燈乃夕陽と黃山花梨6

 お互いの第一印象は、という質問をもう何万回も聞いたような気がしている。実際にはどれくらいだろう。30回か40回か。もっと少ないかもしれない。もっと多いかもしれない。

 最初に会ったときのことはよく覚えていない、というのが私たちの答えだ。

 私たちは小さかった。子供だった。まだ子供である自分がそう言い切れてしまうほどに、幼かった。母に連れられて、たくさんの子供と一緒に、たくさんの大人の前で喋ったり踊ったりした。でもそれだって、後から聞いた話で記憶が足されているに決まってる。

 気が付いたときには私たちは二人でいた。

 こんにちはもさようならも覚えていないような幼いころから、大人のために二人でいたのだ。だから、いつ本当の二人になったのか覚えていない。

 でも、ずっと二人でいた。

「ねえ、花梨見なかった?」

 その声を聞いたとき、私は反射的に「あ」と声を上げていた。

 ちゃんと目を開けていたのに、今、目が覚めたみたいに目の前の笑っている苺ちゃんとすみれの写真が頭に入ってきた。私のはじめたSNSの評判は上々で、やればやるほど次の案が浮かび、私はいつの間にかその遊びに夢中になっていた。

 だから、その時自分がその場に一人でいたことにさえ、気づいていなかった。

「ん? どした」

 花梨の所在を聞いてきた海さんは、私の反応を見て首をかしげた。

 血が体の中を駆け巡って、何かを探している。

「花梨?」

「ああ、うん。さっきからいないからさ」

 今日は6人でレギュラー番組の収録で、朝にはたしかに花梨の姿があった。でも、今はいない。私の横にいない。いないということに、私は気づいていなかった。

「ごめんなさい」

 異変をかぎつけたみどちゃんも寄ってくる。

「どした」

「花梨がいない」

 私の言葉に海さんがいや、と口にする。

「いないっていうか、どこいったのかなってだけで」

 私は首を振った。

「ちがう。いなくなった」

「んー? どゆこと?」

 みどちゃんのゆるい声を聞きながら、なぜか、私にはその不在がはっきりと感じ取られた。トイレに行ったとか、差し入れを物色しているとか、そういうものではない。意思を持って、いなくなったのだ。

 花梨がいない。

「ごめんなさい。私、探してきます」

「ちょっとちょっと」

 立ち上がって走り出そうとすると、みどちゃんに手を掴まれた。いつものぼんやりした、ふわっとした、たぬきのような顔が、少しだけ固くなっている。

「何かあったの?」

「わかんないです、でも私が」

「うん」

「ちゃんとしてなかった」

「ちゃんと?」

「一緒にいなかった。花梨と」

 みどちゃんと海さんは顔を見合わせた。遠くで苺ちゃんが元気にスタッフに挨拶をしている。すみれが台本を読み込んでいて、桃ちゃんがお菓子を食べている。どのメンバーも見ずとも気配で何をしているのかわかるのに、花梨の所在だけが今の私には分からなかった。

 こんなことは、今まで一度だってなかった。

「離れるって二人で決めたんでしょー?」

 みどちゃんのゆるい声が頭に響いて、なぜかとても体が重くなった。たしかにそうだ。二人で決めたのだ。でも、花梨は本当はどうしたかったのだろう。本当に一人と一人になりたかったのだろうか。

 今となっては、そうとは思えなかった。花梨はいまでも、あの小さな丸い箱の中で屈葬ごっこをし続けたかったんじゃないだろうか。

 それに、花梨は何かを見つけたのだろうか。自分のことばかり考えていて、私は花梨のことをちゃんと見ていなかった。どういうことをしたいのかとか、しようとしているのかとか、聞かなかった。

「私が探してこようか?」

 海さんの手が肩にふれて、瞬時に安堵を覚えたことが、かえって不安を沸き立たせた。気持ちがぐらぐらしている。どれが安心で、どれが不安かわからない。

 みどちゃんが私の目を覗き込んでくる。

「どうする、夕陽? 私たちも探そうか?」

 まだ時間は余裕だけど、とみどちゃんは付け足した。

 たしかにまだ全然焦るような時間ではない。でもいつもの花梨ならば絶対にこの時間には準備に入っている。私たちは子役のころからずっと好き勝手やっていたけれど、仕事に穴をあけたことはないし、穴を開けそうになったことだってない。

 身内からの評判だけは落とさないようにと、今までずっとやってきたのだ。

「いや、私が探してきます」

「大丈夫?」

 みどちゃんが私の意思をたしかめるように、顔を覗き込んでくる。でもあまり心配そうではなくて、なんならちょっと笑っているような気がした。

「大丈夫でしょ」

 そう言ったのは海さんだった。

「だってバッカス探偵団よ?」

 海さんは肩においていた手を離したかと思うと、私の背中をばんばんと強く二回叩いて、少し恥ずかしそうに、でも大きな声で続けた。

「バッカス探偵団に解決できない事件なんてない!」

 おお、とみどちゃんが大げさに感慨深げな声を漏らした。

「さすが隠れファン」

「別に隠れてないけど」

「そっかそっか隠してないよね。二人がうちの事務所入ってきたとき、ミーハー心丸出しでコソコソ顔見に行ってたのに、挨拶したときしれっと冷たく先輩面してたんだもんね」

「それは言わなくていい!」

 そんな話は初めて聞いたし、海さんは今までそんな素振りを見せたこともない。むしろ、初期のころは子役あがりであることを疎ましく思っているのだろうと感じていた。

 みどちゃんが笑いながら、両手で私の背中を押した。

「ちなみに、私もファンでーす」

「え?」

 驚いてその顔を見ると、みどちゃんと海ちゃんは小さく手を振った。

「だからちゃんと二人で帰ってきてね」

 そう軽く言って、みどちゃんはいつも座っている椅子に戻っていった。ここから見えるいつもの景色が、信頼の形のように思えた。もちろんそれは私の感慨で、実際にどうかはわからない。でも、そう思える。

 私たちはもう二人でいなくてもいいし、いられないけれど、二人でいることを認めて、望んでくれる人が一番近くにいるのだ。

「いってきます」

 小さく呟いて前室を出た。

 不思議と、今はじめて本当の一人になったような気がした。見慣れているすべてのものが、まったくよそよそしく感じられる。でも私は、本当は知らないものが嫌いではない。

 テレビ局を動き回っていると、昔のことをたくさん思い出した。多くの子が公園で遊ぶように、私たちはここで遊んで育った。

 色とりどりのセットや機構は遊園地みたいで、そこかしこにいる大人たちもちょっとしたキャラクターのようで、でも、たまに聞こえる大人の世界の聞きたくない言葉もあって、だからこそ、そういうものから逃れられる場所もたくさん知っている。

 私たちにはもっと他の生き方があったのかもしれない、と今でもときどき思う。けれど、たぶん私たちは何度繰り返しても同じ生き方を選ぶだろう。

 なぜなら、私たちは――。

「花梨」

 クイズ番組のセットが置いてある倉庫の奥の奥。大きなパネルの影にあるバラエティ番組の大木のセットがある。それを見た瞬間、そこに花梨がいることが分かった。

 大木の腹には赤い扉がついていて、その内側に人が入れるスペースがある。そこから出てくるまでレギュラーとお客さんにはゲストは秘密、という体で収録が行われる番組なので、ゲストは呼び込まれるまで、大木の中で待機していなくてはいけないのだ。

 一度だけ花梨とふたりでその番組に出たことがあった。

 花梨は暗がりの中で、大木の内壁を触りながら無感動な鼻歌を口ずさみながら呟いた。

「似てるね」

「うん」

 似てるね、と答えながら、私は幼い日の感慨を思い返していた。

 大木の中は屈葬ごっこをしていたあのセットと同じような暗さ、同じような狭さだったのだ。素材は違うだろうに、匂いまで同じように感じられた。

 それにしてもあのころ、私たちは別段なにかを苦しいと感じたり、悲しいと感じたり、嫌だと思っていたわけではないのに、どうしてあのような場所に逃げ込んでいたのだろう。

 大木の扉をそっと開けると、やっぱりその中で花梨が丸くなって寝転んでいる。

 まるで死んでいるみたいに。

「リリ」

 呼びかけば、幼い発声が返ってくることを知っている。

「ミミ」

 ごめん、と言葉が続いたので、私はその中へ入って扉を締めた。外にほとんど光源がないので、大木の中は暗闇にほど近かった。私は花梨と向き合うように丸く横になって、小さい頃にしていたように花梨の手を握った。すると花梨も私の手をきゅっと握った。

「うまくいかないなぁ」

 やはり花梨は無感動に呟いた。

「なにか見つけなきゃと思うんだけど、考えれば考えるほど、なにもないなって思っちゃう。子役あがりって結局、変わってしまったってことが、全部の感想になっちゃう気がする。劣化じゃない成長の仕方なんてあるのかな」

 昔から花梨は自分のことを客観視することが得意だった。私は花梨の隣にいてその術を身につけたのだ。でも、習って、思考して得た私の能力と違って、花梨のそれは生来の才能なのだ。

 たぶん花梨には考えようとしなくても、外での自分の位置が勝手に測定されてしまうのだ。だから抜け道が見つかりづらい。

 そうだ。そうだった。どうして忘れていたのだろう。私は、そんな花梨を守るためにここにいるのだ。

「どこか旅行にいく?」

 私の言葉に、暗闇の中で見えるか見えないかわからないくらいの花梨の白目がこちらを向いたような気がした。

 ふふ、と花梨は笑って、握る手に少しだけ力をこめた。

「どこに行こうか」

 私は目をつむった。

 きっと花梨もつむっただろう。

「あたたかくて、あかるい所がいいかな」

「島の海辺とか?」

「それもいいけど、街中がいいかも」

「白い土の家がたくたん建ってるところとかどう?」

「いいね。空が絵の具みたいな色してて、道端にテーブルがたくさんあって、みんな好きに飲んだり食べたりしてる。路上でギターを弾いている人がいる」

 忙しくてどこにも行けなかった子供時代。二人で暗い場所で死んだふりをしながら、私たちはいろんなところへ行った。花梨の想像力が私たちをここからいちばん遠い、いちばん素敵な場所へ連れて行ってくれる。

「犬はいる?」

「茶色い犬がいる。片耳だけが垂れてる」

「名前は?」

「ないね。みんな好きな名前で呼ぶ。本当の名前はその犬だけが知ってる。昔、誰かひとりがその名前で呼んでたんだ」

「うん」

「でも、犬はみんなの名前も好きでいるよ」

 私はその犬をなんと呼ぶだろう。きっと太郎とか治郎とか、ポチとかチロとか、そんな名前しか思いつかないだろう。それでも、犬は顔をあげて、いいね、とでもいいように少しだけ口を広げるかもしれない。

「私たちはなにをする?」

 そうだね、と花梨は少し考えてから呟いた。

「楽器をもってるかもね」

「どんな?」

「街の人がみたことのない楽器。夕陽は弦楽器かな。下のほうがまん丸で弦はたぶん動物のしっぽで出来てる。馬みたいな虎みたいな、速く走る動物だよ」

「花梨は?」

「空気で音がなる楽器がいいな。空気袋を踏んで、鍵盤を押すと音がでるの。でも音階はばらばらで、どんな音が鳴るか私しかわからない」

「じゃあギターと一緒に演奏できるね」

「うん。私たちは猿も一緒にいるの。主役はその子で、私たちはそのお供。お猿は打楽器をもってる。踊って、叩いて、みんな大盛りあがりだよ」

「うん」

「私たちの歌で、路上の人が集まってくる。家から自分の楽器を持ってくる人もいるかも。お祭りみたいになって、みんな楽しそう」

「うん」

 私はその世界を噛み締めた。花梨の作る世界で、いつでも人は踊るように生きている。楽しくて、嬉しくて、体が自然と動くような。

「みんなが嬉しそうだと楽しいね」

 結局、私たちの真ん中にはその気持があるのだ。

 私たちは、どんなに生まれ変わったって、どんなに遠い場所に行ったって、また同じような仕事につくだろう。人のいう仕事という言葉には、暗くて重たいものが付きまとっているような気がするけれど、私たちにとってはそうじゃない。

 私たちは、人に喜んでもらうことが好きだ。みんなが割っているのが好き。そうして、それが私たちの仕事だ。

「大丈夫だよ」

 私の言葉はいつも、花梨とは正反対でばかみたいに感情的な気がする。

「花梨の近くにいると、みんな楽しくなるよ」

 ふと目を開けると、やはり花梨も目を開けたような気配があった。

 花梨は私よりも繊細で感受性が強くて臆病だから、本当はこんな風にいつでも同じ場所で、同じことをしていたいはずなのに、ひとたび外に出れば、私の手を引っ張ってどこへでも連れて行ってくれた。

 いつでも、何かを先にはじめるのは私。

 それを遠くまで連れて行ってくれるのが花梨。

「変わらなくていんだよ。周りが変わったって、仕事が変わったって、私たちはずっと何も変わらない。ただちょっと、やれることが増えるだけ」

「増えたかな」

「うん。花梨にしかできないことなんて、いくらでもあるよ」

「全然思いつかない」

「たとえば、衣装とか演出とか、どう?」

 私は、花梨がどういう人間かを、できるだけ詳細に語った。

 ここ最近、メンバーの特性はなにか、どういうものを人が求めているのかを考え続けてきたけれど、やっぱり一番にさまざまなことが浮かぶのは花梨のことについてだった。

 花梨の色彩感覚や流行に対する嗅覚、それに想像力。花梨には万人の求めるものを、たったひとりのための形にする力があるような気がする。つまり、大衆的でありかつ唯一であるようなものを作る力。

 形は衣装でも舞台機構でもなんでもいいのだ。みんなが好きになるけど、特別なただひとつ。想像上の誰も名前を知らない犬のように、花梨の世界にはみんなに愛される、たったひとつがある。

「うん。うん」

 花梨は私の話を聞きながら、握る手に力をこめた。花梨の頭の中で私の想像できないようなさまざまなものが次々生まれているのがわかった。

「たとえば海さんは? どんな衣装にする?」

 私が聞くと、花梨の口からは洪水のように言葉が溢れた。

「あの人は綺麗系がおおいけど、可愛い系もいけるというか、本人は恥ずかしがるかもしれないけど、全力のアイドル曲でさ、フリルとリボンがたくさんついた甘々なやつがいい。そうじゃなければ、ストリート系? 歌もダンスも基礎がしっかりしてるから、装飾を控えめ動きのよく見える衣装とかもいいかも。もしくは、しっかりしすぎてるからちょっとぶっとんだのでもいいのかも。ともかくもっとギャップを見せたほうがいい」

 見えないけれど、花梨の顔つきが明るく、楽しくなっているのがわかった。

「うんうん。じゃあ、みどちゃんは?」

「あの人は自由だから、むしろかっちりきっかりしたの着せたいかも。スーツとか、男装に近いのとか。ダンスナンバーであえて歌を少なめにして、でも短くてもいいからメッセージ性の高い歌詞の、しかも難易度の高いやつ! みどちゃんのスキルの高さを詰め込んで、でもさらっとやってもらうの。あの人が本当はめちゃくちゃかっこいいんだってことをもっと知らしめる感じで」

「いいね、すごくいい」

 花梨の言葉はすぐに映像になって目に浮かぶ。そんな風に、誰にどんな世界が合うのかを話していると、どんどんやりたいことが出てくる。なんでもできるような気がしてくる。はやくそれを見てもらいたくなる。

 居心地のよい暗がりから、出たくなってくる。多分それは花梨も一緒だ。

 手を握ると、強く握り返される。

 私たちは、本当は暗い場所が好きだ。誰にも邪魔されずに、ふたりでいられるところで、ずっと留まっていたい。

 でも、それと同じくらい、明るい場所も好きなのだ。みんなを明るい場所に連れていきたい。

「行こうか」

 私が言うと、花梨が立ち上がって、私の手を引いた。

「うん。行こう」

 もう私たちは走り出したくなっている。

 早くみんなに見せたくなっている。子供のころに大人たちに笑ってもらって嬉しかったときみたいに。私たちにはこんなことができる、あんなことができると、言いふらしたい。世の中の人みんなを驚かせて、笑わせるようなこと。

 私たちはちいさな頃から大人に囲まれて、大人の世界で生きてきたから、ただの子供でいることができなかった。子供らしい子供を演じ続けてきて、それが習い性になった。

 でも、本当の私たちは、本当に子供みたいな気持ちをもっていたのだ。誰かが喜んでくれたら、それが一番嬉しい。嬉しいと走り出したくなって、誰かに知らせたくなる。

 だから、何度生まれ変わっても私たちはこの仕事を選ぶだろう。誰かに喜んでもらうための仕事。みんなに笑ってもらうための仕事。

「ただいま!」

 走って前室に帰ると、他の四人がいつもと同じ様子でそこにいる。

「おかえりー」

「おかえり」

 みどちゃんと海さんがいうので、私たちは顔を見合わせてもう一度いった。

「ただいま!」

 これから二人だけでは出来ないことがもっと出来ると思うと、心が踊った。だってそれは、二人がどこまでも広がっていくということだから。それに、私たちが二人でいることを、ちゃんと認めてくれて、望んでくれている人たちが近くにいるから。

 私たちはこの世界で生きるのが好きで、だから使い果たしたい。

 ここで、この場所で。

 みんながとびきり喜んでくれるように、自分たちのすべてを使い果たすのだ。

「ゆーかりうるさい!」

 その声に、私たちは顔を見合わせて笑った。

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