第31話 純粋と憧憬と

 周囲を岩の塔が覆い尽くし樹木で天を覆われた天然の屋内樹道を、黒い外套を羽織った二人の子供が進む。



「……お、お兄ちゃん……噂には聞いてたけど『ヒンドス樹道』暗いね……」

「光源が魔力を含んだ苔しかねぇからな。陽が一切差し込まねぇし、禁足地って言われるだけの数の魔物もいる。警戒を怠るなよ」



 怯えるクゥラを背後に引き連れ、ゼノンは毅然と禁足地ヒンドス樹道を進む。

 自身達の目的、円月花パンセレーノン採取のために。

 


「クゥラ止まれ。五メートル先にミノタウロス」



 足音や布擦れの音すらも最小限に、ゼノンの合図がクゥラの歩を遮る。クゥラは口に手を当てて恐怖と悲鳴を呑み込んだ。

 間もなくして地を震撼させながら黒い靄を漂わせるミノタウロスが二人の前を通過した。



「ふぅ……行った、かな?」


 

 ホッと胸を撫で下ろすクゥラが前方を見ずに一歩踏み出す。

 しかし静止の合図を解いていないゼノンにゴンッとぶつかってしまった。



「……ごっ、ごめ――」

「喋るな」

『ガルアアアアアアッ!!』



 無警戒で徘徊していたミノタウロスの背後から奇襲を仕掛けるブラックドッグ。

 しかしミノタウロスの裏拳がブラックドッグを吹き飛ばし、地をのたまうブラックドッグへ容赦のない追撃――斧の断頭台が更なる血飛沫を豪快に撒き散らした。



「……ひっ!?」



 小さく漏れるクゥラの悲鳴にミノタウロスの赤眼がピクッと反応を示すが、四顧の後、その場を去っていく。

 ふぅ~……と緊迫感を盛大に吐息として放出し、その場に二人はしゃがみ込んだ。



「クゥラ、ビビるのは生き抜く上で大事だが詰めが甘ぇ。俺達が作った無臭剤と『気配遮断』を使ってるとは言え、魔物に見つかれば戦う力のない俺達は一巻の終わりだ。絶対に気を抜くな」

「……ごめん、なさい」

「……先を急ぐぞ」



 短い反省会を終えてゼノンは再び進み始める。

 次々と付近を通過していく魔物達は、気配と匂いを消した二人の進行に気が付かない。



(このまま見つからなければ深部まで進める筈……)



 手応えを感じるゼノンだったが、それでも決して慢心はなかった。



「……お兄ちゃん、さっきから気になってたんだけど何を撒いてるの?」



 ヒンドス樹道に踏み入ってから短い間隔で粉を地に撒きながら進んでいたゼノンに、クゥラは小声で尋ねる。



「クゥラもヒンドス樹道生還日記読んだことあるだろ? ひとたび足を踏み入れたのなら命は既にないと思え』と言われてるヒンドス樹道で、戦士達が壊滅に追い込まれた一番の要因が何でかわかるか?」

「……えっと、魔物の襲撃が途切れないから?」

「正解だ。半分な」

「……もう半分は?」

「ヒンドス樹道から中々脱出出来ないことが一番の要因なんだ。見渡す限り変わらない景色、太陽すら拝めない樹道は目印になるものが何も無ぇ。戦闘があろうもんなら尚更方向感覚なんて無ぇだろうし、逃走したところで出口がわからずに彷徨う羽目になるから魔物の襲撃が途切れないんだ」

「……あ、だから目印になるものを撒いてるんだね」

円月花パンセレーノンを見つけられたとしても、帰り道がわからなかったら本末転倒だからな」

「…………円月花パンセレーノン、きっとあるよね?」



 クゥラの懸念はゼノンが一番考えたくなかった言葉。

 危険を冒し、捜索の果てに目的の植物が存在しない可能性も十分に考えられた。



「……ある筈、だ。おとぎ話を信じる方がおかしいのかもしれねぇし、過去に来た客人に俺が丸め込まれただけかもしれねぇ……でも色んな情報をこれでもかってほど斟酌したんだ。存在するとすれば、陽と土を必要としない魔力の花パンセレーノンの生息地は魔力濃度の高いヒンドス樹道ここしかありえねぇ」



 おとぎ話に登場する円月花パンセレーノンは魔界の全人類が架空の植物だという認識がある。

 そんな幻の花の存在を夢見る少年少女を、過去に大人達は現実へと引き戻そうとした。



『早く大人になれ』

『架空の植物を追い求めている時間があるのなら勉強しろ』



 大人達は彼等の気持ちなど一切汲まなかった。汲もうとしなかった。

 しかし。



円月花パンセレーノン? あぁ、きっとあるさ。どれだけ人間が否定しようが世は不可思議に満ちている。自然は人々の想像を容易に超え、妄想ねがいはいつしか実現へ。追い求め続ければ、きっと報われる時が来る筈だよ』



 一人の人物は彼等の『憧憬』を否定しなかった。

 子供達の夢を壊さないための優しい嘘だったのかもしれない。だが大人達が口を開く度に斬り捨て続けられていたゼノンとクゥラにとってはその言葉が何よりも嬉しかった。



(そういえばあの人も同じ人族だったな……)



 彼等は夢を夢で終わらせる気は微塵もなかった。

 純粋さが夢を追わせるのではない。夢を追い求め続ける者に純粋という行動力が宿るのだ。



(いやいや、何を考えてんだ俺は……信用しねぇと誓っただろ……)



 追憶に耽りながら歩を進めるゼノンは人族のルカに過去の客人の優しい部分を重ねるも、しかし見て見ぬ振りをした。そうすることしか、彼には出来なかった。

 


「……お兄ちゃん、この先は魔物でいっぱいだよ……」



 外套を握り締めたクゥラの危惧に、ゼノンはハッと自我を取り戻して大量の魔物を視界に収める。



(クゥラに気を抜くなって言っておいて馬鹿か俺は……! 今はこの死地を生き抜くことに――)



 密集する魔物の奥にある台座に差し込むのは一筋の月明かり。照明スポットライトのように月光が向く先には苔とも月光とも異なる発光物が。



「ク、ラ……おいクゥラあれって……」

「……っ。円月花……本当に、あったんだ……」



 二人の金色の髪の隙間からこれでもかと開かれる双眸は驚愕か、はたまた感動か。

 浴びる光を凌駕するほどに周囲を神々しく照らす二輪の小花。

 お伽噺で見たまんまの姿に、しかしゼノンの口端は緩まなかった。



「やっ――」



 ――たねお兄ちゃん! と歓喜の声を続けようとしたクゥラの口を、ゼノンは厳しい剣幕とともに手で塞いだ。



(詰めが甘ぇって)

(……ご、ごめん……)



 誰よりも喜びたいのは彼だ。しかし目的は存在を拝みにきたわけではなく採取なのだ。

 彼等の目的を阻むのは魔物の大集団、つまりここが地獄の入口だ。


(気配遮断で存在を消しているとはいえ、チャンスを待ち続けてても魔物に気付かれるのも時間の問題だな……)

「クゥラ、俺がバレないように取って来るから、お前は見つからないように隠れてろ」

「……む、無茶だよ……危な過ぎるよ……っ」



 敢然と決行を決める兄へクゥラは心配の目を向けるが、ゼノンは外套の上からクゥラの頭を少々乱暴に撫でる。



「これくらい覚悟の上だ。正直に言うと、俺だって出掛ける前はビビってた。だけどクゥラ、お前も付いてくるって聞いた時心強かった。理由はわからねぇがクゥラがいると何でも出来る気がする。お前が俺に勇気をくれるんだ」

「……っ、わかった。本当に気を付けてね」



 鞄から必要とする試験管をアイテムホルダーに次々と装填し、ゼノンはやる気と勇敢さを鼓舞させて飛び出していった。



(……頑張って……お兄ちゃんっ!)



 木々の陰を縫うように短い距離を無法則に進む。時には横や背後から迫る魔物を樹木を障害物にして、ゼノンはくるりと身を隠す。



(目標までおよそ三十メートル、魔物の数は二十以上……魔物を取り巻く黒い靄みてぇなやつはなんだ? 普通の魔物には無い情報……同士討ちでも始まってくれれば好都合だったんだが、知能があるみてぇに大人しいのが逆に不気味だな)



 心の中で舌を弾きながらも起こらない事を期待しても仕方がない。

 二十メートル、二十二メートル、十七メートル。一進一退を繰り返しながら、ゼノンはゆっくり確実に円座との距離を詰めていく。



(あと十五メートル……魔物がうじゃうじゃいるこれ以上は単身じゃ無理か)



 接近に限界を感じたゼノンはアイテムポーチを漁り一本の小瓶を取り出し、



(餌だ、喰い付けッ!!)



 円座の反対側に向けて小瓶を全力で投擲した。

 三十メートルほどの跳躍を経た小瓶はパリィンっと砕け散り、パチパチパチッ! と花火のように光と音を伴う閃光を放ち始めた。



(よし、魔物の意識があっちに向いた! 今が最大のチャンスっ!)



 魔物達が不審な現場へと群がり始め、台座周辺から離れていく光景にゼノンは幾度目かの接近を再開した。

 しかしゾクッと。



「っっっ!?」



 幼気な少年の策を嘲笑うかの如く、一体のミノタウロスの首がぐるんっ、と回顧した。



(あっぶね!? 樹に隠れてやり過ご――)



 ゼノンの迅速な危機察知、軽快な身のこなしから難を逃れる事が出来た――通常なら。



『オオオオオオオオオオオオオオ!!』

「靄も赤眼もねぇ通常のトレントっ!?」



 しかしここは魔物の巣窟。多種多様な魔物が生息している。

 道中遭遇しなかったのは完全なる奇跡。変化の見られないトレントを察しろという方が無理難題だっただろう。



「ちくしょうっ!! 陰キャめ!!」



 ゼノンはかまびすしい雄叫びを発するトレントから方向転換し、悪態をつきながら一目散に駆け出す。

 全ての魔物達の赤眼が一斉にゼノンへと向き、暴虐者達の狩りの嘶きが虚空へと打ち上げられた。


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