まだその時には判断がつかなかった。その頃はやたらとオーディションの面接官に呼ばれていたし、もしかするとアイドルとしてではなく、運営側としてそのグループの運営に携われということなのかもしれないと思ったのだ。

「もうメンバーも名前も決まってるんだ」

 社長が上げたメンバーの中に私の名前があったとき、体が重くなったことを覚えている。また新しくあの時間が始まるのかと思うと、気が遠くなりもした。グループの真ん中に立って、まるで物語の主人公のように立って、評価され続ける日々が。

 また続くのかと。

「ひろ花をセンターにしようと思う」

 その時、自分がどんなことを感じたのか、まったくわからない。

 当時もわからなかったし、今もわからないし、この先もわかることがないだろう。ただ、より一層体が重くなったことだけは確かだ。

 社長は笑顔で私の答えを待っていた。そうして、その答えになんらかの審判を下そうとしていた。つまり、なぜ自分ではないのかと食い下がる気があるのかどうか。この先もセンターでいたいと思っているのかどうか。

 こんな仕事をしているくらいだから、真ん中に立つことに喜びがないわけではなかった。でも、私にはその才能がない。少し後ろの方にいて、誰かをサポートしている方が性に合ってる。

 面白みもないしアイドルっぽさもいまいちない。私がまたセンターに立ったとしたら、せっかく新しいグループが出来るというのに、また同じことの繰り返しになってしまう。

 ああ、でも。全部、言い訳だ。

 本当はただ怖かっただけ。皆の目線の真ん中に立つということが。批判の真ん中にいるということが。頑張っても頑張ってもなかなか評価されないことが。その責任が。それになにより、私は羨ましかったのだ。

 誰かに面倒事や責任を押しつけて、毎日無邪気に笑っていられる苺が。

 だから頷いた。

「いいと思います。苺がセンターで」

 社長は引き続き笑っていた。

「うん。じゃあそれでいこう」

 次の日にグループ結成がメンバーと一般のファンに知らされ、私たちには芸名が与えられた。あんなにも欲しかった新しい名前。それが与えられるということは、デビューが限りなく近くなったということであり、生まれつきの名前を捨てて、この世界に身を捧げるという意思表示でもある。

 青野海。

 その名前は驚くほど私の体に寄り添った。赤ではなくて青。

なにかが吹っ切れて文字通り生まれ変わった気分だった。これから新しい名前で生きていくのかと思うと、そうして、もっとたくさんの人に自分を見てもらえるかもしれないと思うと、嬉しかった。

 なんて無責任だったのだろう。

 グループが結成されてすぐ週末巡業がはじまった。全国を巡るということではあったけれど、どこも今までと比べ物にならないくらい小さな会場ばかりだった。おそらくライブをすることだけが目的ではなく、結束力を強める意図もあったのだろう。

 集められたメンバーは葉子と苺以外は今まであまり話をしたことがない子たちばかりだった。ダンスレッスンに合わせて、移動もほとんどが車だから長時間一緒に過ごすことになる。後輩ばかりだし、葉子はあまりあてにならないので、私がしっかりまとめないとと、意気込んでいた。

 それもまた、逃げだとわかっていた。後輩の世話をして、グループをまとめる。それが私のやるべきことだと信じ込もうとしていた。その間、自分が逃げてきたことに向き合わなくていいから。

 でも、いつもあの子は空気を読まない。

「なんでとーこちゃんがセンターじゃないんですか?」

 めずらしい苺の険のある声に顔をあげると、場の空気が固まっているのがわかった。苺が振付師に食って掛かっているようだ。食って掛かっている、としか言いようのない体勢をしている。

 巡業のためのレッスンの初日。つまり、振り合わせの初日だった。苺は真ん中に立って、両手を握っていきり立っていた。

 赤色の名前を与えられたというのに、苺がそのことに気がついていないとは思わなかった。というのも言い訳で、本当は気づかないだろうと、その時、その瞬間まで、問題を先延ばしてにしていたのだ。

「ちょっと苺、なに言ってんの」

 肩を引っ張っていつものように嗜めると、苺は見たことのない歪んだ顔をしていた。それこそちいさな獣が賢明に牙を向けているように。精一杯の敵意を震えながら見せるように。

「だって、おかしいもん。とーこちゃんが真ん中じゃないなんて変だよ」

「変じゃないでしょ、あんた赤なんだから、赤が真ん中のほうが自然でしょ」

「なんで!」

「なんでって」

「とーこちゃんが真ん中じゃないなら嫌だ。私やらない」

 苺がそこまでの熱量で言葉を発するとは予想していなかった。多少むずかるとは思っていたけれど、苺は自分の意見をいうのが得意ではない。というより、自分の気持ちを測定するのが下手だ。だから、本当の気持ちを言葉にすることができない。

 どうにかして丸め込めると、そんな卑しいことを私は考えていた。でも苺のその熱量は、私の想像のはるか上で、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。

 苺が今までこんな風に人に食って掛かったことなどなかったし、人に迷惑をかけるわがままだって一度も言ったことがなかった。いつも大口をあけて笑っていて、一度も何かに怒ったことはない。

 場が固まってしまって、何か言わなきゃと考えるほど、口が硬く結ばれていく。どうしていつも、本当に必要なときに必要なことを成し遂げることができないのだろう。

 そこへ急に割り込んできたのは葉子だった。

「あのねー」

 いつものだらっとした時間を引き伸ばすような喋り方で、葉子は言った。

「ひろ花、じゃないや苺、いまからむずかしい話するからよく聞いて」

 そういうと、葉子は私たちを曲の最後のフォーメーションの形に動かした。真ん中に苺がいて両端に夕陽と花梨、その後ろにちょっと広がって桃とすみれ、わたしは苺のすこしずれた後ろで、一番うしろに葉子。

 葉子が鏡に映った私たちの姿を見ながらいう。

「これ、ひろ花、じゃなかった、苺が真ん中にみえるじゃん?」

「――みえる」

 不服そうに苺はいった。

「でもこれ実は笹原、じゃなくて――え、なんだっけ名前」 

「青野」

「青野か。ね、これ、本当は青野が真ん中だから」

 そういって、葉子はホワイトボードのマグネットを人に見立てて今の立ち位置をつくった。間延びしたひし形のような形。その頂点をしめして葉子がいう。

「前からみたら、ここが真ん中だけどー、ほら、みてみて」

 葉子はひし形にかこまれている真ん中の青いマグネット、つまり私を示してみせた。

「ここ、真ん中でしょ? わかる?」

 苺ははたはたと目をしばたかせて、じっとそれを眺めた。

「上からみたら笹原が真ん中でしょ? こうやってみんなに守られてんの。大黒柱っていうじゃん、それってこういうことからきてるから。だから本当の真ん中は、笹原なの」

「青野ね」

「ああ、青野」

 無表情のままマグネットを見ている苺に、葉子はいった。

「私たちは真ん中の青野を守らなきゃいけないんだよ。で、苺はその最前線にいるの。苺が一番前で、真ん中の青野を守ってるの。すごい大事な仕事なの。苺にしかできないの」

「ほんとう?」

 苺が急に生気を取り戻して聞き返した。

「え?」

「ほんとうに、私にしかできない?」

 その目に光が見えた。あの光だ。あの日、はじめて会った時に苺が私に向けた光の目。

 私は、その光をうまく見ることができなかった。だって本当は、私は逃げてきただけなのだ。その光から。

「ひろ花にしかできないよ。ねえ?」

 葉子が呼びかけると、まだ大した世間話もできていないメンバーたちが、意味もわからないながらに、それぞれに答えはじめた。

「そうっすよ。真ん中、大事っす」

「将軍は奥にいるっていいますもんね!」

「あ、あの、私もそう思います」

「桃もそう思うでしょ?」

「もも?」

「え、桃じゃなかった? 名前」

「撫子だよ」

「いや芸名」

「芸名?」

 ともかく、と葉子がめずらしく大きな声を出す。

「ね! そういうことだから。真ん中が誰かなんて、見る人によって違うんだから、自分が選んだ真ん中が一番なの! アイドルってそーゆーもんだから!」

 葉子がおそらく適当に言ったであろうその言葉は、真理であるように思えた。いつだって、自分の一番が真ん中なのだ。それが何色かなんて、本当は関係がない。むしろ、真ん中の色じゃないからこそ、愛しているということがある。

 そのとき、苺は、笑っていた。

「わかった! 私がとーこちゃんを守る!」

 明るい声をしていた。まだあのときは、苺は苺のままだったのだ。

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