厭地

 月明かりが少しばかり差し込むほの暗い一室。行燈から放たれる微かな光が衝立にさまざまな曲線を焼いている。畳の上には乱雑に脱ぎ捨てられた着物や帯が二人分。中央に敷かれた布団は大きく乱れ、その上には煌びやかな髪留めが点々と転がっている。現世の全てを振り切った息遣いが小さく、それでも力強く、開けない夜を揺らしていた。


 透き通る乳白色の柔肌に指を滑らせる。あたりに漂う甘ったるく生々しい芳香の中、先端に伝わってくるきめ細やかな感触がかろうじて男を現実に引き留めていた。自分を見つめる一対の玉、白布の上に踊る数多の黒筋、腕の中の確かな肉体。頬を伝う唾液、絡ませた互いの生足。何もかもが薄暗い部屋に溶けてゆく。艶やかな吐息、咥内の注連縄、二枚の薄皮の向こうに感じる他人の体温と熱を帯びた鼓動。それら全てが絶えず男の理性を侵食する。耳介の裏の窪みに顔をうずめ汗と興奮の香を肺の奥底まで吸い込む。経験したことのない柔らかさを身体の随所で感じ、彼の蛇はすでに鎌首をもたげている。獲物は目の前だ。食いつけ、疾く。しかし、彼はその声を拒んでいた。理性の部分ではわかっていたのだ。ここはそのための場所であると。それでも彼の根底、良心とか心根とかいうようなものが彼を縛っていた。それはおそらく彼に染みついた優しさがなせる業なのだった。彼はなんとか己に根づく蛇を御していた。

 

 男が己と壮絶な戦いを繰り広げている中、女はその葛藤の全貌を見据えていた。慣れない手付き、蕩けきった表情、そして弾けんばかりに期待を抱いている金砕棒。やがて自分の肉体に狂喜し貪っているこの男が意地らしく、愛らしく思えてきた。今宵は美味な肉にありつけるかもしれない。男が頂上への上昇を続ける中、女も確かに昂っていた。肉付きのいい首に腕を回し顔を引き寄せる。少し戸惑ったような表情を一瞥し瞼を下す。重ねた唇にほのかながら確実な快感。そのまま筋肉質の腕を一方の手でなぞり腰の方へ、もう片手はうなじの方へそれぞれ滑らせる。男が体を__特にある部位を__押し付けてきたのに合わせて頭を首元に持っていく。浮き出た血管に舌を這わせると幽かな呻き声と共に密着した体が震えた。男の快感が、それだけでありありと伝わってきた。今だ。大きく口を開き、汗ばんで上下する喉仏の辺りへ、その牙を。

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