グロウ

ベリル

グロウ

『グロウ』


生まれた時から、私の世界には黒だけがあった。いや、正確には黒では無い。白と、黒、それから灰色の世界だ。

私には色が見えない。今まで見たこともないのだから、それが一体どんなものなのかも分からない。

私の家は、鮮やかな色で飾られている、らしい。外観も、内装も、まるでおとぎの国にいるようだ、と、私の家に来る人たちは口を揃えてそう言った。

それは多分、色の見えない私に気を使っていたのだろうけど、私は今まで灰色の我が家しか目にしたことが無い。私は、はしゃいだり、カラフルな家具を褒めそやしているお客を見ては悲しくなった。


ピアノの音が鳴る。

どこか遠くから光が降りてくるような音。賛美歌だ。そして、歌声が教会に響いていく。聞こえるのは、しわがれた老人の声だけだ。私は明らかに場違いだった。

色が一体どういうものなのか知らないけど、ピアノの音は色がついているように思えた。それはとても曖昧で、色と呼べるのかも分からない。ただ、ピアノの音は私にそう言った不思議な感情を抱かせた。

礼拝が終わると、人々は帰り支度を始める。帰り際に、手話で話しかけてくる人が何人かいた。

この教会に来る人の大半は、耳が聞こえない人や、目が見えないなどの何らかの障害を持った人だ。何不自由なく生まれ、暮らすことが出来れば、こんな所に用は無いはずだ。

人が完全にいなくなると、教会は水の中みたいに静まり返った。耳が痛くなるぐらいの静寂だ。でも、不快じゃない。私は、これが欲しくてここに来ている。

ここは、とても小さな教会だ。教会と言うより、公民館に近い。

12時を過ぎると、町には単調な音楽が流れ始める。私はカバンからお弁当を取り出した。ここへ来る前に、いつも母が持たせてくれるものだ。

カバンには、お弁当のほかに何か見覚えのある物が入っている。着色料だ。何かの拍子に紛れ込んだのだろうか。母は、料理を作るときにいつも着色料を入れていた。しかし、それは私には関係がなくて、どうでもいい事だった。これは青の着色料だ。このお弁当にも、青が入っているのだろうか。

お弁当を食べ終わると、私はさっきまで神父様がいた所へ歩いていく。

そこには大きな木の机と、ノートパソコンが置いてある。機械と繋げて、スクリーンに聖書の言葉や賛美歌の歌詞を映し出すためだ。

私は、ノートパソコンに持ってきたUSBを入れる。それから、スクリーンに画像を映した。

そこには、美しい、地上の楽園と呼ばれている景色が浮かび上がる。


晴れた日の海。


一面に広がる花畑。


雨の日と紫陽花。


それは、私には全て同じ景色に見えたが、私はこの風景たちの本当の姿が見てみたかった。そして、そんな感情が、私を生かしていた。

「あれ、まだいたの?」

入り口の方から声が聞こえた。振り返ると、私より一回り小さい女の子――時々この教会に来る――が立っていた。

「何の写真?」

「きれいな景色の写真」

「本当だ、きれいな青い海だ」

スクリーンには、海と、四角い建物が映っている。

「青ってどんな色なの?」

「この写真を見ていたら、どこまでも行けそうな気がする。そんな色だね」

その女の子は私に、手のひらに収まるぐらいの結晶を手渡した。

「それを目の前にあててみてよ」

私はその結晶を目の前まで持ち上げる。結晶越しに、ステンドグラスの白い光と、灰色の光が見える。

「何が見える?」

「何も」

私が結晶を返すと、女の子は自分の目の前にかざした。

「世界が全部同じ色に見える。不思議だな。色なんて、こんなに簡単に塗りつぶされるんだ。本当は、色なんて存在しないんじゃないのかな?」

「どういう意味?」

女の子は私の手の上に結晶を乗せた。

「色があっても、私の世界はずっと灰色だったよ」


今日は、これから病院に行かなければならない。小さい頃から通っている、目の病院だ。

病院につくと、二階に上がって待合室の椅子に座った。今日は晴れている。小さな窓に、白い光が反射する。

私は名前を呼ばれると、診察室に向かった。白い部屋だ。

「こんにちは」

私が座ると、先生は短く挨拶をする。

「何も異常はありませんか?」

「はい」

私は頷く。いつも通りの、何年も続けてきたやり取りだ。

「焦らなくても、そのうち見えるようになりますから。……まず、検査をしましょうか。この光を見て下さい」

先生は、机の上に小さな箱のようなものを置いた。ボタンが押されると、小さな穴が微かに光っていた。

「これは、色のついた光です。今、何色に見えていますか?」

「白色です」

「いいでしょう。この光は、あなたの目の状態を表したものです。これが灰色に見えると、よくなってきた証拠です。この箱は差し上げましょう」

私はその箱を欲しいとは思わなかったが、早くこの部屋から出たかったので余計な事は言わなかった。

「あと、薬を出しておきましょう。いつもの通り、この液体をスポイトで2、3滴吸い上げてから目に落として下さい」

薬をもらうと、私は病院の外に出た。暑い。空から大きな白い光が降ってくる。

カバンの中に薬を入れると、底のほうに何か箱があるのに気が付いた。私は気になって手に取ってみる。

白い箱には、ティファニーと書いてあった。中を開けると、指輪が入っている。

思い出した。これは、私の誕生日プレゼントだ。ずっと前に、父がくれたものだ。大きくも小さくもない宝石がついていて、それは鼠色に見えた。

私はコンビニに寄ってライターを買い、駐車場で紙くずと一緒にその指輪を燃やした。火はすぐに消え、くすんだ指輪と灰が残った。そして、私はその指輪をコンビニの前にあったゴミ箱に捨てた。

私はどこに向かっているのだろう。足は歩くことを拒んでいるみたいに重い。それでも、ずっと前から行くべき場所は決まっていたはずだ。私の足は自然と駅のほうに向かっていた。

駅の中は、たくさんの人で溢れている。そして、誰も人に無関心な風に歩いていた。私にはそれぐらいが心地良いと思う。

死ぬための手段は用意してあった。首を吊るためのロープ、そして、鍵のかかった箱に入れられた薬。それでも、私にはどれも違う気がした。最後は、美しいと言われる場所で死にたい。どこがいいだろう。私は少しわくわくした。

大きなカバンを駅前の椅子に残し、私は改札口へと向かった。

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グロウ ベリル @cokkoberry

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