燈乃夕陽と黃山花梨4
アイドルの仕事はたぶん、どんな職業より泥臭い。
子役のときもアイドル的な側面がなかったわけではないけれど、どちらかといえばタレントよりだったので、今ほどは制約はなかった。そもそも子供だったからよくわかっていなかった。
長所を伸ばせばそれが評価になったし、努力にも自由があった。でもアイドルという仕事は、想像するだけで気の遠くなるような努力を簡単に求めるくせに、それ一つだけを極めるということは許されない。
とにもかくにも、時間がない。
毎月ある雑誌の取材に、テレビラジオのレギュラー番組、単発のテレビのゲスト出演に、ドラマや映画。そのどれもが時間とクオリティとの戦いで、それなのに、見ている側のほとんどの人間はクオリティのことだけを評価する。
そもそもアイドルという時点で見る目が厳しいのだ。
彼らの評価の軸にはそれぞれの道のプロがいて、だからこそ歌手に比べて歌が下手、ダンサーに比べて歌が下手、役者に比べて演技が下手、といとも簡単に批判してみせる。それ以前に、顔と愛嬌がいいというだけで敵と認識する人間は、ことのほか多い。
時間に追われ、能力的に出来るはずのことが中途半端にしかできなかったり、そのことでまた世間の皆様に批判されたりすると、やはり時々は気が狂いそうになるし、アーティストが羨ましくなる。
彼らは自分の表現したいことを、とことんまで表現することを許されている存在で、もちろんそこに私たちには想像できない別の苦しみがあることはわかっている。それでもやはり、実力が認められやすいという土壌は魅力的だった。
なによりもアイドルが他の仕事に比べて特殊なのは、表現について回る泥臭い部分を基本的には隠さないといけない、ということだ。努力を知らない人間にバカにされコケにされても、顔と愛嬌だけで世を渡ってきたという顔をしていなくてはいけない。
なぜなら、私たちに求められているのは軽さの伴った喜びだから。
私たちがお客さんに与えるべきなのは、能力による圧倒ではなく、嬉しい、楽しいという感情で、それを与えるには、過度な真剣さや辛辣さはある程度隠した方が効率がいいのだ。
私たちのグループは苺ちゃんがセンターなこともあって、能力で圧倒する部分がないわけではない。でもそうなると、それだけをやっているアーティストと比べてどうこう、という批判が頻出する。
そういった批判、あるいは暴言のようなものが、今の時代は簡単に本人たちに届く。届けば、少なからず疲弊する。心に悪い風が吹く。
ならば見なければいいという問題でもないのだ。なぜなら、私たちは人の見たいものを見せるのが仕事だから。見る人間が何を感じ、何を求めているのか、という外の視線をきっぱりと切り捨てることのできない仕事なのだ。
「あー。だる」
「えっ」
頭の体操くらいの気軽な気持ちで思考を走らせていたら声が漏れていたらしい。隣に座っているみどちゃんが驚いた声を上げた。
そういえばこれからラジオだった。どういう組み合わせなのか、先々月から私とみどちゃんと苺ちゃんという意図の読めない三人でレギュラーが決まった。
本当になぜこの3人なのかわからない。化学反応どうこう、ということよりもまず、話を回す人間がいない。
「なんで急にこわいこと言ったの!」
みどちゃんは台本にらくがきをしている途中だったらしい。悪い言葉を使わないで表現すると独特、個性的、しか言葉がでてこないような、奇妙で奇態な世界観の動物園が余白に開園されている。
「そんな驚きます?」
「だって、あんまりそういうこと言わなくない?」
ぐるぐるとペン先を回して闇を作りながらみどちゃんは言った。
「そういうことって?」
「だるいとか疲れたとか眠いとか休みたいとか」
「そうかなー?」
「そう。君らふたり。あんま言わない」
言われてみればそんなような気もした。ため息と一緒でそういった言葉はときどき口に出したほうが健康にはいいのだろうが、そうしないのは子役あがり特有の空気読みの一種なのかもしれない。
それに、口にしないでも花梨といればため息のようなものは目線で交わせばそれですむ。
最近は大人たちの思惑もあって、自分たちが望んで会わないようにしているのにプラスして、仕事でも花梨と一緒にいることが以前より少なくなった。
私はまだ一人でネガティブな感覚を処理することに慣れていない。みどちゃんがさして心配そうでもない風に聞いてくる。
「なにがだるいの?」
「なにっていうか、全体っていうか、世情っていうか?」
「せじょう? 難しい話?」
「いやいや、まぁこっちの話です」
みどちゃんのペン先のブラックホールは、どんどん動物たちを飲み込んでいた。一体なぜ、そのようなむごい仕打ちを。みどちゃんはただ黙ってブラックホールを大きくし続けている。なにか考えているのだろうか。それとも、本当になにも考えていない?
「リーダーがタイムキーパーしてくれたら、少しは憂いが晴れるかも!」
おふざけと真摯な気持ちを半分半分で言ったのに、返ってきたのは、あはは、という軽い笑い声だけだった。びっくりするほどみどちゃんの心は動いていない。
たしかに、みどちゃんは仕切りをするような人格ではないし、場の計算などをさせたら彼女の良い部分が消えるばかりだろう。それにしたって、最年少にこれだけフラットに仕事を投げられるというのはすごい。
かえってみどちゃんはリーダー向きなのかもしれない。ぐるぐるペン先を走らせながらのんびりとみどちゃんは言った。
「夕陽やっぱり器用だよねぇ。私、時間気にしながら話すのなんてぜったいむりー」
「でしょうね」
本当になぜメンバーの中で一二を争う自由さの二人と、ほぼ回し未経験の私を組ませてラジオなんてやらせようとしたのだろう。
「ていうか、苺ちゃん間に合うんすかね」
今日も今日とて、苺ちゃんは地方のロケに行っているらしい。彼女のお陰で確実に他のメンバーの仕事も増えているので、ありがたいことだ。
「だいじょぶだいじょぶ。オープニングきき明太だから苺いなくても成立する」
どういう論理かわからないが、たしかに今日はきき明太をやると聞いている。先週の放送でビジネス関西人の地位を持ったみどちゃんが、新たに福岡キャラも追加しようと試みたのだ。
お母さんが兵庫でお父さんが福岡の出身らしい。福岡の血が流れているということを証明するために、なぜだかきき明太をやろう、という話になったのだ。
「きき明太ってラジオでやって面白いんすか?」
「わかんないけど美味しいんじゃない?」
ラジオ特有のなんでも面白がって企画にするところとか、適当で自由な気風は確かにこの二人のよさを引き出す媒体かもしれない。だとすれば、私がここでやるべき仕事はその自由さをどれだけうまく引き出せるか、なんだろう。
台本のタイムスケジュールをもう一度確認していると、ふいにみどちゃんがブラックホールを作る手を止めた。
「そういや君たちはなにかい? 喧嘩でもしているのかい?」
「はい?」
見ると、もはや完全に台本の文字に闇がかかっている。
「誰と誰が?」
「君と花梨」
「え、そんな風に見えました?」
一緒の仕事のときには今までとまったく変わらない受け答えをしているはずだ。というより、二人で会う時間をやめただけで、それ以外では何一つ変わっていることなどない。
「みえなーい」
みどちゃんはへらへらと笑っている。
「でもなんかみょうかな。底が硬い感じする」
「底?」
どういうことだと聞いてみても、理解できる答えは返ってこなかった。この人も大概よくわからない感性をしている。どうも天才肌系統は言語による説明が下手なようだ。
「喧嘩っていうんじゃないっすけど、ちょっと距離をおこうというか」
「へー。なんで?」
「お互いの方向性を見つけるために?」
こうして言葉にしてみると、ずいぶん滑稽で幼稚な行動だ。中学生二人がするような行動ではない。じゃあどんな年代のどんな人たちがそういうことをするのか、と考えても答えはでない。でも、私たちは多くの人たちのが持つような友達というのとも、同僚というのとも、恐らくかなりかけ離れている。
なるほどー。と分かっているのかいないのか、みどちゃんはふわっとした受け答えで、その会話をしめた。リーダーらしいことをしようとして面倒になったから諦めたのかもしれない。
そうして時間ぎりぎりになって、苺ちゃんが滑り込んできた。
「わーい! おまたせしました。おはよーおはよー」
「テンション高」
「ロケハイっすか?」
「うん! ラジオだいすき!」
大した打ち合わせもしないで、そのまま生放送に入る。
きき明太は予想どおりみどちゃんが全問不正解を叩き出し、苺ちゃんが予想に反して全問正解を叩き出して、しっちゃかめっちゃかなわりには盛り上がった。
二人とも種類の違う天才なので、なんでもない受け答えが爆発力を持つことがある。その半面、ちょっとでも気を抜くと、なんでもない瞬間に奇妙な空気が流れてぐだぐだになってしまう。調整や進行が自分のやるべきことだとわかっていても、なかなかうまくいかなかった。
こうしてみると、いかに自分にスキルがないかということがよくわかる。運動と違って、何度も自分で繰り返してみるということができないのは、なかなかもどかしい。
「あ、写真のこと忘れてた」
反省会という名の雑談をしていると、隣でみどちゃんが言った。
今どきは番組ごとにSNSがあるので、公式写真を撮る機会が格段に増えた。このラジオは自撮りかメンバー間の他撮りを上げることになっていて、番組中に自由に撮ってくれと任されてる。
もっとも、みどちゃんも苺ちゃんも猪タイプの仕事の仕方をするので、目の前のことばかり考えていて、いつだって写真のことなど一瞬も思い出すことがない。
「夕陽撮った?」
「撮ったっすよー」
「みるみる!」
きき明太なんていうのは、動画でやるべきだと思ったけれど、こうして音を聞いてから写真を見るというのもなかなか面白いかも知れない。みどちゃんの手本のようなドヤ顔と、苺ちゃんの絶妙な真顔がかなりいい感じだった。
こんな風にそれぞれがラジオをやるとしたら、どんな人たちのどんな写真が撮れるだろう。ファンの子はいろんな組み合わせがみたいんじゃないだろうか。
苺ちゃんと海さんはコンビ人気が高いけれど、表では海さんがツンデレを発動してあまり絡みを見られない。その点、ラジオはちょうどいい塩梅のからみが見られるかもしれない。
同期の海さんとみどちゃんの海鳥コンビも古参人気が高いし、ボケとツッコミがはっきりしていて面白い。苺ちゃんとすみれちゃんはかくれ同い年なので、気安い会話が期待できるかもしれない。
苺ちゃんと桃ちゃんはさすがに二人とも世界観が独特すぎるので二人きりでは厳しいだろう。だからといって海さんを入れると疲労で胃に穴が空きそうだから、花梨くらいがちょうどいいかもしれない。花梨なら器用だから、うまいことまとめてくれそうだ。それにその3人は花があっていい。
「うんうん。夕陽、いいよ。いいね!」
写真を見ていたみどちゃんが私の肩に手を回して、突然そんなことを言った。妄想に頭を働かせていたので、びっくりする。みどちゃんのタレ目がいつもより垂れているように見えた。
「君は需要をキャッチするのが格段にうまい!」
ぽんぽん、とそのまま頭を撫でられて、髪の毛の擦れる音が頭のてっぺんからした。
「へ。なんすか急に」
「方向性!」
「ほうこうせい」
そういえばそんな話をしていたのだった。適当に見えて、ちゃんと真面目に受け止めてくれるところはリーダーらしい。
「そっちの方向性でいてくれるとグループとしても助かるよー」
「そっちって、具体的にどっちすか」
「それはわかんない! 需要をどうにかするあれだよ」
でもやっぱり適当だ。
「需要」
そんなものは、今の世の中さがせばいくらでも情報があるのだから、わかりすぎるくらいわかるのではないだろうか。それとも、みどちゃんの言っているのはもっと深い部分の話なんだろうか。
うまい、と言われても自覚的にやっているわけではないので、いまいちどういうことなのか理解できない。
でも、なにかヒントになりそうな気がした。
「ありがとうございます」
そう伝えると、なにがー、とアホみたいな顔で返されて気が抜けた。この顔を見ていると、なんだかいろいろなことが大丈夫な気がしてくる。やっぱりみどちゃんはリーダーに向いている。
こんな風に自分もなれるだろうか。いや、ならないといけない。これからもこの仕事を続けるのなら、もっともっとやれることを増やして、自分の強みを理解して、伸ばさないと。
もっと長く使い果たしてもらえるために。
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