獺祭魚、豺獣祀
以下は民俗学者である叢雲氏が茨城県鑑市の山中に存在する鳴蛇村と呼ばれる集落で行ったとされるインタビューの内容である。氏は鳴蛇村にある神社の関係者への聞き込みだと記録していたが、詳細は不明である。また、神社の神主によると水地と呼ばれる人間が社にいた記録はないそうだ。
_今日は先日仰っていた数年前に見たという夢の話を聞かせていただきたいのですが、可能でしょうか?
水地さん_ええ、構いません。ですが私の夢の話を聞いて何がわかるのですか?確かに普通の人間が見るようなものとは少し違ったとは言いましたが、たかが一個人の夢に過ぎない。私はイタコではないのですよ。
_私は日本各地の蛟信仰について研究をしています。そのためにこの村に来ました。鳴蛇村だなんて、いかにもな名前じゃないですか。昨日聞かせて頂いた民話にも度々蛇が出て来ました。そしてあなたはこの村唯一の巫女だ。もし、、、本当に蛟と呼ばれる何かがいるのなら、神として存在しているとしたら、と考えたんです。
水地さん_なるほど。ですが全く関係のないことだと思いますけれど。
_構いません。もしそうでも、何か思いつくかもしれない。
水地さん_わかりました。では始めます。私がその夢を見たのは確か五年ほど前のことです。巷で言う明晰夢というものなのか、異様に鮮明な夢だったんです。私は気がついた時、この村の森の奥にいました。周りの景色に見覚えはなかったのですが、ああここは鳴蛇村なんだなと感じたんです。しかもかなり昔の。そこで初めてこれは夢だと気が付きました。
_ありますよね、なぜかわかるってやつ。
水地さん_ええ、まさにそれでした。あれは何なんでしょうね?
すみません、話が逸れました。続けますね。私は森の中を歩いていて、横には恋人らしき男性が立っていました。私には生まれてこのかたそのような御仁がいたことがないのですけれど、その人物を想う気持ちは感じられました。彼は水干のような服を着ていて、結い上げた頭には鮮やかな紅色の烏帽子が乗っています。身長は六尺に届くか届かないかというくらいで面もなかなかの美形でした。私の好みではありませんでしたけど。ともかく彼は私の隣を歩きながら何か話しているのです。注意して聞いていましたがいかんせん昔の言葉なので、どうやら私たちはこの森の奥にある何かを目指して歩いているらしいということ以外ほとんど理解できませんでした。四半時ほど歩いて、私たちは目的地に到着します。不気味なほど何もない空間の真ん中に小さな、くたびれた祠が一つ、ポツンと立っている。そんな場所です。ここから記憶が断片的になるのですが、まず私はそこで今まで被っていた面を脱ぎます。私自身面をつけていたことなど知りもしませんでした。その後手に持った面を静かに地面へ放ります。ここで景色が揺れ、一度視界が暗転します。今思い返すと、酔っていたのかも知れません。女の人が遠くの方で叫んでいるのが聞こえます。隣に立つ男が叫び返すのも聞こえます。数秒後、額に鈍い痛みを感じ視界を取り戻しました。目の前には白装束姿の男が三人太い縄で縛られ転がっていました。その奥には人の背丈ほどある大きな鏡が立てられています。名前を呼ばれ振り向くと水干の男が駆け寄って来るのが見えます。彼はそのまま私をかき抱くと耳元で、応援しているというような意味の言葉を囁きます。なぜかこの言葉だけははっきりと理解できました。私がその意図に気づけないまま戸惑っていると再び視界が数秒間暗転し、次の瞬間には鏡に映った自分と対面していました。そこで初めて私が喉元を中心に赤く染まった白装束を身に纏っていることがわかり、二間ほど後ろに水干の男がへたり込んでいるのが見えます。その顔からは明確な恐怖が伝わってきました。私は思わず彼に手を差し伸べますが、彼はそれを拒絶します。私の両手からは赤、、、ええ、鮮血が滴っていたので当然ですね。口の中には生暖かい鉄の香りが残っていました。推測するまでもないでしょうが縛られていた三人の男性を喰らったのでしょう。私はあまりの気持ち悪さにきつく目を閉じました。しばらく吐き気と闘って、次に目を開いた時鏡に映る私の顔には右のこめかみから鼻の下あたりまでの大きな裂け目がありました。驚いて開けた口の中には上下二対の尖った歯と先端が二股になっている細い舌が見え、肉が動いたことで顔のあちこちに新たなひび割れができていきます。裂けた皮膚の奥には溶けた蝋の様な色の新たな表皮がのぞいていました。
_それは所謂蛇の脱皮のような?
水地さん_(かなり驚いた顔をしたのち、一分ほど沈黙)なるほど、言われてみればそうですね。なぜいまの今まで思いつかなかったのでしょうか。自分の皮を脱ぎ捨てるなんて脱皮そのものなのに。不思議な感覚でしたよ、皮膚をまるごと取り替えるのですから。水干の彼は今にも失神しそうな面持ちでこちらを窺っています。私は足元に散らばったそれらを、私の一部だったものを踏まないように足を上げ彼の方へ歩み寄ろうとしました。そこではたと気づきました。私の両足がなくなっていたことに。いえ、これは適切な表現ではありませんね。私の足があった部分は脱皮した際に別のものになっていたんです。私の股関節から下は軽自動車の車輪ほどの太さの白い鱗に覆われた何かになっていました。ええ、蛇の尾です。私の下半身は蛇に変換されていました。
_半人半蛇といえば中国の伏犠と女媧が有名ですが、ご存知ですか?
水地さん_すみません、聞いたこともないです。そんなに有名なのですか?
_いえ、ご存知なくても当然です。私の周りでは常識なのでつい不適切な言い方をしてしまいました。簡単に言うと、中国神話において人間を作ったとされている一対の蛇神のことです。
水地さん_なるほど。それは珍しいことなのですか?その、蛇が地位の高い神として崇められるのは?
_そうですね、よくあることとはいえないです。大体が敵としての登場ですからね。アダムとイヴを騙したやつとか、八岐大蛇とか、バジリスクとか。
水地さん_ああ、確かに彼らのことは知っています。
_話を遮ってしまい申し訳ないです。続きを聞かせていただけますか?
水地さん_わかりました。といっても、もう話すことはそうないのです。私はその後慣れない身体をどうにか前へ動かし、水干の男の元まで移動します。彼の顔面は今にも倒れそうなほど青く、開いた口からは何の音も聞こえません。私の両腕が、未だ鈍く輝く鱗が並ぶ双腕が、その頬に向かって伸びていきます。そしてその肌に触れるか否かと言う刹那、目を覚ましました。以上が私の見た奇妙な夢の全貌です。何か貴方の役に立つようなことがあったでしょうか。
_ええ、とても興味深いことばかりです。特に鏡と蛇の関係は(以下、重要度の低い内容となるため省略。)
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