社内チャットで勝手にフラれた男の話
うたた寝
第1話
僕には気になる後輩の女性が居た。テレワークということもあり、直接会ったことなど一回か二回くらいしかない。
何でそんな彼女のことを気になり出したのか、恐らくそれは僕が彼女に業務を教えていた時に何気なく言われた、『優しいですね』の一言がきっかけだったんだと思う。
単純、と言われてしまえば返す言葉も無い。生まれて初めてに近い、女性に肯定的に言われた言葉が素直に嬉しく、頭に強く残ってしまったのだろう。
それだけで彼女が僕を好きだ、なんて勘違いはしなかった。だけど少なからず好意は持ってもらえているのか、なんて思い、それを確かめたくてネットで調べると、真っ先に出てきたのは、『優しい』と言われる男は脈無しである、というネットの記事であった。
彼女が僕のことを好きだなんて勘違いしていない、とは言っておいて、何か現実を突きつけられたみたいで、失恋に近い変な感覚があったのを覚えている。
ネットで見た、『脈無し』という言葉がずっと頭の片隅に残っていた。それ以来、彼女のふとしたチャットの文言さえ、脈無しのサインに思えてきた。
普段絵文字や『!』を付けてくれる彼女がふとした拍子に付けないでチャットを送ってくることがあった。普通に考えれば、忙しくてそこまで文面に気を遣う余裕が無かったか、別にいつも使うわけではない、など。考えられることなどいくらでもあったハズなのだが、脈無し、の言葉が重くのしかかっていた僕には、とても冷たい文言に見えたのだ。
チャットの返事が来ないだけで、嫌われているのではないかと心配になった。グループに投げたチャットであればともかく、個別で投げているチャットの通知に気付かないとは思えなかったのだ。これも、普通に考えれば、他の通知に埋もれた、アプリの不都合で通知が来なかった、など考えられることもあっただろうに、僕は無視された、としか思えなかった。
もう少し続けられそうなチャットを彼女は割とすぐに切り上げる。僕の仕事の時間を取らないように気にしてくれているのかな、なんて前向きに考えようとしたこともあるが、僕とのチャットをそれほど長く続けたくないのだろう、と後ろ向きに考えることが増えた。
脈無しの記事もそうなのだが、単純に考えて、好きな人とのチャットで絵文字抜きやチャットを自分から切り上げるとは思えなかったのだ。僕とのチャットはさっさと切り上げて、好きな人とチャットしているのではないか、そんな風に思えた。
そもそも、脈あり・なし以前の話だったんだとは思う。さっきも言ったが、僕は彼女とは一、二回程度しか直接会ったことはない。後はほとんどチャットでのやり取り。人を好きになるには些か希薄な関係と言えた。実際、彼女を気にする前であれば、何も気にしなかったんだと思う。
そんなある日、彼女から質問が着て、その質問に答えるために、画面共有をして彼女のパソコンの画面を見せてもらうことになった。
彼女のパソコンの画面が僕のモニターに表示される。その時、画面の下部に今使用しているチャットのアイコンが映り、そこに未読のバッチが付いているのが分かった。そしてそのバッチが消えた。
その一回であればそこまで気にもしなかったのだが、彼女への説明を続けているうちに再びアイコンに未読のバッチが映り、すぐ消えた。
それは、彼女は僕との通話中、他の人から来たチャットを見ている、ということを意味している。未読のバッチが付くということは返信が来ている、とも考えられる。つまり、見ているだけではなく、誰かとチャットのやり取りをしている可能性もある。
責めるつもりはないし、責めるようなものでもないだろう。他の人から仕事のチャットが来ているのかもしれないし、それであれば急ぎの内容でないか確認する必要もあるだろう。すぐ返信できるようなものであれば、返信することだってあるだろう。
それは分かっているのだが、チャットを見ながら流し聞きするくらい、僕の話に興味無いんだな、と。そんな風に思ってしまった。これが、別の先輩、別の人であれば、チャットを見たりなどしなかったのではないかと、好きな人との通話中にそんなことはしないのではないかと、そう思ってしまった。他の後輩は僕との通話中に未読のバッチが消えたりもしなかったので、余計にそう思ったんだと思う。
チャットの内容までは画面共有の範囲から外れているので見えない。だが、そこさえ何か意図を感じる。わざとチャットの画面を画面共有外にしているのではないかと。仕事のチャットであれば見られてもそれほど困らないハズ。見られたくないよう画面共有の外にチャットを置いているのであれば、それは誰かと何かプライベートな会話でもしているのではないかと。
もし、そうなのであれば、僕とのチャットはすぐ切り上げるのに、誰かとのチャットは僕との会話中でも返信したくなるものなのかもしれない。僕とのチャットには付けてくれない絵文字なども付けているかもしれないし、必死に会話が切れないように繋げているのかもしれない。
何の確証も無い。言ってしまえばただの被害妄想かもしれない。それでも胸が痛むのが分かった。今こうして話している僕との通話も、彼女にとっては誰かのチャットとの邪魔で、早く切れよって思われているのではないか、そんな風に思えた。
もう少し詳しく説明しよう、そう思って手元に資料まで用意していた僕はその資料をそっと閉じ、『何か分からないことがあったら聞いてね』と言って通話を早めに切り上げた。彼女はそこに違和感さえ覚えなかったようで『ありがとうございます』と返してきた。
『どうかしました?』そう聞いてほしかったのかもしれない。だけど、たかだか数回しか会っていない僕の微妙な感情の動きを受け取れるほど、彼女との関係性は深く無かった。
通話を切り、僕は背もたれに深く腰掛けて天井を見上げた。
『優しい』と言われて勝手に舞い上がっていた自分が酷く痛い者に見えてきた。『脈無し』という記事が頭に蘇る。僕は彼女の先輩。であれば『優しい』と言ってご機嫌を取っておいた方が色々都合がいい。いや、そんな打算が無かったとしても、深い意味を持って言った言葉ではないのだろう。単純に『優しい』と思っただけ。それ以上の意味などない。
だから、彼女のチャットにだって深い意味は無い。僕は彼女のただの先輩。
絵文字を付けない。それはそうだろう。ただの職場の先輩なのだ。必要以上に明るく振る舞うこともあるまい。
チャットの返事が来ない。先輩からの面倒なチャットであればそれもそうだろう。業務に直結しないチャットなど反応するだけ無駄なのかもしれない。
チャットの会話を早めに切り上げる。先輩としか見ていないのであれば当然であろう。雑談に付き合う必要性などあまり無い。
何一つ、彼女が言った言葉ではない。だが、『脈無し』という言葉に彼は酷く納得できてしまった。
告白したわけでも、フラれたわけでも、好意を伝えたわけでも、悪意を伝えられたわけでもない。
人によっては始まってさえいない恋だっただろう。
だが、彼の中では明らかに終わってしまった恋であった。
社内チャットで勝手にフラれた男の話 うたた寝 @utatanenap
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