②最果村で

第1話 最果村へ行こう

 エビフライカレーの決戦の地は最果村と決まった。

 となると、一足早く入っておくべきだろう。

 僕は魔央と優依とともに、久しぶりに里帰りすることになった。


 東京駅では3日に一度、午前マイナス1時から20分間のみ、100番線ホームが開く。

 そこから特急ぎんが999号、土居中行きが発車する。


 ぎんが号に乗ること12時間、土居中駅に着く。

 ここは土居中県の中心地ではあるが、タイムスリップしたかのような世界だ。

 人は紋付袴を着て歩き、仮に肩をぶつけて謝罪もしないなら肥後守(戦前にあった脇差みたいな刃物)で切り捨てごめんだ。


 土居中駅で籠を捕まえて揺られること5時間、僕達は降ろされる。

 そここそが最果村への入り口だ。


『この先、最果村。以下のものは通じず。日本国憲法、携帯電話、Wi-Fi』という立て札が立っている。

 そう、最果村には電波が届かない。

 それどころか、電話もほとんど通じない。未だに電報でやりとりする家も多い。

 Wi-Fiが通じないのも地味に不便だ。

 端的に言えば、この村ではインターネットが使えないということだ。


 中央広場には高札が掲げられており、『応報悪男、空き家となった時方家に押し込み、金一両を盗んだため、打首獄門と処す』と直近の判決結果が出されてある。

「って、悠ちゃんの空き家に忍び込んだってこと!?」

 優依が怒り始めた。

「そんな人、死刑だって生ぬるいよ!」

 と物騒極まりないことを言い出す。


「そういえば、優依ちゃんと悠さんは双子だけど苗字が違うんですよね?」

「そうなの、聞いてよ〜、魔央ちゃん」

 優依が時方家の禁断の事実を話し始める。


 時は2000年代後半、僕達の両親、時方目立めだち堕芽だめは、当時流行っていたブログに夢中だった。オリエモンなどに負けじと色々写真を撮っていた。この最果村で、だ。

 そして、彼らはこの最果村初代村長・神文帝じんぶん みかどの銅像をブログにあげようとした。

 幸い、最果村は電波が通じないのでアップできなかったようだが。


 神文帝の写真をアップするなどありえないことだ。

 両親は当然、牛裂きの刑を宣告された。

 しかし、両親はこう言った。「私たちの代わりに息子を死刑にしてください」と。


 本来ならあり得ない話だ。親の代わりに息子を死刑にするなど。

 しかし、最果村には当時破壊神の生まれ変わりたる魔央がいた。

「破壊神の生贄にしてみっか」という話になり、両親は許されて、僕が差し出された。その後、このことを知った優依が激怒して二人の精神を破壊して天見家に養子としてはいるのだが、これはまた別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る