燈乃夕陽と黃山花梨5
アイドルのファンというのは大まかに言っても種類がいくつかある。その性質はアイドルグループ本体の性質に左右される部分もあるけれど、どちらかというと、事務所の運営方針によって決まってくるような気がする。決まる、というより、集まる。
うちの事務所はグループもたくさんいるし、それぞれの色というのかジャンルというのか、そういったものもバラバラで、王道のキラキラふわふわのグループもいるし、楽曲の強さで勝負する歌唱振切れグループもいるし、バラエティが得意なギャップを狙ったグループもいる。
みんなバラバラだけど、どのグループも信念は共通していて、その信念というのがアイドルでいることだった。アイドル事務所なのだから当たり前と言えば当たり前だけれど、その芯をブレずに持ち続けるのは単発のアイドルグループでは難しい。
うちのような超のつく大手で、現在にも過去にも未来にも、たくさんのグループがいるからこそ、上を見て学び、下に受けつぐような形で信念を保っていられるのだ。
アイドルでいるということは、人の求める姿でいるということ。人が自分に求めているものを察知して表現すること。誰かの生活の中に、欲望の形として寄り添うこと。つまり、愛されること。
ファンの求めるものと、自分の追い求めたいものとどう折り合いをつけるか。ずっとその繰り返しだ。これは私たちの側でもそうだけれど、おそらくファンの方も同じだろう。
自分の望んだものを見たい、それだけしか見たくない、という心と、今までとは違うものに触れたい、という心が常に同居している。
人間の情熱が薄れるのは、そのものの本質を理解してしまったときだ。
もっと正しく言えば、理解したような気持ちになった、ということだけれど。だって私たちが外に出している表現は、あくまで表現だから。人間の本質などそれだけでは測れない。
でも本質をさとられてはいけない。私たちはアイドルなので、本性を出しすぎることはできない。
見せなければ飽きられるし、見せすぎれば失望される。そのバランス。
「SNS?」
たまたま二人の仕事があったので、楽屋時間を満喫している海さんに話してみた。相談ごとというと、リーダーのみどちゃんよりも圧倒的に海さんの方がしやすい。しやすいというより、建設的だ。
事実上、このグループでリーダー業をしているのは海さんだった。
「夕陽が自分でやるってこと?」
海さんは焼肉弁当の場合、まず肉をはずして、タレのついたご飯を最初に食べる。ものすごく大口で突っ込む。いつ見ても勇ましい。
「そうっすね。もちろん、大人の目は通さなきゃですけど」
「ほらほーだ」
もぐもぐと咀嚼する間、海さんは何かを考えているようだった。
うちの事務所のデビュー組は、個人ブログの更新が義務付けられている。もちろん自分でやりたくてやっているという風を装ってはいるけれど、実際にはかなり仕事感が強い。
更新してないと大人たちから注意を受けるが、文章を書くのが苦手な人とか、そもそもマメじゃない人はかなり更新が怠っている。苺ちゃんや桃ちゃんはその筆頭だ。
苺ちゃんは短いブログをよく更新するけれど、何がいいたいのかわからないし、桃ちゃんはそもそも更新自体がすごく少ない。更新してもやっぱり何を言っているのかよくわからない。
それはそれで個性だし、ファンの人たちが喜んでいるのでいいのだけれど、やはりファンはもっと本人たちの様子を知りたいだろう。それにアイドルファンというものは、第三者の目というのが好きなものだ。
誰々と誰々がこんなことをしていました、というほんの一文と、簡単な写真一枚でいい。それだけでファンはしっかり妄想を広げて、深い感慨を受けてくれる。
「んん」
海さんはご飯を飲み込むついでに頷いて、大きな目をこちらに向けた。
「すごくいいと思う。というか、ありがたい」
「ありがたい?」
「夕陽に向いてると思う。あんたがいちばん世間さまの感情に敏いから」
さすがに芸歴が長いだけあって、海さんはどっしりとしている。言っていることはほとんどみどちゃんと同じだけど、重みが違う。
たぶん、今のグループに何が足りないのか、どうしていけばいいのかということを、私たちよりもっと真剣に考えているのだろう。苺ちゃんがハネて注目を浴びている今、他のメンバーがどれだけ結果を出せるかで、グループの今後が変わっている。
一時の熱狂が他に向かないうちに、もっと大きな世間を取り込まなければならない。
海さんは感慨深そうな顔で肉と向き合っていた。
「よかった」
「なにがすか? 焼肉弁当?」
「ちがうよ。あんたがそうやってちゃんと考えてくれること」
そういいながら、海さんはもしゃもしゃと肉だけを食らった。せっかく一緒になっている米と肉を別々に食べるのには何か意味があるんだろうか。
「そんなに考えてないように見えました?」
強く肉を咀嚼しながら、うーん、と声を漏らして海さんは私を見た。
「というか、グループより花梨と二人でいることのが大事なんだと思ってた」
海さんの目は黒くて強い。ジャガーとか虎とかそういう動物みたい。骨格がしっかりしていて、しなやかで鋭くて。
花梨と二人でいることは、たしかに私たちが生きていく上での絶対条件だった。アイドルになるのだって、二人組になるということしか想像していなかったのだ。海さんの言っていることは正しい。
お互いに離れて、方向性を見つけようというのだって、結局は二人でいるための手段だ。
でも。
「ちゃんとグループだってわかってますよ」
二人でいることは大事だ。そして、二人で居続けるためには、このグループが必要なのだ。二人きりだったらもっと簡単に行き詰まって、もっと早くにあきらめて全部やめてしまっていたに違いない。
「ならいいけど。花梨は?」
「へ?」
「なんか最近様子変じゃない?」
「そうすか? どんな風に?」
「どんなって言われても困るけど。なんか変なものでも食べたとか」
「まさか」
海さんが本当にフィジカルな部分の様子の悪さを気にしているのか、気を使って明言を避けたのかはわからなかった。でも私よりも先に別の人間が花梨の変化に気がつくなんてありえない。実際、次に会ったときにも、花梨の様子に変わったところは見受けられなかった。
久しぶりの六人の仕事でいつものように車に乗って、隣に花梨が座る。最近、他のメンバーともかなり打ち解けた雰囲気で過ごすことが出来るようになったけど、やっぱり花梨は特別に落ち着く。
それはきっと花梨も同じで、プライベートで会っていない分、私たちはいつまでも話し続けることができた。
「ゆーかりうるさい!」
海さんの大声に二人でけらけらと笑って、こそこそまた話を続ける。やっぱり、何も変わっていない。また早く花梨の家とか私の家とかで話がしたかった。大勢の中で二人で過ごすのもいいけれど、二人だけの空間で過ごす時間は唯一無二だ。
「花梨」
名前を読んで、レンズを向けたとき花梨はへらっと笑っていた。私が一番よく見る顔。一番安心する顔。一番、勇気の出る顔。
でもたぶん、みんながこの顔を見ることは少ない。
花梨は私よりもプロ意識が高いから、外ではもっと自然で完璧な笑顔をつくる。体全身で笑っているような、見ているとこっちが嬉しくなるような笑い方をする。
花梨は心底アイドルに向いていると思う。周りを楽しくさせる天才で、私みたいに考えなくても、どう見られるのが正解なのかを、体が知っているのだ。
だけど私の横で笑っているときは、もっと気が抜けて乱雑で、生来の明るさと危うさが入り混じった顔つきをしている。
「写真? どしたの、急に」
「んー。ちょっと実験」
「実験?」
「うん。SNS やってみようかと思って、今、みんなの写真撮ってるの」
「SNSって、花梨が? 個人で?」
海さんと同じような反応をするのがおもしろかった。そのあたりも含めて私は花梨に計画を話した。
「海さんに相談したんだ」
「うん」
そうかそうか、と花梨は真剣に聞いてくれた。こういう騒ぐところと引くところの押し引きに過剰と欠損がないのも、花梨の才能のうちのひとつだ。ためしに撮ってみたメンバーの写真を見せてみると、花梨はひとつひとつ頷きながらじっくりと目を通してくれた。
「どうかな?」
「いいね。みんな喜ぶよ」
「そう?」
「うん。絶対喜ぶ」
その一言に私はひどく安心した。花梨が笑ってうなずいただけで、一つのことが完成されたような気になった。この感情は、離れたからこそなのかもしれない。
いつも一緒で二人でひとつでよかった時には、花梨がどう思っているかなんて気にしたことがなかった。いつも一緒だという確信があったから。離れてから、それがちょっと揺らぐようになった。
でも、揺らぐようになったことで、こうして話し合ったときの確信が強くなる。花梨ならばきっとわかってくれる、ということが原動力になる。
こうなる前は怖かったけれど、私たちは一人一人になったとしても、こんな風に二人でいることが出来るのだ。私は、そんな確信をもった。
忘れていたのだ。
いつだってどんな遊びだって、深いところまで潜り込んでいけるのは、花梨の方だった。深くて暗い底の方で、うずくまって眠るように――死んだように――その世界に入り込んで帰ってこないのは花梨の方だったのだ。
そういうとき私は、遠い遠い場所へ置いていかれたように感じて、とてもさみしくなった。
でもそれはきっと、花梨も同じだったのだ。
私たちは、長い永い二人ごっこをしていて。
私は花梨を深い底へ置いてきてしまったのだ。
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