第32話 繋
「お兄ちゃん逃げて!!」
ゼノンへ進撃を開始した魔物達の姿に、妹のクゥラは喉が張り裂けんばかりに声を張る。
当然クゥラの切迫した声にも魔物達は反応を示し、標的は二人へと。
『ゾオオオオオオオオオオオッ!!』
「ひっ!?」
身も心も幼気な彼女は、しかし恐怖により体が硬直する。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃっ!?)
頭は早鐘を乱打するが体は一向に動いてくれない。距離をずんずんと詰めてくる悪魔の様相に体は震え、呼吸は野放しになる。
一歩も動く事が出来ないクゥラと接近したオークが手を伸ばす――が、ドォンッ! とオークの体皮が大きな爆破に見舞われた。
「クゥラ動け! 鞄に攻撃用の『炸裂瓶』をまだ残してあるから使いながら逃げろ!」
ゼノンの疾呼にビクッと身体の硬直が解かれたクゥラはその場を駆け出した。
『ゥゥウ……ゥ、ゾオオオオオオッ!?』
「な、腕を吹き飛ばしただけ……!? 低級の魔物なら一撃で仕留められる威力の筈だぞ!?」
想定外の耐久にゼノンは歯を噛み、自身も逃げながらクゥラの逃走を援護するため炸裂瓶を他の魔物に着弾させるが、やはり撃破には至らない。
「どうなってんだ……!? くそっ、一つの炸裂瓶で一体も倒せねぇんじゃ埒が明かねぇ! ……クゥラもう少しだけ粘ってくれ……っ!」
「お兄ちゃん!? どこに――逃げないのっ!?」
ゼノンはアイテムホルダーに差してあった複数の小瓶を指の間に挟み、魔物の大群へと啖呵をきった。
その行動は兄らしからぬ大胆過ぎる行動。もっとも冷静に事を運ぶゼノンにしてみれば、自殺行為もいいところだった。
「ここまで来て
斧を振りかぶるミノタウロスの脇を転がり抜け、魔物が集う一帯に小瓶の中身を散布した。小刻みに震える脚を叱咤して立ち上がり再び前へ。
「『氷結瓶』だ! 凍ってろ!」
『ブオッ!?』
カチカチと体の一部を凍らせていく魔物、液体が撒かれた地に接着される魔物。
殺傷能力はないが相手の戦力低下を計る『氷結瓶』が猛威を奮い、ゼノンの円座への道を切り拓いた。
「俺が……俺達が姉ちゃんを楽にさせるんだ!」
ゼノンを突き動かすのは、単に積もりに積もった憧憬や浪漫だけではない。
「――姉ちゃんのためにッ!」
親代わりの大切な人を楽にするためにゼノンは止まらない。
トレントの鞭撃を薄皮一枚を犠牲に、ゼノンは遂に台座で咲き誇る円月花へと辿り着いた。
(すげぇ神々しい――けど、今は見とれてる場合じゃねぇ!)
瞳に反射する幻の薬草に脳が多幸感を覚えたが、ゼノンは根元から乱暴に引き毟って一目散に逃走を図る。
「クゥラ待たせた! 逃げるぞ!!」
「はっ、はっ……! う、うんっ!」
走りながら中瓶へとしまい込み、逃走ルートを確保するために炸裂瓶や氷結瓶を使用していく。
しかし彼等を待ち受けていたのはゼノンが恐れていた事態だった。
「くそっ……騒動に巻き込まれたせいで目印を完全に見失った……!」
『ひとたび足を踏み入れたのなら命は既にないと思え』
これが禁足地。これこそがヒンドス樹道。
立ち入り禁止に指定された真意をゼノンは実感するが既に遅い。
削られる体力、剥落していく生還という希望の仮面。
「はぁっ、はぁっっ……あっ――あぅっ……!」
「クゥラッ!? 体力限界かっ!?」
「はっ、はっ、はっ……ゲホッ!」
少女の脚が縺れて転倒し、金色の瞳は絶望の色に塗られて虚ろ。
先行していたゼノンの声にも応じず、クゥラが再度立つことは叶わない。
「ミノタウロス――間に合えっ!?」
クゥラに振り下ろされる斧にも怯まず、ゼノンは決死の体当たりでクゥラを突き飛ばした。
ドゴッ! という土が隆起する音。クゥラを突き飛ばすために手から取り溢した炸裂瓶が思わぬ形でミノタウロスの斧と対面し、派手な衝撃を生んだ。
『ブモォォォッ!?』
「うわぁっ!?」
斧は破壊され、衝撃の余波が近距離にいた二人を巻き込み、更に奥部へと弾き飛ばす。
そんな二人へ僥倖か、それとも亡者の誘いか。
「っ! クゥラあの樹洞に逃げ込め!!」
「……ぅ、ぅん……」
眼前に現れた小さな口を開く樹洞へとクゥラを押し込み、ゼノンも樹洞へと身を潜り込ませた。
秒を待たずしてドォンッ! という衝撃音が樹洞に響き、二人は臀部を付きながら束の間の小康に息を切らす。
『ガルアアアッッ!!』
「うわっ!? 身体を捻じこんで強引に入ってこようとしてるのか!?」
「お、お兄ちゃん、早くこっちに!」
徐々に侵入してくる小型のブラックドックに焦燥を抱き、ゼノンは慌てて腰に括ってあったナイフをブラックドッグの脳天へと突き刺した。
『キャンッッ!?』
「くっ、来るなっ! 来るなぁ!!」
両者の悲鳴が木霊する樹洞。返り血を浴びながらゼノンはブラックドッグへと何度も何度もナイフを振り下ろした。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! し、死んだか……?」
息絶えて入り口を塞ぐためのオブジェと化したブラックドッグに、ゼノンは激しく息切れしながらドサリと腰を下ろし高速で思考を回転させる。
(遮二無二逃げてたせいで台座からも離れちまった……! 攻撃用の薬品も底をついて、どうすればこの最悪な状況を切り抜けて目印を見つけられる!? ……どの策を取るにしても上手くいくイメージが湧かない……!?)
しかし浮かぶのは最悪な状況ばかり。
更にはドォン……ドォン……と。
「外から樹を薙ぎ倒そうとしてんのか……!?」
惨酷な蹂躙劇までの
「うっ……うっ……」
しゃくり上げながら涙を堪える妹の姿に、ゼノンは我意が誤っていたことを悟った。
(手練れの戦士ですら敬遠する禁足地に、非力な俺等が踏み込むのが無茶なんてわかりきってた……
ドォン……ミシッ……、ミシッ。
樹洞に連続する震動。軋音が声音を断末魔へと成り代わり。
そして――。
「樹洞が壊されて――」
バキバキっ! と。徐々に開けた景色が映したのは包囲した魔物の大群の姿。
絶望、終焉。非日常用語であるそれらを体現するとすれば、このような状況を言うのだろう。
「ふっ……うえぇぇぇぇぇ……!」
「クゥラ……っ」
感情の防波堤は決壊した。
号泣するクゥラを力強く抱きしめながらゼノンも涙を流す。
(……ごめんクゥラ……連れてこなけりゃお前の命は守れたのに……ごめん)
周囲で満遍なく光る魔物達の赤眼。一体のミノタウロスが腕を振りかぶった。
(……ごめん、姉ちゃん)
最後に浮かんだのは異端の姉の姿。
よく驚き、よく注意され、よく落ち込んでいた姉。
(笑った顔が、見たかったなぁ)
だから謝罪。
笑顔にすることが出来なくて。
良かれと思ってしたことが、返って悲しませることになって。
(ごめん――)
これ以上ないほどの涙を流す少年少女へ鉄槌が振り下ろされた。
ズゥン、と音を立てて赤い雨が降りしきる。
――二人の頭上へ。
「間に合って良かった。よく耐えてくれたな」
身構えていた痛覚ではない感触に開眼した二人は瞠目した。
ミノタウロスを縦一閃、肩越しに微笑みかけていたのは黒髪黒衣の少年。
一度しか面識はなく、それも言葉の棘で追い払うように罵倒した筈の少年。
誰よりも嫌悪した筈の人族の少年が目の前にいたから。
「るっ、ルガ兄ぢゃん……っ! あぁぁぁぁぁ……っ」
二人の顔は怜悧とは言い難いほどに泣き崩れる。
次いで
ようやく闖入者の存在に気が付いた後方の魔物達が戦力の分散を始めた。
「一旦この場所を抜けるぞ。しっかり掴まってろよ」
魔物の注意の散漫に二人を抱えたルカは翠眼で身体能力を強化し、包囲網から脱出を図る。
「……る、るがおにいぢゃん、なんでごごが……?」
「君達が頑張って生き延びようとしてくれたおかげだ。ガラス片がなければ逃げた先が一切わからなかった。光の粉の道標も助かったよ、ありがとう」
ルカの手には爆破した試験瓶の小片。
二人の憧憬と製薬努力の賜物が、ルカ達を導く道標となってくれていたのだ。
「何とか窮地は脱せたかな」
「ふ、二人とも速過ぎ……っゼッ、ゼェッ……!」
「姉ちゃん!!」
「お姉ちゃん!!」
「ゼノンっ! クゥラっ!!」
そして遅れて現れたのは子供達が一番見たかった顔。
シロの到着に二人は吃驚しながらも、どうして人族のルカとサキノが自分達の為に戦ってくれているのかを理解した。
(姉ちゃんが繋いでくれたんだ……! 姉ちゃんのルカ兄ちゃんを信じる心が……!)
味方にはなり得ないと断ち切った筈の繋がりを、姉は信じ続けていた。
信憑性も根拠もない姉の信頼によって自分達は命を繋ぎ止めることが出来たのだと。
「良かった……本当に無事で良かった……」
涙し生存を心から喜んでくれる姉の存在と、事情は不明だが善意的なルカ達に感謝と申し訳なさを秘めてゼノンとクゥラは再び涙を零す。
そんな悲壮な決死行を遂げた子供達の頭をルカはポンポン、と撫でる。
「後は俺達の役目だ。帰ろう、必ず」
人族の手。
厭悪し続けていた筈の別種族の手は、不思議と嫌じゃなかった。
(ルカ兄ちゃんの手、温かくて優しい……)
ルカは微笑を作るとシロに子供達を預け、奮闘するサキノのいる戦線に加わっていった。
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