第3話 一旦うやむやにしたりとか

《清鷹恭介》

 どうしてそんなこと言うの、と遥がぽつりとこぼす。

 どうしてそんなこと言うのってこっちの台詞じゃないの? と思いながら俺は頬杖をつく。そんなに俺と別れたいんですかとか言うのって意地が悪いよな。そういうことじゃないよな。わかってんだけどさ。

 てか俺ってもしかして女々しすぎか? 彼女が『夢があるから海外に行く。だから別れよう』って言ったら『おう、頑張って来いよ』って言うのが男らしさなのか? いや、頑張って来いよって言えるよ俺だって。そこに『待ってるよ』って付け足すのはダメなわけ? ダメかもな……女々しいかもな……。

 いやまず遥の本心がよくわかんねえのよ。海外に行くからっていうのは方便で、普通に俺と別れたい感じ? いやいや、なーんでこんなことで悩まなきゃいけねえんだ。


「あのさあ、遥」

『うん……』

「なんかもうちょっと本気で喋らん? いや……まあ、俺に気使ってるのかもしれないけど」

『いや……』


 “いや”ってなんだよ。あ゛ー、こういうのいちいち突っかかるのはさすがにねえよな。会うか? もう会いに行くか? 今から。

「はるか、」

『だっていつ帰ってくるかわからない、年単位で会えないかもしれないんだよ。私べつに美人じゃないし、なんか特別いいとこあるわけじゃないし、そんなん今より会えなくなったら無理じゃん。そんなんより近くにいる美人の方がいいじゃん』

「いや近くにいる美人って誰? 架空の登場人物生やすな急に」

『若いうちの何年も、恋人らしいことできないんだよ。私が選んだ人生のせいで恭介は……女の人と……その……なんか、楽しいことできないんだよ、若いうちに!』

「おー? おー……なんかわからんが色々考えてんだな」

『そんなの私責任取れないよ。だからこの覚悟のあるうちに! 決心が冷めないうちに! 別れる! 恭介は自由! サヨナラ!』

「えー? 何? じゃあ遥は、俺が遥と別れたらなんか近くにいる美人と楽しいことすると思ってんの? 俺の人生はそっちの方が幸せだと思ってんの? やだサイテー。まるで俺が誰でもいいみたいじゃん」

『私と付き合ってるより幸せでしょ』

「はぁ?? 何がぁ??」

 言ってるうちに感極まってきたのか、遥は『ふぐぅ……』とおよそ女子高生とは思えない豚の鳴き声みたいな嗚咽をもらし始めた。「泣くぐらいなら言うなよ」と俺は呆れる。そんな遠くで泣かれたってこっちは抱きしめることもできないし、どうせいっちゅうねん。


「泣くなよ」

『泣いてないが!?』

「おう……」

『こっちの勝手で別れ話切り出しといて泣くなんてありえないが!?』


 それなりに自己分析ができているようで何よりである。

 俺はため息混じりにちょっと笑って、「うん、まあ、わかったよ」と呟く。自分でも何がわかったのかわからないが、何となく遥の言いたいことは理解した。


「あのさあ、遥」

『……はい』

「俺のこと嫌いになったとか、もうウザいから別れたいとか思ってんなら、マジでちゃんと言った方がいいぜ」

『そうじゃない……ってば』

「もうマジでウザい別れよって言うなら今のうちだ。俺、今からそれなりに変なこと言うから」

『何?』

「結婚しねえ?」


 遥は一瞬間をおいて、『何が?』と言った。いやその返しはおかしいだろと思いながら俺はもう一度「結婚しようぜ」と宣言する。


『何、結婚って』

「婚姻届を役所に提出しませんか」

『はぁ……』

「全然ぴんと来てない感じ?」

『いま別れ話してて……』

「お前はね。俺はしてないから」

『そんな無敵な理論ある?』


 無敵な理論ってか、そっちはそっちでなんか勝手なこと言ってるし、こっちもある程度勝手なこと言ったっていいだろと思って。

 俺、わかったよ。なんか相手に遠慮して空気読んで無難に収まろうとするの、俺らに合ってないわ。


「遥が言いたいのは結局、お前がいない間に俺が寂しい思いしてて可哀想ってことだろ? ナメすぎ」

『いやもっと深刻な話してるんですけど。人生設計的な』

「あのねえ……あのね、お前は俺がお前と別れたあと知らん女とお楽しみになれると思ってるらしいけどね、そういうの失礼だと思わねえの? お前と別れる方がよっぽど人生設計狂うんだわ」

『じゃあ何? 私のこと待ってるの?』

「そうだよ。そういう約束をするっつってんだよ」

『ヤだよそんなの』

「そんなこと言われたって俺もお前と別れるのヤなんだけど」


 なんか女々しいとか言ってる場合じゃないよな。結局、そんなんでこいつと別れることになったら後悔するのは自分なんだし。

「遥がさ、俺と別れて後腐れなくやりたいことやるって言うなら、別れてもいいよって、言ったろ? でもまた告白させてくれやって。お前と一生関係ない他人になるっていうのは、俺には考えらんねえからさ。俺としてはどっちかなんだよ。どうせ女々しい男ですよ、諦めろなんて言うなよ。チャンスくれよ、チャンス」

『結婚とか……正気じゃないんですけど』

「あ、俺と結婚するの嫌ですか?」

『イヤってわけじゃなくて』

「いい夫になりますよ。具体的には何も想像できてないけど俺はかなりいい夫になりますよ」

『私がいい妻にならないかもしれないじゃん』

「それはあんま期待してない」

『は?』

「うん。まあ、そういうのゆっくり考えればいいんじゃないかと思ったりして」

『……本当に私のこと待ってるの?』

「待ってるよ。だから、帰ってくるねって言ってくれたっていいんじゃない? 俺のこと嫌いになったわけじゃないなら」

 遥が電話の向こう側で何か言おうとして、ためらった。「何?」と訊けば、遥はぽつりと「でもそれは結局、あなたをしばりつけることになる」と言った。

 俺はため息をつく。言いたいことは、あらかた言ったつもりだ。答えを急ぐつもりはない。




《飯泉太朗》

 渡瀬先生のお使いが終わって廊下を急いでいると、途中階段の下から声が聞こえてきた。こんな時間にすわ七不思議かとびくびくしながら覗けば、そこには女生徒がいた。というか、鎌倉さんがいた。


「おおぅ……やっほー鎌倉さん……」

 鎌倉さんは鼻をすすりながら、真っ赤になった眼をこちらに向ける。

「ハァァ……よりによってアンタかぁ……」

「よりによって僕ですみません。もしかして花粉症?」

「アンタほんと誰にも言うなよ」

「言わない言わない。僕、口堅いから」

 鎌倉さんはふいっとそっぽを向いて、「渡瀬先生に告白して振られた」と素っ気なく言った。僕は「渡瀬先生に告白を?」と聞き返す。

「なんで? 罰ゲーム?」

「アホ。帰れ」

「ええっと、はい。じゃあまた明日」

「好きだからだよ!! 渡瀬先生が好きで告白したの!」

「そうだったんだ……知らなかった……」

 いやマジで知らなかった。そうだったのか。


 僕は鎌倉さんの隣に腰を下ろし、体育座りをする。鎌倉さんはといえば、そんな僕を胡乱な目で見ていた。

「……何で座った?」

「いや、一応誰かしら近くにいた方が気がまぎれるかなと思ったんだけど、こういう時は一人にしてあげた方がいいという説もあるよね。今体育座りしてから気づいたけど」

「あんたほんっとアホ」

 ため息をついた鎌倉さんが「いいよ。いた方がいいよ。ちょっと話聞いてってよ」と言う。僕は頷いて、じっと鎌倉さんのことを見た。


「なんか……アレだよね。笑っちゃうよね」

「笑っちゃわないけど」

「なんで告白したんだろうって感じじゃん?」

「それは君が渡瀬先生のことを好きだったからだってさっき聞いた」

「いやそういうことじゃなくて」


 僕は膝を抱えながら「そういうことだと思うよ。好きだから告白したんでしょ。何もおかしいことじゃないよ」と呟く。鎌倉さんもぎゅっと膝を抱えて、「こんなんワンチャンあると思ってたやつの号泣じゃんね。可能性なんか全然ないのに、いっぱしに傷ついてバカみたい」と言った。


 何一つとして、おかしいことなんてないと思った。バカみたいでもないと思った。可能性がないから諦めるなんて、お行儀のいいことができるほど僕らは大人じゃないから。

 僕たちはただ、思いを伝えたら同じだけのものを返してほしいと、身勝手なほど愚直にそれだけを願っていた。それ以上の何かは想像もできやしなくて、ひたすらに一方的で、幼い祈りのようにひたむきだった。僕らにとってはそれが恋だった。


「泣かないと思ってた。ダメなの知ってたから」

「うん」

「自分でもなんでこんなにしんどいのかわかんないの。綺麗に終わるはずだったんだもん」

「うん」


 だけど大人たちはそうではないのだと思う。自分から好きだと告げることに責任を持ち、その気持ちを受け止めることに責任を持ち、同じだけのものを返すことに責任を持つ。たぶん、だから、渡瀬先生はきっぱりと鎌倉さんを振って、彼女はこんなに泣いている。

 何もおかしな話じゃない。はた迷惑かもしれないけど、笑われるようなことなんかじゃない。鎌倉さんだって、渡瀬先生だって、僕からすれば眩しいほどに誠実だ。


 僕はハンカチを出して、とりあえず差し出してみる。それを受け取って、鎌倉さんは「意外。ハンカチなんて持ってんだ」と呟いた。

「鼻水拭いていい?」

「別にいいよ」

「冗談だって。洗って返すわ」

 鎌倉さんは「あ、やばっ、化粧ついた。ふへ、ごめん」と言っている。別にいいのにな。というか化粧してたんだ、と僕はなんだかちょっと感心してしまう。


「太朗さぁ」

「うん」

「樹里に告んないわけ? そろそろ」

「突拍子もないこと言うね」

「突拍子もないことなんて言ってないっつうの」

「僕が振られるところ見たい?」

「見たいか見たくないかで言うと、見たいかな」

「鬼だね」


 学生生活が終わるよ、と鎌倉さんが言った。

 なんだよ、まだ夏じゃないかよ、と僕はぶすくれる。

 みんな急いじゃって嫌な感じだ。

 みんな、急いじゃって。みんな、自分の心に誠実であろうとしていて。嫌な感じだ。置いてかれてるみたいだ。


「でも僕は」と口を開いた時、廊下から複数の足音が聞こえた。誰かが廊下を走っているらしい。「そういうの、急ぎたくないんだ」と言ったその瞬間、僕らの前を実長さんと、鈴木さんと裕生が駆け抜けていった。

 僕と鎌倉さんは目を見合わせる。

「……なんかあったみたいだね」

「おもしろそ。こんなとこでしけてる場合じゃないかも」


 鎌倉さんはすっかり涙も引っ込んだらしい。竹を割ったよう、みたいな言葉があるけど、そういう感じだ。たぶん、そういう顔をするのが上手な人なんだろう。これ以上僕にできることはなさそうだった。そもそも何ができるということでもなかったのだけど。

 立ち上がった鎌倉さんに続くようにして、僕も実長さんたちを追いかけた。




《実長樹里》

 教室に入ったらリンと裕生がなんか真面目そうな顔で話してたので、『あっすいませ~ん』みたいな感じで引っ込んだら、二人がかりで追いかけてきてヤバい。


 私なんかした? え、私なんかした?

 いや想像はつくけどね。たぶん告白のやり直しっていうか、裕生が『俺の何がダメなんだ』みたいなこと言ってたんでしょ。帰ってやればええがな、近所なんだから。


「なんで追いかけてくる!?」

「なんで逃げる?」

「追いかけてくるからじゃん! 私なんも見てないしなんも聞いてないから!」

「聞いてるやつの台詞でしょ!」

「ほんと知らんほんと知らん。でもその勢い見るにほとんどお察しですけども」


 前方で人影が揺らめいた。後ろから裕生が「キヨタカ! 実長のこと捕まえてくれ!」と叫ぶ。ダルそうな仕草の清鷹が、その場で両手を広げた。

 私はフェイントを入れつつ右に避けようとしたが、あっさり清鷹に捕まった。

「くそぅ、将棋部のくせして素早い……」

「残念だったな。俺は人呼んで早指しのキヨタカ」

「だから何?」

 清鷹にガッチリ掴まれていると、後方から「何してくれてんだ清鷹ァ~!!!!」と声が聞こえてくる。太朗が猛烈な勢いで走ってきていた。


「実長さんから離れろ!!! 彼女持ちとて許せぬ!!!!」

「ひっ」


 清鷹が思わずというように私の背に隠れようとする。裕生とリンを追い抜いた太朗に掴みかかられて「勘弁してくれよー、俺も言われてやっただけだよ」と清鷹が両手を上げた。

 そのすぐ後に裕生とリンが追いつき、悠々と朝菜も歩いてくる。


「何がどーなってそうなった?」と朝菜が問いかけたので、私はめちゃくちゃに首を横に振った。裕生とリンが、気まずそうに目をそらす。ぽつりと裕生が「なんか」と口を開いた。

「なんか、よくわからない理屈で俺が振られまくってて」

「おつ! 私も先生に振られてきた!」

「ええ~それ言っちゃうんだ」

 なんでだか信じられない顔をした太朗が朝菜を振り向く。

 のへーっと笑った清鷹が「俺もいま彼女に別れ話切り出されてたわ」と言い出した。


「まあでも一旦プロポーズしてうやむやにしたけど」

「なんでそんなことができる??」


 眉をひそめた太朗が「彼女と別れる可能性があるならなおさら実長さんから離れろよ」と清鷹に難癖をつけている。「お前とはケンカをしなければならないようだな……絶交だ……」と清鷹が重々しく目を閉じた。

「配慮に欠けていました!! ごめんね!!」と太朗が言う。

「いいよ!! こっちも八つ当たりしてごめんね!!」と清鷹が同じ声量を返した。


「つうか全員まだ学校にいたのか。雨もやんだし、帰ろうぜ」

「雨降ってたんだ」

「お前どこにいたの? 精神と時の部屋?」

「そんな感じ」

「さてはこいつドラゴンボール知らねえな」


 言いながら清鷹と太朗が靴を履き替える。私も靴箱から靴を出し、ちらりと朝菜のことを見た。朝菜が気づいて顔を上げながら、「別に全然大丈夫だから」と言ったけれど、目の縁がほんのり赤かった。

 リンと裕生が「ついてこないでよ」「家が同じ方向なの知ってるよな??」「時間差で出てよ」と言い合いながら帰っていった。




《鎌倉朝菜》

 ピーナッツバターサンドを咀嚼しながら、「で……アレはなんなの?」と私は指をさす。その先では裕生が「すきだよ」とささやき、リンが「うるせえええ」と耳をふさぐ姿があった。

「さあ。暑さで頭やられちゃったんじゃないの」と太朗が弁当箱を開きながら言っている。

「本気を証明するんだってさ」と清鷹が肩をすくめた。


「一歩間違えればストーカーじゃん」

「そういう見極めが難しいよな、恋愛って」

「あれはセーフなの?」

「すずりんの反応的には……セーフかなぁ……」

「早く付き合えばいいのに」


 ため息をついた清鷹が「それお前が言うか?」と太朗に呆れ顔を向けている。太朗はむせて、「なんだよー」と瞬きをした。

 そういや、と言いながら私は頬杖をつく。

「清鷹氏はなんで彼女に別れ話を切り出されたんですか」

 清鷹は一瞬仏頂面になって、すぐいつもみたいにへらへら笑いながら「なんか向こうが大学卒業したらカナダ行くらしい。そんでこれ以上の遠距離になると俺が耐えられないだろうから別れようって」と頭を搔いた。

「まあ俺は全然耐えられるから別れる必要ないんだけどね」

「さすがだなーキヨタカさん」

「我慢の男だなー」

 盛大にため息をついた清鷹が「嫌に決まってんじゃん! なんだよカナダって! カナダで何すんだよ、カナダで!」と叫び始める。

「さすがに遠すぎるだろ……! 年に何回会えるんだよ……。でも別れるよりは数倍マシじゃん!? 俺ほんとはそんな聞き分けよくないよ!」

「よーしよしよし、あんたはいい男だよ」

 それから清鷹は突然裕生とリンのところへ歩いて行って、「お前らーっ! はよ付き合えーっ」と怒り出した。なんかもっとヤバいことを口走りそうだったので、私と太朗で清鷹を回収した。ピーナッツバターサンドをくわえさせたらちょっと落ち着いた。


「そういや土曜の花火大会さ、何時に集まる?」

「夜店って何時ぐらいから始まるんだっけ」

「十八時だね」

「じゃあ、まあ、それぐらいの時間で」


 売店でおにぎりを買って来たらしい樹里が「そっかー、今年は清鷹もうちらと一緒に回るのかー」と悪気なく口にする。清鷹が「ああ~~~失踪してえ」と言い出して大変だった。

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