元和三年、丁巳の年。燭台に火を灯し、探究の道を照らさんと意気込むその年始め。昼下がりの三条河原では後ろ手に縛られた二つの白装束姿が臨終の時を待っていた。ポツポツと野次が集まりはじめ、まもなく首斬り役人が到着する時分である。黒々とした長い髪に整った顔立ちの姉妹という物珍しい罪人の姿は観衆を集めるのにうってつけだった。いつしか河原のど真ん中にポツンと敷かれた蓙の周りを野次馬が取り囲み、やっと到着した処刑人は彼らを押し除けて罪人の前に立つまでにかなりの苦労を強いられた。

「彼女らには叢雲氏の大名行列を横断した罪がかけられている。また姉のちとせは無礼を咎めた叢雲氏の家臣の喉笛を食いちぎり、命を奪った。これらの事態は極刑に値すると判断したため、町奉行嘉神佳成の名の下に姉妹共々その首を刎ねることとする。」

 今回の仕事を任された町役人村雲火虎はさっさと己が仕事を終わらせようとつい先刻上役から渡された書状を読み上げた。食いちぎった、という耳馴染みのない罪状に聴衆がどよめく。この端正な撫子が侍を惨殺したというのか。半ば疑念の空気が場に漂う中、処刑人は姉と思しき白装束の横に立ち仕事道具を抜き放った。五年前に奮発して買った南紀重国である。二尺四寸、やや反りのついた姿に高く広い鎬、匂い立つ地金。白銀の刃紋が刃区から鋒まで真っ直ぐ輝いている。腰に残った黒呂塗りの鞘は一見簡素なものだが、よく見るとところどころに猛禽の螺鈿細工が施されており持ち主の意匠を感じさせる。村雲は大きく息を吐き、愛刀を頭上に構えた。観衆が一様に息を呑む。鋭い呼吸音と共に慶長新刀が振り下ろされる。その場にいる誰もが人体にぶつけられた鋭利な刃がもたらす結果を覚悟した。刀を握っている当人も当然同様の想見をしていた。

 しかし、跪く女の頸に到達した刃から伝わってきた感触はおおよそ想定とはかけ離れたものだった。弾かれたのだ。村雲は目を疑った。どう見ても女人の肉体の様相なのだが、さながら岩石の如き硬さがある。混乱がもたらす一瞬の硬直、その刹那。確かに目が合った。大きく見開かれた女の双眸。その瞳に、確かな違和感がある。なんだ?何がおかしい?ああ、そうだその瞳孔が、縦に細長い、まるで、蛇______


 どさ、という音とともに処刑人の体が崩れ落ちた。観衆のどよめきが一気に収まり、三条河原は一時的な静寂に包まれた。最前列にいた町人の一人が恐る恐る地に伏した役人に近づき、その容態を確かめようとした。村雲の体を支え起こした彼の表情を見た野次馬集団に緊張が走る。混乱が恐怖に変わった瞬間である。村雲の首は右半身側の三分二厘ほどを残して大きく抉られていた。その後数分間、悲鳴が途切れることはなかった。


 一連の出来事を全て見ていたのはもう一人の罪人、妹のりんであった。最愛の姉に刃が振り下ろされ、思わず目を閉じてしまったその一瞬でちとせは処刑人の喉を齧りとったらしい。目を開けると辺りに集まった人間たちが硬直している。おずおずと前に出てきた男が役人の死に直面し悲鳴をあげる。観衆の混乱が恐怖に置き換わったのが感じ取れた。このままではまずい。このうち誰か一人でも奉行所に駆け込んだら侍がここに集まってしまう。いくら姉様が強くても、多勢に無勢だ。私は手助けできるほどの力がない。跪いたまま姉の方を向き口を開く。

「姉様、」

続く言葉を出す前にちとせは頷いた。流石は姉様だ。


 りんの呼びかけに応じ頷いたちとせは正座の状態から小さく跳躍。指先で着地した後大きく跳躍し、パニックに陥った観衆の方へ躍り出た。鏖殺だった。飛び出しと同時に縛られた腕を解放、前方に投げ出された双腕は一人目の獲物を捉えた。引きちぎられた荒縄が地面に落ちた時にはすでに三人目が屠られていた。瞬きを一つする度に首がいくつか飛んでいく。河原の砂利に夥しい量の血液が染み込んでいく。つい先刻まで人間の一部として機能していた肉片が積み重なっていく。狩られる者たちの絶叫が途絶えるのにさほど時間はかからなかった。やがて河原には静寂が戻った。

死屍累々の中ちとせは

「重い」

と呟き血で染まった装束を脱ぎ捨てる。先刻まで艶やかな白肌だったその体表は、今や鈍く光る緑色(#316745)の鱗に覆われていた。鉄の香りを含んだ微風に髪を靡かせ、川の方へ歩を進める姉の背中にりんは問うた。

「姉様、やはり別れねばならぬのですか。」

振り返らずにちとせは答える。

「もう話はついたはずであろう。私は海へ行く。山での修行は十分だ。」

「いずれ______いずれ、再び逢えますか。共に暮らすことができましょうか。」

「海の方も済んだら山に帰る。それまで待っていろ。」

言い終わるや否やちとせは流れに身を投げた。りんの両瞼からこぼれ落ちた涙の粒たちがそれを追って下流へ流れていった。今晩には海に出られるだろう。姉が去り際に投げた眼差しが、りんの脳裏に焼きついていた。すんと通った瞳孔、沈み始めた陽の光を反射して東雲色に輝く瞳、その周りの純白、そしてそれらを縁取る控えめながらも繊細な睫毛。今までは同じ世界を見ていたその宝玉に、いずれ新しい景色が映る。そしてそれを自分が知ることはない。その事実がたまらなく悲しかった。二人が再び逢瀬を果たすのは、およそ四百年ほど後である。

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