僕たちのブルー、私たちのブルー
hibana
第1話 誰が誰を好きとか
《
夏はうるさい。
絶え間なく蝉の鳴き声が聴こえ、気づけば雨がガラス戸を叩き、通りを走る車の音すらいつもより大きい気がする。
たくさんの音に囲まれ、溺れて流されるような感じがした。世界の音に負けっぱなしでいるには若すぎるから、私たちの声も自然と大きくなる。
世界の音にうんざりしながら、張り合うように空元気。
夏だ。汗でシャツも髪の毛もべったりになって、ああ夏だとため息をつく。
「おい、アホが悠々と歩いてるぞ」
教室の窓ガラスに寄りかかるようにした
「ほんとだ。ねえジュリ、見てみなよ」と
「おーい、タロー! ……あのアホ手ぇ振ってるぞ」
こちらが手を振れば当然のように涼しい顔で手を振り返してくる。
二時間も遅刻しながら焦る様子もなく校庭を歩いている、あのアホの名前は
私は頬杖をついてそれを眺めた。
どうしてだか、あのアホの周りだけは妙に静かに思えた。
《飯泉太朗》
ガラガラと教室の戸を開けると、何人かがこちらを見てきて、『ああ、いつものか』という感じで目をそらした。窓際の方で清鷹たちだけが面白そうに手を振っている。
窓際の一番後ろ。自分の席に鞄をおろすと、早速にやにや笑った清鷹が「今日はどうして遅刻したんですか、タローくん」と声をかけてきた。
「道でおばあさんを助けて」
「何から?」
「老い……かな」
「アンチエイジングだったか」
僕は椅子に座り、思わず天を仰いだ。
「世界が僕を中心に回るのはもうあきらめたから、世界の方も僕のことはあきらめてくれや……って気持ちだ」
「殊勝なのか何なのか」
「傲慢だろ」
いつも無口な
「そろそろマジでワタセンにしばかれるよ」
「担任が渡瀬先生じゃなければ僕の学生生活は詰んでいたし、感謝してもしきれない。誠心誠意、反省文を書こうと思う」
「誠心誠意の方向性が間違ってるだろ」
家に持ち帰っていたノートを机の中にしまっていると、鎌倉さんが近づいてきた。
「でも太朗さぁ、前に六人で行ったユニバは遅れてこなかったじゃん?」
「それはまあ、実長さんと旅行に行けるチャンスをみすみすふいにするわけにはいかないから……」
「なーんで樹里と行く旅行なら遅れずに来られるのかなぁ??」
「何でと言われたら……惚れているからとしか……」
近くで実長さんがむせた。僕は慌てて「今のは告白じゃないよ。実長さんに言ったわけじゃないし、ノーカンノーカン」と言えば、実長さんが「ハァァ!?」と僕を睨む。
鈴木さんが『またやってるよ』という顔で見てきた。
ちなみに鈴木さんの下の名前は“りん”と言うらしい。本当は鈴という一文字で“りん”と読むはずだったのだが、親戚から『鈴木鈴じゃいじめられるぜ』と言われひらがなになったそうだ。正直その親戚には感謝している、とのことだった。
「もうそろそろちゃんと告白したら?」と鈴木さんが言う。僕は思わず「ええ……」と苦い顔をしてしまった。
「ちなみに実長さんは僕が告白したらどのような回答になりそうですか? 後学のために教えてほしいんですが」
実長さんはムッとした様子で「盛大にフる!」と言い切った。僕は汗をかきながら「危ないところだった……」と呟く。
「僕は告白していないので振られてもいない。セーフだったな……」
「オメーはつえーな、心がよ」
そんなことを話していると、教室の戸が開いて渡瀬先生が入ってきた。僕の姿を認めて「おー飯泉。お前、登校したらまず職員室に顔出すように言ったよな?」と片眉を上げる。
「お忙しい先生の手をわざわざ止めさせることもないかと思いまして」
「本当にそう思っているやつはな、遅刻しないんだ」
「すみませんでした」
清鷹が笑いながら「こいつ今振られたところなんで大目に見てやってください」などと言う。僕は「振られてない!! 断じて!!」と叫ぶ羽目になった。先生は疲れた様子で「お前の情緒がたまに怖いよ、俺は」とだけ言って教壇に立った。
午前の授業が終わり、昼休憩が訪れた。僕は愕然としながら、「弁当忘れた……!」と呟く。
「お前さぁ……」と清鷹が呆れた顔をし、「遅刻してあんな悠々と歩きながら忘れ物までするってもはや才能だろ」と裕生まで珍しく長文を喋った。
「え? 太朗なに? 食べるもんないの?」
「はぁ……僕も驚いています」
「樹里ー、太朗餓死するって」
「いいんじゃないの?」
“いいんじゃないの”って……。
一応という感じで見に来た実長さんが、唇をへの字にしたまま「いる? おにぎり」と言ってくる。
僕はちょっと耳を疑った。
実長さんが、僕におにぎりを? 常々そうではないかと思っていたが、やはり間違いなくこの世に舞い降りた天使だったようだ。
「二千円」
どうだろう。悪魔かもしれない。
僕は少し考えたが、背に腹は代えられない(好きな子が握ったおにぎりを逃すわけにはいかない)と思い財布を取りだした。控えめに二千円札を出すと、実長さんは僕の目の前に既製品のおにぎりを一つ出した。シーチキンマヨだった。
「コンビニのおにぎりを二千円で買っただけで草」
「二千円で買ったシーチキンマヨのおにぎりはうめえだろうなぁ……」
僕はやけになり、「ヤッタァー!! 実長さんの(買った)おにぎり!! 実長さんの(買った)おにぎり!!」と言いながらそれを受け取った。実長さんは明らかにドン引きの顔で「冗談じゃん……」と二千円を返してくれた。
なんか鎌倉さんも裕生もお弁当を分けてくれた。鈴木さんも分けてくれようとしたけど、裕生ブロックにあって僕のところまでたどり着かなかった。具体的に言うと鈴木さんの卵焼きは裕生の腹に入った。なんでだよ、お前の弁当箱にも卵焼きがあるじゃないか。
「まーた裕生がすずりんにちょっかいかけてら」
「裕生いつも無言でやるからこわいわ」
「僕の卵焼きが」
「お前のじゃないけどね、もともと」
クラスの良心こと鈴木さんは、優等生的でありながらノリのいい女子で、男子人気もそれなりに高い。優しいのでワンチャンあると思った男子生徒が玉砕していく様を何度も見てきた。
対して裕生――――
ちなみに鈴木さんとは家が近所の幼馴染らしい。なんかいつもちょっかいをかけている。
「というか清鷹も僕に何かくれないの?」
「そういうの、物乞いって言うんだけどわかるかなぁ?」
「ありがとう……みんなのおかげで餓死せずに済むよ」
「昼抜いたぐらいで死なないけどな」
「あとは家に帰って、遅刻と弁当忘れた件をお母様に怒られるだけだ」
「いっぱい怒られろ」
母さんごめん。弁当は夕飯に食べるよ。
内心で母にそう語りかけたが、心の中の母はすでにブチギレていた。とてもじゃないがそんなことで納得してくれそうになかった。
《鎌倉朝奈》
私たちがボールを拭いていると、一年の子たちが「センパイ、うちらがやりますよー」と言ってきた。リンが「いいよいいよ、駄弁りながらやるからー」と返している。
私とリンと樹里はバレー部である。大して強豪というわけでもない女子バレー部で、部員同士の仲もよく、ぬくぬくと日々を過ごしている。今も本当にボールを拭くふりをして喋っているだけだった。
「実際どーなの、樹里は」
「太朗?」
長い溜息をついた樹里が「私の方がききたいっつうの。どうすりゃいいの、アレ」と吐き捨てる。
「ハムスターみたいで可愛いけどねー、タロー」
「りんりん眼科行った方がいいって。あいつ身長178あるよ」
「え、デカ……。そんなデカい?」
「清鷹も裕生もそれぐらいあるから目立たないだけだよ」
「なんかこう……猫背じゃん? 太朗って。目線同じぐらいじゃない?」
「それもある」
一瞬沈黙があった。言外の、『つきあわないの?』という確認だ。樹里は静かに「ハムスターは飼えないよ。子供のころ飼ってたけど逃げてったし」とだけ言った。
「りんりんは?」
「え、わたし?」
本気で驚いたようにリンが顔を上げる。
「裕生と付き合わないの?」
「裕生とぉ??」
「あいつりんりんのこと好きすぎでしょ」
「いつも邪魔ばっかされてるんですが……」
「アレ構ってほしくてやってんじゃないの?」
唇をへの字にしたリンが「幼馴染なんて今さら男として見れないよ。向こうだってそういう感じじゃないって」と言い張った。私と樹里は肩をすくめてみせる。
「はぁ……うちらもう高3なのにさぁ、誰も発展しないよねえ……このまま卒業だよ」
「清鷹が彼女いるじゃん」
「あいつは偉いよ。遠距離でしょ?」
「なんだかんだ長いしね」
「何もかも軽いのに彼女に対しては健気だよね」
「彼氏としては本当にいいと思うわ、清鷹は」
「あ、残念ながら彼女いるよ、きよたか」
「わかってるっつうの。狙ってねーし」
ボールを一つ一つかごにしまいながら、「……朝奈はさ」と樹里が口を開いた。
「まだワタセンのこと、……すきなの?」
「あー……」
私は思わず苦笑してしまう。
“まだ”かぁ。振られてもなければそもそも告ってもいないのに、見込みがなければそりゃそういう質問になるわな。終わりにするきっかけもなければ終わりになんてなるはずもないのに。
「ほっとけ」
「うーん……でもさぁ」
「向こう33だよ? 結婚してなくても彼女ぐらいいるかもよ」
「なんでアンタは人を傷つけることに躊躇がないの?」
自分で言いながら、『なんで』なんてわかりきったことだよなと思う。友達だからだ。友達だから、『やめとけ』と言ってくれている。実際、私に振り向くような人ならやめた方がいいし、そうじゃないならこの恋は絶対に実を結ばないのだ。どちらにしても詰んでいる。
この感情は生まれた瞬間が一番美しく、一秒進むごとに濁っていく。そしてどこへも行けない。
そんなことわかっているから、私だって
「あんたらいつまでボール拭いてんの!」
顧問の先生にそう言われ、私たちは「はーい」「きれいになりましたー」と返事をする。部員はもうコートの中央に集まっていた。
《鈴木りん》
靴を脱ぎながら「ただいまー」と言う。返事はない。まだ両親は帰ってきていないようだ。
手洗いうがいをしてリビングに通りかかったとき、仏壇に向かって「おねーちゃんただいまー」と言っておく。そういえばもうすぐお盆だっけか。「お姉ちゃん帰ってくるの?」と訊いてみたがもちろん答えはない。
玄関のドアが開く音がする。疲れた様子の母が「帰りに課長に捕まって遅くなっちゃった。先お風呂入っちゃってー」と言ってくる。「わかった」と返事しながら私は自分の部屋に向かう。二階には部屋が二つ。姉の部屋と、私の部屋。両親には内緒だが、自分の部屋にあった邪魔なものを姉の部屋に置いたりしている。物置のようになってしまった姉の部屋を見たら、両親は悲しむだろうか。
着替えを持って、ため息をつく。
『裕生と付き合わないの?』
裕生と、付き合う――――。
そんな夢みたいなことを、だけど夢見たことがないなんて言ったら嘘になる。
でもそんなの、許されることだろうか。
ねえ、どう思う? お姉ちゃん。
もちろん返事などあるはずもない。もしあったところで、悪戯っ子みたいな顔で『しーらない』と言われるのが関の山だろう。
私はもう一度長いため息をついて、熱っぽいため息をついて、自分の部屋を出た。
《清鷹恭介》
付き合ってる彼女に電話をかける。
数日前向こうから電話をかけてきたはずだから、俺から電話をかける番だよな、みたいな――――そういうよくわからない駆け引きがある。駆け引き? というか、空気? というか。
まあ、面倒かな、こういうのは。
「……もしもし」
『もしもし』
こうして声聞けたらそりゃ嬉しいけどさ。もともと俺はそういうの、マメにやるタイプじゃないと思うし。でもつながりが薄くなってどんどん遠ざかっていくよりはいいしな。
それでも、最初のうちはしょっちゅう会っていた。お互いに小遣いとバイト代をかき集めて、休みになるたびに会っていた。でもそのうち、週に一回なんか会ってたら生活が狂うと気づき始めた。月に一回だって会おうと思うとかなりの調整が必要だった。今じゃ会うのは三か月に一回ぐらいだ。年に四回。お互いの誕生日と、クリスマスと、あと適当に一回ぐらい。
こうして電話だって、爆弾ゲームっていうの? この習慣を自分の番でやめるわけにいかないから、あっちが電話してきたらこっちからも電話する、って感じで。向こうが電話してこなくなったらどうなるのかな、こっちから電話しなかったらどうなるのかな、とたまに考える。そのまんま終わるのかな。いや、終わらないよな、さすがに。
「あのさ、週末の、こっちでやる祭りのことなんだけど」
『うん……。ごめん、ちょっと無理かな』
「だよなー」
『ごめんね、こっちの祭りには来てもらったのに』
「規模が違うだろ。有名なヤツだから行ってみたかっただけだよ」
おお、なんかしけた感じになってしまった。「マジでマジで。『人混みがヤバいから来週は来ない方がいいぜ』って言おうと思っただけだからマジ」と慌てて言っておく。これはこれで感じ悪いか? わからん。
いまだに電話は苦手だ。なんか緊張する。面と向かって話せばそんなことないのに。
「あのさ、遥」
『んー?』
「会いに行っていいか? 遥の学校終わった後にさ、その辺で飲み物飲むだけでいいから」
『恭介の学校は?』
「サボるわ」
『ばーか』
遥がちょっと笑った。割と本気だったんだけど、まあ笑ってくれたならいいか。
『ねえ恭介』と遥が言った。「なになに?」と聞き返したが、遥は言いづらそうにして結局『今度は恭介んち行くよ』と言うので、「いや無理すんなよ。俺の方が金あるし」などと強がる羽目になってしまった。
電話を切った後で頬杖をつき、「卒業後の話するのって、空気読めねえかなあ?」と独り言ちる。というか、この先のことって考えていいのかなあ?
将来のことを考えろと言われても、一番大事なことが決まらない。すなわち、遥のいる人生なのか、どうかだ。遥にその気があるのか、ないのか、わからない。俺はなんだかんだこうして電話で話せたら嬉しいし、会えたらもっと嬉しい。遥はどうか。もう嫌になっているのかもしれない。向こうに好きなやつがいるのかもしれない。というか、『今度は恭介んち行くよ』っていうのは『だからこっち来るなよ』って意味だったりする? いやさすがにそれは考えすぎか。
でもこういうのって問い詰めたらいよいよ終わってるよな。女々しいし、向こうがほんのり嫌になってたら完全にとどめを刺すよな。
「会いてえなぁ……」
会えたらな。顔見たら全部わかる気がするのに。
遠くたっていいと思っていた。遠くたって、たかが片道二時間。会おうと思えばすぐ会えると思っていた。だけど学校で理由もなく顔を合わせていた時とは何もかもが違う。会いたい、と思ってすぐ行動しても片道二時間。事前に連絡すれば相手を二時間待たせることになり、連絡せずに行って空振りに終われば二時間かけて空しく帰ることになる。それに二時間は、情熱がある程度冷静に変わるのに十分すぎる時間だった。
ため息混じりに鏡の前に立ち、自分の顔に向かって「考えたってしょうがないぜ恭介。なるようにしかならねえって」とちょっと励ましてみる。『ま、そりゃそうだな』という気持ちになれるのも、才能というやつなのかもしれない。
《鈴木りん》
夕飯を食べ、自分の部屋で勉強をする。受験生というやつになって、一応それなりの緊張感はあった。安全圏と言われても、それで落ちたら人間としてヤバいし。
ふと顔を上げて時計を見る。もうこんな時間だ。
そろそろあいつが来るな、と立ち上がる。
遠くから、裕生が走ってくるのが見えた。あいつは大体この時間にはランニングをしていて、必ずこの家の前を通る。
窓を開け、ベランダに出た。裕生が気づく。私は手すりに寄りかかり、ぼうっとそれを見た。
「よっ」
「よー」
裕生が立ち止まり、一言二言会話する。これが最近の習慣になりつつあった。
「勉強?」
「うん」
「偉いな」
「裕生もちょっとは勉強したら?」
「やってる」
「見たことないけど」
「お前、俺んち来ないんだから当たり前だろ」
そりゃそうか。
珍しく右手にぶら下げていたコンビニの袋から、裕生がアイスのパッケージを出してきた。二つ繋がっているタイプのアイスだ。裕生はそれを切り離して、片方を私の方へ投げてきた。「うぉ」と気の抜けた声を上げ、私はそれを受け取る。
「おー、ホワイトサワーじゃん。わたしもこれが一番好き」
「そうだろ?」
私はアイスの蓋みたいなところを切って、先端を口に咥えた。
冷たくて、甘くて、爽やかだ。裕生も無言でそれを吸っている。
「コレさぁ、うめーんだけど、一つで十分なんだよな」
「そう?」
裕生は「うん」だか「うーん」だかわからない感じで唸って、「いやさ、いや……リンさ」と歯切れ悪く何か言う。「なに?」と私はアイスを吸いながら聞き返した。
「もうバレてると思うから言うけどさ、俺、お前のこと好きだよ。付き合ってほしい……んですが」
私は一瞬目を丸くして、アイスを口から離し、すぐに平静を装った。
――――そんな夢みたいなことを、だけど夢見たことがないなんて言ったら嘘になる。
期待と、失望の入り混じった気持ちがどこかから湧いてくる。
飼いならせない、自分じゃどうしようもない、めんどくさい感情だ。
私は裕生のことが好きだと思う。たぶん、ずっと。
でも裕生は、
裕生は、三年前に死んだ
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