第2話 振ったり振られたりとか

《実長樹里》

 昼頃廊下を歩いていると、アホの太朗が職員室から出てくるところだった。

「あ、実長さん」と嬉しそうに歩いてくる。


「あんた何してんの?」

「先生に反省文を出してたところ。読む?」

「読まねえわ」


 私が歩きだすと、あいつもトコトコついて来る。まあ、行き先が教室いっしょなんだろうけど。

 腕組みしながら歩いていると、太朗が「今日は寝坊しなかったんだけどねー、てか怒られるの嫌だし昨日眠れなかった」とか言い出した。案外繊細なとこがあんのね、とちょっと思う。

 歩きながら話す。普通に話している分には面白いやつなのにな、なんて思いながら。


「太朗って」

「なにー?」

「ほんとにあたしのこと好きなの?」


 立ち止まった太朗が、私のことをまじまじと見つめて「それを君に言ったらさすがに告白にならない?」などと言う。


 告白――――されたらどうしよう、と今更に考える。いや、すでにされているようなもんなんだけど。

 今更、じゃあ、返答を求められたら? 振る? 笑って、『フるって言ったじゃん、ばーか』と言いながら。


「……別にいいや、知ってるし」

「だよね」


 言わなきゃよかった。なんか……気まずい。

 まじめに考えるようなことじゃないよな、告られてもいないのに。あー、もやもやする。そんでなんでこいつは何事もなかったかのような顔してんの? おかしくない?


 そんなもやもやした私を助けるように、後ろから「じゅりー」とリンの声がする。前からは裕生と清鷹が「お前ら何してんの? ついに付き合った?」と歩いてくるところだった。

 ちょうど私たちのところで落ち合ったリンと裕生が、『あっ』という感じで同時に目をそらす。

 私と清鷹が、『こいつらなんかあった……?』『いや知らん』という感じにアイコンタクトをとっている中で、太朗だけが「誰か僕の反省文読まない? 自信作なんだけど」と言っていた。




《鎌倉朝奈》

 樹里が「今日は昼どっか空いてるとこで食べん?」と言い出し、バレー部の更衣室で食べることになった。顧問にバレたら怒られるが、バレなきゃなんの問題もないはずだ。


 そして第一声、リンが「たぶんうっすらバレてるだろうけど、昨日裕生から告白された」と言い出した。私と樹里が『ウオオオオオ』と歓声を上げる。

「それで、振った」

「なんでえ!?」

 思わずというようにそう叫んだ樹里が、咄嗟に自分の口をふさごうとした。気持ちはわかる。


 正直、リンと裕生は両想いだと確信していた。


「別に……合わないなって思っただけだよ」とリンは涼しい顔で言っている。そう言われちゃあこちらとしても、「そっかあ」としか言いようがなく。そうでないことはわかっていても、じゃあ他に何の理由があるのかと訊ける空気でもない。

『とりあえずこの話題は封印か』とため息をつけば、樹里も同じような顔をしていた。

 とりあえず空気を変えるため、私はリンの弁当に入っている卵焼きを奪う。「よっしゃ、りんりんの卵焼きを独り占めだっ」と言えば、リンは「そもそも私のだけどね」と苦笑した。




《飯泉太朗》

「リンに告って、振られた」と裕生の報告はあっさりしていた。

 僕と清鷹は別に驚くでもなく、「振られたかぁ」「脈はありっぽかったのにね」と瞬きをする。


「ちなみに理由は? なんで振られたの?」

「……リンには姉ちゃんがいたんだけど」


 僕は弁当をもぐもぐ食いながら「そうなの?」と混ぜっ返す。腕を組んだ清鷹が「鈴木れんって人だろ。俺らが入学する前に亡くなった先輩だ」と言うので、僕は驚いて「そうなの!?」と叫んでしまった。清鷹は呆れて「お前は人に興味がなさすぎだ」と肩をすくめる。


「リンは、『裕生が好きなのはお姉ちゃんでしょ。私はお姉ちゃんの代わりにはなれないよ』って」

「それはまた……」

「淡々と諭されてしまった」

「目に浮かぶようだ」


 フランクフルトを食べながら、清鷹は「このまま諦めんの?」と裕生に尋ねる。裕生は黙りこくった。

「あえて訊くけどさ、お前はすずりんとすずりんの姉ちゃんはどっちが好きなの?」

 僕は、なかなか危険な質問だなと思いながら黙ってそれを聞いていた。


「……証明できないことを簡単に言えないだろ」

「言えよー、今俺らしかいないんだからさ」

「リンが好きだよ」


 あっさり裕生はそう答える。

「確かに初恋だったんだよな、リンの姉ちゃんは。それは否定できないし、するつもりもない。でもリンのことが好きだよ」

「言えよ、そうやって」

「でも証明できないだろ。口先だけで都合よく言ってると思われたら言い訳できねえし」

「お前はもっと都合のいいことたくさん言えよ。言ってしっかり責任取れよ。“本当だって証明できないから言わない”じゃなくて、“言ったからには嘘にしない”ってのが大事なんじゃないの」

 裕生は何か言おうと口を開き、結局何も言わずにむすっとしてしまった。これはいけないと思い、僕は無理やり話題を変えようと「そういえば清鷹の彼女は? 土曜の祭り、来るの?」と言ってみる。するとなんということだろう、清鷹もむすっとしてしまった。わー、この社会って地雷だらけ。


「いやぁ……キヨタカくんも大変ですなあ。やっぱ遠距離恋愛は苦労が絶えないですか」

「お前、変に空気読もうとするのやめろよな。似合わねえよ」


 似合わねえとか言われても、この状況じゃなんとかしようと思うだろ。僕だって人の心ぐらいある。

「清鷹は向こうの祭りに行ったのにね」

「遥は俺みたいに暇じゃないからな」

「ぶっちゃけやってられんと思ったことないの?」

「今んとこね」

「せっかくできた彼女だもんなぁ」

 フランクフルトを食べ終えた手をちょっと舐めながら、清鷹がぼそっと「せっかくできた彼女だからじゃなくて、好きだからだよ」と言った。僕と裕生は同時にむせる。

 こいつのこういうところは、男としてちょっと勝てない。




《清鷹恭介》

 雨が降っている。ゲリラ豪雨というやつだ。すぐやむだろうから問題はない。問題はないが、

(ちょうど下校するときに降らなくてもなぁ)


 太朗はワタセンにパシられてるし、裕生のやつは知らん。どっか行った。俺は一応将棋部だけど三年生なんて行っても行かなくてもいい扱いだし、最近は全然行ってない。後輩が「たまには来てくださいよ、寂しいっす」とか言ってたけど、どうせ行くなら差し入れでも持ってくかと考えてしまうのがなんかすでにOBじみてて嫌になる。それは自分の問題なんだが。


 靴箱の前で腰を下ろし、雨がやまないかぼうっと空を眺めている。静かだ。雨が降っているときの方がよほど夏は静かだ。


 スマホの着信音が鳴った。ポケットから出して見れば、遥からの電話だ。あいつは家に帰った頃なのかな、と思いながら耳に当てる。

「はい、俺です。もしもしー?」

『あっ……』

 遥はなんでだか、電話をしたことに後悔している様子だった。焦っているようでもあった。俺はあまり気にせず、「そっちも雨降ってる? 今やばいんだよこっち」と続ける。

『そうなんだ……』

「どした?」

 俺は割と“どした?”にありったけの感情をこめて訊いてみた。遥は電話口で息をのんだ様子で、『わたし……』と話し出す。


『私、高校卒業してもそっちには帰らない』

「うん」


 薄々わかっていたことだった。なんなら俺だってこの町で進学して就職してとまで考えていない。まだ就職先までは決めていないが、県外の専門学校に行くつもりだ。ただ、遥の進路は聞いていなかった。どうやらそれを今発表しようとしているらしい。心して聞くことにする。


『私、大学行って、そのあと何年かは海外に行こうと思ってる。第一志望は、カナダ』


 ぶっこんでくるなあ。

 かなりぶっこんでくるなあ、いきなり。

 こういう歌が、昔なかったっけ。ああそうだ、木綿のハンカチーフだ。男と女が逆だわな。


「そっ……かあ……」と俺は動揺を表に出さないよう努めながら何とかそう言った。カナダかぁ、そっかぁ、と。

「帰ってくんの?」

『うん……でも、いつになるかわからない』

 あの曲では結局、男は帰ってこなかったんだよな。信じないわけじゃなくてさ、そうなってもしょうがないよなと、本当は遥が引っ越していったあの日からそう思っていた。


『わ、別れる……?』

「……なんで?」

『もう、さ。付き合ってらんないでしょ、さすがに。普通に最低じゃんね。自分の夢とさ、彼氏を天秤にかけてさあ、夢を選んだみたいなもんじゃん』


 俺は思わず笑ってしまった。自分から言うなよ、そういうの。

 というか、ほかにも色々天秤にかけるもんはあっただろうに、その中で一番大きいのが俺だったって言うなら、普通に愛しいと思っちゃうけどな。まあ惚れた弱みだろうな。

「うーん」と言いながら俺は考える。


「海外には、俺と別れて自由になって行きたいの?」

『…………そうじゃない』

「いいよ、別れても」


 お互いに痛みをやりすごすような沈黙があった。そっちから言ったくせに傷つくなよ、と思いながら俺は天を仰ぐ。まだ雨はやまない。どころか、勢いが増しているように見えた。


「別れてもいいけど、また告っていいか?」


 また沈黙。

 そっちは雨降ってないの、ともう一度訊いてみる。遥は小さな声で、「降ってないよ」と答えた。通り雨の美しさと煩わしさを共有できる距離にいない俺の彼女は、もっと遠くへ行こうとしている。

 誰にそれを咎められるだろう。まだガキだけど、多くの人間にとって恋が人生のすべてじゃないということはわかる。『俺も一緒に行くよ』と言えない以上、俺だってそうなのだ。




《鎌倉朝奈》

 歩いていると、ちょうど社会科準備室から太朗がぺこぺこ頭を下げつつ出てくるところだった。

「何してん?」

「いや普通に……渡瀬先生様の使いっ走りだけど……」

 部屋の中から「飯泉ぃ」と先生の声が聞こえる。「ああいえ、自主的な手伝いですけどねもちろん」と太朗は言い直す。ふうん、と肩をすくめれば太朗は慌てたようにどこかへ行ってしまった。

 私はちょっと考えて、社会科準備室の戸を叩く。「おー」と気の抜けた返事があった。


「鎌倉です」

「いつも思うが、お前のその名乗りはいいな。強そう」

「パシリなら私のこと使って全然大丈夫ですよ、クラス委員だし」

「お前はそんなことをしなくたって評価は最優だよ。飯泉に譲んなさい」


 ムッとする。評価のためにしているわけじゃない。否、ある意味で評価のためと言えるかもしれないけど。


「飯泉はなぁ、成績は悪くないんだが」

太朗あいつにもうちょっと厳しくしたらどうですか?」

「厳しくした方がいいと本当に思うか?」

「うーん……」

「ま、アレだね。ああいうタイプは、将来自分に合った環境さえ間違えずに選べば上手くやるだろうからあんまり心配もしていないがね」


 くるりと椅子を回してこちらを向いた先生が、「鎌倉こそ最近は浮かない顔じゃないか? どうした?」と訊いてくる。まさか『あなたのせいですよ』と言うわけにもいかず、「そう……ですかね……」とはぐらかした。

「卒業前ブルーか? 鎌倉も受験生だもんなぁ」

「一応そうですね」

「一応、ね。お前の成績なら危なげもないが油断はよくない」

「はい」

「かといって思いつめるのもよくない。適当にやんなさい」

「はい」

 デスクに肘を置いて頬杖をつきながら、「ところで何しに来た?」と先生は指摘する。この人はこういうところがあるのだ。私がどぎまぎしながら「せんせーとお喋りしに来ましたー」と答えると、先生は真顔のまま「はっはっは」と言った。


 沈黙が訪れる。先生はじっと私のことを見ているし、私は完全に部屋から出る機を逃してしまった。あるいは、どれほど沈黙が痛くてもここにいたかっただけかもしれない。


 ――――卒業、したくないなぁ。


 最近はずっとそればかり考えている。学校にいるときは先生の姿が見えて幸せだ。でも夜になると泣きたいくらい。一日終われば一日減っていく。私にとってこの恋は、卒業というタイムリミットと共にある。卒業と同時に担任と生徒という繋がりさえなくなって、この人はまた知らない子供たちの“先生”になるのだ。私たちの先生だったのに。私の先生だったのに。なんて、この人の次の生徒たちに嫉妬したりして。


「先生……」

「ん?」


 言えないよなぁ。言ったってしょうがないよなぁ。

 ため息混じりに「なんでもないです」と踵を返そうとしたとき、目についた――――窓際に吊るされたてるてる坊主。

「え、先生。なんですかコレ」

「あ? ああ。てるてる坊主だよ。わかんない?」

「先生が作ったんですか?」

「そうだよ。仕事が行き詰まったときに作ってみたんだ。今週末、夏祭りだろ」

「そ……そんなに楽しみにしてるんですか……?」

「馬鹿やろう、俺はその日も仕事だよ」

「じゃあなんで?」

「雨なんか降ったらしらけるだろ、お前らが」

 そう言った先生が、『やれやれ』という顔で肩をすくめる。

 私は笑ってしまって、ああなんでだか私はこの人のこういうところがほかに言い表せないほど好きなんだよなあ、なんて思って、ふっと息を吐いた。


「せんせい」


 表面張力で止まっていた水が溢れるように、それはごく自然なことだった。

 そうだ。いつかこのきもちが宝石になるのだとしたら、その色くらいは私が決めたっていいだろう。


「すきです。気の迷いなんかじゃありません」




《田中裕生》

 行かないで、と口が勝手に動く。俺の姿を視界の端に認めてすぐに引き返そうとしたリンが、驚いた顔で振り向いた。

 誰もいない教室。折り畳み傘を取りに来たらしいリンは、髪が少し濡れている。


「俺のこと、避けてる?」

「……避けてる」

「なんで?」

「こ、告白されたから……」

「いつまで避けられてる?」

「……わかんない」


 俺は内心で『一生』と返されなかったことにほっとした。リンはリンで混乱した面持ちで、「ごめん」と言っている。

「そんなに嫌だった?」

「そうじゃないけど」

「そうじゃない、の?」

 リンは何も言わず、両手で顔を覆った。

 俺はその様子を見て、一度だけ瞬きをする。昔のことを思い出した。


 リンの姉が死んだとき、本当に悲しかった。

 初恋の人が死んでしまった、という感傷に浸ったりして。


 だけど通夜でリンの顔を見た瞬間、それまでの全てがふっ飛んでしまった。

 こいつの泣いた顔が、本当に苦しくて。

 好きだからだ、と、本当に自然に納得できた。俺はこの女の子のことが本当に好きで、泣いた顔を見ると苦しい。そう気づいた。

 ガキだから、それ以外の想いをほとんど知らないから、勘違いなんかじゃないと証明するすべを知らない。

 だけど、俺にとってこれは恋だ。これが恋だ。


「好きだよ。リンのことが好きだ。怜ねえの代わりじゃねえよ」


 顔を上げたリンが、「それは……っ」とこぶしを握った。


「お姉ちゃんがもういないからだよ」

 お姉ちゃんがいたら、裕生は今もお姉ちゃんのことが好きだったはずだよ。


 そう、リンは言った。

 俺はそれに対する答えを持たない。簡単に否定して見せても、誠実にはなりっこないだろう。


「じゃあ、俺がお前と付き合おうとするのは不誠実なの? 怜ねえがいたら怜ねえと付き合ってたかもしれないから?」

「……わかんないよ。でも私のなかで納得できないし、納得できないままじゃどんどんズレていきそうで、そんなのこわいし、最初っから私には裕生と付き合うっていう選択肢ないから」

「どうやったら納得できる?」

「できないって」

「俺はお前と付き合いたい」

「うるさいよ、付き合わないって言ってるんだからそっちこそ納得してよ」


 息を吐く。お互い意地になって喧嘩するなんて、何年ぶりだろう。それこそ幼いころは馬乗りになって喧嘩したものだった。

 だけどあの頃はずっと近くにいた。今は、なんだか遠く感じて。

「俺のこと、嫌いか?」

「……そうじゃなくて」

「男として見れないってこと?」

「そういうことでもないって。ただ、こんなの、不誠実だよって。いつか気づくよ。私なんかじゃなかったんだって」

「なあ、」

 少し腰を曲げて、リンの顔を覗き込む。「何をそんなにこわがってるの?」と尋ねれば、リンは息をのんで黙った。


「俺がリンのことを好きだって気持ちは、一生誠実になれないのか? 嫌いなら嫌いって言ってくれよ。そういう目で見られないからやめろって。ハッキリ言ってくれよ。そうじゃなくて、俺の気持ちが本気じゃないからだって言うなら、そんなのなんでリンが決めるんだよ。そんなの……、さすがに、しんどいよ」


 泣きそうな顔をしたリンが、じっと俺を見る。


「裕生は……わかってないよ。私の方がずっとあんたのこと好きだった。ずっと、ずっとだよ。ぜったい私の方が裕生のこと好きだ。だから付き合えない。私の好きとあんたの好きが全然違うって証明されちゃったら、耐えられないから」


 俺は途方に暮れる。

 何がだよ。何が違うんだよ。


「好きだ。俺だって、リンのこと」

「もういいって」

「何がいいんだよ」


 リンは帰ろうとする。俺はリンの腕をつかんで、「どうして信じてくれねえんだよ」と縋る。それでもリンは「いいの! 付き合えないの!」と頑なだ。

 しまいには俺はキレた。「おい、このわからずや。好きだって言ってんだろ」と叫んだ。


 ちょうどその時教室の戸が開いて、実長が顔を出したが一瞬で消えた。

 俺とリンは顔を見合わせ、すぐに実長を追いかけた。

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